all most done ~アーミッシュの姿~



カテゴリ:アーミッシュ村滞在記

  • 私、20歳。アーミッシュ、11歳。
    [ 2009-07-06 14:44 ]
  • アーミッシュと、決死のドッジボール
    [ 2009-05-28 20:46 ]
  • 菅原千代志さんとの出会い~訪問の方法②~
    [ 2006-11-21 17:14 ]
  • これが一番やっかい。~訪問の方法①~
    [ 2006-11-21 16:22 ]
  • そもそもなんでまたアーミッシュ?~訪問の動機~
    [ 2006-11-13 12:25 ]

私、20歳。アーミッシュ、11歳。

昨日、私がステイしたアーミッシュの家族から手紙が来ていることに気付いた。

思えばアーミッシュのコミュニティへの訪問を望んでいたとき、
心底アーミッシュとの「コネ」が欲しかった。

じゃないとコミュニティを俯瞰することはできても、
入り込むことはできないから。

訪問の前に、何とかできた「コネ」を頼りに、
滞在のお願いをする手紙を書いたことを覚えてる。
初めての、アーミッシュへの手紙。

その手紙に返信が来た日。
東京は久しぶりの大雪だった。1月。

ポストに投げ入れられたアーミッシュからの手紙は、
勢いあまって取り出し口から滑り落ち、
雪の上で私の帰りを待っていた。

初めてのアーミッシュからの手紙は、
びしょびしょになって文字がにじんでたっけ……

と、ちょっと昔に浸ってみましたが、
今回の手紙は無事に保管されてた、危機一髪。

書いてくれたのは、
私が一番親しくしていた当時11歳の長女。
名前はデブラ。

訪問先の家庭には、デブラのいとこやおじさんおばさん、0歳の弟まで、
ほぼ全ての年代がそろっていた。

もちろん、私と歳の近い17歳や21歳の女の子もいた。

みんなと話すことができたし、
一緒に過ごすチャンスもあったけど、
一番仲良くなれたのは11歳のデブラだった。

なぜかって、私と精神年齢と社会的ライフステージが一番近かったから。

アーミッシュのコミュニティでは、10歳を越えれば立派な仕事人。
家庭でのチョア(納屋での仕事)や家事はもうすでにお手のものなのだ。

20歳も過ぎれば結婚が間近だし、もう独立した一人前の成人で、
食事に関しても仕事に関しても、親離れは完璧にできてる。
親戚付き合いや近所付き合いも慣れたもの。
周囲の幼い子や、お年寄りをケアする立場を全うしている。
たとえ結婚していなくとも、まるで主婦のような安定感がある。

当時私は学生で、まだ親のすねをかじってて、
学校に通ってて、親戚の相手も完璧にこなせなくて、
家事なんて、アーミッシュの同年代に比べたら
全くできないといっても過言じゃなかったレベル……
アーミッシュの同世代と並んでも、
まだ精神的に「くすぶっている感」が満載。

デブラはアーミッシュスクールにかろうじて通っていたし、
まだお母さんがつくった料理を毎日食べてて、
親戚が集まる場でも、好きな友達と勝手に遊びにいってしまう。
お気に入りの馬にまたがることが大好きで、
部屋には馬のポスターやカードがたくさん。

大人になる一歩手前のステージにいるデブラは、
同じく社会人を目前にした私と似ているところがあった。

だから、幼いはずのデブラとは、無性にウマが合ったのだった。

手紙には、今年の4月にアーミッシュスクールを卒業したこと。
いとこの家で家事手伝いの仕事を週に2回していること。
デブラにとっては妹にあたる、新しい家族が二人増えたこと。
私が訪問したときに紹介してくれた「マジック」という愛馬を、
いまでも大事に面倒をみていること。
アメリカでは仕事がない人が多いので、
私が定職についていることに安心したということ。
6月に弟の誕生日パーティーをして、
それがとてもエキサイティングだったこと。

などが書かれていた。

アーミッシュの女の子は、
驚くほどスムーズに母親になることができる。
おむつを変えることも、
子供もあやすことも、
寝かしつけることも、
その合間に家事をこなすことも、
母親になる以前から、コミュニティの中で実践しているからだ。

デブラがいとこの家に家事手伝いに行っているのは、
そこで子供が生まれたから。

子供を育てるということがどういうことなのかを
お手伝いをしながら学ぶ。
それは、結婚したあとすぐに役に立つ経験となる。
言ってみれば、花嫁修業のようなもの?

デブラももう、そんなステージに入ったのかー
そのうちすぐに彼氏ができて、
結婚して、
たくさん子供を抱えるようになるんだろうな。

訪問のときはぴったり合った私とデブラのライフステージだけど、
やっぱり彼女に置き去りにされそうな私、24歳。
花嫁修業はまだ遠い気がする。



デブラの「デブ」は日本語で「太っている」という意味なんだよー
と言って、怒らせたのが懐かしい。
次に合う日がホントに楽しみになった梅雨の間の便りだった。

アーミッシュの講演会の途中
哲学の道の、あじさい通り
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by amish-with | 2009-07-06 14:44 | アーミッシュ村滞在記

アーミッシュと、決死のドッジボール

◆アーミッシュの学校

私がアーミッシュのコミュニティに滞在していたのは、20日間くらいだった。
その間、色んな種類のアーミッシュに会い、
(アーミッシュにも種類がある!)
アーミッシュの実生活を観察した。

アーミッシュの実生活は、写真でよく見る牧歌的でスローなイメージとは、かけ離れていると思う。

彼らの生き様は、実に頑なであり、潔ぎよく、そして迷いがない。
テキパキと働く姿を見ていると、アグレッシブさをむしろ感じる。

そんな姿に始終圧倒されっぱなしではあったけど、
アーミッシュの学校で子供とドッジボールをしたとき、
私の淡いアーミッシュへの好意はくだけちった。

「殺される!」と、大げさだけど恐怖した。

学校には6歳から8年間通う。
小さくてコロコロした小動物のようにかわいい子から、
もうしっかり声変わりして、背丈も立派な男の子まで。

なので、休み時間に遊ぶときは、上級学年と下級学年の2つのグループに自然と分かれた。
下級学年の子達は外で鬼ごっこのような遊び。
上級学年は半地下のホールで室内ドッジボール。
(ルールはアメリカ版のドッジボール。日本と若干違う。)

誘われるがままドッジボールに参加してみたが、
男の子が投げる球の速さに完全に余裕を無くした。

なぜか男チームと女チームという、明らかにアンバランスなチーム編成のせいで、
私はアーミッシュからたくさん球をぶつけられた。

ぶつけ返そううと思っても鼻歌歌いながらキャッチしやがる。
くそー大学生なめんなよ!
とムキになったけど、ふと、自分がアーミッシュに大して固定概念を持っていたことを感じた。

彼らは間違いなく凶暴性を内に秘めた人類の一人だ。

アーミッシュのお人形を買って「かわいい~」とはしゃいでた自分を恥じた。

あまりの恐怖に、日本人らしい苦笑いを振りまいてその場から逃れた。
私の身体能力と見合うのは下級学年の鬼ごっこの方ではないかしら、とニラんだのだ。

子供と仲良くなるのは特異技。
親戚の家に行っても、海外旅行に行っても、大体子供をつかまえてかまってもらってる私。
なので鬼ごっこにもすぐいれてもらえた。

しかし、雨上がりのせいで地面がぬかるんでる。
走りにくいはずなのに、アーミッシュの子達はすばしっこい身のこなしで逃げていく。
東京のアスファルトにハイヒールLOVEな私は、またもや遊びの劣等性だった。

ただのお遊びだったはずが、アーミッシュっ子の溢れる体力と私の衰えを目の当たりにしてしまった……

喘息みたいに「ひーひー」って喉を鳴らして走りながら、
どうにか鬼の呪いを小さい小さいアーミッシュになすりつけた。
どうだ!ざまみろだい!と大人気なくふんぞりかえる。

そしていつしか、自家製の小さい鐘が鳴り響き、
瞬く間に生徒は教室に吸い込まれていった。

サザエさんのエンディングテーマの、あのピンクの家みたいに。

私はというと、ヨロヨロしながら教室に戻り、
授業参観の父母の様に後ろの椅子に腰掛けた。

もう授業が始まっている。
私だけがまだ「ひーひー」と喉を鳴らしている。
静かな教室に響きわたるのが恥ずかしくて、思わず口を手で覆った。

真冬の教室はストーブで暖められていて、少し暑いくらいだった。

              凶暴性を秘めた人類の仲間、アーミッシュ
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by amish-with | 2009-05-28 20:46 | アーミッシュ村滞在記

菅原千代志さんとの出会い~訪問の方法②~

ちょっとでもアーミッシュと関係ありそうな人には一人も残らず連絡して、叶えば会いに行った。

キリスト教の牧師だった大学の教授。
アメリカの研究をしている教授。
「アーミッシュレストラン」という飲食店を経営している家族の方。
アーミッシュの絵を描いて出版している方。
アーミッシュ研究をしている大学教授。
アメリカのキリスト教関係の大学に留学している友達。
アメリカ出身の英会話の先生。
インディアナ州の駐日代表事務所の方々。

(私の突然の訪問や連絡に快く答えてくれたみなさんにこの場を借りてお礼致します。
ありがとうございました。)

色々な人と会って、アーミッシュの情報はどんどん溜まったのだけど、訪問に直接結びつくようなことは無かった。

どうしよう・・・・このままじゃ行けないかも・・・・

と弱気になり始めたのは、方々に連絡を取り始めてから2ヶ月くらい経ってからのこと。
ふと、この本の著者に連絡をしていないことに気がついた。
迂闊だった。アーミッシュ関連の日本で出版されてる本は恐らく全部読んでいて、その中でも一番出版点数が多くて、リアルなアーミッシュの姿を書いてるのがこの方、菅原千代志さんだった。

すがるような思いで菅原さんにメールを打った。
「どうしても行きたくて、アーミッシュに会いたくて、アーミッシュのことを知りたくて、でも全然訪問の手段が無くて、どうすれば良いのか困ってます。何か助言を頂けないでしょうか?」みたいな内容。

すると、「同じアーミッシュに興味を持つ者として嬉しいです」とのお返事。もう少しメールをやりとりして、私のしたいことを伝えると、菅原さんの親しくしているアーミッシュの家族を紹介してくれるとの返事を頂いた。

このときはもう、
狂喜、乱舞!!

やっとアーミッシュ家庭の訪問が現実味を帯びてきた瞬間だった。

どうやら本当に行けるらしい。と。

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by amish-with | 2006-11-21 17:14 | アーミッシュ村滞在記

これが一番やっかい。~訪問の方法①~

よく聞かれるのは、「どうやって行ったの?」ってこと。
その点は私もすごく悩んだところ。

はじめ、インディアナ州のサウスベンドという都市まで飛行機で行って、そこからシプシワナというアーミッシュのフリーマーケットが盛大に行われているところに行こうかと思ったのだが、

私、車乗れないじゃん!

ってことに気がつき断念。サークルの先輩で、なんとチャリでオーストラリアを縦断した人がいる。
だからなんとなく「チャリで行こうかな・・・」と考え直したのだが、季節は冬、しかも道の高低差がすごいらしい。なによりインディアナ出身のアメリカ人に渋い表情をされながら止められたので、これも断念。


アーミッシュコミュニティとして一番有名なペンシルバニア。ここはアーミッシュがアメリカに渡って最初に入植した地でもある。ここならアムトラックという公共の交通手段があるので個人でも辿り着ける。私の愛読書「地球の歩き方」にも紹介されており、車がなくてもどうにかなる。

でも、私には小さな、でもやっかいなこだわりがあった。

観光客向けではなく、生身のしかも純粋なアーミッシュと接触したい。
興味本位の観光客としてではなく、アーミッシュのことを尊重しながら訪問を果たしたい。
というこだわり。

日本にいてできる限りの情報収集はしていた。だから、ペンシルバニアが若干”観光づれ”してることとか、興味本位でアーミッシュをひやかすような観光客がいなくもないということが分かってた。映画「ジョンブック~目撃者~」でアーミッシュをからかうような人達とか、もの珍しさから写真を撮りまくる人が登場するけど、ああゆう人達と同じ立場の観光客としてアーミッシュと出会うのは嫌だった。

そしてどうせ会いにいくなら、それなりの経験をしてきたい。アーミッシュを遠くから眺めるだけでも、それはそれでいいのだけど、理想の訪問のカタチは、アーミッシュの家庭でのホームステイ。
そう思いついちゃったから、そうすること以外考えられなくなって、ホームステイを今回の訪問のカタチとして決めた。

でも、こんなこと聞いたことないし、当然アーミッシュ家庭のステイ先を斡旋してくれる企業もない。
しょうがないから自分で探すことにした。あては何にも無かったけど、
なんとなく「行きたいってこんなに強く思ってるんだから、行けるでしょ」と思ってた。
超ポジティブ。


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by amish-with | 2006-11-21 16:22 | アーミッシュ村滞在記

そもそもなんでまたアーミッシュ?~訪問の動機~

高校3年生の頃、受験勉強で小論文の課題文を読んでいた。
そこで初めてアーミシュの存在を知った。
後から分かったことだけど、その文章はこの本の一節だった。

プレイン・ピープル―アーミッシュの世界
栗原 紀子 (著), 長谷川 朝美 (写真)



その時、アーミッシュの私達とは全く正反対の価値観にものすごくショックを受けた。
自分の考え方が途端に小さく思えて、少し泣けたくらい。

それ以降彼らはいつも私の頭の片隅にいて、私がよく陥りがちの、「自分が絶対正しい」ってゆう思い込みに警笛を鳴らしていた。

アーミッシュのことを思い出すと、「いかんいかん、私の考え方は、世の中にたくさんある価値観の中の、ただ一つに過ぎないんだ。そこに優劣付けるなんてナンセンスだ。」と考えることができた。

彼らのことを調べるにつれ、彼らの生活には私達が学べることがたくさんあるんじゃないかな・・・と思うようになってきた。

便利さ快適さを追い、消費に追われ忙しく毎日を過ごす私達の生活に、懐疑を抱く。私はそういう側の人間だったからなお更。

アーミッシュの、便利さ快適さを敢えて追わない賢さにガツンときた。

同じ欲と感覚を持った人間なのに、なんでそんなことができるんだろう?

こういう疑問が出てきて、すごく知りたくなった。
それが訪問のきっかけ。

アーミッシュの生活様式ってはたから見たらちょっとおかしいから、もちろんそういうものにも興味はあるんだけど、それは植物で言ってみれば葉っぱの部分。はたからは見えない根っこのところをどうしても見たくなったのだ。

だから、行くことにした。

会って話さなきゃもう気がすまない!ってところまで、アーミッシュに対する興奮ボルテージは上がってた。

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by amish-with | 2006-11-13 12:25 | アーミッシュ村滞在記


「all most done(あと少し!)」とは私が訪問したアーミッシュがよく口にしていた言葉。働き者のアーミッシュらしい言葉。ここでは私というフィルターを通したアーミッシュの情報を届けていきます。
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