彼らに見つめられると心の中に言葉にならない感情が生まれる。
まっすぐに見つめ返すと傷つけてしまうのではないか。
かといって急に目をそらすのも失礼だ。
視線をどこに向けたらよいのか分からない戸惑いと葛藤。
病気やケガによって普通とは異なる顔を持った人たちがいる。
でも普通って何だろう?普通の顔と普通でない顔の違いはどこにあるのだろう?そして彼らの視線は私たちに何を問いかけているのだろう。
今年の春あるNPOが解散すると聞いて愛知県豊橋市を訪ねた。
お邪魔します。
今日よろしくお願いします。
NPO「ユニークフェイス」の代表を務める石井政之さん。
「ユニークフェイス」はアザや傷など顔に見た目の障害がある人々の自助組織だ。
(取材者)解散届みたいな感じになるんですか?
(石井)これを法務局に出して…。
石井さんの手元にはまだ白紙の解散申請書が用意されていた。
これに記入して届ければ16年間続いた「ユニークフェイス」の活動に幕が下りる。
「ユニークフェイス」は1999年に石井さんが発起人となって創設。
顔に見た目の障害がある人々のための初めての組織だった。
会が出来ると瞬く間に300人を超える会員が全国から集まった。
「ユニークフェイス」が掲げる目的は2つ。
一つは会員同士が互いに悩みを共有する事でそれぞれが抱える生きづらさを和らげる事。
もう一つは積極的にテレビや新聞などを通じて自分たちに向けられる偏見や差別の苦しみを社会に対して訴える事。
我々の場合は外見が一般と非常に異なっているという事でコミュニケーション上の障害が必ずと言っていいほど生じてる訳ですね。
こうした「ユニークフェイス」の活動は石井さんの強い思いに支えられていた。
フリーのライターだった石井さんは顔にアザや傷のある人々を長年取材し数多くの本を執筆してきた。
(取材者)これ単純に僕の個人的な受け取りなんですけど何か石井さんのこの目が鋭いというか。
何かこう見つめ返されてる感じがしたんですね。
強く言うとにらみ返してるみたいにも見えたんですけど。
それはですね要するに僕はいつも一人っきりだったんですよ。
この顔で生きているという事において…。
周りにいませんから。
生まれつき…いわゆる赤アザがある石井さんは子どもの頃からいじめと戦ってきた。
同じ境遇の人と出会う事もなくいつも孤独だった。
いつしか顔にアザがある人々を取材し一冊の本にまとめたいと思うようになっていた。
13年もの間自費で取材を続け自身の体験も織り交ぜて「顔面漂流記」を執筆。
出版と同時に「ユニークフェイス」を立ち上げた。
彼らは訴えた。
「自分たちを特別な目で見ないでほしい。
アザや傷は一つの個性にすぎない」と。
しかし2006年を過ぎる頃から次第に活動は停滞していく。
解散に至った要因は一体何だったのか。
顔にアザとか傷がある人たちを応援する組織ではあるんですけども同時に僕はその彼ら彼女たちが人を支えるぐらいの人間になってほしいと思っていたんですけどもそこまでいかないですね。
自分の気持ちがもう行き詰まっていて助けてほしいとサポートを求める人ばかりで余裕を持って人にサポートを与えるところまでいく人が集まってこなかったと。
私の力不足は間違いないと思いますね。
…でそれが一番だと思いますし。
一つは僕が急ぎ過ぎたんですよね。
(取材者)急ぎ過ぎた?急ぎ過ぎた。
メンタルのダメージを受けてる人がすぐに自分の足で立ち上がって自分の考えを発言するというのはやっぱり時間かかるんですよね。
確かに顔にアザや傷のある人が顔と名前を出して社会に訴える事は簡単ではないだろう。
それでもそうした壁を乗り越えた会員が何人かはいた。
私たちはかつてメディアに登場した経験を持つ会員を訪ねる事にした。
彼らにとって「ユニークフェイス」とはどんな意味を持っていたのだろうか。
どうもどうも。
こんにちは。
赤荻さんは「ユニークフェイス」の一員としてテレビの取材を数多く受けてきた。
赤荻さんの病気は…顔や全身の神経に腫瘍が出来る難病だ。
子どもの頃から周囲からの視線の暴力に傷ついてきたという。
(取材者)上地さんの何かポスターとかありますね。
上地さんお好きなんですね。
(赤荻)そうです。
フフフ。
やっぱり道を歩いてると罵倒も浴びせますし凝視もされましたし指さされもしましたし…とかあったんで。
(取材者)罵倒とかあるんですか?結構…ありましたね。
(取材者)それは見ず知らずの人?見ず知らずです。
そうですね。
(取材者)どんな事を言われる?ああそれは…。
改札口だったんですけど擦れ違いざまに「てめえみたいな顔のやつがいるからこの世の中悪くなんだよ」って言われたんですね。
一瞬「えっ誰の事?」と思ったんですけどでも私しかいないと思って…。
どんな人か分からないから。
擦れ違いざまに行っちゃったんで。
(取材者)「ユニークフェイス」に入る前と入ったあとで一番大きく赤荻さんの中で変わったなっていうの何ですか?昔は本当引っ込み思案で人見知りで初対面の人絶対話せなかったんですけどそれが入って訓練させられたというか。
人見知りもなくなって社交的になったし明るくなれたし。
月1回定例会があるんですけどそこで一応自己紹介をして自分の考えを発言すると。
4回目ぐらいから「あれ?ドキドキ感がなくなってる」って思って。
これは少し変わったのかなとか思って。
会員にとって最も大切だったのがこの定例会。
一人一人が自分の体験や悩みを話しほかの人の発言にも耳を傾ける。
生きづらさを克服する第一歩となっていた。
「レックリングハウゼンです」って言っても絶対分かってくれないし。
言っても分かってもらえないんだったら細かい説明しても自分のストレスたまっちゃうので言わなくなってるという事ですね。
「ユニークフェイス」に参加して自分でも驚くほど積極的になれたという赤荻さん。
今上地雄輔さんのファン同士の交流が生きがいになっている。
(取材者)すごいたくさんあって。
いやいやこれ少ない方です。
(取材者)そうですか。
もっとある人もっとあるんで。
(取材者)コンサートとかは行かれたりするんですか?行きますね。
行ってますね。
去年は11回行ったんですけど今年はちょっとまだ5回。
やっと5回あとチケット取れなくて。
ブログから友達友達で。
友達でまたその友達と知り合ってメール交換とかプレゼント交換とかやってますね。
(取材者)一緒にコンサート行かれたりとかするんですか?行ってますね。
一緒にチケット取るんですけどお互い「取れなかった!」とか。
赤荻さん私たちの視線はあなたを傷つけていませんか?あなたを優しい目で見る事ができているでしょうか?「ユニークフェイス」で最も若い会員の矢吹さんはメラニン色素を作れない先天性の疾患がある。
これまで周りの人から奇異な目で見られる事も少なくなかった。
「ユニークフェイス」に出会う以前というのは僕はだから何かこう日々ムカツク事が例えばありますよね。
何かムカツク事があってもこれはしかたがないとか我慢するとかそれで済んでたんですけど「ユニークフェイス」に出会った事でこれは文句を言っていいんだとか。
僕が我慢するんじゃなくて社会が変わるんだ…変わった方がいいんだっていうか。
そういう考え方の違い考え方が変わったというところですかね一番大きかったのは。
まあ世の中に文句をつけていいんだっていう事ですよ。
実際に文句をつけてる人たちの集団でしたから。
まあみんながみんながそうではないですけど。
特に石井さんとか代表的なよくメディアに出ていく人たちというのはそうでしたよね。
(取材者)「ユニークフェイス」が解散するという事を矢吹さんお聞きになってその率直な実感というか何かお思いになった事ってありますか?ある種自然な流れっていう言い方もできるかなと僕は思うんですけどね。
一番初めに問題提起をする人たちというのは何と言うか…。
だから僕はそこが好きなんで…「ユニークフェイス」のそこが好きなところではあったんですけど。
初期の本当に始まったばかりの「ユニークフェイス」って何て言うか戦う集団みたいな感じな訳ですよね。
なんだけどずっと戦っていられねえので。
(取材者)それだけでずっと…。
ずっとはなかなか難しいんだろうなというふうには思いますね。
多分疲れちゃいますしね。
社会に声を上げて問題提起する事は必要だ。
そこからしか何も始まらない。
でも社会がすぐに変わらないのも現実だ。
もしかしたら「ユニークフェイス」は時代の中で一つの役割を終えたのかもしれない。
もう一人顔と名前を出してメディアの取材を積極的に受けていた女性がいた。
こんにちは。
よろしく。
(取材者)ちょっと無理言いまして。
名古屋市に住む…生まれつき顔と体に赤アザがある。
(取材者)「ユニークフェイス」というのはどういう意味合いがあるもんだったでしょうか?私にとっては広がる世界。
自分たちの本を作りましょう。
テレビに出ましょう。
映画を作りましょうっていう形でどんどんどんどん新しい事に参加していくようになりました。
だから会の中でも私の世界はどんどん広がって。
今から12年前の番組に奥中さんの姿があった。
顔と名前が出せる数少ない女性会員だった。
当時奥中さんは「ユニークフェイス」の影響でNPOアドバイザーを始めていた。
初めて人と対面する仕事に生き生きと取り組む奥中さん。
とても楽しいです。
講座が来ると何かすぐにやりたがるの私ですね。
楽しさを知ってしまったというところがあります。
当時テレビ出演にあたっては「ユニークフェイス」の仲間が常に守ってくれているという安心感があったという。
しかしその後奥中さんは事情があって会を離れる事になった。
今回の取材は個人として引き受ける初めてのテレビ出演となる。
私の背中には「ユニークフェイス」っていうものが会はやめていてもずっと残っていて一人じゃないんだっていう部分はあったと思いますけれども本当にこれで一人になったんだなという気はしますね。
集団の力でやっていく事って確かにメディアに出るとか。
メディア戦略に強い代表がいたからこれはできた。
いいグループだったと思うんですけれどもいろいろと啓発活動を打ってこれたのでそれはとても大きな事だったと思います。
個人ではとてもできる事ではない。
(取材者)奥中さんにとってそういうメディアとか特にテレビの取材を受けるというのはどういう経験だったんでしょう?あの…とんちんかんな答えしかできないと思うんですけど「私何でこう出たがりなんだろう?」って思ったのですね。
…でず〜っとず〜っとそれを今回の取材の話が来た時から考えていて今日もずっと考えていて。
実はですねここに本があって…。
奥中さんが取り出した1冊の本。
そこには顔にアザや傷のある人がテレビの中でどのような人間として描かれているのかを調べた記述があった。
(奥中)「人々は異形の者は異形の者らしく『邪悪』な性格で『悲惨』な生活を送っており『ひきこもりがち』であるということを期待していることになる」っていうこのフレーズがとても私にとっては大きいなと思っていていやいや…と思う訳です。
違うでしょって思う訳なんです。
もうない団体を宣伝するために出てもいいのだろうかとかいろいろ思ってはいましたね。
思ってはいたんですけどやはり自分で出よう出たいと思ったのは私はまだ戦う事ができる…。
すいません。
これで泣いちゃうんですよね。
(取材者)まだ戦えるというのはそれは世間に対してですか?そうかもしれないですし自分の思い込みかもしれないですし。
世間の人はそう思ってなくても自分の中でやっぱり違うと思ってるのかもしれない。
誰に対して戦ってるのかちょっとまだ分かってないんですけれども。
それにしても会がなくなってしまってもやっぱりまだ…。
ごめんなさい。
泣きたくないんですけど。
ちょっとここはカットですね。
元気なところがいいんですけど。
はいあの…。
そうですね…やっぱりやらなきゃいけない。
奥中さんにとってテレビに出る事は戦いだった。
もし人前に出る事を恐れたら世間の偏見にも弱い自分にも負ける事になる。
でも奥中さん。
今回もあなたは負けていませんでした。
きぜんとしたまっすぐな姿勢でカメラの前に立っていました。
なぜアザのある顔は普通ではないのか。
普通の顔とは一体どんな顔なのか。
石井さんは著作の中でこの答えのない問いを繰り返し私たちに突きつける。
そして私たちがどれほど深く見た目の価値観に支配されているかを暴き出す。
見た目が重視される社会で顔にアザや傷のある人々が生きる事は決して楽ではない。
久保さんは長い間就職できない事に苦しんできた。
今年4月。
就労困難な人々を支援する制度を利用して働き始めた。
業務を通してスキルを磨きゆくゆくは一般就労を目指している。
こういう所でそのオフィスで働くっていうのは初めてと言ってもいいくらいでしょうか。
(取材者)そうですか。
はい。
毎日が緊張の連続ですね。
頼まれた仕事で聞く事とかそういうのがありますからね。
機械やら何か道具とかを利用するという時になりますと譲り合ったりしますしね。
大学を卒業して以来これまで50社近い面接を受けた。
どこも不採用だった。
その理由を知らされた事はなかった。
見た目が影響しているのではないかと落ち込む事も多かった。
久保さんは都内の実家で暮らしている。
地下鉄で40分かかる通勤も初めての経験だ。
顔に赤アザを持って生まれた久保さん。
20年前に父を亡くしてから母と2人で支え合って生きてきた。
(取材者)かわいいですね。
(千恵子)目がねパッチリ。
この時はまだ目のね緑内障の手術してなかったからとにかく目がパッチリしてたんですよこの人ね。
だからかわいかったの。
(取材者)かわいいですね。
のぞき込んで「あっ赤い顔」とかすごいあの…この人はもう顔を背けてしまいますけどそういうのって母親にしてみたらどうしたらいいんだろうって思ってましたけど。
耐えてるんですよね一人で。
(取材者)「ユニークフェイス」の活動を全体的にお母様はどういうふうにご覧になってました?まあ仲間作りだなっていうふうに見てましたね。
本人がそれで少しでも楽になるのならそれでいいや。
障害として認めてくれるとか何かならいいんだけどその当時なかったのよね?そういうのはね。
だからどうにもならない。
じゃどうにもならない所に出てもただただ傷のなめ合いは嫌だなって私は思ったんで。
本人が行って楽ならそこへ行けばっていう感じで。
より多くの人たちにこんな人間もいるんだっていう事を知ってもらう機会になるんじゃないかなとは思いました。
まあ生まれてからこの姿でもって特に障害でもない。
けれども伴う症状でハンディもあるんですけど。
なかなか認められないっていうつらさが長い間続いていたんですけれどもやはりそれは周囲の無知がある訳ですからその無知をなくすためにはまず自分たちから発して知ってもらうっていう事が第一だっていうふうに思いました。
「ユニークフェイス」から学んだ事。
それは周囲の無理解を嘆くより自分を知ってもらうために自ら声を上げる事。
久保さんにとってそれは今につながる大きな一歩だった。
かつて「ユニークフェイス」の最前線で戦い続けた代表の石井さん。
7年前に結婚したのを機にその生活は一変した。
現在妻と2人の子どもの4人暮らし。
安定した収入を得るためライターをやめて一般企業に就職。
「ユニークフェイス」の活動からもほとんど退いている。
(取材者)石井さんが今一番大事にしているものって何ですか?家族家族。
完全に今家族ですよ。
家族のために働いてますから。
特に子ども生まれてから変わりましたよね。
子どもはやっぱり大きいですよね。
子ども生まれたら当然人生観も変わるし子どものために頑張ろうかなってなりましたけどね。
(取材者)石井さんがお好きなものって何かあるんですか?まさにギョーザですね。
明日作ろうかなと思ってて材料は買ってたんですけど…そうそう。
(取材者)ギョーザお好きなんですね。
(容子)好きですね。
麺類全般好きですね。
まあ両親が反対しました。
大反対でした。
(取材者)あっ結婚をですか?はいはい。
大反対。
そう…やっぱつきあってた時はサラリーマンじゃなかったので生活の面ですごく苦労するんじゃないかと。
顔の事は言わなかったけど私が将来苦労するんじゃないかみたいな事はチラッと言いました。
(取材者)ああなるほど。
例えば親族とかにどうやって紹介するんだみたいな。
どうやってってそのままじゃんって私は思ったんですけど。
「どうやってってどうやって?何が?」みたいな。
はてながいっぱい飛ぶぐらい。
でも親はそういうふうに思うんだって思って。
子どもの世話をしたり一緒に遊んだり。
家庭で見せる石井さんの表情は社会を鋭くにらみ返していたかつてのものとは違っていた。
それは穏やかな夫としての顔であり優しい父としての顔だった。
(取材者)奥さんはつきあってる頃だからその変化っていうのはよく分かんない?いや分かってます分かってます。
(取材者)変わりましたか?すごく変わりました。
(取材者)それは結婚して?うんと…つきあってからですね。
最初第一印象がすごく悪くて。
もうとても忘れられないです。
(笑い声)とても第一印象が悪くて。
(取材者)どんなふうに悪かったんですか?人を寄せつけない雰囲気がすごかったので笑顔で挨拶しても返ってこないみたいな感じが「何だ?これは」みたいな。
(取材者)そうですか。
かつて「ユニークフェイス」の問題を社会に問い続けた石井さん。
家庭を持つ事でその戦いから撤退してしまったのだろうか?若い時みたいに独身の時みたいに最前線で戦うぞみたいなのはないですよ。
もしも今からタイムスリップして子どもの時にですねこういう風景の映像があれば非常によかったと思いますね。
見た事がないから。
そういう意味ではこういうふうに取材協力する事も誰かの…次の世代の人たちが見て感じるんじゃないんですかね。
(取材者)見た事がないというのは顔にアザがある方が家庭を持って幸せそうに普通に暮らしてる映像を見た事がないっていう?全くないですね。
石井さんは戦いをやめていなかった。
顔にアザがあっても幸せで温かい家庭を作る事ができる。
そう世の中に示す事が石井さんの新しい戦いだ。
同じ境遇で苦しんでいる若い世代を応援するために。
「ユニークフェイス」の人々は勇気を持って声を上げた。
自分たちを特別な目で見ないでほしいと。
それは彼らから私たちに歩み寄った大きな一歩だった。
私たちは彼らに歩み寄る事ができたのだろうか。
今でも顔にアザや傷があるために学校ではいじめがあり就職できない若者がいる。
「ユニークフェイス」の人々は今もそれぞれの戦いを続けている。
今ブレイクスルーすべきなのは私たちだ。
2015/07/20(月) 13:05〜13:35
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV ブレイクスルー File.35「ユニークフェイスの戦い」[字][再]
今年の夏、あるNPO法人が解散する。その名は「ユニークフェイス」。顔にアザなどの“見た目の障害”がある人たちの自助組織だ。メンバー達のブレイクスルーを見つめる。
詳細情報
番組内容
今年の夏、あるNPO法人が解散する。その名は「ユニークフェイス」。顔にアザなど“見た目の障害”がある人たちの自助組織だ。私たちが感じている以上に“見た目”重視の価値観に縛られている現代社会。メンバーたちは、活動を通して何をブレイクスルーし、逆に何をブレイクスルーできなかったのか?「ユニークフェイス」が解散する今、かつてのメンバーたちは、それぞれの人生をどのように歩んでいこうとしているのか?見つめる
出演者
【司会】風間俊介
ジャンル :
福祉 – 障害者
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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