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【社会】

フィリピン戦没1733人 敗戦直後 病死77%

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 太平洋戦争中にフィリピンで死んだ陸軍の軍人・軍属千七百三十三人の死亡状況を記録した厚生労働省の資料を東京新聞が分析したところ、一九四五年初めに14%前後だった病死率は徐々に増加し、敗戦直後の九月には77%に上ったことが分かった。死因はマラリアや栄養失調、脚気(かっけ)などが大半。補給がとぎれ、極端な食糧不足の中、広い意味での餓死者が多数いたとみられる。同省などによれば、兵士がなぜ死んだのか、戦争全体の統計はない。資料からは、兵士の命が軽んじられた七十年前の現実の一端が浮かび上がる。 (飯田孝幸)

 分析したのは旧厚生省援護局が戦後、海外戦線にいた未帰還兵の死亡認定のため、元上官や同僚から聞き取り調査した文書。約四千三百人(一部沖縄を含む)の死亡状況が記録されており、厚労省が二〇一〇年からホームページで公開している。対象地域はフィリピン、中国、インドネシアなど広域に及ぶ。

 陸軍で千七百三十三人分、海軍七百十三人分のまとまった資料があるフィリピンの場合、陸軍の病死率は四五年三月まで13〜15%だったが、四月から上昇。六月に30%に達し、八月前半が47%、後半は62%。九月は77%を占めた。海軍の資料は、陸上の海軍施設で働いていた軍属が大半を占め、六月に病死が半数を超える。敗戦後の戦死者は、米軍との散発的な戦闘や、ゲリラの奇襲などによる。

 フィリピンの日本軍は四四年十月のレイテ沖海戦で制海・制空権を失った。決戦場とされ多くの兵力が投入されたレイテ島への補給も十二月上旬には断念した。トウモロコシなどを栽培し、食糧自給する計画も立てられたが、米軍の攻撃で破綻した。フィリピンでの戦没者は民間人含め五十一万八千人とされる。

 聞き取り調査からは、生々しい飢餓の状況が浮かぶ。ある陸軍上等兵はフィリピンで病死した戦友について「四カ月位ハ食糧皆無ニテ木ノ実、サツマイモノツルヲ常食トシ、(四五年八月)十一日頃ヨリ精神異常ヲ来シ、十三日死亡セリ」と説明。別の陸軍曹長は四五年七月に亡くなった戦友について「竹乃子及(たけのこおよび)川ニ居(お)リシ小カニヲ以(もっ)テ唯一ノ食糧トナシ」という極限状況の中、マラリアの再発でますます衰弱したと証言している。

 

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