■就活する君へ

 「さとり世代」の言葉を生み出した原田曜平さん。現役大学生とともに若者に売れる商品やサービスの研究を続け、「いまどきの学生」を間近で見ています。そんな原田さんに、自身の就活や入社後の経験について聞きました。

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 ――原田さんが立ち上げた「博報堂ブランドデザイン若者研究所」には、就活世代の大学生もたくさんいます。日本で一番若者と話している大人なんじゃないかと。

 「そうかもしれません。かなり相談を受けますね。『1次面接で落ちちゃった』とか、『落ち込んでます』とか。最近、メディアに露出しているので、いろんな学生が『就活の話を教えてください!』ってくるけれど、みんながっかりして帰る。僕はただ流されて生きてるだけだよと、自信満々に伝えてるので」

 ――博報堂に入社して、「若者研究」で有名になって、世間的には文句ないような気がしますが……。

 「僕はいままで、自分がやりたいことを、一度もやったためしがない。それでも、結果、楽しかったという不思議な人生なんです。小さいころからおやじ仕込みの映画好き。脚本が書きたくて、学生時代には脚本学校に通っていました。いざ就活となって、映画会社のOBを訪問したら、実は映画会社も不動産とか、映画に関係ない仕事ばかりになっていた。この道しかないと思い込んでたから、『自分が一番やりたいこと』ができる業界なんてないと悩んだ」

 「見かねたおやじが、日本テレビのディレクターズスクールというのを見つけてきて、受けてみたらって。学生を集めてドラマなどを撮らせる企画で選抜試験もあった。受かってホラードラマを撮らせてもらいました。非常に生意気なんですけど、当時は映画好きとしてテレビドラマを何となく下に見ていたのが、この経験から、ほんとは好きじゃないけど映画に近いかも、と『妥協』してドラマに強いと評判だったテレビ局2局を受けました。でも、2局とも最終面接で落ちました。テレビ局でドラマを作った実績があって、脚本もいっぱい書いてた。いま考えると大した実績でもないんですが、自分は受かる資格があるはずだ、なんて意気揚々と受けて落ちちゃった。かなり落ち込みました」

 ――映画、テレビとダメで、その後は?

 「ほかを考えてなかった。周りを見渡すと、友達は『○○社が次で最終だ』とか、いろんな企業名が出てきて、すごく不安になりました。最初に絞りすぎるのは本当にやめたほうがいい。大学のゼミがマーケティング系に強くて、広告業界に先輩が多かったので、親近感がありました。いま考えると全然違うんですけど、映画と広告の世界って近いのかな、とも思って、博報堂の入社試験を受けました。運良く内定をいただいてからも、実は翌年、テレビ局を受け、最終の一つ手前で落ちた。『お前去年もいて、おんなじ話してるじゃねえか』って。そこで踏ん切りがつきました」

 ――入社後はやりたいことはできましたか?

 「ぜんぜんできなかった。最低この業界では映画により近いと思われるCMプランナーになるしかあり得ない。『これを逃したら、もう生きてる意味がない』くらいに思いつめてた。ほかの部署に行かされちゃ困るので、社内のCM研修だけ受けて、ほかのマーケティング研修などはわざと休んだ(笑)。後でめちゃ怒られましたけど、それくらい必死で、ある意味、就職活動みたいなものでした」

 「ところが、配属されたのはマーケティング部。あまりにショックでどうすれば取り消せますかと人事に相談した。『会社はそういうもんじゃない』って言われました。まあ、そりゃそうです。1年ほど在籍してようやく慣れ、おもしろい面もあるなと思ったところで、今度は『生活総合研究所』に異動です。『研究者になれ』ということです。泣きました。廊下で。母親に電話しちゃいました」

 ――やりたいことはすべて外している。行った先でおもしろいこと見つけるか、おもしろいことが向こうから近寄ってこないと、いまはないはずです。

 「生活総合研究所で若者研究にめぐりあえるのですが、それもきれいな話じゃなかったんです。関沢英彦さんという、社内の誰もがあこがれる師匠に、『1カ月何をしてもいいから研究テーマを考えなさい』と。当時やさぐれてたので遊びほうけちゃった。たまに呼び出されて、『テーマ決まった?』『考え中です』の繰り返し。見かねた関沢さんが若者研究を提案してくれた。でも、生意気にも『ガキんちょに興味ないんで』と断った。そうしたら、『一週間あげるから考えておいで』と言われて一週間遊んだあげく、あきらめて『じゃあやります』。さらに、『何やればいいんですか』って聞いた」

 ――揚げ句、「何やればいいんですか」って、会社員として禁句じゃないですか(笑)。

 「そこは本当に師匠に感謝ですね。怒りもせず『センター街でも行っておいでよ』と言われて、とにかく通った。ずーっと見てると、みんな、すごく気をつかい合って生きてるな、と感じておもしろかったんです。社内リポートの評判が良くて、いろんな企業に講演に呼ばれるようになった。若者研究というジャンル自体が、ほかになかったからだと思います。そこから始まり、『博報堂ブランドデザイン若者研究所』の立ち上げからいまに至るまで、ずっと若者研究に携わっています」

 ――結果的に楽しい仕事にめぐりあえていますが、「これがやりたい」という思い込みがいい影響を与えたことは?

 「一つ言えるのは、思い込みが強い分、周りの人に個性が見えやすかったのかな、ということ。たとえば、若者研を立ち上げようという時、上司は僕の研究リポートを見て、向いてるんじゃないかと思ったと後から聞きました。関沢さんがセンター街通いを提案してくれた時も、僕の個性が見えていたのかもしれません。そんな親心も知らず反発していましたが」

 「僕は、思い込んでいたことを良き先輩・会社に覆されて、最初は恨むんですけど、結果的に周りの判断の方が正しかった。だから、人に合わせすぎない方がいいんじゃないか。空気を読みすぎると無人格になってしまう。キャラを出していた方が、自分に合っているところに引き寄せられるケースもある。いまは、どこでも合わせられる子が多いけど、じゃあ希望と違うところでも大丈夫だろって判断されちゃうわけです」

 ――やりたいことが特にないという学生も多いのでは?

 「たしかに、知られた企業の内定がゴールという学生は多いと感じます。生まれてからずっと不況で、不安の中で生きているさとり世代は、したいこと症候群よりも安定症候群で、安定が『希望のもの』なのかも。それはある種、確率論的には正しいし健全なのかもしれません。リスクを減らしているという意味では」

 ――では、いま就活生に声をかけるとすると、「確率論で言うと正しいから、安定志向でがんばれよ」ってことですか?

 「日本の家電メーカーが韓国に抜かれるなんて10年前には誰も考えられなかった。そもそも安定の大企業なんて今後は存在し得ない。そこは頭に入れておいた方がいいと思います。わかったうえで消去法で決めているんだとは思います。でも、おじさんからするとつまんねーな、ってのはあります。過去の分析から確率で導いたものだと、一発逆転やイノベーションは起こりにくい社会になりますから。みんながそれを狙う必要はないけど、少しはそういう若者もいて欲しい」

 「確率という意味では、特に女子が悩んでいると思います。若者研に来ている女子も、大学生活だけでなく、わざわざ頻繁に通ってサラリーマンのおじさんに『君のアイデアはおもしろくない』と厳しいこと言われつつ一生懸命やっている。それなのに、『一般職になりたい』って。確率論で考えて『子育てと仕事の両立のリスクを勘案すると、一般職がよい』という判断は、本人が幸せと思うならありだとは思います。でも、男女に限らず、リスクを減らす確率論でなく、そういう発想が自分に本当に合うのか、しっかり考えるべきです」

 「僕の経験を踏まえて、就活世代に言えることは四つ。①最初から業界を絞り込みすぎない方がいい②就活的なものは、会社員になっても続く。一生苦しむ③個性はある程度、出していった方がいい。④『リスクの少ない方を取る』という発想が自分に合うのかよく考える――です」

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 はらだ・ようへい。1977年、東京都生まれ。慶大商学部を卒業後、2001年に博報堂入社。10年、社内に「博報堂ブランドデザイン若者研究所」を立ち上げ、現役大学生を中心とする「現場研究員」と、若者に売れる商品やサービスの研究・提案を続ける。流行語大賞にノミネートされた「さとり世代」のほか、「マイルドヤンキー」などの言葉を生み出している。現在、日本テレビの情報番組「ZIP!」に金曜レギュラーとして出演中。著書に「ヤンキー経済」「さとり世代」「女子力男子」。近著に「間接自慢する若者たち」。

■記者のひとこと

 中高生のころ。想像する「大人」は毎日会社に行く存在だった。サザエさんのマスオさんや波平のようなものか。毎年、新しいことを勉強する学生にとって会社員は、変化のない毎日を送っているように思えた。大学生になっても、「会社員の自分」なんて考えたこともなかった。いまから思うと、自分が考えなしだっただけな気がするけど、就職後にやっと、会社員ってそんなもんじゃないんだなということに気づいた。

 そういう意味で、原田さんの「一生就活だ。一生苦しむ」という言葉はすごく共感した。やりたい取材、担当してみたい部署。自社他社を問わず、いいなと思う記事を読み、それに近づくためにどうすればいいか。自分の知識や経験の浅さを考えると、ある意味、就活のようなものかもしれない。「一生就活」、肝に銘じます。(小林恵士)