ー耳が聞こえないという自覚
私は生まれた時から耳が聞こえない。
「自分は耳が聞こえないのだ」とはっきり自覚したのは多分、小学校3年あたりかな。
それまではもちろん、1歳違いで耳が聞こえる弟がいたため、自分との比較対象が目の前にあった。
また、弟は地域の保育園に通っていたのに私は聾学校へ。
それでなんとなく「自分は周りとは違うようだ」ということは分かっていた。
そして小学校に入った。
私の場合は聾学校ではなく、普通の小学校だった。(普通というのもおかしいが)
小学校1-2年のうちはただ周りの子どもたちとワーワー走り回って遊んでいればよかった。
しかし、3年に上がると特に女の子はおませになってくる。
するとこれまでは男女関係なく鬼ごっこをしたりかくれんぼをしたりしていたのが段々なくなり、女の子同士でグループを作って固まるようになってくる。
そこで私は、「自分は耳が聞こえないのだ」ということをはっきりと感じたのを覚えている。
グループに入れないのだ。
今まで仲が良かった人たちがグループを作るようになり、その輪の中にいても、みんなの話が分からない。
ただ、困ったような笑顔を作ってニコニコするしかなかった。
ーそうか、これが聞こえないということなのか・・・と、子ども心に思ったのを覚えている。
ーアイデンティティが沈んでいく
その頃は、まだ「手話は使ってはならない」と言われていた時代だった。
私も、「手話を使うよりは発音、とにかく声を出す。相手に通じなくても頑張って声を出しなさい」と言われて育った。
筆談なんかもってのほか、というか、筆談という方法があることすら教えてもらえなかった。(実際、筆談という方法を初めて知ったのは大学に入った頃だった)
そして私は重度の聴覚障害。両耳とも100db超える。
(※db=デジベル。聞こえの程度を数字で表す)
今では100db超えていても発音訓練によって発音がうまい人もいるが、私は違っていた。
声は出せるが、通じるように発音することができない。
それでも、相手に通じるまで頑張って声を出して話せと先生からも親からも言われていた。
そして、そのとおりにした。すると、最初は頑張って何回も聞き直してくれたクラスメイトも段々面倒くさくなって離れていく。
やがてみんな、私に対しては「おしゃべり」ではなく「体を使った遊び」の時のみ声をかけてくるようになった。まぁこれはこれで仲間外れよりはありがたかったのだが。
そして家に帰れば帰ったで、親や弟と話すことがあるが、話すたびに親が「その発音は違う」「もう少しここをこうして、そうそう、そのように声を出して」など色々と訂正してくる。
弟とおしゃべりしてても弟と喧嘩していても、近くで親が聞いていて発音がおかしければ飛んできて修正される。そういう毎日だった。
そのうち、私自身も話すのがイヤになり、周りと話さなくなっていった。
家に帰ってからも必要最低限のことしか話さなくなった。
そして気がついたら、私は全ての感情や言葉をどんどん内面に押し込んでいくようになった。
(今思えば、親は親なりに一生懸命だったと思うし、私が社会に馴染めるように、と思ってとにかく発音を何とかしたいと思って頑張ってくれていたのだと思う。その気持ちはありがたいことだし、悪いことではないと思っている。)
(そしてこれについては本当は他にも大きな原因があったのだが、それはここでは書かない)
こうやって、私の全てのアイデンティティは内面の深い湖の中に押しやられていった。
(続)