アーミッシュの人びと(備忘録)

宮崎へ行く途上に読んだ「アーミッシュの人びと」(池田智氏)に関する備忘録。

アーミッシュとは、現在おもにアメリカで生活しているキリスト教の一宗派である。宗教史に即していえば、再洗礼派(アナバプテスト)の流れを汲んでいる。その歴史は16世紀初頭の宗教改革まで遡り、その誕生から分裂、統合の歴史を辿ると一大叙事詩になるので、割愛するが、「電気や自動車など現代文明の利器を用いず、農耕生活に依って、前近代的な生活を営んでいる宗派」として紹介されることが多い。ただし、実際には、ディーゼル発電による電気の使用や一般人が運転する自動車への同乗は認められている。

アーミッシュの人口は1991年当時で21州に約13.5万人。ウィキペディアによると現在、約20万人とされる。アーミッシュは彼らの伝統的な農耕生活に固執し、電気を使わず、高等教育も受けない。アーミッシュは、積極的に伝道活動をしたり、外部の人を改宗させたりはしない。また、彼らはペンシルバニア・ダッチ語という独自のドイツ語を使用している。よって、アーミッシュは近く絶滅すると予測されたこともあったが、実態としては、増加傾向である。その理由として、出産率の高さがあげられる。クレイビルによれば、夫婦あたり平均6.6人の子供いる。ただし、後述の通り、再洗礼派のため、すべての子供がアーミッシュになるとは限らない。

アーミッシュは、従順、謙虚、服従、倹約、質素を生き方の基本とし、これを犯すのは罪を犯すことと同じと考えられている。彼らは「オルドゥヌンク」と呼ばれる戒律が存在し、そこには強弱のことなる二つの規律が存在する。絶対に守るべき規律としては、下記のようなものがあげられている(p113-114)。

・トラクターを農耕に使ってはならない。
・自動車を所有したり、運転したりしてはならない
・都市電気、ガスをひいてはならない
・セントラルヒーティングを設置してはならない
・絨毯を部屋いっぱいに敷き詰めてはならない
・訴訟を起こしてはならない
・搾乳用輸送管を設置してはならない
・一般社会の組織に加入してはならない
・軍事関係の仕事についてはならない
・コンピューター、テレビ、ラジオを所有してはならない
・高等教育を受けてはならない。
・航空機を利用してはならない
・結婚指輪をはじめ腕時計やその他装飾品をつけてはならない
・化粧をしてはならない
・女性は髪を切ってはならない
・離婚をしてはならない
・写真を撮っても撮ってもらってもいけない

アーミッシュは信仰や利他の観点から、個性や競争を否定するため、化粧や装飾品は禁止される。とりわけ、アメリカ社会が絶対的に重視する「個性」は高等教育によって確立されるとして、公教育を否定し、アーミッシュ独自の学校に通学させている(アーミッシュが独自の学校に通わせ、公教育を否定している件については、は1972年の「ウィスコンシンvsヨーダー」裁判以降、公式に認められている)。

アーミッシュが公教育を否定する理由について、筆者は下記を挙げている(p139)。

・バス通学制度の否定。公立学校は生徒数が多く、毎年担任を変えている。8年生までの一学級学校が理想。
・子供を育て、しつける義務と責任は、第一に親にある。
・単に資格をもっているだけの教師に子供を任せたくない。人格的に信頼でき、アーミッシュ宗派の価値観と農耕生活が理解できる人に教師になってもらいたい。
・公立学校や高等教育は「世俗的な知恵」を賛美しがち。「世俗的な知恵」と「神が与えてくださる知恵」はまったく異質。
・公立学校では教科書に頼りすぎるきらいがある。教科書から知識を得るだけでは額に汗して労働することの意味を理解することができない。高等教育は人間を肉体労働から遠ざける結果を生む。

アーミッシュにおいては、生の価値観が一般人と根本的に異なるため、そのための教育もまったく異なることが分かる。この社会では、金銭や名誉など競争によって得られる一切の価値を認めていない。アーミッシュは人格や労働に価値を置き、家族を中心とした世界観を構築している。

アーミッシュが第一に信仰を、第二に利他を重視し、自らを最後に重視する価値観はJOYとして知られる。つまり、Jesus, Others, Youの順番である。何にもまして信仰に忠実であり、他人を助けなければならない。たとえば、本文では以下のような挿話がなされている

「迫害されていたアーミッシュが追手から逃げている際、氷の張った川で追手が溺れた。その際、逃げていたアーミッシュは川まで戻り、溺れている追手を助けた。その結果、彼は捕縛され、火刑に処された」

こうしたアーミッシュ社会では、相互扶助が基本であり、セツルメントと呼ばれる地縁で結ばれたアーミッシュ共同体の中にいさえすれば、病気や怪我、事故、貧困などあらゆる困難に際して、助けてもらえる。こうした相互扶助は国家レベルの社会保障よりもずっと確実なものであり、彼らは社会保障税の支払を拒否しているとされる。(所得税や不動産税などは支払うとのこと)

国よりも共同体が信頼でき、ゆえに法律よりも共同体の「掟」が守られることが尊ばれることは、アーミッシュに限らず世界中に今も存在するし、地縁血縁を重んじる日本社会もそうした色合いが濃厚だといえる(ただし、こうした共同体の維持は困難になりつつある)。

一方、アーミッシュには「マイドゥンク」とよばれる制度が存在する。これは破門を意味し、オルドゥヌンクを守らない場合、悔い改めない場合に社会的に追放されることになる。日本でいう「村八分」に相当する。ただし、礼拝時に罪を告白し、悔い改めれば許される機会が与えられているし、罪の告白と懺悔は、時がたってからでも受け入れられることになっている。

また、アーミッシュは再洗礼派であるため、一般的には成人を迎えて初めて「アーミッシュ」となる。多くの若者は8年間の教育が終わった後、一般社会での生活を経験し、18-21才頃に改めてアーミッシュとして生きるかを選択する。一般社会へ出て行った若者が、アーミッシュ宗派の社会へ戻る率はクレイビルによれば、およそ8割とされ、その数字だけを見るとアーミッシュの生活は一般社会よりもずっと魅力的に思われる。

ただし、実際には、アーミッシュの若者は公教育を受けていないため教育水準が低く、一般社会に通用する技術も身に着けておらず、一般社会が求めている労働力にならない、という点が理由の一つとも考えられている。また、アーミッシュはアーミッシュ同士でしか結婚できないため、青年期に教会などで知り合った異性がアーミッシュであれば、アーミッシュになることを選ぶことが自然ともいわれる。

アーミッシュの価値観はアメリカが率先垂範して示す現代的な価値観とは大きく異なるため、そのギャップについていけないと感じる者も多いだろう。

本書を読みながら、大学生の頃に読んだアメリカの西部開拓史の本をいくつか思い出した。ピルグリム・ファーザーズのように、信仰の自由を求めてアメリカに渡ってきた人々と、その後、宗教的理由とは全く関係なく、経済的理由でアメリカにわたってきた人々。奴隷として連れてこられた人々。その他様々な思いでアメリカに渡った人々。

「アメリカ」といえば、ニューヨークやロサンゼルスのようにリベラルで革新的な大都市を想像してしまうが、アメリカの精神はむしろバイブルベルトに代表される保守地域やアーミッシュのように信仰に生きる人々にこそあるのかもしれない。銃規制や死刑制度、同性婚や中絶といったアメリカ社会を揺るがしている問題群はまさにこうした「アンビバレントなアメリカ」を象徴するものである。

過度に合理化された現代に生きる私たちにとって、こうしたもう片方の価値や論理を学ぶことが今まさに求められている気がしている。

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プロフィール

toshi tanaka

Author:toshi tanaka
鹿児島県出身、
柏キャンパスで研究中。
よくいる場所、
鹿児島、沖縄、パリ、京都。

今月の一冊
多数決を疑う
(坂井豊貴)

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