訃報:鶴見俊輔さん93歳=哲学者、評論家
毎日新聞 2015年07月24日 09時26分(最終更新 07月24日 13時08分)
思想史や大衆文化論で独自の思想を展開し、反安保、反戦平和など戦後の市民運動で中心的な役割を果たしてきた哲学者で評論家の鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)さんが20日午後10時56分、肺炎のため京都市内の病院で死去した。93歳。22日、近親者で火葬を終えた。
父は、政治家で厚相(現厚生労働相)も務めた祐輔、母方の祖父は、満鉄(南満州鉄道)の初代総裁で外相なども歴任した後藤新平。1922(大正11)年、東京で生まれた。15歳で渡米し、42年、ハーバード大哲学科卒。日米開戦後、米当局にアナキスト(無政府主義者)の容疑をかけられ逮捕されるが、同年に日米交換船で帰国した。戦後の46年、社会学者で姉の和子や経済学者の都留重人(つる・しげと)、政治思想家の丸山眞男らと雑誌「思想の科学」を創刊(休刊は96年)。同時に思想の科学研究会を設立し、「転向」についての共同研究など独創的でユニークな研究を主導した。
京大助教授を経て、54年に東京工業大助教授になるが、60年、安保改定強行採決に抗議し辞任。61年に同志社大教授になったが、70年、学園紛争での機動隊導入に抗議して再び職を辞した。原水爆禁止運動など反戦平和運動の他にも、ハンセン病患者の社会復帰のための運動などに参加した。
特に、65年には小田実らと「べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」を結成し、米国のベトナム侵攻に抗議するとともに脱走米兵を援助した。
米国のプラグマティズム(実用主義)の思想を日本に紹介。狭義のアカデミズムの枠にとらわれず、民衆の意識や関心に視点の中心を据え、日本社会の近代化の過程を分析した。当初、米国の論理学者、C・S・パースらのプラグマティズム論理学に依拠して議論を展開したが、「日常的思想の可能性」(67年)、「限界芸術論」(同)、「漫画の戦後思想」(73年)などで大衆文化を掘り下げ、日本人の思考様式の非合理性を批判した。04年6月には、憲法第9条を守る「九条の会」の呼びかけ人(9人)に名を連ねた。
転向の意味を問い直した「戦時期日本の精神史」で82年の大佛次郎賞を受賞。90年、「夢野久作」で日本推理作家協会賞、94年度に朝日賞、07年度には「鶴見俊輔書評集成」(全3巻)で毎日書評賞を受賞した。
他の主な単著に「不定形の思想」、「アメリカ哲学」、「柳宗悦」、「戦後日本の大衆文化史」、「鶴見俊輔集」(正・続、全17巻)など多数。