「大河ドラマ花燃ゆ」の撮影の前に来て以来4か月ぶりにこの山口にやって参りました。
松坂慶子です。
「花燃ゆ」の舞台となっている山口県萩市。
ドラマそのままの風景と地元の皆さんの温かさに何度でも来たくなる町です
「大河ドラマ」を代表する女優松坂慶子さん。
父は乱舞などさせると背も高く顔も舞台に映えてりりしきお顔だと人は申します。
1973年「国盗り物語」で織田信長の妻濃姫を演じて以来主要キャストとして数々の「大河ドラマ」に出演。
「草燃える」では一人二役を演じ…。
「春の波涛」では主役として明治大正期に活躍した女優を熱演。
そして2008年の「篤姫」では主人公篤姫への熱い指導ぶりが強い印象を残しました。
きえ〜!そんな松坂さんにとって8作目の「大河ドラマ」が現在出演中の「花燃ゆ」です。
今回松坂さんが演じているのは幕末の長州藩主毛利敬親の妻都美姫です。
毛利家の姫として江戸で生まれ長州藩現在の山口県に嫁いだ都美姫。
このころ藩は幕府や欧米諸国と戦いを繰り広げていました。
激動の時代に都美姫は城の女性たちのリーダーとして銃後の守りを担ったと考えられています。
この先どのような事があろうと老女から御半下に至るまでただの一人も飢えさせず苦しませたりはせぬ!
(一同)御前様!しかしこの都美姫という女性毛利家の姫という事以外はほとんど謎のベールに包まれた存在。
肖像画もこの明治14年の著名な女性たちの歌を集めた本に描かれたものくらい。
また写真も晩年仏門に入ってから撮影されたものがあるだけでその人物像はあまり知られていないのです。
果たして都美姫とはどんな女性だったのでしょう?その生涯と秘められた思いに迫ります。
歴史の町山口県萩市。
この7月うれしいニュースが飛び込んできました。
明治日本の産業革命遺産が世界遺産に登録されたのです。
全国の8県23資産のうち萩市の資産がなんと5つも含まれています。
長州藩の本拠地萩では1604年から城の建築が始まりました。
並行して城下町も整備されていきましたがそれが今もそっくりそのまま残っているんです。
大通りからちょっと入ると両側に建ち並ぶのは武家屋敷跡。
まるで幕末のテーマパークのようです。
城下町の中でも本丸に近い三の丸と呼ばれた地域には藩の重臣たちの広大な武家屋敷が建ち並んでいました。
白い漆喰塗りの土塀が延々と続きます
この古地図のこの一つの区画にお屋敷が1つか2つ入ってるんですけどそれがどのくらい広かったかというとご覧下さい!学校がすっぽり入っちゃうんです。
広いですね〜!
これでお屋敷1軒から2軒分だったなんて本当に広かったんですね。
隣にはこちらも漆喰の土塀で囲まれた野球部の専用グラウンドも。
武家屋敷のスケールの大きさが実感できました。
4か月ぶりにやって来た私は以前気付かなかったあるものに注目しました
夏みかんが…。
まあ〜!立派な夏みかんがなってますね。
あっこんな小さい今年の夏みかんが。
5月ごろに花が咲いて町じゅうが甘〜い香りが流れるって伺ったんですけれどもそして今この実がついたんですね〜。
江戸時代中期黒潮に乗って南方から漂着した夏みかんを種から育てたのが山口県の夏みかん栽培のルーツといわれています。
去年と今年の実が代々なる事から萩ではダイダイともいわれています。
4歳の時に父は死去。
15歳で遠縁にあたる毛利敬親と結婚しますが当時は幕府の命令で正室は江戸の藩邸で暮らさなければなりませんでした。
それから14年。
幕府の制度が緩和され29歳になった姫はようやく萩で夫と生活する事になります。
しかし江戸生まれで江戸育ちの姫にとって慣れない萩は居心地が悪かったのかもしれません。
「花燃ゆ」の中でこんな事を言っています。
世話役の件ですが。
私ここに長居するつもりはないので間に合うております。
そんな都美姫の萩に対する印象を変えたかもしれない場所があります。
毛利家の菩提寺東光寺です
はあ〜…。
石灯籠が整然と左右対称に並んでいます。
その数500以上。
息をのむ美しさです
藩主の妻である都美姫はきっと墓参りにやって来た事でしょう。
墓所の正面には3代吉就から11代斉元まで奇数代の藩主とその夫人が葬られています。
およそ260年藩主として萩の町を守った毛利家の影響力の大きさがこの墓所から伝わってきます。
私ねこの整然と並ぶ灯籠に感動したんですけれども…。
(尾河)そうですね。
まあ昔…つまり江戸時代よりもっと前になりますとお殿様が亡くなると家来もあの世までついていくいわゆる殉死という要は自分の殿様についていくというのがあった訳ですけどそういう事はもう江戸時代になるとしてはいけないよという事でその自分がついていく代わりにみんな家臣が1つずつ自分の仕えた殿様の前に置いていったというのが始まりと聞いてますね。
思われてるんですね家臣の方たちに。
藩主の方は。
(尾河)そうですね。
ええ。
灯籠の一つ一つが藩主と家臣の絆の深さを表しているのです
都美姫は江戸屋敷でお生まれになって毛利家の家風の中でお育ちにはなってるんですけれどもやはりこの萩に入ってこの東光寺でこの灯籠をご覧になったら改めて毛利の団結力とか藩主と家臣の思いのつながりの強さとかきっと感じられたでしょうね。
そんな都美姫の萩での暮らしの中心となったのが萩城です。
残念ながら今では石垣と塀だけですがここにどんな城がそしてどんな女性の世界があったのでしょうか。
研究を続けている方に伺ってみました
萩城はどんなお城だったんですか?あれが天守台ですね。
あの上にこういう天守閣が5階建ての天守閣が立派なのがあったんですが…。
すてきですね〜。
そうですね。
天守閣のイメージはこんな感じ。
石垣を含むと高さは32メートルも。
これは10階建てのマンションに相当する高さだったそうです
さぞ美しいお城だったでしょうね〜。
明治時代に廃城令によって解体されてしまった萩城。
その天守閣跡に上ってみました
今建物ないですけど建物があるようなイメージされて。
ここが入り口で天守閣の1階目ですね。
まあ〜。
大奥はどの辺りになりますか?これ幕末の本丸御殿の萩城の図面なんですけどここが天守閣で今我々が立ってるとこですね。
この辺りに指月山がありまして指月山の麓に大奥があるという。
大奥というと江戸城のイメージが強いですね。
将軍の正室を筆頭におよそ1,000人もの女性たちが暮らしていました。
しかし各地の大名にも大奥よりは規模の小さな奥と呼ばれる場所があったのです。
あのちょっとかわいい石垣のあの向こうに。
あの向こう側ですね。
山の麓になりますけど。
今では公園となっている部分が奥でした。
多くの女性たちがここで暮らしていました。
そのリーダーが29歳の時に江戸から移ってきた藩主の妻都美姫でした
その奥があった場所へ実際に行ってみました
この辺り一帯にね大奥の建物があったんですよね。
ずっと広い建物がありましたね。
わあ〜。
私には聞こえた気がしました。
都美姫や奥女中たちの笑い声が
うれしいです。
続いてもう一か所樋口さんが連れていってくれたのは…
正面に小高い丘が見えてきましたね。
これが女台場ですか?そうです女台場です。
あの女台場ですね。
菊ヶ浜土塁通称女台場。
1863年長州藩が外国船を砲撃したところ反撃に遭い大きな被害が出ました。
これに脅威を感じた萩の住民たちは外国船の襲撃に備え武士の妻たちまで参加して海岸線に土塁つまり土の堤防を築いたのです。
現存するのは高さ3メートル長さ50メートルですが実際にはこの3倍くらいの長さがあったといわれています。
多い時にはですね1万7,500人も参加してるんですよね。
一日に?だから多分城下町の人口の半分以上がこの工事に携わっている。
2か月ちょいぐらいで出来てますので動員力がすごいですよね。
本当ですね。
萩城の奥の都美姫様ももちろん…。
そうですね。
武士の妻子も参加してますし奥女中も実は参加してるんですよね。
じゃあまあ「行きなさい」と…。
(樋口)そうですね。
都美姫様もう萩にいらっしゃいますので「行ってきなさい」と。
奥女中の参加にはきっと都美姫の指示があったはずです。
「今こそ毛利の団結力を見せる時!」。
姫の号令が聞こえてくるようでした
この7月萩に飛び込んできたビッグニュース。
その名は世界遺産。
明治日本の産業革命遺産がついに世界遺産に認定されたのです。
今回の遺産は8つのエリア23の資産によって構成されるもの。
幕末から明治時代にかけて短い期間で飛躍的な発展を遂げた日本の近代化産業。
その原動力となったのが…萩でも関係する5か所が世界遺産となりましたがその中の2つは都美姫の夫藩主の毛利敬親が家臣に命じて造らせたものでした。
当時欧米列強の外圧にさらされていた長州藩では海岸の防衛が大きな課題となっていました。
そのため軍事技術の近代化に力を注いだのです。
煙突の一部が残っている…反射炉とは金属を加工する溶解炉の事。
長州藩ではこれを使って試験的に大砲に適した鉄つまり強力な火薬の衝撃にも耐えられる強靭な鉄を生み出そうとしました。
そんな藩の努力の証しが萩反射炉です。
一方こちらは…1860年にはここで洋式軍艦庚申丸を建造。
庚申丸は下関でアメリカの軍艦と戦火を交えその後幕府軍との戦闘にも使用されています。
これらの政策の最高責任者は毛利敬親でした。
欧米列強や幕府軍と戦った夫を姫はどのように見ていたのでしょうか?4歳の時にお父様が亡くなってらっしゃるのでそのあとやはり敬親公が親代わりっていうんでもないでしょうけれどもとても頼りになる存在で。
そして15歳の時に正室として結婚をしてという。
ですから敬親公の事を本当に信頼して尊敬してたんだと思うんですね。
江戸から明治への激動の世にあってその最前線にいた夫敬親
これからも毛利家を頼む。
心得ております。
都美姫は藩の重責を抱える14歳年上の夫を陰でしっかり支え続けた事でしょうね。
そして私は山口県南部の防府市へ向かいました
毛利氏庭園。
敬親の孫にあたる毛利元昭が大正時代に造った庭園です。
邸宅には祖母である都美姫に関するものがいくつも受け継がれているといいます。
現在博物館になっている邸宅でまず見せて頂いたのは…
まあ〜美しいですね。
これは都美姫様のいわゆる礼服夏の礼服で実際着るんじゃなくて腰に巻きつけるので腰巻といいます。
そうなんですか。
このように付け帯に袖を通して羽を広げたように着るのが武家女性の夏の正装でした。
帯をつけてそれに引っ掛けるだけなので御殿を歩く姿は恐らくですねチョウが舞うような感じになるように思います。
まあすてきですね。
まあすごい。
一針一針きれいに…。
雅な中にも落ち着いた品格のあるお着物ですね。
続いて持ってきて下さったのも姫が愛した一品です
これはですねやはり都美姫がお使いになっておられた鼻紙台といいます。
今で言うとティッシュペーパーですね。
こちらは漆でらっしゃいますか?
(柴原)木の地に漆を塗りましてそれで家紋とか唐草の文様の所は特に金箔を盛り上げて作ったものですね。
ふだん使いの調度品にここまで凝った細工をするんですね。
最後に都美姫ゆかりの意外な品を見せて頂きました
都美姫様のなんですか?
(柴原)ええそうです。
これはですね大変珍しいもので女性用の甲冑なんです。
美しいですね。
(柴原)そうですね。
やはり女性用という事なので例えば胴の部分にきれいな錦を張ったりとかですね全体が裾濃模様っていいましてだんだん色が濃くなっていく下に行くに従って色が濃くなっていくというグラデーションの美しさを出していたりとか小手といって手を保護するものなんかの彫金もものすごく細かいきれいなものを使ってますね。
そうですか。
鎧があるという事はいざという時は都美姫も戦場に出向くという事なんですか?多分ですが実際に着るという事は想定していなくてあくまでも気構えとして…そうですか。
たおやかな中にもこういういざという時はという武家の覚悟を示されているような…。
夫のための覚悟。
都美姫の思いが甲冑に表れている気がしました。
これも愛ですね
優しくて強い魅力的な女性がそばにいらしたから敬親公も安心してやはりこの激動の時代を切り抜けていくっていうやっぱりお支えしたんでしょうねととても思いました。
大奥に美和さんがいらしてやっぱり都美姫として…それも長州の姫らしいなと。
生かさせてもらえたらなと思いました。
今こそ子孫繁栄を祈願ししかとおはぎを作るのじゃ。
「花燃ゆ」では奥を舞台に新たな物語が展開していきます。
主人公の美和の成長に都美姫がどう関わっていくのか。
大きな見どころの一つになっています。
めっぽう手際がよいの。
はっ。
最後にご紹介するのは山口市にある香山公園です。
敬親は諸外国との戦いに備えるため本拠地を萩から山口へと移しました。
そのためここ山口に葬られています。
その後都美姫は仏門に入り妙好と称します。
晩年は和歌を詠むのが楽しみだった都美姫。
亡き夫への愛を詠んだ歌が残っていました。
先立たれた夫敬親との思い出に涙しながらそれから40年余りの人生を送った都美姫。
今涼やかな風の中で夫に寄り添うように静かに眠っています
2015/07/20(月) 22:55〜23:20
NHK総合1・神戸
松坂慶子 萩 都美姫の面影を訪ねて[字]
大河ドラマ「花燃ゆ」で長州藩主正室の都美姫を演じる松坂慶子さんが、姫のゆかりの地を訪ねる旅に出た。彼女が残したよろいなどから姫の人物像に迫る。【出演:松坂慶子】
詳細情報
番組内容
幕末、江戸幕府だけでなく欧米列強にまで戦いを挑んだ長州藩。藩存亡の危機に、武士だけでなく、女たちも立ち上がった。この時、藩の女性たちをまとめる役割を果たしたのが藩主毛利敬親の正室、都美姫であった。「花燃ゆ」で都美姫を演じる松坂慶子さんは「彼女はどんな女性だったのか、その心にふれてみたい」と山口県萩市など、ゆかりの地を訪ねる旅に出た。残された彼女のよろいや美しい衣装などから、都美姫の人物像に迫る。
出演者
【出演】松坂慶子,【語り】窪田等
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドラマ – 時代劇
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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