バブル時代を知らない人たちのための基礎知識。
1986年から91年くらいを、バブル時代と呼んだ。
元々は、85年のプラザ合意に端を発するのだが、それは自分で調べて欲しい。
日銀が公定歩合を5%から2.5%に引き下げたことで、日本の金融市場はお金にまみれた。「狂乱物価」という言葉もあった。当時、六本木を中心にできたディスコブームと相まって、若者はこぞってお金を女の子を自分のものにするために使った。
一番有名なのは、「ティファニーのオープンハート」である。女の子は、このアイテムを男にねだった。悪質なのは、一度に複数、それも5人くらいの男にねだる女だった。5個ゲットしたら、1つは自分が身につけて「ありがとう、似合う」なんて言っていた。では、あとの4個は?
質屋に預けて、換金していたのである。質屋も、高く売れることはわかっているから、高値で買うのだ。当然、買えなかった男も出てくる。そういう連中はどういう行動に出たか。当時、ティファニーを正規に扱っていたのは、銀座の三越だったから、三越の宝石売り場に、「売り切れ証明書を書いてくれ」とおかしな証明書の発行を懇願したのである。
ヒョウ柄、ボディコン、ワンレン、アッシー、メッシー、ミツグくん。。。三高なんてのも。
私は、友達がポルシェを貸してくれたので、アッシーだったな。武器は、西麻布の「クイーンアリス」の予約席。
行きつけは、芝浦のゴールド。青山のキサナドゥ、六本木のマジック、西麻布のマハラジャ。
あー、あまり思い出したくないかもね。