かなしいという感情

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  今日は 3時半に起きた

昨日は9時には寝てしまった・・・・起きていられなかった

     仏壇にお茶とお水を供えたが・・・息子は寝坊なので(私と同じ)
        朝早いなぁ~~~ 勘弁してよ・・といっていそう

   母は笑っていそう・・・・お!めずらしいね・・と

      知らされないやさしさに 助けられていることが多い

     そっと やさしく思いやってくれる人たちがいる

        力をもらう
    
    息子が逝って10年になってしまう
    もう10年もあっていない・・・ことに 愕然とし、落ち込む
  
   しかし 落ち込んでいられない

     次から次へと  支援者の専門家という人たちが
     机上論を語る
    遺族とは・・・・・と。

遺族の前で遺族でもない人から
    遺族とは・・こんな症状があって・と  語られてもピンと来ない

    遺族の弱点だけを学ぶのが遺族支援の研修会
  遺族のできることを学ぼうとはしない

なぜなら  支援者は遺族のできないことを探して
  ここはできないですよね。。これもできないですよね・・と指摘し
     意識させ、支援をしてくれるのかと思えば・・ただ話を聞くだけ

 話を聞くだけなのに  なぜ…遺族の弱点だけを学ぶのだろうか

     学ばずに 普通にお話を聞いてくれたらいいだけなのに・・・

 また 複雑性悲嘆ということを学ぶ研修会がある

   東京に学びに行こうと思っている

 質問する予定

  複雑性悲嘆についてはよくわかりましたが
  どのように支援していけばいいのですか・・・・
       またどのような支援で回復するのですか・・と

 たぶん私も複雑性悲嘆だから
        
      しかし  講師よりもある意味で元気

       人間は・・・・しかも 
愛する家族を突然の喪った悲しみを抱えている遺族は
   多重人格のように多面性を持っている

一人でいるとき  社会と接するとき
家族といるとき  仕事をしているとき  遺族といるとき
     その時々も  その時によって変わる
   悲しくて
   しゃがみこんで泣く時・…今でもある
   歩けなくなってしまう
 突然 声をあげて泣く時がある
  家事もできないときもある
     何もしたくないときもある
    怒りに体が震えたり  食欲もない時もある
     誰とも話したくないときもある

  また
    カラオケで歌う時もある
  テレビを見て大笑いするときもある
        しあわせな人のようにふるまう時もある

   バリバリ仕事をこなす自分もいる

   どれも自分

   それがにんげん ではないのだろうか

なぜ 悲しみが続くと 複雑性悲嘆という言い方で
  遺族の悲しみを表現し、差別するのだろう
     そんなことを語っている講師は 愛する子供が死んだときどんな反応をするのでしょう
    泣かないのかな・・・
 半年で悲しみは消えて ルンルン元気になるのかな

   悲しみなんて  何?という感情になるのだろうか

      あまりにも人間を単純に考えすぎていないだろうか

     今日みたいに3時に起きて眠れない日もある
  5時までも・・・いや 
一睡もでみないときもある・・・
     人の悲しみを 区分けしようとすることは無理がある

  自分でも自分の心がわからない時があるほど心は複雑

 複雑な心が普通

悲しみは愛しさと共に

 悲しみもまた私のもの
  愛しているから悲しい  愛が消せないように悲しみもまた消せない
 深い悲しみは深い愛の証し
      かなしい 悲しい 哀しい カナシイ 愛しい
   
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コメントと活動

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ブログへのひどいコメントに時々応えると炎上し、
それが 多くの遺族にとって(まだ日にちの浅い)
      心が痛くなる…というメールや電話をいただきます

忙しくてブログを見る時間もない時もありますが
     出来るだけ 即座に みた人が心が痛くなるようなコメントは削除してきました

  多くは同じ人です。
    たぶん・・たぶんですが ネット喫茶のようなパソコンが多く使用できる場所で
       コメントしているようです
   スパム報告しても 次々毎日のようにコメントが書きこまれるときもあります

 鴨居(たぶん息子の縊死の場所)
   中田(田中をひっくり返した)
タッチ・・…等々
今回の
  私の怒りの沸点は 息子への批判です
     私への意見なら私の事だけをいえばいいのです
        9年前の新聞の記事のことですが・・・
    その後、数えきれないほ度掲載されていますが
     新聞記事に高校の名前が掲載される私の記事は
        ほとんどないはずです。
  ブログに関しても 高校の名前を記載したことはあまりなく
     交通事故とだけになっていると思います

   今回は応えてしまった自分の責任だと思っています
      リアルに会って話すのと違い
  文字はお互いに誤解を生むことも多いと思います
      
     息子は頑張って仕事をしました
    
事故のことで責めるとしたら
    被害者の遺族も私も運転手と飲酒運転を認めていた同乗者です

   遺族同士が責め合っても何の意味もないことです

 事故のことを時々話題にするのは
  飲酒運転をしないでほしいという想いを込めてです・

交通事故の悲惨さを知っているから
  事故を起こさないで欲しいという願いを込めて・・・・・です

   事故が起きたから・…人が亡くなり
    警察も忙しいのです
   事故さえなければ 遺族もうまれず 警察官も暇です
       
   事故が起きたのは遺族の責任ではありません

   どうして  遺族を責めていると思うのか 未だに理解できないでいます
   わたしは  事故を起こした犯人を責めているのですが・・・

事故さえなければ…と思うのは

  事故で亡くなった人の家族も  
     私も同じだとばかり思っていましたので
       ものすごく意外でしたし、息子の仕事を言われる事に怒りを覚えてしまいました

   私は報酬を受けて活動はしていません
  手弁当も多く(心ある方々からの寄付金もあります、感謝です)
    全国自死遺族連絡会の活動は自前です
     お手伝いの遺族も手弁当です
自死遺族等権利保護研究会のメンバー全員が手弁当です
  弁護士も司法書士も 教授も・…遺族も

      
    私は 日々新しくつながる遺族からの相談を受けています
 全国から・・です
 悲しい・・・というお話だけではなく
     賃貸物件の請求に関する相談も多く 緊急性を有する場合もあります
      自死遺族等権利保護研究会の
     メンバーの司法書士や弁護士にその多くはつないでいきますが
   丁寧に
 聞き取りをしなければなりません

     また 精神医療の相談も多く 医師の紹介等も行っています

     全国自死遺族連絡会という顔もありますが
宮城県内では
「藍の会」の他に「みやぎの萩ネットワーク」や「つむぎの会」
 「藍色のこころサロン」「遺族の茶話会」
 「法話の会」「マロニエの会」」クローバーの会」
山形「青い会」 
   
  会議も 宮城県・仙台市・角田市・内閣府・・・
  個別相談も数多くあり・・・
   また 講演も頼まれることも少しですがあり
        
      シンポジュウム開催やフォーラム開催 講演会の開催 研修会の開催
    幹事会
    例会

22・23日のように  静岡県議会議員の視察のスケジュールを組立 案内もあり

    事務員がいるわけではないので
       自分でやることも多く、
           過重労働気味です

    心配して・・・ 会場の確保やチラシの作成・・・
            開催の準備等はお手伝いをしてくれる人たちもいます

     私が倒れたらいいと思っている団体もあるようですが
        どちらかというと    健康なようです

こころの痛いコメントは削除しましたし今後も削除します

    とらわれて 活動に支障が出てしまうことは不本意ですので
         私の勝手にさせてもらいます

    ブログは 私のひとりごと・・・

    コメントの書き込みは自由ですが
   掲載するかどうかの判断は私がしますのでご容赦ください
    

来年は大阪で・・・自死への差別の問題を・・・

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自死や自死遺族への法的差別等も含み

    社会に根深く残る 偏見と差別
 
    仙台在中の自死遺族が取材に応じてくれたおかげで
        社会が注目する問題になりました
 それまでは多くの自死遺族は
   泣き寝入りをしてきた問題
   

来年2月に大阪に行き
    自死や自死遺族への差別と偏見問題について講演

大阪市の大阪国際会議場(グランキューブ大阪)
第30回人権啓発研究集会を開催

全国から人権問題に取り組む行政、企業、労組、各種団体等の方、約4000名が集う全国集会です。

初日の午後は、全体会。二日目が分科会






①集会名: 第30回人権啓発研究集会


分科会6「さまざまな人権」

②日 時: 2月5日(金)10:45~12:15(90分)

③テーマ: 「自死遺族への差別を考える」

④規 模: 各分科会300~500名(行政3割、企業3割、運動2割、各種団体2割)



9月3・4日 京都府に招かれて行きます

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27年度宗教法人関係者人権問題研修会

1 研修会日程

(1)南部会場
    日時:9月3日(木) 13:00~16:00
               (御講演予定時間13:30~15:00)
    場所:「京都府立総合社会福祉会館」(ハートピア京都)
          京都市中京区竹屋者町通烏丸東入る TEL 075-222-1777

(2)北部会場
    日時:9月4日(金) 13:00~16:00
               (御講演予定時間13:30~15:00)
    場所:「みやづ歴史の館」
          宮津市字鶴賀2164 TEL 0772-20-339

(講演の演題

    「喪われた命の意味について」~悲しみは愛しさと共に~ 

   全国自死遺族連絡会  田中幸子

   市民の方の参加もOKです  参加費無料

よく使用されている精神薬の情報




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精神薬の情報


『各国のベンゾジアゼピン系精神薬に関する「処方規制ガイドライン」』


○イギリス
ベンゾジアゼピンは短期的な救済(2〜4週間のみ)に適用される。
ベンゾジアゼピンはうつ病を引き起こしたり悪化させ、また自殺の危険を高める。
イギリス国立医療技術評価機構が定めた「2週間以上のベンゾジアゼピン投与は行わない」という文章を明示した。

○カナダ
2〜4週間以上の諸法について認可しない。
ベンゾジアゼピンの長期処方にはリスクが存在する。不安・不眠について適切な利用及び薬物依存を避けるために、新規処方は注意深く観察すべきであり、処方期間は限られるべきである(不安には1〜4週、不眠には14日まで)。

○ニュージーランド
最近では依存性のリスクが知られており4週間を超えた使用は有害である。

○デンマーク
ベンゾジアゼピンの処方は、睡眠薬では最大2週間、抗不安薬では最大4週間に制限することを推奨する。
依存性があるため、ベンゾジアゼピンの処方は非薬物療法などそれ以外全てで治療できない場合のみに限定されなければならない。処方期間は4週間を目処にしなければならない。長期間の治療は避けなければならない。

○アイルランド
ベンゾジアゼピンの処方は通常1ヶ月を超えるべきではない。

○ノルウェー
ベンゾジアゼピンの日常投与は4週間を超えてはならない。

○スウェーデン
薬物依存を引きこすため、不安の薬物療法にベンゾジアゼピンは避けるべきである。
薬物中毒の可能性があるためベンゾジアゼピンは数週間以上の治療には推奨されない。

△香港
香港ではすべてのベンゾジアゼピンに対して1992年から通常の処方箋とは別に、供給と調剤について詳細な記録をつけることが求められる。(麻薬に準じた規制)

💀日本
日本ではベンゾジアゼピンの使用期間の規定は全くない。国内には15年〜20年以上と長期間処方されている人が大勢いる。

ベンゾジアゼピン系精神薬の長期間の服用は、頻繁に精神疾患を重度化させる。日本の抗精神薬の使用量は世界一の最悪の状態。精神科先進国アメリカの6倍の使用量である。世界全体の精神病患者の「5人に1人が日本人」という異常な事態である。

(備考)
日本でもっとも使用頻度が多いベンゾジアゼピン系精神薬は「デパス」(田辺三菱製薬)である。「デパス」はベンゾジアゼピン系の一部のチエノジアゼピンである。
デパスは日本発の薬ですが、欧米では使われていない。
短期的には有効な場面もありますが、いわゆる「デパ中 (デパス中毒)」が量産されていきます。
そして、その経過の中で、医原性の(デパスが原因の)リストカットなどの自傷行為、情緒不安定、うつなどが現れる。
化学物質の性質としてアルコールときわめて類似のもので、常習的に酔った状態、抑制の外れやすい状態になっている


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やさしい人たち

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  野田先生がアイルランドから帰国

 電話をくれた  心配してくれている
  いつも 活動の事を気にかけてくれ・・…・凄い人たちを紹介してくれる
      12月に野田先生の講演会と相談会を開催する予定
    
      講演と共に 精神医療の個別相談を設けることにした

    「自死遺族等権利保護研究会」にも すごい先生たちが参加している

         自死と遺族への差別問題の是正のために・・・
  尽力を注いでくれている…・手弁当で
      裁判や書類の申請になれば有料だが
       それまでは 無報酬
     研究会にも自費で…参加

    仕事が終わってから  駆けつけてくれる

     志の高い専門家たち

         息子からの贈り物
     たくさんの素晴らしい人たちとの出会い
        その道では知られた人たち

マスコミ関係の様々な人たちとの出会い

   また
     多くの遺族との出会い

       知らない世界の人たちとの出会いという贈り物

      国の機関のひと達なんて 関係のない世界だと思っていた
   議員も・…関係なかったのだが

         息子は いつも私を応援してくれている
           やさしい子だから
            「カァチャン…なにやってんだよ、無理スンナ」と・・・微笑んでいる

    争うのが嫌いな子だった
        大きな声をあげるのも 嫌いで
            「もういいから」と 苦笑いしていた

        岡先生も野田先生も 山田先生も
           大熊先生も 細川先生も・和泉先生も、甲斐田先生も斎藤先生も・・…
    たくさんの先生たちみんな穏やかでやさしい笑顔のステキな人たち

           雑音に惑わされてしまう時が時々あって
             イラついてしまう
     反省…反省…深呼吸
          立ち止まっていられない

           やらなければならないことが山のようにある

        悲しみでいっぱいの遺族に手紙を書かなきゃ

       待っていてくれる遺族がいるから・・・

         野田先生にも本を書いてもらいたいし
     
   私たちも2冊目の本も出したい
       
     8月・9月・2月と  講演も頼まれている

      9月京都の講演が終わったら野田先生の自宅に御邪魔しようと企んでいる
            お子さんを亡くされた人と・・・5dc96fe5-7f39-4c2f-8b53-540406b038c3[1]
      

岡知史先生

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岡知史教授がようやく本を書く気持ちになった・・と連絡が
   感謝
「会いたい」の本が出版されるきっかけを作ってくれた
早稲田で開催された  国際会議での論文発表
      から・…4年?5年?
「悲しみは愛しさと共に」の表題になるのかな・・・

  悲しみから回復しないと 「複雑性悲嘆」という精神疾患
   [悲嘆回復プロセス」が主流の自死遺族支援

   多くの自死遺族は精神疾患者だから 精神病同士で集まるなんてとんでもないこと
      そんな流れだった

    息子を亡くして半年後「藍の会」を立ち上げた時から
      9年が過ぎた今は・…全国で活動をしている遺族が増え
       わかちあいの会の開催だけで44か所になった

       悲しみを抱えながらも「わかちあう」ことを
            目的とした集いを開催し続けている遺族が増えている
また
最近は  ブログ等で いろんな遺族同士がつながっている
          時代は変化している

        語れない死から語れる死へ
   そうなることを願い  いつかこの世を去る日まで活動しようと思っている

       岡先生はやさしく謙虚な人
  上智大学の教授
   学科長
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   17日も大学に行き、3時間も話し込んでしまった

    年に一度のフォーラムでの講演
      今年も講演依頼をした
    「僕でいいんですか」
      といつも謙虚に話される

          遺族以外に  遺族の社会運動に協力してくれる人はいる

      いや  遺族以外の視点と専門性が社会運動には必要

      「わかちあい」は遺族同士

        社会運動は様々な人たちと力を合わせて実現に向けて行く

      民法の教授も協力してくれている

        本当にたくさんの専門家との連携が 欠かせない

      今年の9月も岡先生を招き…全国から遺族が集い
   行政や支援者も参加してフォーラムを開催する  8回目

   参加者全員     手弁当である

      ありがたいことです

  9月13日  東京 大森  「きゅりあん」 参加費無料    

遺族としての生き方

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親を亡くした人
  母を亡くして、その一年後に父もガンで亡くして 
   一人っきりになり
今、分かち合いの会や茶話会等を手伝ってくれてる人がいる
 私が  緊急連絡先にもなっている
  
精神障害を患っているのですが
 頑張ってお芝居をしている遺族もいるので 応援にも行く

遺族の入院の保証人になったり
   就職の保証人になったり
 手術の立会人をしたり
   生活保護の相談やその後の面談にも同席したり
      学校の面談にも親と共に行くこともある

   ズボンやテーシャツを買ってあげたり
  お米やノリを送ったり
      ご飯をご馳走したり お酒を飲ませたり

   引っ越しの手伝いをしたり
     訪問して相談を受けたり

     出来ることは何でもしてきた
 出来ないこともたくさんあるが・・・

   命日を一緒に過ごしてあげたり・・・
     何でも屋・・・

   新聞に取り上げられると
  記者と特別な仲なんでしょとやっかまれたり
       したこともたくさんある
 新聞記者やテレビも含めてマスコミの人とは仲良くしてきた
     特別な仲ではなく、感謝してきた
   取り上げて欲しいから
     知らないでいる人に知ってほしいから・・・
   必要としている人に
   届いてほしいから・・・

    全国に43か所の会がある・・・自助グループ
  また 尾道での会もできた
     ありがたい
     全国自死遺族連絡会の会員たちが立ち上げてくれる
    感謝
子供を亡くした会も気仙沼や石巻は 地元のお母さんたちに任せた
   岩沼の震災で家族を亡くした会も  震災の遺族に任せた

 立ち上げては  任せる・・・ことをしている
    地元の遺族が参加しやすいように・・90歳を過ぎた遺族や
   車椅子での参加・・・
耳が不自由な遺族の参加
   幼い子供を連れての参加

いろんな遺族がいる
         遺族が元気に生きられるように・・・
   なんでもしてきた
   おまじないのお札も作る
       不幸が終わるように・・・

   私は親の離婚で親戚中たらいまわしだったそうだ
      今とは時代が違う
   どこにも行き場所のない私・・・10か月
  女の子を亡くした人たちの養女になった
      他人の養子
   子供を亡くしていた育ての親は やさしく慈しみ深い人たちだった
   
      誰に対しても分け隔てない 人たちに育ててもらった
        自死への差別も偏見も
  田舎なのに 全くない人たちだった
  精神障害の人たちにも  同じにやさしかった
        文字を読めない、書けない母だったが
            尊敬している
   6人とも   亡くなった・・・
  夫の両親も…私の血のつながりのある父も母も
   また育ての両親も逝ってしまった

      私は 育ての両親のようにはなれない
       サチコは しょうがないな・・・
    と苦笑いしていそう
  息子も カァチャン  もういいよ
  俺のことは  何を言われてもいいよ
   カァチャンが 傷つかないでね・・と いってそう
         
     全国の多くの遺族が心配してくれている
  今回も電話やメールをもらった
        ありがたいことです

       沸騰点が低い私

最初のコメント




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最初のコメントです
 公開コメントになっていますので…ブログ本文への掲載についてもご容赦ください

その事故さえなければと思いたい気持ちはわかります。
でも違いますよね。その事故がなくても別な事で多忙な仕事になっていたのではないでしょうか?

ここでこれを書くのは躊躇するのですが、あの事故で亡くなった学生の一人は私の知人のお子さんです。あの事故がなければと苦しんでいます。同じ町に住んでるので貴方の息子さんの事も知り心を痛めてます。

これは私の意見ですが、あの事故の事をなんでいつまでも書くのですか?自分がその仕事に向いてないと思ったらまたは過重労働だとしたら、それに対処が必要だったのではないですか?

自分の子供が殺された事故の調査を警察が行うのは当然と思うのは間違いですか?言いたくないけど、税金ではたらいてるならしっかり仕事をして欲しい。貴方の息子さんはきっと真面目に責務を果たしていたのではないでしょうか?それを母親が全てをあの事故のせいにすることは、息子さんの頑張りを否定してるようにも感じます。

あの事故の犠牲者遺族はあなたと同じ町に住んでます。そしてあなたの息子さんはその事故に関する仕事をしていただけ、もしあの事故がなくても、別な事件で過重労働になってたんではないですか?

息子の仕事への批判は許されません

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批判ではなく
  ご注意でしょうか

   あなたがブログに書くことで  交通事故の遺族は傷ついていますよ
       
  というだけなら

なぜ  息子の仕事のことlまでコメントをしたのでしょうか

  私が書いたブログ・・と 私が掲載された新聞の記事のことだけなら
     息子の仕事の事にまで いう必要はないと思います

 私がこんなにも ブログで怒って書いているのは
 息子への侮辱が許されないのです

  働いて当然
   そうです 働いて当然だから
   休まず働きました
 
 それに加えて  パワハラもあり
  息子は追いつめられ・・心が壊れて行きました

    頑張ったんです 息子は。

  愚痴も言わず
 「いいよ俺の仕事だから」「みんなだって忙しいんだから俺がやるよ」
といい
犯人には憤り
「謝らないんだよ・・・」「3人も死んだのに」「許されないよ」
 「謝罪してから弁解だろ」「弁解ばかりして」
と 子供たちの死を悼んでいました・・こころから
  だから
  本をたくさん買って 初めての大きな事故の書類作成に必死に向かっていたのです
 あの事故の1か月前の塩釜に赴任
   事故の担当は初めての仕事でした
      慣れない仕事に配属され
  大きな事故の担当・・・
  息子は真面目に 誰のせいにもせず
      私が病気で入院しても「ごめん忙しいから」と
    電話だけで見舞いにも来ませんでした
 余裕がなかったのです
    朝の6時から夜中まで仕事をして
  一日も休まず4か月半
      死んでから署長がいいました
   自宅での療養に入る前に
 全ての事故の処理を終えて いたのです

   誰にも教えてもらえず  部下からの嫉妬もあり
      一人で本を読み、書類の作成をして あの大きな事故の処理をしました

  がんばりました
          その息子を
    仕事をして当然だという言い方は親としては受け入れられません
     
最初のコメントを読んでみてください

  息子への批判ですよ・・・

   息子は死にました・・・・
        死んだ息子の仕事の仕方を言われて
  ハイ
  ごもっともです 息子と私たちの対応が悪いんですね死んだのは・・・
     といえるでしょうか

   私がブログに高校名を出したことや新聞記事に掲載したことだけで済むことではないでしょうか
    なぜ
   息子の仕事まで批判されなければならないのか・・・と
     親なら怒って普通ですよ

  死ぬまで頑張って働いた息子の仕事への批判

        もう一度自分のコメント読んでください
     

育英高校の事故の遺族に謝罪をしなさいということでしょうか

P1080434[1]
2006年5月
  自死遺族としては日本で初めて顔も出して事情も公開して
   会の立ち上げをした
 それまでも会はあったが クローズの会だったからだ

  そこから国の対策との闘いでした
  蔑まれ罵られ きちがいといわれ、国に何度も足を運び・・・

    だから  国の自死の担当者で知らない人はいないでしょう
  
   たった一人で  叩かれ罵られ  
   排他的活動
     いかがわしい活動
        といわれてきました

     遺族に知ってほしいと願い広報してきました

       自死遺族に元気に生きて欲しいと願っての活動です
   
     署名運動をして・・・自殺なんて気味が悪いから傍によるな
   近づくな・・と  道路で罵られたり

     自死という言葉を広げたときも
          支援団体からの嫌がらせを受けて
    新聞で支援者から叩かれたり・・・
       
 それも 私が勝手にしてきたことです
       から  仕方がないことですね


     公開して会を開催したときの行政や民間団体の対応はひどいものでした

  自死遺族とは知識のない人たち
  自死者は低階層にみられる
    文字も読めない人 文章も読めない人
   もちろんネットなんてできるわけがない
   貧乏人  ・・・・頭のおかしい人
      遺族同士でつながってはいけない  これは今でも言われている

     自死への差別も 偏見も 活動をしてから 知りました
 そして  賃貸物件の問題も・・・
  それらを 厚労省をはじめとして警察庁まで要望書を提出し
  改善を求めてきたのは  私たちです
  余計なことだったのでしょうか
        遺族はきちがいという扱いを受けていたら よかったのでしょうか
   婚約破棄になる人もいたのです
  就職も身辺調査される仕事では 就けませんでした
   妻の自死が許されないと  夫の実家で葬儀を拒否
    お墓にも入れないで 実家で葬儀をしお骨もひきとるケースもあります
       自死があった家から物は買わないといわれたりすることもあります

     死んだ人も精神疾患  遺族も精神疾患

    今頃は 保健師が訪問して  精神科に行くように勧めていたと思います遺族全員に!
        
育英高校の遺族も
    飲酒運転撲滅の運動をしてほしかった・・・と  心のどこかで私は思っています
(すみません)
       その後の事故で死んだ人のうち 一人でも救われたかもしれないからです
   
    しかし  遺族の生き方はそれぞれですから・・・
      ひっそりと生きているのも その人だと思います
  が  
     活動をしている遺族を活動をしていない遺族が…遺族でもいない人が
         「このことは話すべきではない」   というのは
    どうなのだろう   
 


    以前にも何度も書きましたが
  非公開で自死遺族からの相談が届くので コメント欄はそのままにしているのです
    遺族だと名乗れない遺族のためにコメント欄は残しています

それと
         育英高校という名前は 10年間に数えるほどです出したのは・・・

講演も取材も1000件は超えていると思いますが
      そのうちの10~20回でしょうか
   ブログは数回?でしょうか 

       活動をしてこないほうがよかったのかと思ってしまいます

    自死遺族の個人情報が流されても良かったのでしょうね
   誰かがとめなければ  流されていたであろう情報

     事前にとめたということは その後に遺族になった人たちはしらないことですものね
  
      息子が死んでも  活動をしてこなければ

    個人情報が流れ・・・・ひどいことになっていたと思うのですが
           
      余計なことだったのかもしれませんね本当に・・・・


活動をするために 必死で57歳で独学でパソコンを覚え・・・ました
  それまでは手書きでボールペンで要望書を作成していました
  チラシも手書きです
    全て私のお金で・・・・

     活動のために 泣きながらマンションの掃除の仕事をし・・・

 そんなことも  大きなお世話だったのでしょうね
          たった一人で始めた活動です
       
  

    今回の問題となった私のブログは 交通事故とだけ書いてあり
 育英高校とは書いていませんでした
      高校の名前が書いていなくても
   交通事故とだけでも  こんなにも叩かれなければならないものですか
    育英高校の遺族は全員知っていますので
    謝罪に行ったらいいのでしょうか
        
遺族の声ではなく   部外者の遺族や友人の声だけですが
   遺族が本当にそんなにも傷ついているのでしょうか

 育英の遺族は私のブログはみていないと思いますが…
   
 自死遺族たちが なぜそんなに わたしを批判するのかわかりません
  目障りですか・・・・私が

  66歳 10年活動してきて
 ようやく自死遺族が語れる社会ができてきたら
    語れるように活動してきた 遺族を批判ですか・・・

    残念です・・・
            私が活動できなくなることが望みでしょうか

     亡くなった人たちは  これを見てどう思っているでしょうか
     田中を批判してよくやった立派だと言っているのでしょうか
   
   最初にコメントした人は
   息子の仕事への批判もあったのですが
 それも当然なのでしょうか
  警察官は死ぬまで働いて当然ですか
      公務員は市民のためにいのちをかけて当然でしょうか
育英高校の事故がなくても どこかで過重労働で・…(自死したとでもいういいかた)
    という言い方はあまりにもひどくないですか
  本人のせい家族のせい・・・それもひどくないですか

死んだ息子をなぜそこまで責められなければならないのでしょうか

事故の子供たちも大切な命でしょう
 そうでしょうとも…もちろん
しかし
 私にとっては私の息子のいのちが何よりもたいせつです

  息子は「いいよ、俺が悪いんだから」といいそうです
息子がそう思っても
親の私はそうは思いません
    死ぬくらいなら  仕事なんて無責任にやめたらよかったと思っています
      事故の処理だって しなくてよかったんです・・死ぬくらいなら
      投げ出してよかったんです  死ぬくらいなら・・・

 それが 親の気持ちです

  息子は休まず働き事故の処理をしました
       責められることでしょうか
  頑張って働いたのですが・・・
      私が あの事故が…という後悔の気持ちがあるのがそんなにも責められることですか
 自責の念はあって当然だと思うのですが
    後悔のひとつであることは事実です
 
息子は後悔していないでしょう 
 でも 親の私は・・・・思ってしまうのです
     思うことをやめろということですよね
       なぜそんなにまで 責められなければならないのでしょうか

     あれから10年
         
  24時間365日休みなく    命がけで活動してきて
   ようやく自死遺族が 生きやすくなったら    
        こんな仕打ちですか

     66歳の体にムチ打って  全国で 自死への偏見の是正を訴え活動をして
   遺族ではない人たちの応援も多くいただいて
     手弁当で協力してくれる  専門家がいるのに
         遺族から足を引っ張られるなんて・・・

    今までも  あったことですが
    狭いですね・・・・・・・・・・・・・・・・

         二度と育英高校のことはいいません・・とでもいえば満足でしょうか
   私の気持ちはどうでもいいということ
       事故の遺族の気持ちだけ・・・

   周りの遺族の心情だけ
         

   
   育英高校の遺族に会って 謝罪をしたらいいのでしょうか   

        
   こんなことを議論して 何が生まれるのですか

  自死遺族の人で私の批判をしている方
  どうぞ 仙台でしたら 藍の会が26日アエル「エルソーラ仙台」でありますので
     お出で下さい
    わかちあいとは別に時間を設けますから

  ブログは全国の遺族もみています・・・
     普段会えない遺族が 私のブログを読んでくださっています
        私の活動や言動が嫌な遺族は
        訪問しないでください
   私よりも 人気ブログはたくさんありますから遺族の・・・
      
        20120522202312.jpg
 13年前の写真

人にやさしい社会とは

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社会福祉士の理念のひとつ

    

障がいとは その人に障がいがあるのではなく、社会の中に存在する。
 その人が生きて行くために障がいとなる物が存在するなら
  その障がいを取り除き、その人が普通に生きて行ける社会を目指すこと・・・

  幻覚も幻聴も才能と思うなら
   芸術家になれる…小説家にもなれる
        占い師や霊能者にもなれる
   人と違うことを
   才能として伸ばしたら
      個性豊かな人として認められる

   認められたら才能
  認められなければ精神病
 
   不思議なことです

 吃音で悩む人がいたら、吃音を治す訓練と共に
  吃音を気にせず 受け入れる仕事や人間関係ができたら
   吃音を気にすることなく生きられる・・・
障がいや病気も
   その人が苦しまずに 悩まずに 人に危害を加えなければ
     幻聴でも幻覚でも認めたらいい
  才能と個性だと・・・
        みんな  少しずつ人と違う
           みんな少しずつそれぞれから見たら変
     たまたま 変な方向が同じだと 普通というだけ
 勉強の仕方もそれぞれ
   働き方もそれぞれ
            自分は普通と思っている人全員 周りから見たら変
      それを認めあう社会  少数の変な人たちも普通と認める社会
  そんな社会になったら
  精神科医なんて必要ない
      精神薬なんて無用
 
 同じような変な精神の多い集団や
  変な人たちの集まる集団が権力をもつことで
     少数派の変な人は  精神病・障がい者とレッテルを貼られる

      少しずつ全員が違う感覚を持っているのが人間社会
  その違いをお互いに認め合う 許し合いながら
        人を差別せず  蔑まず 対等に暮らすことが
             人間の社会であるべき
  動物と違うのは 
     弱い部分もできない部分も含めて認め合うことができる精神がある…と思っているのだが
      
    獣よりも劣る 悪の心もまた 人間だからこそ

         自死の活動は
    人間の煩悩との闘いでもある

    自分と違う人たちを受け入れられたら
         社会は豊かになる

後悔と懺悔

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生きていたらといつも思う

   夫と結婚しなかったら・・・

  転勤族でなかったら

    今頃は青森市内で暮らしていた

  イヤ・・一人娘だったのだから  婿さんでももらって
   農家の後継ぎでもしていたら・・・

  ススムさんを婿さんにもらって・・・(ススムは夫)
     今頃農家で・・・
イヤイヤ
   ~~~両親が離婚してなければ・・・
      他人の養女にならなければ・・・

     私が産まれてなければ・・・

      どんどん飛躍してしまう
          息子の死は  どうにもならないほどかなしい

     転勤族でなければ  大学にやれて  小学校の先生になっていたかもしれない息子

     昇任試験に受かってなければ・・・
・・・・あの時  連れて帰っていたら
    ・・・・・ 後悔は山のようにある

      息子の後を追い死のうとしたが死ねなかった
        生きるしかできないとしたら
            息子が生きていた時と同じ生き方はできないと思った
     活動に全力を注いできた
       自死の問題にすべてを~~~~~
    息子のような死はもうたくさん
       私のような親はもうたくさん
          しかし  無力な私の活動では 自死を減らせない
   悲しい出会いが今もたくさんある
       
      一人でもいい  助かる命を増やしたいと思っている

       息子を死なせたバカな母親の懺悔の活動

    今年もまた 9月に全国自死遺族フォーラムを開催する

   今年で8回目
        全国から多くの遺族が集う

   後悔して落ち込むのも私

   相談を受けているのも私
  講演をしているのも私
  資料の作成をしているのも私
        会議で発言しているのも私
               泣いているのも私
 酒を飲んでいるのも私
        いろんな私が混沌としているのが私の人生

    お兄ちゃんはやさしい子だった
  次男もやさしい  187センチ95キロの巨体だが いつも家族を思ってくれる
    やさしい子

    家事も率先して手伝ってくれる
     仏壇の果物もお菓子もジュウス類も  次男が管理して買ってくる
       お線香とロウソクは夫
お花は私
  時々 お花も次男が買ってくる
      何か食べるときは必ず仏壇に供える
  これは次男も同じようにしてくれる


   次男と亡くなった長男は 恋人のように仲良かった

小さい頃  お兄ちゃんは次男に
    お母さんのおなかで 二人で遊んでいたんだよ・・・
    覚えてないのか?と言っていた

     お腹に戻して  もう一度生み育てたい

ブログを読まない選択肢もあります

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   私は 嫌いなブログは読みません
  訪問しないことにしています
 
    このブログは 自死遺族のブログ村にも登録していませんので
          ブログではそんなに知られていないと思います

 わざわざ 探して  読んでいただくことは ありがたいことですが
       嫌いならば  訪問しなくていいと思うのですが・・・

      なぜ 嫌いな  ブログを読むのかわかりません

     不愉快になりたいのでしょうか
        
   私は不愉快になりたくないので
       嫌いな内容のブログは 一度見たら  訪問しないことにしています

    無理に読んでくださいとは思っていません

      ホームページは管理者に管理してもらっています

    その他にmixiやツイッター・フェースブックもやっていますが
  ブログは  私のひとりごと
       一人でつぶやきたいことを書いています
   
      時には息子のことを想い…泣きながら

       胸が痛い時や・・・・・・眠れない時

   憤った時・・・・反省の時   後悔した時

         思うことを思ったときに ありのままに・・・

 文章の構成も関係なく・・・

     それなのに  なぜ  炎上するのでしょうかコメントが・・・

   この頃はあまりに心が痛くなるコメントは削除しています

     わたしを潰したい人たちはいますので
        嫌がらせ三昧ですが
 
     息子のためにも めげずに 活動を続けています

        生きていてほしいと願うからです

         やさしい人たちが  やさしいままで
   笑顔で生きられる社会・・・・・・
     目標です

   

書ききれない事情が私にもあります。

67541316[1]

  事故の処理担当の勤務は過酷で、厳しいものだということを
   息子が亡くなり、知りました。
あの事故は 大きな事故でしたので
 対策本部を設置して処理ヲするべき事案だということでした。
しかし
対策本部の設置をするということは
県警本部からの応援をもらうことになり
   塩釜警察署の管轄から県警本部に主導権が移管されるということ。
 この事件の処理後の報告は県警本部のものとして
   事故処理をしたという手柄となるようです

  そのために 当時の署長(出世欲の強い人で有名)
    事故処理の担当課長〈塩釜警察署に来る前にも部下がピストルで自死・パワハラで有名な人)
5月の事故から10月に自宅療養になるまでの4か月半一日も休まず
 朝から夜中まで休日も返上で働きました。
それには
事故処理担当という部署の仕組みに問題があるのです。
(このことも警察官の人から教えてもらいました)
  係長になると
   休日でも事故があると呼び出されます。
    例えば、今日休みに田中が呼び出された事故は田中の担当。
     明日、勤務時間中に事故があれば、田中の担当。
  係長以外の人が休みの時は 休みで担当にはならない。
  勤務時間内に事故がなければその人の担当の事故はゼロ
    
 なぜか  自分が勤務した時だけ事故が起きるという人もいて
     そんな人は担当事故が増えていく
 10件20件~~~と増えていくだけ
    勤務時間内に事故のない人はずっと担当事故はゼロ

    係長になれば それはない
    夜中だろうが 休みだろうが 呼び出されて担当となる

それが 事故処理担当の仕組み

 心ある課長ならば  ゼロの人にも担当をわけてシェアする
  が
あくまでも 課長の采配

   課長は命令するだけ・…直接の処理と報告は係長

   過労自死で控訴しようと思いましたが
     結婚して孫もいて 私たちとは違う家に住んでいたので
  控訴には嫁の協力が必要でした。
葬儀は盛大に行いました、もちろん葬儀のお金は全て私たちが持ち、
  嫁が欲しいというので仏壇も買い・・・
    孫を育てていくために嫁には 
     なんでもしてあげようと思いました
息子の生命保険の解約も私たち家族が手伝い
  母子家庭の手続きも私たちが手伝い
 マンションを生命保険で買うというのでも見に行ったりして、管理費や駐車場代は私が払うつもりでした
 (働いて)
しかし
亡くなってから10日で 遺骨も位牌も仏壇もいらない!
   と 嫁と両親で 私たちを人殺しと罵って実家に行き
   連絡不能となったのです
手紙も受け取り拒否
  電話も着信拒否
   公衆電話から電話を夫がしたら
  警察に訴えるといわれ・・・
    (こんなことをいうと仲が悪かったと思われそうですが
  息子が来なくても嫁はマンションに自由に出入りして、泊まって行ったりしていました)

孫もいるので
 親の私たちには何の権利もなく
   遺ったのは遺骨だけ
 
遺品もハンカチ一枚ありませんでした
   
 パンツや下着は捨てると 罵った時に言ったので
     捨てるものなら 頂きたいとお願いをしましたが無視
 捨てる日を教えてくださいとお願いをしましたが無視

     ケンさんの生命保険で二世帯住宅を買うから
    娘には一切かまわないでくれ!といわれてそれっきりです

   息子の名誉のためにも 警察を告訴したかったのですが 残念です

    息子の自死に至った経緯に 事故のことがあったことは事実です
    それだけではないことも事実です
   それもブログには書いています
新聞にも掲載されています     
    活動をするとき、運動をするとき 
    事実を隠してはできません
しかし
   事故の事は頻繁には語っていません
     息子の死を想う時
       様々なことが交差します
     その一つが事故の事です
   私は 息子の死も自由に語る事を許されないのでしょうか

知人に    小児科医のご主人が自死した中原さんがいて運動もしています
      小児科医の過重労働を訴えていますが
  だからといって 
   子供を小児科に連れていく時に
       小児科医の過重労働を想い ためらうでしょうか
   自衛隊で 震災後に自死したひとが多くいたということも新聞に掲載されています
       今後震災がおきた時、自衛隊に応援を頼みづらいでしょうか
そいう問題ではなく
  警察の組織の問題を訴える意味では
   事実を伝えることは大切です
  宮城県警も含めて警察は私のことを知っていますので
      問題意識は高く持ってくれていると思います
  事故のことも
    交通事故を減らすという意味では
         伝えることも必要ではないでしょうか
息子の死を
  交通事故の遺族のせいにしていません
   交通事故を起こしてはいけませんというメッセージだと思っています
     交通事故は こんなにも悲しい人たちを増やすんです
    だから飲酒運転はしないでくださいという運動とつながらないのでしょうか

  そして 私の息子が亡くなった原因のひとつ が
    交通事故でした・・・ということを
 親として語ることまで
   制限されなければならないのでしょうか
           

そして  コメントの   自死遺族の人に言いたい
   恩を売るわけではありませんが

     私たちの活動がなければ
       今頃は   自死があった家・・のことが
町内会や民生委員・地域の交番や保健所等に警察で受けた事情聴取の個人情報が流され
    町内会長や民生委員・保健師が訪問しています
 
      それを未然に防ぐ運動もしてきました

   世間に自死ということを知られたくない遺族がほとんどです
         世間に自死遺族ということが知られていい遺族は少ないと思います

     今年 6月から走り回って 議員にお願いをしている問題も
    自死遺族の個人情報の問題です
        私は 公開していますから  個人情報なんて別にどうでもいいんです

   しかし
      自死遺族という情報が 地域に流れたら困る遺族も多くいると思います

     私は
   息子の死を 交通事故の遺族の責任だとは言っていません
      むしろ
  交通事故を許せないという点では 気持ちが一致すると思っていました
     東京や島根の遺族は
   息子の自死を 交通事故防止のために 役立ててくれています

     私の息子がパワハラを受け、過重労働だったことが
      警察に相談しずらくなっているほど影響力がありますか??
       
         
     

        
                
  

 

人をいじめること

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新聞記事から栃木県の南西部に位置する佐野市の中心部から車で30分ほど行ったところに、白い鉄筋コンクリート造りの小学校の校舎がある。山が間近に迫り、田畑が広がるのどかな一帯には、昼間は子供たちの遊ぶ声が響く。児童は一学年10~15人程度で、全校でも70人ちょっとという小学校だ。

 そんな小さな学校を揺るがす“事件”が今年の4月、立て続けに起きた。1週間の間に、在籍する児童の母親2人が相次いで自殺したのだ。発端は4月16日、小4の娘を持つA子さんが亡くなったことだった。

「A子さんが首を吊っているのを見つけたのは娘さんでした。娘さんは特殊学級に通っていて、本当にかわいらしい子。その子が自分で救急車を呼びました。だけど、A子さんの家は山の中腹にあり、道も細く、救急車が道に迷ってしまった。娘さんは泣きじゃくりながら家の下の大きな道路まで下りてきて、救急車を待っていました」(近隣住民)

「お母さんが…お母さんが…」。声にならない声で泣きじゃくりながら助けを求める幼い子供に静かな街は騒然となった。

 A子さんの葬儀には、子供が同じ学校に通うママ友のB美さんが参列していた。A子さんとB美さんはママ友の中でも、親友といえるぐらい、何でも相談できる仲だった。B美さんの知人によると、A子さんの告別式でB美さんは友人代表としてこう手紙を読んだという。

「私がAちゃんの代わりになって子供のことを守ってあげるからね」

 だが、その約束は果たされなかった。A子さんが亡くなった1週間後、B美さんも自ら命を絶ったのだ。

「B美さんは男の子3人、女の子1人の4人の母。PTAの活動にも積極的に参加する、子供好きの活発で、きれいなお母さんでした。葬儀では、娘さんがお小遣いの1000円札を握りしめて火葬場の職員に“これをあげるからお母さんを焼かないで”と泣いていました。見ていて本当につらくて、つらくて…」(前出・B美さんの知人)

 2人のママ友の相次ぐ自殺。その真相に触れたのは、読売新聞の栃木県南版(7月3日)の短い記事だけだった。

《遺族によると、(A子さんとB美さんそれぞれの)児童2人は学校で物を隠されたりするいじめを受け、不登校になった。2人の母親が「やめてほしい」などと、別の児童の母親に改善を促すうち、母親たちの間で孤立するようになった。自殺直前には、他の児童の母親から「母親失格だ」などと厳しく言われ、家族に悩みを打ち明けていたという》

 学校や市教育委員会はLINE上で母親同士がA子さんとB美さんの陰口などをやりとりしていたことを確認したという。しかし、「児童や母親の間にいじめ行為はなかった」と結論づけたと報じられた。A子さんとB美さんを知る人物が語る。

「A子さんは1年ほど前から“娘がいじめられている”と周囲に相談すると同時に、自分もママ友から嫌がらせを受けていると悩んでいました。A子さんの娘が学校で“家族で旅行にいったんだ”と友達に言うと、その友達の母親から“子供に自慢話をさせるな”って怒られたとか、LINEの保護者のグループ内で5人のママ友から執拗に攻撃されているとか…。

 B美さんの小学校高学年のお子さんも友達にモノを隠されるなどのいじめを受けていて不登校だった。それでB美さんは、友達の母親に直接話をした。すると、その保護者が“てめえの育て方が悪いんだよ”と言って、その日からB美さんもママ友の中で仲間外れにされるようになったと聞いています」

 教育評論家の松本肇氏が指摘する。

「子供のいじめがそのまま、母親同士のいざこざに繋がることはよくあります。いじめられた子が母親に言うと、母親は子を守ろうとします。一方で、いじめた子も“ぼくは悪くない”と自分の母親に伝えるので、母親同士がそれぞれの子供の言い分を鵜呑みにして、一歩も譲らない言い争いになるケースが多い」

 B美さんが亡くなる前日、学校で授業参観、クラス懇談会、PTA総会が行われた。ある学校関係者はその日のB美さんの様子をこう振り返った。

「その日は不登校の娘さんが“お母さんと一緒なら私も学校へ行く”と言ったようなんです。それでB美さんはギクシャクしていたママ友の中に無理して入っていった。ガタガタと震えていて、目には涙も浮かんでいました」

私を潰したい目的は?

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おかげさまといいながら、『他人の悲しみに気付かないことが多い』

子供を亡くした親が  亡くしたこともない人から批判を受ける

  活動をするということは  批判の的にもなりやすい

   日本は  大きな悪事には沈黙し
      小さな過ちやささやかな自分との違いには ここぞとばかりに批判をする

   大局を見据えての動きには 賛同せず
       みようともせず
 個人攻撃だけ
      個人を攻撃しても  何も生まれない
   
   マザーテレサ  でも  批判の嵐を受けた

    イエスキリストの批判をする人もいる

  お釈迦様の批判もする人もいる

 しかも  人のブログで
       匿名で住所も公開せず  批判だけ

   こんな人たちが  多いとしたら
  自死が減るはずがない

    誰のことも責めず  自分が悪い自分の責任だ
   自分さえ消えたら・・・
   自分なんていないほうが・・・・
       と  自分を責め続け死んで逝く

    コメントには 応えないことにしていたのですが
    息子への批判だったので思わず興奮して応えてしまいました

     わたしを潰したい人は たくさんいて
          息子のところへ 早く行けとか・・・
 コメントのネームも  中田(田中を逆にした名前)や健一を賢一としたり
      様々です
   友人を想う気持ちが
     結果 コメント上で わたしを潰したい人たちの炎上を促したようです

       私を潰して
   何が目的でしょうか

   自死遺族の活動が広がらないように・・でしょうか
  自死の予防が広がらないようにでしょうか

    自死遺族がもっと傷つき  差別され 隠れて生きて行けばいいということでしょうか
      自死者も差別され 
 うかばれないとか おぞましいとか
  忌まわしい死だ、汚れた死だといわれたらいいのでしょうか

 自死も減らすことは必要なく  ドンドン増えたらいいのでしょうか
      私の家族ももっと不幸になればいいということでしょうか
 
 子供を亡くした親の会のなくなればいいのでしょうか

   法話の会もなくなればいいのでしょうか
   精神疾患の人たちの減薬の相談もしないでいいから
    その人たちも  薬漬けで死んでもいいということでしょうか

   

今年で10年

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  交通事故で高校生が3人死亡
    今年は10年め
  大々的に報道された

  追悼の碑もある
(あっても 遺族にとっては意味のないものかもしれません)
 
 その3人死亡の裏で
   事故に関連した人たちが3人死んでいる

   合計6人の人たちが死んだ事故

     関連死 は  息子・犯人の親・子供

  以前 息を吹きかけアルコール反応が関知されると
   エンジンがかからない装置を広めている 日本で活動をしている遺族が(交通事故)
     高校に行き、運動に協力してくださいとお願いをしたのですが
         断られています。
  あの事故の遺族が少しだけ協力してくれたら
  高校は動いたと思います
    
   宮城県警も動いたはずです  飲酒運転撲滅のために・・・
       国分町の駐車場は今も野放しです
飲酒運転の巣です
      その後も飲酒運転による事故は頻繁に起きています
   自分たちの家族の犠牲でたくさんだ!という気持ちで
      運動をしたら
  警察も動くはずです
 当事者運動には力があるのです
       自分の子供が死んだから 関係ない・・ではなく
    もうこんな思いはたくさん
  誰にも死んで欲しくない・・・・
  飲酒運転の撲滅を警察に訴えたら  宮城県だけでも交通事故の犠牲者は減らせるはずです

  と・・・思っていますが

    その人それぞれの生き方があると思いますので
        活動は強制できるものでもないですから・・・・
 
   交通事故で子供を亡くして
      活動をしている遺族もいます
   
  そんな人たちは
     交通事故を起こすと  目の前の人を殺すことにもなり
        自分の家族も その関係者も死ぬこともあり・・・
       だから ひとつの事故でもたくさんの犠牲者がうまれます
         交通事故は悲惨なことです
    だから 事故を起こしてはダメ・・・
という運動に私の息子のことも活かしてくれています

    そして

   悲しみは精神薬では回復しません
       悲しみは精神病ではないので 
  薬で治るというものではありません

      愛しているから悲しい

  愛する人の死だから悲しい  深く愛しているから深く悲しい

 愛しい と書いて  かなしい と読むのです

     愛しいとかなしいは同じなのです

  そんなことを伝えたくて  大学の教授とつながりを持って
     活動してきました



ずいぶん前ですが
     私のところに あの事故の犯人の親族から連絡があり
         親と子供の死を告げられました
  
      言葉が見つかりませんでした

  だから 犯人が控訴した時  怒りを覚えました
      罰を受けるべきだと・・・
親も子供も死んでも
   自分の弁護をするのか・・と
       

   時々おもいます
     わたしには 悲しみがないように見えるのかな・・・と

      かなしいから  

私のようなかなしみは誰にも 味わわせたくないからこそ
     活動をしているんです

    美容院に行くことさえも8年以上できませんでした

     
  

    

自死という死は、愛する家族の死への悼みも平等ではないのでしょうか

 
20120623084339.jpg

 子供を亡くした思いは 同じです。

 私のブログで 私が私の思いを書くことも許されないのでしょうか

   事故のことは私がたまに書くことよりも
      毎年テレビで報道しています
   それは 痛まないのでしょうか
  わたしだって  傷つき痛むこころを抱えて活動をしています

      公開もなにも  毎年大きくマスコミが取り上げている事故です

    私のささやかなブログになぜそんなに反応するのかわかりません

    ブログも毎日毎日  事故の事を書いていません
 
今までのコメントもみて頂けていたのでしょうから
   お分かりでしょうが
 今回も
 削除しても削除しても
      息子の自死について あ~だこ~だというコメントがあります

   息子の死について  他人にいわれたくありません

    私の悲しみは私のもの

   息子と私の間にあるものです

      子供の死を思う後悔と懺悔の気持ちに
                      終わりはないのです
  死ぬまで続く 後悔と懺悔と自責の念
       私が産まれなければよかった
     夫と結婚しなければよかった
    育て方が悪かった・…私があの時こうすれば。・・・・

 事故だけではなく  就職をさせなければよかった
   結婚させなければよかった
     連れてくればよかった
  仕事をやめさせたらよかった
 精神科に連れて行かなければよかった
        この気持ちは 夫も次男も ずっと抱えています

     愛する家族の死は
        ずっと 家族全員に タラ・レバの言葉を言わせるのです
    生きていてほしかった
 なぜ死んだのか・・・・・どうして死んだのか

     あの時  止めていれば・・・

  それは 限りなく 続く思いです
       
      大きく深い悲しみに 押しつぶされそうになりながら
      必死に生きています・・・
   遺族という生き方をどう生きて行くのかはそれぞれですが・・・

   私は自死を0にしたい
      理不尽な死をなくしたい
    死への差別や偏見を取り除きたい
      やさしい人がやさしいままで笑顔で生きられる社会を作りたい

     息子のいのちを活かしたい・・・
無駄死ににはしたくない・・と思い生きています

   ただ 死んだ…だけではなく  息子の死を語ることで
    誰かが生きることにつながってくれたら・・と願い 活動を続けてきました

  活動をするということは ぼろくそにいわれる事も覚悟しなければ
         出来ませんが
    だからといって
 私が 悲しみを忘れ ルンルンで生きているわけではありません

   息子の死を思う時
    事故のことは切り離せない問題です

    事故で亡くなったお子さんの親御さんの悲しみも
    子供を亡くされていない人よりはわかるつもりです
    
    私の息子の死を
       思う時  事故はなかったことにしたらいいのでしょうか

  あの時こ~だったら
    と思い 暮らしていますが  いけないことでしょうか

     あの事故さえなければ…と思うことは そんなにも許されないことでしょうか

      忘れることなんてできません

         事故をなくすることにも 役立てたいと言ってくれる
             交通事故の遺族の方もいます

         私は事故の事だけではなく
            住所も連絡先も公開しています

     あの事故で お子さんを亡くされた人も遺族
      私も遺族

    子供の死は 言葉では表せないほど  の  苦しみ です
   言葉は薄いものです

ましてや 文字なんて・・・
      真意は伝わらないことが多いと思います
   
 単純に  事故のことを書かれると
    辛いです・・と 遺族 本人にいわれたら
       あ!そうですか・・・・・と なったかもしれません

    しかし         
   死んでしまった息子の仕事への対応まで言われるのは
         ひどいことです
   仕事だから 事故の処理をするのは当たり前

     それはそうです・・・が
              親にしたら  死ぬまで追いつめられるほどの仕事なんてありません
   仕事なんて  放棄して欲しい  それでも生きて欲しい
    というのが親の思いです

   この事故がなくても 他の事で過重労働・・・
      そして自死という・・・を連想させる言い方

 どっちみち  死んだと思いますよ・・みたいな
       そんな言い方をなぜ息子はされなければならないのでしょうか

 事故の処理のために懸命に働いたことを  誇りに思っています

  仕事を 投げ出しても生きて欲しかった

   のですが

    

死んだ息子への蔑み

F1000213.jpg

分がその仕事に向いてないと思ったらまたは過重労働だとしたら、それに対処が必要だったのではないですか?
息子が仕事に向いていないことを自覚し対処するべきという批判
過重労働への対処をしない息子と嫁と私への批判

自分の子供が殺された事故の調査を警察が行うのは当然と思うのは間違いですか?
 警察が行うのがおかしいとは一言も書いていません
遺族への批判も書いていません

言いたくないけど、税金ではたらいてるならしっかり仕事をして欲しい。  税金で働いているなら・・・・・死ぬほど働くのが当然でしょうか
    4か月半一日も休まず働きましたがご不満でしょうか

貴方の息子さんはきっと真面目に責務を果たしていたのではないでしょうか?
それを母親が全てをあの事故のせいにすることは、息子さんの頑張りを否定してるようにも感じます。
  全てを事故のせいにしていません
  過去のブログも読まれているのでしょうから
     わかるはずですが・・

<あの事故の犠牲者遺族はあなたと同じ町に住んでます。   

同じ町に住んでいるから どうしろというのでしょうか
   わたしと同じ町に住みたくないということでしょうか
それとも 私の活動が目障りでしょうか
   わたしの名前を見ると傷つくのでしょうか
  事故を思い出すから・・・

そしてあなたの息子さんはその事故に関する仕事をしていただけ、もしあの事故がなくても、別な事件で過重労働になってたんではないですか?
  仕事をしていただけ
   なんと冷たい言葉でしょうか
 息子は死にました・・・生きていないのです
  死んだ息子を 仕事をしていただけ・・・・そうですね



   あの事故がなくても・・・・
   死んでいたということですよね
          ひどい言われようです

  息子の死への 思いやりはゼロ

 むしろ 息子の死は   仕事だから・・・
       そうですね
おっしゃる通り  私の息子は 事故の処理で 4か月半 一日も休まず働いても普通ですね
      死ぬまで働こうが
     公務員だから  仕方がないですものね

    自分の友人を守りたいという気持ちは大切です

 が
     そのために

 私や息子が批判されなければならないのでしょうか

     私は悲しくないのでしょうか
 悲しいわけがないのでしょうか
    ご友人だけが悲しいのでしょうか

   藍の会の一周年に参加してくれた  同じ高校の遺族は

      やさしい言葉をかけてくださいました

    事故の処理が遅い・・・と 何度も文句を言いました
         その陰で息子さんが休まず働いていたんですね・・・

      と・…その一言で 私は救われました

 息子は頑張って  働いたんだ・・・と ほめてあげました

        あなたの コメントだと  私も息子も
            対応の仕方も知らない アホな親と子供です
   当たり前の仕事をして 死ぬなんて・・・
     どうしようもない警察官ですね息子は・・・

  助けられなかった私もどうしようもない親ですね

       息子はこう言っていました(過去のブログに書いています)
「3人も死んでいるのに 謝らないんだよ・・・許せないよ」
 「弁解ばかりして」
「まずは あやまるべきだろ!俺は許せない!」と・・・
  悔しがっていました 悲しんでいました
   だから 寝ないでも仕事をしたんです
 精いっぱい仕事をしました
      遅くても 死んでも  未処理の仕事はありませんでした

  死ぬまで仕事をしたんです

      運転手や 飲ませた人  同乗した人
           の責任ではないのでしょうか

        不愉快でしょうから 私のブログは 読まないでください    

 ただ 私の活動は続くと思いますので
 新聞やテレビやチラシでみることもあるでしょうが・・・

      ご勘弁ください  無視してください

 私も大切な子供を亡くした親の一人です20120615164626.jpg

遺族と活動と仏事

696ad629[1]

9月の全国自死遺族フォーラムの打合せに上智大学に行って
 岡先生と会ってきた
 奥さんを亡くした遺族と二人で・・・
  話し込んでしまい  東京駅八重洲で開催の会合に遅刻
    会議室で待っている人たちがいて・・・申し訳なかった・・と反省
 弁護士・・司法書士・・・新しく参加してくれた活動の相談役を担ってくれるかもしれない人
  遺族・・・・4人(私も含めて)
  
  
今日は新宿・・・柏木公園に行き・・・デモ行進
  その前に
  訪ねてきてくれた遺族と少しだけお話を・・・

  11時半過ぎに デモを終え・・・ 

  デモに誘った遺族から・・今日は7回忌といわれ
    そうだ!
   遺族は仏事があり最優先だ・・と 改めて遺族としての活動を想いました

      息子の死がなければ 普通に暮らしていた
          しあわせに・・・・・
     警察官になるように勧めたのは私

   精神科に行くように勧めたのも私

      愚かな母です

   取り返しのつかない 後悔

    でも生きるしかない
         普通に生きるのをやめた
     懸命に生きようと決めた
    自分の命を削っているように走っている

    やさしい人がやさしいままで生きられる社会を・・・

 大きな岩山に  縫い針で穴をあけているような活動だが

     やらないよりは  活動を続けていたら
      ほんの少しでも穴は開く
  批判のたくさんもらう
   その何倍も 温かい言葉ももらう

    わたしなら・・こんなにできるかな・・と思うくらい
   やさしい人たちがたくさんいる

  学ばせてもらっています
              煩悩だらけの私なので
       たくさんの 温かい言葉とやさしさに 守られていることに
         ありがとうだけです

息子の死と私の悲しみ方への批判

akebonosou[1]

毎年 5月には テレビで報道されます

  横断歩道を測っているのが息子です。

   新聞にも 祈りの碑のことが大きく取り上げられます

   子供を亡くして 子供の姿を見るのがつらい・・
    でも子供のいない世界に引っ越しもできず 子供を日々みて生きるしかありません

   ブログは見ないという選択ができます
  私のブログは有名ではありませんので 
ネットを開けばトップにでるような人気ブログではないはずです

なぜ  探してまで 読むのでしょうか
    5月のテレビも新聞の抗議しているのでしょうか

  事故の件は 頻繁に書いているわけでもなく たま~~~~~に です

   事故のことも自死のことも  死んだという事実も
      忘れられないこと
  忘れてはいけないこと ではないでしょうか
    なぜ
  私の息子のことまで 批判されなければならないのか
  なぜ
  わたしと息子のことまで批判されなければならないのか
 なぜ息子の気持ちまで 言われなければならないのか

  私は私の活動の批判はいくらでも受けます
   私の批判もいいでしょう

   親失格でもなんでも受けます

 ただ 息子の仕事 息子の自死
 まで  批判される必要はありません

 息子は私の宝です
     交通事故のお母さんにとってもお子さんは  宝でしょうが
    私にとっては私の息子が宝ものです

    自分が世界で一番悲しいという思いは持って当たり前ですが

  あなたよりも わたしのほうが・…悲しいということは相手に言ってはダメです

         わたしにとっては  息子は私のいのちよりも大切な宝です

    警察官は
     事故処理のために  いのちを落としても働け・・・というコメント

    どうせ  どこかで死ぬんだ…という言い方

      私の息子のいのちは軽く
      ご友人の方のお子さんの命は重いのでしょうか

      わたしにとって  大切な大切な息子です

     こんなにもひどいコメントは  ・・・・・・

      昨日東京に行き上智大で打合せ
   夜は 自死遺族等権利保護研究会を開催し
  今日は新宿で  これからの子供たちのために
     デモ行進をして・・・
   帰ってからも   相談の留守電やメールに返事をして・・・
     必死で活動をして

   更に 息子の批判まで・・受けて
     
     子供を亡くした親から・・の批判は・・・・・

あ! 亡くした人ではないんですね

子供の死を悲しんではいけないのでしょうか

sakurasakura37-2010-06-18T09_13_59-1[1]

私は私のブログで息子のことを嘆いたらダメなのでしょうか
   過労自死をするくらい働いても警察官の親は  息子を悲しんではだめなんでしょうか
  
交通事故で子供を亡くした親は悲しくて悲しくて
   許されて認められて

  事故の処理をした警察官は過労自死して当たり前なのでしょうか
      
      事故を起こした犯人を憎むのが普通だと思いますが
         事故の処理を担当して

    上司と年上の部下にパワハラを受け
  一日も休まず朝から夜中まで働き・・・・・・・・・自死した息子は

      当然なのでしょうか・・・・死んで・・・

     親は 悲しんではいけないのでしょうか

    ・

   人の死は交通事故であろうが  病死であろうが つなみで亡くなろうが
     殺されて死のうが
      みんなおなじ命ではないのでしょうか

    親にとっては  どんな形で死んでも  子供を亡くした気持ちは同じだと思っています

 だから子供を亡くした親の会を開催し
   震災後は広げてきました

     私は交通事故の陰にこんなこともあるのだということも知って欲しいと思っています
   だから 飲酒運転も含めて交通事故の撲滅のための活動にも応援してきました

   島根県で交通事故で子供を亡くして
    いのちのメッセージを伝える活動をしているお母さんは
     私の息子のことも語ってくれています
こんなこともあるんですね・・・と泣いてくれました
  
  実際に報道されている以上に 交通事故の陰で 人も死んだりして
  不幸になる人がたくさんいるんですよ・・・
    だから絶対に交通事故は起こさないでください・・・というメッセージを訴えてくれています
     やさしい人です・・とても・・・
 自分も悲しいからこそ
  人の悲しみにも寄り添える・・・
       亡くなった子供から与えられた気づきとやさしさです

       自分の子供の死  友達の子供の死だけが
            特別で
      懸命に働き 被害者のために寝る時間も惜しんだ息子が死んだのは
              当たり前・・・という人もいるんですね
  当たり前だとしても
   親が悲しむことさえ許さない人

      あの世の人たちは  どう見ているでしょうか

    
        

明日は上智大に

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明日は、上智大に行き、岡先生と9月のフォーラムの打合せ

    夕方から
自死遺族の権利保護研究会

     賃貸物件の問題等々・…話し合う

泊まって・・・
  土曜日は精神医療のデモ行進 新宿

夕方帰宅予定
 7月はメチャクチャな日程で・・・
    時々落ち込んでしまう
なんでこんなことをしているのだろう・・・と
  決してやる気満々ではない
 息子の死が原点だから
 やるからには 中途半端はできない
          だから走り続けている
愛する
 息子が逝き11月で10年

  生きていたら44歳
        どんなおじさんになっていたのか…と思う

働いて、結婚して、子供ができて、家を買うなんて考えていて・・・
  新車も買ったばかりで・・・
 
   RV車による飲酒運転の事故
高校生が3人死亡
 この事件がなければ  生きていた

   死亡した高校生も  二度と戻らない
    
   健一ももう生き返らない

  

子供の個性

6070_1[1]

今の日本に欠けている視点
   子供はゆっくり育てる
     個性を大切に
 おしゃべりな子供 無口な子供
   ゆったりな子供  せっかちな子供

   発達障害などといういい加減な言葉に惑わされず
        子供を守ってほしいと願う

  3歳や5歳で  発達障害と決められ
   精神薬を処方されて    本当の意味の発達障害になってしまう

  薬で作られた障がい
      
  それなのに  本人や家族が苦しんで生きて行く

   精神薬の怖いところは
病気でなくても  飲み続けると病気になるという点

      子供はゆっくりと  長い目で  育てるもの
焦らず・・・・
   
昨夜のスーパープレゼンテーション
   よかった
時々  みるのだが  素晴らしいプレゼンが多い
     

案内役の最後の感想が以下です

現代の大人に必要とされる「子どもの要素」


赤ちゃんには、あまりいろいろなことを考えていないイメージもあるかと思いますが、
実はとてもしっかり考えていたりします。そのことを児童発達心理学の専門家が明らかにしてくれました。非常におもしろいプレゼンテーションでした。


わたしが英語でいちばん好きな言葉は「neoteny」です。「子どもの要素を持ったまま大人になる」という意味です。希望とか、好奇心とか、イマジネーションとか、遊び──そういった要素こそが、子どもの要素だと考えています。今日のプレゼンテーションは、赤ちゃんがそういう要素を持っていることを科学的に示してくれました。

現在の教育のシステムは、どちらかというと、子どもの要素を早く整理して、早く大人にしようとします。「お利口さん」を育てる教育システムが主流だと思います。そういう教育をした場合、neotenyは、なかなか残りません。

しかし、変化の激しいIT社会においては、子どもの要素、neotenyを持ったまま大人になる必要があります。いろんな職業で、そういった子どもの要素が求められるケースが出てきていると思います。

個人的に、自分の人生哲学は「neotenyをいかに保つか」なんですが、みなさんも「自分の中にneotenyがあるか」ちょっと考えてみてください。それを日常的な生活の中で上手に引き出すことも、ぜひやってみてください。

精神医療とは

20070722163050[1]
奥さんを亡くした人のブログ

テーマ:精神医療

もう沢山だ。

うつでもない、統合失調症でもないただの不眠症に対する多剤大量処方。
一体、何をどうやって治療したというのか?
不眠から始まった処方薬中毒。

ついこの間まで、マラソンを完走できるほど元気だった女性。
ただの不眠に対し、ベゲタミンや統合失調症薬まで処方した医師。
そして不調を訴えると今度は急激な減薬を行った医師。

馬鹿に馬鹿を重ねたその所業。早く死んで地獄に落ちて頂きたい。

本人に代わって相談に来た夫。
全部、薬を持ってきておきながら、その晩、酒を飲みに行き帰らなかった。
家族のあまりに甘い認識。
多剤大量処方をする医師を信用してはいけないのだ。

死にたいと訴える人は、一瞬たりとも目を離してはいけない。
(ちゃんとした自死対策とは、希死念慮が消えるまで一時も離れないことだ)
向精神薬の影響で死ぬ方は、想像もできない方法で亡くなる。

結局、薬の恐ろしさは、取り返しがつかなくなってから初めて気が付く。
我々がかつて経験し、そして今でも続くこの後悔を、この家族もまた抱えて生きていくのだ。
この家族は、この結果を医師に告げに行くのだろうか?
責任は問えないとしても、そのデタラメを指摘し、恨んでいることを伝えるべきだ。
それが、次の悲劇の抑止力となる。
世間体でそれを躊躇する家族を私は軽蔑する。

私の家族同様、この女性には死なねばならない理由など何処にもなかった。
馬鹿な医師がいなければ、
薬剤師がちゃんと機能していれば、
家族がもっと危機感を持っていれば、
睡眠薬を甘く見えるこの社会の風潮がなければ、
マスコミがきちんと報道していれば、
国がきちんと規制していれば、
そして、司法がきちんと裁いていれば、
こんな国に生まれていなければ、
誰でもいい。このうちの誰かがまともであったなら、この女性は今でも生きていたはずだ。

同じような悲劇は、毎日100人近くに起きている。
その多くが、無駄死にである。それでも変わらないこの国は一体何なのだ。

いつか芽が出ることを信じて

20120916_224859[1]

息子が逝き 自死のど真ん中で生きて、
  時々 こんな人たちが自死の予防や防止・・遺族のケアなどといって
     有名になっているような社会では
    自死が減るわけがない
     と感じている

 俺が・私が・・・
 という人たちほど  パフォーマンスだけ
      最初は予防や防止も真摯にと思ってやった人たちも

   マスコミの取材を受け、講演に呼ばれて「先生」といわれ
       本も出して
      お金が入るようになると  変わってしまうよう

     人を追い込まない社会

学校はせめて いじめのない学校を目指す
   
   会社は パワハラのない職場を目指す

    毎日残業の職場は人材を増やしたらいい
        残業手当は正当に支払う
    サービス残業なんて  ありえない

      小さな悩みを話せるような教育

   ノウといえる社会をつくる

       個性を認め合う社会をつくる

    農業でも生活できる社会

      教育・・・会社・・・福祉
          家族・・・
    人を大切にする社会

     医療も 利益に関係なく  命を救う仕組み
   
   困ったら相談を…も必要
      だが
  もうひとつ  人を大切にする社会も作らなければ・・・

    相談者が絶えない社会

 相談者が増えていることを自慢する活動だけでは
  自死は減らない

両輪での活動を広げていかなければ・・・とおもう

    自死で有名になっている人たちでは

     社会は変わらない

    相談者がいてこそ自分の活動が目立ち  金にもなり有名にもなるのだから

   私の活動は  小さな小さな小さな活動
    でも 
たくさんの種は蒔いているつもり

    たくさんの種は  どこかでいつか 芽が出ると信じている

自死遺族の相談センター


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自死遺族の相談センター

http://nizihigai.web.fc2.com/

弁護士・司法書士が相談に応じます。 田中が一度お話を聞き・・・
法律の専門家につなぎますので、遠慮なくご連絡くださいmain_00000000178[1]



5月18日の弁護士のお話のレジュメ

 自死遺族が遭遇する法的紛争を大きく分類しますと、先ず遺族が何らかの請求を受けるケース、つまり裁判になれば遺族が被告にされる場合と、遺族が何らかの請求を起こそうとするケース、つまり裁判になれば遺族が原告になる場合とに分けられます。
私が今日取り上げるのは、前者の遺族が請求を受けるケースのうち、不動産に関わる事例です。不動産に関わる事例としては不動産売買に関する事例もあることはありますが、その殆どが不動産賃貸借に関する事例ですので、この不動産賃貸借に関する事例において、自死に対する差別や偏見がどういう形で現れてくるのかについてお話ししたいと思います。
不動産賃貸借に関する紛争は、典型的には次のような形となって発生します。賃貸物件内で自死が発生した場合、遺族が、自死がその物件内で行われたことによって損害を蒙ったと主張する家主から相当多額の損害賠償を請求されるというもので、弁護士に相談が持ち込まれるケースの中ではこれが一番多いわけです。
私どもがこういう事件を担当して痛感するのは、家主側が遺族に対して強く倫理的に非難する発言をするケースがしばしばあるということです。自死した本人とは離れて住んで同居してもいなかった遺族(親)に向かって「この人を自殺させたことは、あなた達に責任があるんだ」と。挙句の果てには「謝りなさい」「謝罪しなさい」というんですね。あるいは「(家主の)家族が精神的ショックを受けたから、慰謝料を払え」とか。いかに「自死」に対する偏見・差別意識が強いかということを痛感します。
家主からの多額の損害賠償請求は賃貸建物内で自死があったことにより、その建物に「心理的瑕疵」を生じさせたとすることを根拠としてなされるものです。「心理的瑕疵」というのは、判りにくい言葉ですが、しばしば判決に出てくる表現でいうと、「目的物の通常の用法に従って利用することが心理的に妨げられるような主観的な欠陥」あるいは「その建物にまつわる嫌悪すべき歴史的背景など客観的な事情に属しない理由に起因する瑕疵」ということです。
私たちは、はたしてこの「心理的瑕疵」なる概念を安易に認めて良いのかということを大いに問題としています。なぜならば「心理的瑕疵」は自死あるいは死や穢れに対する偏見や迷信に由来するものであり、自死を差別的に取り扱うこととなるからです。
家主からの主な請求内容をみると、物件内で自死が起きたことにより賃貸できなくなった、あるいは安くしか賃貸できなくなったとして、家賃の数年分あるいは極端な場合は10年分といった法外な請求をしてくることがしばしばあります。また自死が起きた物件の改修費用としては、その部屋の全面改修費用を請求してくることがしばしばあります。家主によっては当該物件を全部買取れと要求してくるといった極端な例すらあります。こうした法外な請求は、やはり自死に対する偏見・差別にもとづくこの「心理的瑕疵」という考え方に起因するものです。
家主からの請求に対して、現状では裁判所は極めて安易に「心理的瑕疵」を認定してしまっています。このように「心理的瑕疵」が一旦認定されてしまうと、「心理的瑕疵」を生じさせたのだから借主としての「善管注意義務違反」があり、遺族側には法的責任がある、さらにまた「心理的瑕疵」が生じているのだから家主側の不動産業者には、不動産業者に求められる告知義務が一定期間存在することになるから、一定期間賃貸できなくなったことによる賃料全額、または一定期間安く賃貸せざるを得なくなったことによる賃料差額の損害が発生する、といった短絡的な思考過程を経て、安易に相当額の損害賠償が認容されてしまうということになります。これまでの裁判例ではこの賃料が取れなくなったことによる損害は、概ね賃料の2年分とされることが多いと言えます。但し最近の裁判例では賃料の1年分しか認めなかったというケースも出て来ています。一方改修費用については、概ね裁判所はさすがにこれを限定的にしか認めない傾向があります。
 私たちは個々の事案の解決にあたっては、自死というものに対する偏見を当然の前提にするような内容や水準の解決に持っていくのではなく、できる限りそうした偏見に囚われないで自死遺族の置かれている状況に十分配慮したリーズナブルな内容や水準の解決に持っていくように努力しております。
このような個々の事案における地道な努力は、立法や制度による解決を求める運動と相俟って、車の両輪のように、人々の意識を変えていくことに寄与する原動力になると思っております。
 

以上


時間が欲しい

sanzashiW[1]

1日 から  12日の今日まで  
   メチャクチャなスケジュールを組んでしまった
 さすがに
家族に申し訳なく…反省をしている
    家事をする暇がない
 
    ブログも書く時間がない

 明日は少し のんびりしよう

人権とは

himeringo1[1]

殺人者の人権は守られる
 亡くなった人に人権はない
人権を奪ったのは誰!

    生きている人の人権を守るべき・・・という
 死んだ人を生き返らせてください
   あなたの人権を認めるから・・・といいたい

罪は許してもいのちは戻らない
  喪われたいのちはけっして戻らない
人を殺して
  本を書き
   印税を手にして 生活する
日本は 犯罪者には天国
   被害者には地獄
  刑期を終えたら  遺族を傷つけていいのだろうか
    
悪人ほどしたたかに元気に生きる・・のが世の中のようだ
  
プロフィール

藍たなけん

Author:藍たなけん
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仙台に住んでいます。
青森県津軽生まれ、B型 うお座 
主人と二男と3人暮らし
自死で長男を亡くしてます。
「悲しみは愛」「悲しみは愛しさと共に」「悲しみは私の体の一部」「悲しみを奪わないで」「悲しみを消そうとしないで」などを広めています。

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