インタビュー ここから「加山雄三」 2015.07.20


・「江ノ島、三崎、大島越えて」・「新島、式根、三宅島まで」・「Sailon!光進丸よ」加山雄三さん78歳。
・「Sailon!光進丸よ」・「俺の夢のせて海へ羽ばたけ」歌手俳優として第一線で活躍を続けています。
去年から今年にかけて行われている全国ツアーはどの会場も満席です。
加山雄三さんの船光進丸。
自身で設計を手がけました。
加山さんは若い頃から海で過ごす時間を大切にしてきました。
加山さんにとって海と船は人生を支えるものだといいます。
そうだね33歳まで茅ヶ崎にいた訳だからまあ32年間いた訳でしょ。
もう我々が子どもの頃って何もない時代だしさ海さえ行ってりゃ…夏になったら人がいっぱい来る。
それがやっぱりうれしくって海で遊んでるうちにやっぱり海ってのはいいなってなっちゃったな。
ほかに何も知恵も浮かばない。
船造る事そればっかり考えてたから結局…来るのもみんなやる連中が多いじゃないですか。
苦しい時海と船が自分を支えてくれたという加山さん。
海と共に歩んできた加山さんの人生そして未来への夢を聞きます。
全国ツアーの合間休暇を船で過ごす加山さんを訪ねました。
あいらっしゃいました。
今日はどうぞよろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
いいお天気になって。
はるばるようこそおいで下さいましてありがとうございます。
本当にいいお天気でよかった。
この船自体は加山さんの…?ええ。
今となっては随分古めかしいけれども使い勝手はものすごくいいんですね。
この表札というかプレート「KOHSHINMARU」も?もう古い船だけども進水の時に友達がね自分でね寸法ここ測ってね自分でチークの木を買ってきて彫って色を塗ってねちゃんとかけてくれてこれつけてもらったんだけど。
それ以来ずっとそのまんまなんだけど33年たってますけど。
しゃれてますよね。
しゃれてるんですよね。
加山さんは光進丸に友人を招いて過ごす時間を大切にしています。
わっ。
まあこんな感じで。
本当に住宅みたいな所でありますよね。
何となくね。
まあここはバーのカウンターでございましてねここで飯も食えるけどまあここでみんな一杯飲むと。
でここはもうゲームするために。
招いた人たちと一緒に楽しむゲーム機やカラオケ。
加山さんも大好きです。
これは…。
カラオケにもなるのね。
何歌うんですか?演歌あとは。
演歌?一番多いのはクール・ファイブかね。
本当ですか?へえ〜。
・「あなたひとりに」・「ワワワワワ」そういう事ですよ。
そしてキッチン。
台所には興味あるでしょ?すっごく興味あります。
多分初めて会った頃よりは料理もするようになってますし。
そうですか。
それは何よりですね。
ここを開けると上からも物が取れるようになってるね。
興味津々ですよ。
こんなのはね非常事態の時に。
でもそうですよね。
何があるか船って分かんないから缶詰だとか。
こういう設計も加山さんが?そう全部こういう事やった方がいい。
こっちが和食系だね。
これはお客さんが多い事がよく分かります。
ここが洋食系の。
洋食中華でも何でも。
来客に振る舞う料理は加山さん自身が腕を振るいます。
やっぱりミュージシャンでいらっしゃるので必須のウクレレ「お嫁においで」は必ず使う若大将も弾いていたエレキ。
来るのがねみんなね同級生だったらさみんな何か必ずやりたがるしね。
あいい音。
ねえ。
いい音ですね。
本気で弾けばね…。
いやこの明るい日ざしにぴったりな雰囲気で。
やっぱりねカメラ回ってると緊張する。
今ずっと船の中を案内して頂いてもう本当に好きなものがギュッと詰まってる空間なんだなって事が分かりました。
船ってただ動けばいいとかね効率がいいとかそれだけじゃなくて生活ってものを考えたもんでちょっとボテッとしちゃいましたけど住み心地はいいですよやっぱり。
工夫がいっぱいありますよね。
そうなんですね。
だから来たお客さんがね落ち着くっていうの。
つまり落ち着くという事は人間が安心できるという大きな意味で居心地がいいっていうのは一番大事な事なんだね。
家の中でも居心地がいいというのとこの人と一緒だったら居心地がいいとかそれって大切な事だと思うんでやっぱり来てもらったお客さんたちがみんな「あ〜居心地がいいですね」って言わなくても思ってもらえればそれが一番いいと思うね。
それはすごく意識して設計されたんですか?そうです。
まあある意味で居住性はすごくいい機能的であるって事とかねそんな事考えるとまあ35年前にしてはよく考えたなと思いますね。
海の近くで育った加山さんにとって船はごく身近なものでした。
僕は子どもの頃から漁船に乗っかったりしてたのもあるし自分で造った船もあるしもう14歳の時には自分の船でもって沖に出てこんなになってるのも平気で。
どんな船だったんですか?それはね今ミュージアムに残ってるけど長さ3メーターちょっとかな。
こんな葉っぱみたいな格好してる…。
乗るとこが四角く切ってあってこうやってこぐカヌーですよね。
それが最初の船でね。
加山さんの仕事や趣味の世界を知る事ができるミュージアムです。
そこには10代の頃に加山さんが作った船も展示されています。
全て手作り。
海の中をのぞける窓に加山さんのこだわりが感じられます。
加山さんは湘南の海辺神奈川県茅ヶ崎市で育ちました。
実は俳優になったのは自分の船を持ちたかったからです。
お仕事をするのは船のためだったというスタートでしたよね。
非常に不純な動機で芸能界入ったってのはいまだにいろんな人に「そんな事でもってやってるんじゃ駄目だよ」っていろんな事言われましたけどでもまあおかげさまでこの仕事でちょっと食えるようになった時にだから早かったですよ。
最初の船27歳ぐらいで40フィート以上の船手に入れたんですからね。
でもその次の船は手放さなくてはいけないようなそういう節目もあったんですよね?手放さなきゃならなくなったのはそれはもう非常に会社倒産して負債を抱えた時は債権者にそれをほとんど持ってかれる…。
順調にスター街道を歩んでいた加山さん。
30代で大きな試練が訪れます。
関わっていた会社が倒産。
ばく大な借金を抱えました。
人生で初めての大きな挫折。
暮らしを守るための必死の努力を続ける中で船と海が加山さんを支えたといいます。
まあショッキングですよね。
そりゃ今考えたら何百億ですからね。
今の金に換算したら多分200億ぐらいだと思いますよ。
その当時のね借金というのはね。
働こうと思っても仕事がなかったんですよ。
会社へ行ってねお世話になったプロデューサーにね「仕事下さいよ」って言ったら「お前みたいなギャラの高いの要らないよ。
今いくらだっていいの出てきていくらでも使えるんだから」。
もう蹴られましたよね。
その時はものすごくやっぱり寂しかった。
それからずっとそれまでちやほやされていた人たちがみんな去ってっちゃうんだね。
いなくなっちゃうんですよ。
「こいつについてたって何の得もない」って。
その時に初めて「ああなるほどな。
落ちぶれるという事はこういう事なんだな。
人が去っていく事なんだ」。
そういう時船ってどんな存在になるんですか?一番ね船を愛してて海を愛しててよかったなと。
つまり船に行くとねそこに集まってた仲間がねほかの人たちがみんな去ってったにもかかわらず海の仲間は一人も去らないんですよ。
だからそこでワ〜ッて言うとみんな集まってくる。
で僕の立場や何かをね「そんなのね船長ねこの海のデカイのから考えたらそんなもんどうって事ないですよ」って。
「お前はね客観的に第三者だから軽くそんな事言ってるけどさ実際には…」。
「そう思わなきゃいいんだから。
食い物無くなったって潜りゃ捕ってこれるじゃないですか。
ロープにワカメついてるからワカメ採れればみそ汁作れるじゃないですか」とかね。
無責任だけども面白い連中がいっぱい集まってたんですよ。
それに助けられましたね僕は。
本当にだから海というものは自然の恐ろしさというものがあるからそういう事を知ってる人間というのは世の中で起きてる事と比べると世の中で起きたものは全部人間が作ってる事なんだと。
自然界の自然の恐ろしさっていうのはそれはもう自然が作ってる事であって人間が作った事と自然が作った事っていうのは人間のは直せる訳だ。
自然のやつは直せない。
直せないものと闘わなきゃならない人間の強さというのは一体どこから生まれる?知恵だろう。
そういうの考えてまあ安い酒を持ってきてはみんなで飲むんじゃないですか。
もうそうするとどうでもよくなっちゃってね。
そういうどうでもよくなる気持ちを少しは味わわせてもらえる場だったのが海であり船であったと。
だから自分としては生涯この船をね自分の人生の片方だと。
半分は俺は海の半分は俺丘でもちろんやるべき事はやる。
それぐらい非常に重要な存在であった事は間違いないですね。
活躍の場を映画からテレビドラマへと求めた加山さん。
音楽活動も積極的に行い借金を10年で完済しました。
加山さんにとって船はますます掛けがえのない存在になります。
当たり前ですけど本格的ですよね。
備えとかなきゃこれ安全航海できないですからね。
鳴らしてね。
これ小さいみっともない。
(汽笛)かっこいいじゃないですか。
いや。
これは小さい船って事なんだよ。
大きいのはボ〜!この大きさの低いので大きさが分かるようになってんですよねトン数が。
このぐらいの大きさの船ですよって…。
これは小さいんですよっていうね。
へえ〜。
これ航海日誌。
あっこれはねそう。
だから昨日はえ〜っと…。
下田に1泊してる訳。
で下田を11時出港予定。
でちょっと遅れて11時15分出港。
「すこぶる順調」って書いてあるでしょ。
で16時にここへちょうど着いた訳。
夕方の4時。
昨日ね。
…っていうような事を全部こうやって書いとかなきゃいけない訳だ。
加山さんが書いてらっしゃる…。
もちろん。
一応船長だからね。
うわ〜。
ふだんいるのが…。
ふだんいるのはここですね。
西伊豆の安良里港…。
ここにいるここにいる。
そうですよね。
ここからず〜っとこう回ってこの間通ってここへ入ってここが下田でしょ。
またそこから出てこうやって…。
う〜ん。
あとは国際信号旗ってこんなのあって…。
いっぱい旗があるなと思ったんですけど。
これをね必要に応じて掲げなくちゃいけないのね。
これが「UW」っていうのは「ご安航を祈る」。
安全な航海を祈りますよって。
それは相手の船に対して見せる。
これ旗ってどのぐらいの大きさのものなんですか?結構でかいよこれ。
「U」はこれですからね。
あ〜本当だ。
これ。
これをちょうどマストにこうやってずっとつなげて…。
これほらこういう…。
はい。
はためくとこういう感じで…。
そう。
これだとほとんどどっからでも見える。
そうですね。
この大きな船になるといわゆる太平洋にどんと行けますよね。
海しか見えない時ってどんな事考えるんですか?不思議な事考えるんだねやっぱね宇宙ってものの不思議さっていうかね。
まあ夜間航海でね月が出てない雲一つない風一つないそういう状況の中でお星様ってのはどのぐらいあるかってのは想像を絶するほどの星の数だね。
ものすごい数ですよ。
だから真上と全く同じ光量で水平線まで星がびっしり。
水面がほとんど真っ平らになっちゃってると上のお星様が映るんだよ。
え〜!水面がしわしわになってないから風がないから真っ平らにね油流したみたいになる訳。
そうすると星が映るんだよね。
あんなの見たの俺生まれて初めてでさ。
黙って大の字になって上見てたらねみんな不思議な気持ちになって…。
最初のうちはあの星座なんだっけとかいろんな事言ってた。
全員黙り始めたと思ったらねみんな涙流して…。
感動して。
あまりの自然の偉大さにね。
これはもう本当に俺一度あれを体験するともう一回見てみたいなと必ず思うね。
「なあこの宇宙の星この一つの星の上に俺たちはいてさ」みたいな話になって。
「ああ本当に小さなとこに我々はいるんだよな」って言いながらも「これは貴重な存在なんだろう。
きっと生きてるって事は大変な意味がある事なんだよ。
そういう生きるという事をちゃんと大自然の中から学ばなきゃいけないんだな」ってな話をさもう…全然嫌らしくなくしゃべれるようになっちゃうんだよな。
だってそういう環境にいたらみんなその気持ちになると思いますよ。

(拍手)「幸せだなァ…」「僕は君といる時が一番幸せなんだ」「僕は死ぬまで君を離さないぞ」「いいだろ…」「君といつまでも」をず〜っと20代から70代まで変わらず歌えるってすごい事だと思いますよ。
違和感なく。
違和感があるかないかはそれは皆さんのねそれぞれの感覚が違うと思いますけどね。
ある時期はねもうね「幸せだなァ」って言うのが恥ずかしくてさ。
また「幸せだなァ」って…。
お前一人幸せになってりゃいいだろうって言ってんじゃないかなとか思う…。
そういう時もあったんですか。
ありますよそりゃ。
だけど今は自然に自分が本当に幸せだなあって思える瞬間ってのはいっぱい出来てきてるって事ね。
その瞬間瞬間で。
だから言ってもいいやっていう気持ちになって本当に皆さん例えば僕の歌を聴いて幸せに感じてくれてますよねって思いながらやってるとみんながそう思ってくれるから納得してくれるんだと思うんだよね。
そうなるまでにやっぱり時間はかかったんだよなやっぱ。
僕の幸せっていうのはね人が幸せになった時に幸せを感じるって事に気が付いたの。
だから誰でもそうですけど例えばここで会ってみんなそれぞれの立場でそれぞれのお仕事一生懸命やってるけれどもその中で絶対みんな聞いてると思うのね。
その中に響く言葉がいっぱいあると思うんですよ。
それを言うときっと心の中でこれはためになったなって思ってくれたりそれから歌を歌っていいなあと思ってくれたりそれ人が本当に幸せに思う事が僕の幸せなのね。
意欲あふれる78歳の加山さん。
今更に新たな夢を追いかけています。
それは誰も造った事のない船を造る事です。
今今度また新しい船を設計してるんですよ。
みたいですね。
うん。
燃料が要らない船。
じゃあ帆船かと。
まあ帆船ではあるんですけど風力発電とソーラーパネルによる太陽光発電とそれからもう一つその電気でもってどんどん水素を…。
まあ海水を真水に変える機械があってそれから真水に変えたとこから電気分解でもって水素を取るの。
それをどんどんタンクの中ためていく訳。
それがいっぱいいっぱい入ってるとこれと酸素と結合すると燃料電池になる訳。
燃料作っちゃう訳ですね。
そう。
だからつまりこれから新しい自動車は水素自動車。
あれと同じ考え方の燃料電池とソーラーパネルによるエネルギーと風力発電によるエネルギー。
それをバッテリーというのの容量をちょっとでかいのをかなり積むんだけどもまあその風もない光もない真っ暗闇の時はどうするか。
それは電池に蓄電してるやつでどのぐらいの距離どのぐらいのスピードで走れるか。
それも全部計算で出すんですけど今年中に図面はもちろん出来上がります。
でやっぱり水槽実験風洞実験やんないと駄目ですけどね。
でそれから本物を造りだしてでまあ本気で80歳越えたら…80歳目標だな。
その辺でもって世界の7つの海を行こうと。
世界一周だけじゃなくてね。
7つの海ってのがあるんですけどそれを全部の海を回ってくるという計画を立ててるんですけどね。
だだやっぱりいろんな人たちが非常に興味を持って下さるんですよ。
新しい技術新しいシステム新しい…あの〜何て言うのかな航法ってね全て全部新しい。
世界で最先端の技術というものをね全部持ってなきゃ駄目だと。
まあ80過ぎたら7つの海と。
その先はどんな感じ…。
そういう夢を持つ事はとても大事だと思うのね。
それは一つの希望になるしその希望を持つという事でやる気を持つという事ね。
それは一つの大切な事だけど何よりも大切なのは今という時間をね精いっぱい生きる事。
今日今一生懸命になったら絶対明日も同じように一生懸命になるんだ。
それが癖になれば一番いいと思うんですよ。
僕はね過去と未来と現在ってこの一点にあるっていうふうに思ってる人なのね。
未来もここにあるんですよ。
あなたの未来もここにある。
あなたの過去もここにある。
で現在はここにある。
そう思ってるとね不思議とね毎日が大切で毎日が新しいスタートって感じがするのよ。
今日も新しい日なんだよ。
いや昨日の続きだべよ。
ところが違うんだね。
何か今日は頭が痛えなとかね。
何で痛えんだか分からない。
…っていうのはあるじゃない?昨日と違うじゃないですか。
毎日が違う新しい毎日だ。
そこはぶれないとこなんですかね加山さんの。
そうかもしれないね。
ありがとうございます。
ありがとうございました本当に。
よく来て下さいました。
本当にありがとうございました。
2015/07/20(月) 06:30〜06:53
NHK総合1・神戸
インタビュー ここから「加山雄三」[字]

歌手、俳優として第一線で活躍を続ける加山雄三さん(78)。自身で設計した船の船長でもある。その船にお邪魔し、船とともに歩んできた人生、未来の夢を聞く。

詳細情報
番組内容
加山雄三さん、78歳。現在行っている全国ツアーは、どの会場も満席。歌手、俳優として第一線で活躍を続けている。加山さんは、自身で設計した船「光進丸」の船長でもある。海の近くで育った加山さんにとって、船はごく身近なものだった。30代の時、関わっていた会社が倒産、大きな挫折を味わうが、船の存在が大きな支えとなったという。光進丸の船内にお邪魔し、船とともに歩んできた加山さんの人生、そして未来の夢を聞く。
出演者
【出演】加山雄三,【きき手】黒崎めぐみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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