宮間あや選手がFIFA女子W杯2015カナダ大会で語った言葉『女子サッカーをブームではなく文化にしたい』。「文化」とは簡単な言葉ではない。とてつもなく重たい。その意味を多くのメディアは理解できてない。日本の女子サッカーは米国と比較して15年以上の遅れをとっている。今回は、あえて、かつて宮間あや選手がプレーした米国の「1999年の女子サッカー」から「文化」の意味を解きほぐしたい。
1999年にFIFA女子W杯1999米国大会が開催された。「平成10年度プロフェショナルスポーツ研究助成報告書第3号(筑波大学大学院修士課程体育研究科)」では、来場者調査を始めとする米国女子サッカーに関する各種調査報告を行っている。「平成12年度プロフェショナルスポーツ研究助成報告書第5号(筑波大学大学院修士課程体育研究科)」では、米国女子サッカーリーグの来場者調査を始めとする米国女子サッカーに関する各種調査報告を行っている。今回は、これを参考に、米国における女子サッカーの文化について説明する。
日本の米国の女子サッカーの最も大きな違いは「社会における女子サッカーの位置付けや価値が明確か不明確かにある。簡単に結論を言えば、米国は「女子サッカー」という競技が確立している。一方、日本は「サッカーの中の女子版」にしかなっていない。つまり、『女子サッカーはブームにはなったが、独立した文化的価値を確立できてない』といえる。米国においては、これが1999年〜2001年には確立されていた。
1999年 米国における女子サッカー(調査結果より)
⚫︎観戦者の54%が女性。
⚫︎観戦者のサッカー経験者が65.7%。30代までは男性よりも女性の方が多い。
⚫︎大会実行委員長が女性弁護士(当時としては画期的)。
⚫︎大会委員長も女性。組織委員にも多くの女性。
⚫︎女性の手による女性のためのスポーツイベントとされた。
⚫︎女性の権利平等を実現しようとする人々から支持される。
⚫︎選手の多くは既婚。普通の女性の生活をしながら力強い選手でもある。
⚫︎女子の憧れの対象であり、保護者の子育ての目標であった。
2001年 米国における女子サッカー(調査結果より)
⚫︎観戦者の62.1%が女性。
⚫︎教育水準、所得水準は中流以上が大半(男子MLSとは異なる)。
⚫︎観戦行動に与える因子の上位に「ロールモデル(成功者)」「パフォーマンスの美しさ」「健全な環境」が含まれる。「流行」「選手への関心」「地域チームのサポート」は下位。
⚫︎健全な娯楽として観戦が位置付けられている。
⚫︎「ロールモデル(成功者)」としての選手への評価が特に高い。
⚫︎多くの女性が男女平等の実現に向けた社会的活動として「女性スポーツ観戦」を考えている。
さらに、調査と別の要素として
⚫︎米国のスポーツは防具の着用が必要な競技が多いが、サッカーはすね当て以外に防具が不要で安全なスポーツと位置付けられている。
⚫︎アメリカンフットボールのクウォーターバックのようなと特殊な花形ボジションがなくリベラルなスポーツと位置付けられている。
⚫︎スポンサーが女子サッカー選手を「ロールモデル(成功者)」「幸せな家族の象徴」といて起用した。
上記が15年間の米国女子サッカー姿なのだ。そのベースは今も変わらず、現在まで受け継がれている。日本の女子サッカーは競技人口が少ないこともあって女性の観戦者がすくない(日本のバレーボールとも大きく異なる)。男性の観客が「サッカーの中の女子版」として観戦しているのが一般的な観客像となっている。それゆえ、米国とは異なり「流行」「選手への関心」に左右され、ブームが去ると観客が去っていくのだ。
「ブームから文化へ」
米国女子プロサッカーWPSの平均年俸(2011年調べ)は3万2000ドルとされています。プロとはいえ、日本の企業チームの選手の待遇と比較して格段に良いとは言えない金額だ。「文化」の鍵は、必ずしも選手の待遇やプロ化では、なさそうだ。協会、リーグ、スポンサーが、日本社会の中で、他のスポーツやレジャーと比較して、女子サッカーをどのようなポジションに置いて、どのような価値提供をできるかを明確化することで、女子サッカーはブームの波を乗り越えることができるのではないでしょうか。