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【私説・論説室から】

「7・1クーデター」

 何かが壊れた−。昨年七月一日に集団的自衛権の行使を認める閣議決定がなされたとき、そう感じた人も多いのではないか。私は当時、ある言論誌に「政治的なクーデターだ」と書いた。歴代内閣が憲法九条のもとではできないと約束してきたのに、「解釈改憲」により、それを破ったのだから…。

 ほぼ一年たって、憲法学者の石川健治東大教授と話をしたとき、それに及んだ。石川教授も「法学的にはクーデターだったと思っています」と語った。石川教授によれば、国民もしくは大本の規範は動かないまま、政府レベルで法秩序の連続性の破壊が起こった場合を、法学的にはクーデターという。

 「政府が国民なり外国に対して約束したことを破るためには、より上位の規範に則(のっと)った、ふさわしい手続きによるのでなければなりません。国民投票や、それに相当する手続きが必要だったはずです。それを普通の閣議決定で決めてしまいました。法学的には『法の破壊』がなされたといいます。クーデターとは『法の破壊』の一種なのです」

 自分が契約したのだから、自分が勝手に契約を破っていい−。そんな無法が契約社会で通用するはずがない。「合意は拘束する」というルールが破られたのだ。

 何かが壊れたと感じた、あの出来事は「7・1クーデター」と呼んでいいのではないだろうか。 (桐山桂一)

 

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