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評論家・哲学者の鶴見俊輔氏 死去7月24日 7時46分
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日本の近代化を鋭く論じ、戦後を代表する評論家で、哲学者としても知られる鶴見俊輔さんが亡くなりました。93歳でした。
鶴見さんは、政治家で文化人だった鶴見祐輔の長男として東京で生まれ、15歳でアメリカに渡って、ハーバード大学に入りましたが、日米開戦の際に逮捕されました。
昭和17年に捕虜交換船で帰国し、従軍経験を経て、敗戦後の昭和21年に、経済学者の都留重人や政治学者の丸山眞男、姉で社会学者の鶴見和子と共に、新しい思想の確立を目指した雑誌「思想の科学」を創刊しました。
経験を重視するアメリカの思想「プラグマティズム」を日本に紹介したほか、日本の近代化を独自の視点で分析して、数多くの著作を残し、昭和40年には「ベトナムに平和を!市民連合」いわゆる「ベ平連」を結成して、ベトナム戦争に反対しました。
その後もアメリカの民主主義などについて精力的に評論活動を続ける一方、漫画や探偵小説など大衆文化に関する評論でも高く評価されました。
平成16年には作家の大江健三郎さん、哲学者の梅原猛さんたちと共に、平和憲法を擁護する「九条の会」設立の呼びかけ人となりました。
また、東日本大震災後も作家の大江健三郎さんらと脱原発を訴える本を発表するなど、積極的に発言していましたが、今月、亡くなりました。
昭和17年に捕虜交換船で帰国し、従軍経験を経て、敗戦後の昭和21年に、経済学者の都留重人や政治学者の丸山眞男、姉で社会学者の鶴見和子と共に、新しい思想の確立を目指した雑誌「思想の科学」を創刊しました。
経験を重視するアメリカの思想「プラグマティズム」を日本に紹介したほか、日本の近代化を独自の視点で分析して、数多くの著作を残し、昭和40年には「ベトナムに平和を!市民連合」いわゆる「ベ平連」を結成して、ベトナム戦争に反対しました。
その後もアメリカの民主主義などについて精力的に評論活動を続ける一方、漫画や探偵小説など大衆文化に関する評論でも高く評価されました。
平成16年には作家の大江健三郎さん、哲学者の梅原猛さんたちと共に、平和憲法を擁護する「九条の会」設立の呼びかけ人となりました。
また、東日本大震災後も作家の大江健三郎さんらと脱原発を訴える本を発表するなど、積極的に発言していましたが、今月、亡くなりました。