とにかく手のかからない子だった。
手がかから無さ過ぎて・・・心配になるくらい。
というより、
きっと産まれた瞬間から
親に気を使ってたんだと思う。
新生児の頃から
昼間は2~3時間置きの授乳だけど、
夜は4時間とか、長い時じゃ6時間ぐらい
寝てくれたり・・・。
(普通は時間おきとかに授乳する)
前にも書いた通り、
この頃はるくんは北京によく行ってて居なかった。
だかられぉのお世話は勿論私1人。
しかもはるくんが居ない間、店の事もろもろ、
日本での仕事というか、
最低限しなきゃいけない事とかは私がしてた。
生後1週間のれぉを車に乗せて
(運転ははるくんの会社の子がしてくれてた)
銀行や郵便局、
役所や税務署まわりだなんだって・・・。
まあー銀行員もびっくりだよ。
おくるみに包まれた 産まれ立ての赤ちゃん抱いて
会社の手続きとかしに行ってんだもん。
偉いさん出てくるわ、
あかちゃん抱えてるし、
ゆっくり座って書類が書けるよう
特別室に通してくれたり・・・。
どこ行ってもみんな優しいのなんのって。
れぉには可哀想な事してた。
ほぼ毎日そんなんで・・・。
外に居る事が多かったから
おっぱいが出るにも関わらず
ミルクあげたり。
お腹空いても泣く事ないし・・・。
手吸って待ってんの。
すぐにあげるつもりでミルクを作って家を出たけど
バタバタしててすぐにあげれず
冷め切ったミルクを仕方なしに
あげた事もあった。
それでもれぉは嫌がりもせず飲んでくれた。
普通、冷たいミルクなんて飲んでくれないよ・・・。
ほんと・・・
今思い出しても涙が出そうになる。
前にも書いたけど・・・
Fさんが原因で、
この頃から過酷な生活が始まってく。
お金のない生活。
れぉのオムツ代、ミルク代すらギリギリの生活。
ベッドも布団も用意してやれず、
知り合いに貰った商品券(2000円分)で
お昼ね布団を買った。
補助ソファーを壁と私達のベッドの間に置き、
その上に布団を敷き、バスタオルを敷き、
れぉを寝かせてた。
寝返りするようになるまでは落ちないだろうって事で。
家賃も滞納、電気やガスは黄色い紙が来る。
(もぅ止めますよっていう最後の警告状みたいなやつ)
電話して頼み込んでなんとか数日
期日を延ばしてもらえるようお願いする。
それを何度か繰り返す。
それでもお金の用意できない時は止まる。
家賃が払えず、引越しもした。
(保証金の要らないトコとか)
お水時代の戦利品などを売って
なんとか生活してた。
店も閉め、収入が無くなった。
Fさんとの仕事(北京がらみの)も
Fさんが原因でダメになった。
今から思うと、半分騙された様なモノだね。
○千万という借金だけ残った。
その内の○千万は
知り合いの社長が、
会社の隠し銭(外にばれたらヤバイお金)
をはるくんに投資した金だったから、
すぐに返さないといけない訳では無かったから
それだけが救いだったけど・・・。
でも、残りのお金とかが原因で、
某ヤクザや、ややこしい人達に
追われる様な生活してた。
夜、突然はるくんから電話かかってきて
「今すぐ荷物持って家でろ!!!」
とかね。
れぉ抱いて、かばん1つに大事な物つめて・・・。
あん時はほんと怖かったな・・・。
そんな中、
前に書いた子持ち女と
まだ連絡取り合ってた事件や、
なんだかんだあって・・・
ストレスでおっぱいがピタッって止まっちゃって・・・。
で・・・
逃げるように引っ越して
住民票を親友の家におかせてもらってた。
(居場所調べたらバレちゃうし)
やっと落ち着いて・・・
ほっとしたのもつかの間。
仕事が無い。
なんとか知り合いの仕事を手伝いながら
ギリギリ生活出来るぐらいの収入はあった。
そうそう・・・。
れぉが生後4ヶ月ぐらいの時、
こんな事があった。
『まちゃ7針事件』
何って?そのまま。
頭を7針縫うケガしたの。
しかも原因は はるくんとの言い合い。
れぉが4ヶ月くらいの時に、
大喧嘩したの。
ってか、世間的にはDVだね。
その当時、お弁当屋さん&居酒屋さん
してたんだけど・・・。
お母さん(はるくんの)を名古屋から呼んで、
私とお母さんが交代でれぉを世話しながら
働いてたのね。
ほんと・・・夫婦で同じ職場で働くって善し悪しよね。
勿論うまくいく夫婦も居るだろうケド・・・
私達は違った。
仕事に対する意見が分かれてた。
仕事以外の事でならまだしも、
『仕事』っていうモノの対して
女が男に口出しするな的な・・・。
(今はそうじゃないよ)
それに、その頃、
Fさん含め、色んな人に騙されたり、
いい様にされたり・・・
嫌な事続いてるわ、
仕事はうまくいかない、金もない。
そんな状況の中での私との言い合い。
その頃のはるくん・・・今から思うと
自分をコントロール出来なかったんだろうね。
よくケンカして 酒飲んで どつかれたりとか
出て行けーって、玄関まで引きずられたり
今でいうモラハラ的な・・・暴言はかれたりとか
なんかちょこちょことそんなことあったのね。
で、事件の日の夜。閉店後の話。
れぉは家でお母さんに見てもらってた。
私はいつも通り店の片付けしてた。
そこにはるくんが迎えに来た。
(毎日閉店ぐらいに迎えに来てくれてたから)
酔っ払ってた。
私が片づけをしてる間、はるくんは
店の余り物をつまみながらビールを飲んでた。
いつもと違った。
飲むスピードが速い。
そんな中・・・
仕事の話になった。
で・・・
事件!
ガッシャーン!
突然、突き飛ばされた。
携帯は真っ二つにおられ・・・
立とうとする私の胸に蹴りが入った。
「うぅっ・・・」
私はうずくまった。
そして・・・
ガシン!!
変な音がした。
と思ったら・・・
何かつぅーっと頬をつたうモノが・・・。
血だ・・・
ボトボトと流れ落ちる血・・・。
横には血の付いたビールジョッキ。
痛い・・・
遅れて痛みがやってきた。
なんだか意識もモウロウとする・・・。
はるくんの投げたジョッキが
私の頭に当たってた・・・というより
投げられたのか・・・。
記憶がない。
(はるくんも困惑し過ぎて覚えてないらしい)
ふらふらになりながら
1人で病院へ行くと外に出ようとする私。
そんな私をはるくんが車に乗せようとする。
私は「離して!触らないで!」と叫ぶ。
でも、私にはムリだった。
意識が・・・なくなりかけてた。
意識がモウロウとする中、病院へ着いた。
私は救急治療室に運ばれた。
そこで頭(こめかみの上の生え際あたり)
を縫い、顔や手足を消毒し、
胸のレントゲンを撮った。
息を吸うもの痛かったから。
看護婦さんが聞いてきた。
旦那さんがやったのかと。
そして、警察へ届けたらどうかとすすめられた。
私の意志がない限り、病院側が勝手に
警察へ連絡する事は出来ないからと。
あと、警察を呼ばないのなら
どなたか家族を呼んで下さい、
このまま帰す事は出来ませんと。
私は悩んだ。
それまでにも色々あった。
それに これから更に
エスカレートしていくんじゃないかという不安。
でも・・・
私が被害届けを出せば、はるくんは立派な犯罪者。
れぉの父親を・・・自分の旦那を・・・犯罪者に・・・。
私は自分の父親に連絡した。
父は当時BARを経営してたんだけど・・・
お客さんが居るから出れないと言った。
そして 「○○(妹の名前)はムリなんか?」
そう言った。
いやいや。おとん・・・来てくれん訳?
娘が血出してこんな事なってんのに?!
父はいつでもそう。 他人事・・・。
昔のストーカー事件の時も、中絶した時も
父は何1つしてくれなかった。
男として 父親として 何1つ・・・。
平気なの?どうしていいか分からない?何なの?
訳がわかんない。
だから今でも・・・
私は父を 『父』 だと感じた事がない。
正直守られた記憶がない。
そこだけで言えば・・・あのばかな母親の方が
曲がりなりにもしてくれた。
私は
「もういいわ。」
そう ひとこと言って 電話を切った。
情けなかった。
私だったら・・・
娘が事故したとか 適当に理由つけてでも
店閉めて駆けつけるよ・・・おとん・・・。
私は妹に連絡した。
本当はしたくなかった。
妹にも子供はいたし、何より、
妹家族だけはややこしい事に
巻き込みたくなかったから。
平穏な暮らしを壊したくない。
余計な心配をかけたくない。
そう思ってたから。
でも・・・現実問題
私には妹しか頼れる家族が居ない。
私は妹夫婦に迎えに来てもらい、
家へ帰った。
家へ帰ってからはるくん含め、話した。
次の日、はるくんとまた言い合いに。
はるくんは逆上して話しが出来ないほど。
れぉがおっぱいが欲しいと泣き叫ぼうが、
「子供に逃げるんんか!」
とか 訳わかんない事言って
れぉ抱いて・・・
私に抱かせてくれないし。
れぉをはるくんから引き離そうとしたら
れぉの腕思いっきり掴んで
「お前が手離したら俺も離すわ」 とか言って
さらに強く掴むし。
「ほら、離さな、痛がってんで!」 とかって。
完全にDVだよね。
出て行け!ってなって
れぉの着替えとオムツ、ミルクと私の服少しだけ
かばんに詰めて・・・
逃げる様に 家を出た。
出る時、ベビーカー持って出ようとしたら
「それは俺が買ったやつやから置いていけ!」
だってさ。
で、行くトコないし、
父の家に逃げ込んで・・・。
10日くらい 居たのかな。
その間、DVセンターみたいなとこや
役所に相談に行ったり・・・
警察行ったり。
被害届けは出さないものの、
軽く調書とって、ケガの写真撮って・・・。
DVセンターには呼ばれて3回くらい行った。
色んな書類も貰ったな。
何かあればすぐ対処出来るように。
なんせ、子供は絶対渡さん。
どんな手使ってでも奪うって言われてたから。
シェルター
(なんかあった場合逃げ込める家で
場所は誰にも知らされないし調べられない。
DVセンターや役所に行けば用意してくれる。)
の空き具合調べてもらったり
子供との接見禁止
(何m以内に近づいてはいけないみたいな)
の申し立ての書類とかね。
まぁーいろんな書類貰って書いたよ。
ほんといつでも出せる様に。
でも・・・その間も
電話やメールではるくんとたくさん話して・・・
結局私ははるくんの元へ帰ることにした。
今の世の中、悲しいかな、
まだまだ女1人で子供育てていく事は難しい世の中。
ましてや私には頼れる母など居ない。
1人でとなればとりあえずお水に戻って、
れぉを託児所預けて・・・
そんな生活。
れぉに寂しい思いをさせるのは・・・イヤだ。
目に見えてる。
世の中、そうやって懸命に生きてる人達が
たくさん居る事は知ってる。
勿論、その人達をどうこう言うわけじゃない。
偉いと思う。
でも・・・私には出来なかった。
「根性がない」 と言われればそれまで。
でも・・・
理想やうんぬんじゃなく
現実的に
女手ひとつで育てて・・・
親の勝手で
本当ならしなくていいはずの寂しい思いや
不自由さを子供に与える事の大きさ・・・。
世間じゃシングルマザーがカッコイイ!
みたいな感じがあるけど、
私は決してカッコイイなんて思わない。
(死別して・・・とかは別ね)
そして・・・子供が大きくなって
1人ぼっちになって・・・
生活の為だけに仕事して仕事して・・・
気付けばもういい歳になってて・・・
そんな寂しい人生。
うまい事再婚出来りゃいいだろうけどさ・・・。
なんか色んな事考えてたら・・・
このぐらいで・・・簡単に離婚してしまって
いいんだろうかとか・・・
色んな事考えてた。
はるくんは、もう1度チャンスが欲しいって
頑張らせて欲しいって言う。
こんな状況で思うのも変だけど・・・
私には はるくんにとてつもない可能性を感じてた。
何かやってくれるって。
(仕事成功して金持ちになるとか)
私はその直感に賭けた。
私は・・・父に
「れぉを守る為に、自分の将来の為に
もう1度、人生 はるくんに賭けてみる」
と 言い、
もし、万が一、今回の様な事があったらと
書類(さっき↑で言ってたやつ)を預けた。
そしてはるくんに迎えに来てもらい
家へ帰った。
そして・・・今がある。
あの時・・・そう1つの選択肢を選んでたら・・・
人生っておもしろいね。
そうそう、余談だけど、
家に帰って数日後
こそっとはるくんの携帯メール見たら
例の子持ち女とメールしてて
はる 「嫁に逃げられた。」
女 「かわいそう。
もう戻ってこないの?」
はる 「うん、たぶん。」
女 「そっか・・・。
何か困った事あったら協力するからね。
子供の面倒ぐらいなら見れるし。」
はる 「ありがとう。
んじゃあ、そん時は
俺の面倒も見てもらおっかな(笑)」
なーんて会話が・・・。
ぶちっ
それ見た瞬間私の中で何か切れた音が・・・。
と共に
バカじゃね、この男
って私の中の心がそう叫んでた。
あぁー情けない・・・。
ほんっとよくもまぁ、今考えると
こんなおばかさんと今まで一緒に居たものだ。
ちなみに このメールの事を知ってることは
未だにはるくんに言ってないよ。
いつ 言ってやろっかな~♪
死ぬ間際っ?!(笑)
みなさぁ~ん、
いつがいいですかぁ?(笑)