進歩を続ける日本の醸造家たち クラフトビールに乾杯!
中小のメーカーがつくる個性的なビール「クラフトビール」。実はいま日本のクラフトビールが海外で人気なんです。
クラフトビールの先進国、アメリカ。今ではビール全体の売り上げの2割を占める勢いです。そんなアメリカで快進撃を続けている日本のビールがありました。洗練された香りと爽快感あふれる味わいが特徴で注文が絶えないとか。このビールメーカーがあるのは、茨城県那珂市。もともとは200年続く日本酒の蔵元ですが、日本酒の消費が低迷するなか、1996年にビール業界に参入。輸出がのびたことで年商は20倍に。毎年数億円の設備投資を行って増産に動いていますが、まったく追いつかないと言います。
このメーカが作る、ベルギー発祥タイプのホワイトビールは、世界から引っ張りだこ。ホワイトビールは醸造の腕が問われる、もっとも難しいビールのひとつ。それにも関わらず、世界のメジャーなコンクールすべてで金メダルという4冠を達成した、数少ないビールなのです。他にも、茨城県の赤米と日本酒の酵母で発酵させたビールや、梅と藻塩を使って酸味を利かせたビールなど、個性的な味を世界が絶賛。今やこれらのビールは35の国と地域で飲まれているというから驚きです。
このクラフトビールが、最近日本でも広く出回り始めています。これまで大手メーカーの商品で占められていたコンビニの棚にも、クラフトビールがずら~り。日本のクラフトビール市場を切り開いた会社は、長野にありました。社長の井手直行さん。作っている25種類のビールの個性をわかりやすく伝えるため、デザインとネームングにこだわりました。たとえば強い苦味が癖になる「インディアンペール」は、強烈な味わいを「鬼」で表現。香り高くフルーティーな味わいのホワイトビールは、仕事に疲れた女性がターゲットです。こうした新しいビールの楽しみ方はネットで徐々に評判になっていきました。
今、井手さんが働きかけを強めているのが若者たち。この日は、流行に敏感な若者たちに、長期熟成させたこだわりのクラフトビールを飲んでもらってアピール。さらにクイズで、クラフトビールの作り方や原料を知ってもらいます。盛り上がって楽しくなると...皆さんそれを友だちと共有。写真を撮ってSNSなどにアップしはじめました。こうした若者たちのクチコミ効果は絶大!大手のように広告費をかけることなく売り上げを5年で3倍に伸ばしました。5月には北軽井沢で、クラフトビールと音楽を楽しめる野外フェスを開催。若者たちは、新たなクラフトビールの世界に引きこまれています。
田崎真也さん(ソムリエ)
1994年に地ビールブームが起きて、300以上の小さいビールメーカー出てきたんです。でも、だんだん淘汰されていってしまった。それで2003年頃グーンと少なくなってったんですね。それがまた徐々にジワジワいろんな要因で広がってきて・・・今200ちょっとです。さらにアメリカのクラフトビールの流行もあって、「クラフトビール」っていう名前を採用してるんです。
室井佑月さん(作家)
腑に落ちました。前に地ビールが出てきたときに、すごく凝っているビールなんですけど、ちょっと個性が強過ぎちゃって・・・。値段も高かったし「(飲まなくても)いいや」って思ってたんですよ。だから、今出ている話題のクラフトビールが、地ビールと結びつかなかったんです。でもやっぱりおいしくなってるんですね。
3月。東京・杉並区の商店街にオープンした、生のクラフトビールを味わえる店。味もさることながら、お値段も安く好評。その安さとおいしさのヒミツが・・・店の小さな一角で手作りしているビールです。作り方は超アナログ。市販のドリルを取り出して手作りの粉砕機にセット、麦芽を粉砕します。続いて70度ほどに熱したお湯の中でかくはんし、デンプン質を糖分へと変えます。これもずっと手作業です。作業をする今井貴大さん。額に汗してかき混ぜ続けます。
続いて、麦芽のかすをろ過し取り出したのが麦汁です。ここに苦味や香りの元となるホップを投入。この量と種類も、ビールの個性を大きく左右します。そして、この後がビール造りのクライマックス。「これが今回、使う酵母。麦汁の中にある糖分をビール酵母が食べて、炭酸ガスとアルコールを生成します。」取材陣を部屋の外に追いやって、隅々までアルコール消毒する今井さん。そして麦汁に他の菌が入らないように素早く酵母を投入しました。...あとは待つことおよそ10日間。おいしいビールになるのを祈るのです。
この工房を作った社長の能村夏丘さん。以前は小さな広告会社で営業の仕事をしていました。自ら会社に願い出て大手ビール会社を担当させてもらったほどのビール好きです。しかしやがて広告の仕事に充実感を得られなくなり退社。自分探しの旅で偶然立ち寄った地ビール店が能村さんの運命を大きく変えました。そこでは驚くほどの小規模な設備で、しかもマスターがたった一人でビールを作り、客に提供していたのです。能村さん、天職にめぐりあえた瞬間でした。
それからというもの、ビアパブや醸造所を訪ね歩き、ビールについて学んだ能村さん。一番の師匠に選んだのが永原敬さんでした。店ではほとんどのビールを360円で提供している永原さん。ビールを安く提供するノウハウと哲学を教えてくれました。そして2010年12月。能村さんが東京・高円寺に開いた店は初日から満席。醸造所の出来たてビールに消費者は飛びついたのです。なかにはお店があるから近所に引っ越してきたという人もいるそうです。
開店後、能村さんには一つ意外なことがありました。弟子入りを志願する若者が殺到したのです。今では10人以上が、能村さんのもとで切磋琢磨しています。そんな若者たちを育てるため、能村さんは店を5店舗にまで増やしました。「(能村さん)一言で言うと、"街のパン屋さんのようなビール屋さん"になりたい。(なぜか?)好きなものは伝えたいし届けたい。そういうシンプルな部分だと思います。」能村さんは、どの街にもひとつ、自分たちのビール屋がある、そんな世界を目指しています。