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土佐が生んだ幕末の英雄、坂本龍馬。欧米列強に脅かされていたわが国で、一介の浪人である龍馬が国(藩)の枠を超え、縦横無尽に動き回り、維新回天の扉を開きました。既成概念にとらわれない発想や自由で志高い生きざまは、今も多くのファンを引きつけてやみません。そんな龍馬の生涯や魅力を、高知新聞社の記事や写真、資料なども交えて紹介します。龍馬が食べる|坂本龍馬の部屋〜高知新聞社【1】軍鶏鍋 ・・・ 果たせなかった最後の食事「龍馬の好物といえば軍鶏(しゃも)鍋」が有名なのは、やはり司馬遼太郎の名作「竜馬がゆく」からでしょうか。龍馬が何者かに襲撃され、命を落とした夜、風邪気味のため温まろうと軍鶏鍋を所望したことが描写されています。 軍鶏鍋が料理屋から届く前に襲撃を受け、龍馬は結局、好物を食べることなくこの世を去ります。その時一緒にいたのが、龍馬の盟友でやはり土佐人の中岡慎太郎。実は、土佐は昔から鶏との関わりが深い土地なのです。
軍鶏はタイ原産で、呼び名もタイの当時の名「シャム」に由来します。江戸時代初期までに日本に伝わり、闘鶏用、観賞用、食肉用として愛されてきました。土佐では「小軍鶏」と呼ばれる小さめの種類が多く、昔から民家などで広く飼われていたようです。安芸郡安田町には県内唯一の闘鶏場が残り、今も12月から翌年6月までの毎週日曜、闘鶏が行われています。 土佐では軍鶏だけでなく、昔から鶏肉を飼育するのが盛ん。日本鶏の主な34種のうち、東天紅や県鳥の尾長鶏をはじめとする8種が高知原産とか。近年では土佐地鶏を元にしたブランド鶏「土佐ジロー」も名高いですね。 そんな土佐に生まれ育ち、地鶏や軍鶏を食べて育った龍馬だから、長じても軍鶏鍋が好物だったのでしょう。放し飼いの地鶏は味が濃く、肉質も締まって風味豊か。そんな土佐の軍鶏鍋や鶏鍋は、甘辛いすき焼き風が一般的。ニンニクの葉やネギ、豆腐などを一緒に煮込み、溶き卵に絡めて食べるとおいしいですよ。 「龍馬の鍋」売り出す 南国市才谷坂本家の初代から三代目までの墓が残る山間の地、高知県南国市才谷。ここを中心とした南国市の農家や商工会有志らで作る「ごめんシャモ研究会」(小笠原治幸会長)が新たな市の加工特産品として軍鶏や野菜を売り出そうとしています。 龍馬ゆかりの地として、龍馬の好物を商品化し、地域を振興しようという企画。会員らは味付けや具材について熱く鍋談議≠オ、うまい鍋を作り出そうとしています。 龍馬が「才谷梅太郎」の変名を使っていたことは有名。龍馬の先祖が眠り、当時の雰囲気を感じさせる山村は2009年10月、「全国龍馬ファンの集い」ツアーで多くのファンが訪れました。この山間が今後、新たな龍馬ゆかりの名所になるかもしれません。
ここでご紹介しているのは一部の抜粋。携帯サイト「坂本龍馬の部屋」には、もっと詳しく掲載しています。ぜひ一度ご覧ください! >>「龍馬が食べる」 次の記事 >>「龍馬が食べる」 トップへ >>「坂本龍馬の部屋」 トップへ
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