写真・文 内田光
2015年7月23日16時00分
天皇や軍幹部からなる戦時の最高司令部を東京から長野に移転させる「松代大本営」の建設が決まったのは1944年7月。本土への最終防衛線だったサイパン島が米軍に制圧されると、日本のほぼ全域がB29の爆撃圏に入った。
硫黄島や沖縄で激しい戦いが続き、人びとが食料や物資の不足に苦しむ中、それでも本土決戦を想定した旧陸軍によって地下壕(ごう)は終戦まで掘り進められていった。総延長10キロが今も山中に残っている。
長野市が90年から一部を公開する象山(ぞうざん)地下壕。年間10万人が見学に訪れる。ヘルメットをかぶり、暗く肌寒い壕内を500メートルほど進むと、行き止まりのフェンスに千羽鶴があった。
「戦争を起こし力で解決するのではなく、言葉で解決をしていく」
平和を願うメッセージが添えられていた。(写真・文 内田光)
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