この夏も、雄大な自然や古代へのロマンを求めて「世界遺産」を訪ねる人がいるだろう。家族や友人らとの思い出をつくりつつ、存亡の危機にひんする遺産が世界に少なくないことを心の片隅に置きたい。

 ドイツのボンでは今月まで、新たな登録を決める世界遺産委員会が開かれた。日本では「明治日本の産業革命遺産」をめぐる日韓の論争が注目されたが、参加各国が最も心配し、議論した対象は別にあった。イラクやシリアなど戦乱が続く地域にある遺産の保護である。

 世界遺産の本来の目的は、危機に立つ人類の至宝への国際的な関心と協力を喚起することにある。その原点の精神を忘れてはなるまい。

 世界遺産は、その知名度や参加の広がりから、ユネスコ(国連教育科学文化機関)がかかわる事業で最も成功したものだといわれる。これまでに登録された遺産は、今回の24件を加えて総計1031件になる。

 このうち、とくに緊急の対応を要する48件が「危機遺産リスト」に登録されている。

 今回の委員会で危機遺産として認められた一つは、イラクの古代遺跡「ハトラ」だ。砂漠の中にそびえ立ち、ローマ帝国の侵攻にも耐えた要塞(ようさい)都市。しかし、この地域を支配する過激派組織「イスラム国」(IS)が遺跡を破壊する映像をこの春公開し、動揺が広がった。

 内戦が続くイエメンの二つの遺産も今回、危機遺産に加えられた。シリアでは、国内の遺産6件すべてが危機遺産にも登録されている。とくに、古代遺跡「パルミラ」は最近、その周辺をISが占拠したことから懸念がぬぐえない。

 これらの例が示すように、世界遺産に対する最大の脅威は、戦争である。戦闘や略奪による直接の被害が心配されるうえ、紛争地であるために支援や修復の手が届きにくい。

 言語道断なのは、人々が守り伝えてきた遺産をわざと破壊して力を誇示しようとするISのような動きである。このような暴挙を許してはならない。

 文化の多様性を認め、他者の個性を認めることなくしては、遺産の保護のみならず、平和も安定も望めない。日本を含む国際社会は、遺産に対する世界の関心を呼び起こし、多角的な対応を進める必要がある。

 国士舘大学が長年イラクの遺跡調査に取り組んできたように、日本は以前から、戦乱に見舞われた国の遺産を保護する活動に熱心だった。協力の試みをこれからも続け、広げたい。