目撃!日本列島「知られざる“本土決戦”〜米軍ガンカメラが記録した真実〜」 2015.07.20


込みです。
そのほかの所も、天気は変わりやすく、山沿いなどでにわか雨や雷雨があるでしょう。
昭和20年7月宮崎県新富町の上空。
無数に光る点はアメリカ軍の戦闘機による機銃掃射です。
民家の屋根すれすれの高さから攻撃が繰り返されています。
この映像は機銃を撃つと自動的に録画が始まるガンカメラで撮影されたものです。
アメリカから映像を入手し分析を進めているのは大分県の市民団体。
これまで国内に残された資料と照らし合わせ…このうちおよそ3割が宮崎県と鹿児島県に集中しています。
犠牲になったのは無防備な市民でした。
なぜ九州南部が狙われたのか。
背景にあったのはアメリカ軍の九州上陸作戦でした。
日本軍も九州に部隊を集結。
本土決戦への備えを進めていました。
70年前の夏。
本土決戦が行われたかもしれない九州で何があったのか。
新たに発見された映像から迫ります。
宮崎県都城。
昭和20年8月アメリカ軍の戦闘機およそ100機が市の中心部を4時間にわたって攻撃しました。
黒い煙が上がっているのは日本軍の戦闘機を造っていた工場。
都城は軍需工場や基地が集まる軍事拠点でした。
この空襲で被害を受けた…当時13歳。
アメリカ軍の機銃掃射を浴びて5歳の弟を失いました。
パイロットの顔が見えた瞬間弟が撃たれました。
弟は即死。
坂口さんも右の腕を失いました。
昭和20年の夏九州南部を襲ったアメリカ軍の空襲。
どんな被害があったのか今回宮崎県と鹿児島県の46の自治体にアンケートを行いました。
来襲した戦闘機の数。
攻撃された日時や場所。
そして犠牲になった人の数。
7月以降の空襲を日付を追って集計しました。
棒の長さは空襲の数。
沿岸部を中心に攻撃されている事が分かります。
終戦までの1か月半で158回。
少なくとも923人が命を落としていました。
九州南部で短期間に行われた集中攻撃。
背景には戦争終結を急ぐアメリカ軍の戦略がありました。
昭和20年6月3か月近くに及んだ沖縄戦を制したアメリカ軍。
次に計画していたのは本土への上陸でした。
日本を降伏させる作戦を記したアメリカ軍の極秘文書です。
沖縄制圧後九州へ侵攻する事が指示されています。
作戦では宮崎県の海岸鹿児島県の志布志湾と吹上浜3か所から同時に上陸し九州南部を攻略。
そこを拠点に更に関東を空爆するねらいでした。
上陸の決行は昭和20年11月1日。
終戦の3か月先でした。
ガンカメラの映像からは本土上陸を優位に進めるためのアメリカ軍の戦略が見えてきます。
都城の山之口駅。
画面中央に黒く映っているのは列車です。
104秒間の映像には駅と列車を繰り返し攻撃する様子が映されています。
アメリカ軍は鉄道や港など交通のインフラを集中的に攻撃していました。
九州を南北に貫く日豊線。
戦時中兵士や物資を運ぶ大動脈でした。
当時小学4年生だった…駅の近くにある鉄橋が何度も攻撃されるのを見ていました。
ガンカメラの映像に前村さんが空襲を目撃した鉄橋が映っていました。
執ようにインフラを破壊するアメリカ軍。
日本軍の補給路を断ち弱体化させた上で上陸しようとしていました。
一方日本軍もアメリカの上陸に備えた作戦を立てていました。
陸軍が作成した本土決戦の計画書です。
アメリカ軍を九州南部の海岸で食い止め上陸を阻止する水際作戦が指示されていました。
九州南部の防衛力を強化するため北海道や広島更に満州からも部隊を送り込みました。
集められた兵力は数十万人に上ると見られています。
ああどうも。
(取材者)お世話になります。
本日はよろしくお願いします。
終戦間際兵庫県で召集され宮崎の沿岸を守る部隊に送られました。
バタバタッという感じじゃなしに…宮崎や鹿児島の海岸線には本土決戦に備えて日本軍が造った陣地の跡が残されています。
地下深くには上空から確認できない軍事施設も造られていました。
アメリカ軍は守りを固める日本軍の動きも察知していました。
鹿児島県枕崎市の漁村です。
入り江を繰り返し攻撃する様子が映っています。
この空襲を目撃した…当時小学6年生でした。
ここは軍事施設もない穏やかな漁村だったと言います。
なぜ軍事施設もない漁村が攻撃されたのか。
現代史が専門の山田朗教授は上陸作戦に先立つアメリカ軍の意図的な攻撃だったと指摘しています。
特攻艇の基地があった宮崎県の内海港の映像です。
船から対空砲火で反撃する様子が映し出されています。
隠された軍事施設をあぶり出すために何の変哲もない農村や漁村が標的になりました。
更に日本軍が一般市民を戦闘に巻き込もうとしていた事も分かってきました。
陸軍参謀藤原岩市中佐は回想録で次のように述べています。
日本軍は一般市民を疎開させる輸送手段も食料もなかったためそのまま戦場に留め置く決断をしました。
当時中学2年生だった…竹やりでアメリカ兵を迎え撃つ訓練を受けていました。
(取材者)こんにちは。
鉄橋への空襲を目撃していた…どうぞどうぞ。
小学校の授業で集団自決のしかたを教えられていました。
山田教授は市民を巻き込む日本軍の戦術がアメリカ軍の無差別な攻撃を招いたのではないかと分析しています。
戦後70年。
なぜ市民が攻撃されたのか今も問い続けている人がいます。
当時中学1年生だった…学校を襲ってきたアメリカ軍の戦闘機が15人の生徒の命を奪いました。
今吉さんは戦後自分たちを撃ったパイロットを捜し続けてきました。
パイロットの名前と居場所を特定して今年面会を申し込みましたが断られました。
その後パイロットの知人を通じて一通のメールが届きました。
2015/07/20(月) 10:30〜10:55
NHK総合1・神戸
目撃!日本列島「知られざる“本土決戦”〜米軍ガンカメラが記録した真実〜」[字]

太平洋戦争末期、九州上陸を狙う米軍は、作戦を前に宮崎や鹿児島を無差別に空襲。一方大本営は市民を巻き込み徹底抗戦する計画だった。本土決戦前夜の知られざる実態とは。

詳細情報
番組内容
戦後70年目のことし、米軍の九州への空襲を記録した貴重な映像が公開された。太平洋戦争末期、日本を降伏に追い込むため九州南部への上陸を計画していた米軍。作戦を前に、宮崎や鹿児島に無差別な機銃掃射を浴びせ多くの市民が犠牲となった。一方、米軍の上陸を察知していた日本軍。大本営が策定した抗戦計画は、住民の犠牲を前提としたものだった。昭和20年夏、壊滅の淵に立たされていた九州南部。その知られざる実態を描く。
出演者
【語り】萩原聖人

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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