ナイル川の河口エジプトの海岸沖に伝説の古代都市が眠っています。
長年言い伝えられてきた幻の都市が今長い眠りから目を覚まそうとしています。
この幻の都市の発見は私たちに何を語りかけるのでしょうか。
古代港町の謎の解明に挑んだのは海洋考古学者のフランク・ゴディオです。
(ゴディオ)すっかり魅了されてしまいました。
まだまだ知りたい事はたくさんあります。
興味が尽きる事はありません。
失われた伝説の都市を探して古代エジプトへの旅が始まります。
エジプト北部地中海に面するナイル川河口のアブ・キール湾。
今からおよそ2,000年前ここには島が点在していました。
現在は海であるこの場所に古代の歴史書に記された2つの伝説の都市「ヘラクレイオン」と「トーニス」があったと考えられています。
これらの都市はただの伝説なのでしょうか。
それとも実在したのでしょうか。
フランスの海洋考古学者フランク・ゴディオは30年前にこの話を耳にして以来真実を突き止める事に情熱を注いできました。
2つの都市ヘラクレイオンとトーニスに関する資料はヘロドトスをはじめとする古代ギリシャの歴史家が記した文献しかありませんでした。
文献から現在のアブ・キール湾がある場所にかつてナイル川によってつくられた三角州「デルタ」があったと考えられます。
しかし現在そこには海しかありません。
つまり何かあるとすれば海の下にあるという事です。
アブ・キール湾に本当に古代の秘密が眠っているのか。
当初考古学者たちは半信半疑でした。
多くの推測がなされていました。
ヘロドトスをはじめとする歴史家が実際に港町の事を書き手がかりを残しているからです。
しかしどこにあったかなど詳しい事は誰にも分かっていませんでした。
およそ2,000年前のナイル川の河口の様子を伝える数少ない資料の一つが「ナイルモザイク」と呼ばれるモザイク画です。
日常生活の様子や神殿船が描かれていますが事実を描写したものかは分かりません。
こうした絵では現実と想像の世界が入り交じる事があるからです。
フランク・ゴディオは確かな証拠を探す事にしました。
遺跡を見つけ出すのです。
古代の歴史書には伝説の都市がどこにあったのかを具体的に示す情報はほとんどありません。
例えばヘラクレイオンにあった神殿やヘラクレイオンの事だと思われるナイル川の河口に位置する港町についての記述は見つかります。
しかし記述はどれもごく僅かです。
しかもヘラクレイオンともう一つの町トーニスの話が混在しているんです。
分からない事だらけでした。
文献に残る町は紀元前500年ごろに最盛期を迎えたと考えられています。
港町であった事は確かなようですが地中海の国々との間で交易が行われていたのでしょうか。
行われていたとしたらどれくらいの規模だったのでしょうか。
ギリシャの船にとって町がエジプトへの入り口だったと記した古代の歴史家もいます。
町は現在の海岸線からそう遠くないところにあると考えられます。
海底に眠る証拠を見つけ出せばこうした記述を裏づける事ができるはずです。
(ウィルソン)エジプトとギリシャ世界の間にはどんな交流があったのか。
海上交易の重要性や規模については分かっていません。
専門家の間ではエジプトの海上交易はさほど重要ではなかったと考えられています。
古代の歴史書では交易についてはあまり触れられていないからです。
また考古学者の研究課題が美術や建築に偏っていて研究が進んでいないのも一因です。
古代エジプトでは本当に交易は盛んではなかったのでしょうか。
あるいは記録に残されなかっただけなのでしょうか。
フランク・ゴディオは謎を解明するためエジプトから遠く離れたパリで計画を進め始めました。
ゴディオは海洋考古学の先駆者として知られています。
しかしもともとは考古学者ではなく数学者そして統計学者でした。
海に沈んだ都市の探査ではその経歴が生かされました。
36歳の時に人生を変えようと決断しました。
人生は一度きりです。
何か価値のある事をしたいと思ったんです。
考古学に対する情熱と海に対する愛着から海洋考古学に関するあらゆる事を学ぼうと決めました。
ゴディオは偶然エジプトの海岸沖に沈む伝説の都市のうわさを耳にしました。
1940年代あるパイロットが海の上を飛行中に不思議な形をしたものを見たと報告しました。
しかしその目撃情報に興味を示す人はいませんでした。
ゴディオは発見したものは全てエジプトに渡すという約束をしアブ・キール湾に調査隊を送る許可を得ました。
最大の問題は当たり前ですが海が広いという事でした。
どこから調べればいいのか分からないのでできるだけ広範囲を探査する事にしました。
調査範囲はおよそ150。
これまで例のない大プロジェクトでした。
ある分野に専門外の人間が立ち入ろうとすると人々は当然怪しむでしょう。
だからまず自分には必要とされる能力がある事を証明しなければなりませんでした。
そうすれば専門家たちも真剣に受け止めてくれるからです。
ゴディオは数学者そして統計学者としての能力を発揮しました。
伝説の都市がどこにあるかを数学的に考えて場所を推定しようとしたのです。
私はそれまでの海洋考古学の探査には使われた事のないより合理的な探査方法を取り入れる事にしました。
電磁気を使って海底を探査したんです。
これは当時画期的な事でした。
またフランス原子力庁の許可を得て核磁気共鳴する特殊な磁気探知機を開発しました。
そうして海の下に何かないかを調べたんです。
探査には何年もかかりました。
計画に基づいて船は何度も海を往復します。
地道な方法は着実に成果をもたらしました。
ゴディオは全てのデータをコンピューターに入力し海底の様子を視覚化しました。
するといくつか強い磁気信号を示す箇所が現れました。
何かがあるに違いありません。
アブ・キール湾のどこを探すか目星をつけたゴディオはついに海中の探索を開始する事にしました。
ダイバーのチームが海に潜りました。
しかし何も見つかりません。
都市の排水やナイル川から運ばれてきた泥が探索を難しくしていたからです。
(ルボー)水中はひどく濁っていてほとんど何も見えない状態でした。
1m先がやっと見えるかどうかなんです。
この中で何かを探すのは大変だと思いました。
楽しい仕事ではありません。
チームは何も発見できないまま何度も船に戻りました。
司令塔のゴディオは絶えずパソコンに向かっていました。
海底探査で磁気信号が強かった場所にダイバーを向かわせるためです。
ダイバーたちはついにあるものを発見しました。
(ルボー)私たちが最初に見つけたのは汚れた石の塊でした。
海の中ではそれが何かは分かりませんでした。
でもひと続きの壁のようだと気がついたんです。
石の壁です。
ここにはきっと何かがあると思いました。
ヘラクレイオンあるいはトーニスの最初の痕跡なのでしょうか。
私たちは最初の発掘に取りかかりました。
「発掘」といっても表面をさらうくらいのものでしたが。
そうして大きな石灰岩で出来た壁を発見したんです。
石灰岩は滑らかで海底にきちんと並んでいました。
それだけです。
でもそこから冒険が始まりました。
壁の位置はあらかじめ計測したデータと一致していました。
ゴディオの作戦は成功したのです。
事前探査で150mに及ぶ長い磁力線が見つかりました。
一体何に反応しているのか探ろうと思ったんです。
磁力線のちょうど真ん中にあたる部分を掘ったら石灰岩で出来た壁が見つかりました。
東側にも西側にも75mにわたって壁が続いていました。
長さ150mの磁力線は石灰岩の壁だったという事です。
更に北側にもこれに並行して同じ長さの壁を発見しました。
最終的にこの壁は巨大な建物を囲んでいた事が分かりました。
次の疑問はアブ・キール湾の真ん中に沈んだこの建物は何だったのかという事です。
ゴディオは伝説の港町ヘラクレイオンを発見したと確信しました。
しかしまだ確かな証拠は得られていませんでした。
学術的な支援を受けるためゴディオはイギリスのオックスフォード大学考古学研究所の研究者たちの協力を仰ぐ事にしました。
カンリフ教授は考古学の世界的な権威。
ウィルソン教授は古代の海上交易の専門家です。
2人はゴディオの話に衝撃を受けました。
(カンリフ)まさに寝耳に水でした。
フランク・ゴディオ氏が進めていたプロジェクトはあのころそれほど知られていませんでしたから。
話を聞いて非常に驚きました。
信じられませんでしたね。
海の中にそれほど確かな証拠があるなんて思いもしませんでしたから。
あの時の衝撃は今でも忘れられません。
石灰岩の壁は一体何なのでしょうか。
ヘラクレイオンにあったと言われる伝説の神殿なのでしょうか。
発掘チームは更に探索を行う事にしました。
ダイバーの他に考古学者や技術者修復家エジプト学者も同行しました。
発掘チームは濁った水の中でどこを探索したかが分かるように海底を区分けしました。
干し草の中から一本の針を探すような作業です。
何か見つけたらまず何mも積もった泥や堆積物を吸い出さなくてはなりません。
発掘チームは壁の近くで巨大な石の塊を発見しました。
石の塊は神の像を安置するための祠「ナオス」でした。
神殿の最も神聖な場所に建てられるものです。
保存状態も良好です。
ナオスは赤い花崗岩で出来ていて文字が刻まれていました。
信じられませんでしたね。
最も重要な神の像を安置するための祠を見つけたわけですから。
碑文には祀られているのはアメン・ゲレブ神の像だと記されていました。
つまりここが伝説のアメン・ゲレブ神殿だという事です。
そしてアメン・ゲレブ神殿はヘラクレイオンにあったと言われています。
エジプトでアメン・ゲレブ神殿と呼ばれた神殿はギリシャではヘラクレス神殿と呼ばれていました。
祠があるという事はここに神殿があったという事です。
発掘チームは更にここに神殿があった事を示す驚くべき発見をしました。
巨大な石像です。
全部で3体ありいくつかに割れてはいますがほぼ原形をとどめています。
(ルボー)手や頭の形から特別な像だという事が分かりました。
興奮しましたね。
海底から引き揚げ船に積み上げた時には感動しました。
3体の像を発見した時は私にとってまさに奇跡の瞬間でした。
1つ目の像は女王を。
2つ目の像は古代エジプトの王ファラオをかたどっています。
そして3つ目の像はナイルの神です。
いずれも紀元前300年ごろに始まったプトレマイオス朝時代に造られました。
発掘チームは3つの像を海中でまっすぐに立て直し付着物を取り除いてから引き揚げました。
フランク・ゴディオは伝説の神殿を発見したのです。
150mにも及ぶ建造物は神殿だったんです。
更にアメン・ゲレブ神の像が一枚岩で出来た祠に安置されていた事からアメン・ゲレブ神殿だと分かりました。
西側に入り口があり赤い花崗岩を切り出して造った巨大な石像が立っていました。
とても重要な神殿です。
新しい王はこのような神殿で称号と権力を授かったからです。
神殿はギリシャ人にとっても大切なものでした。
伝説によるとトロイア戦争の原因となったパリスと王妃ヘレネはトロイアの人々によってヘラクレイオンにかくまわれたとも言われています。
ダイバーたちは他にも遺物を見つけました。
例えばこの石の桶にはエジプトの神オシリスの像が横たえられていました。
ヘラクレイオンは宗教的に重要な場所であった事が分かりました。
この町にはそれ以外の存在意義があったのでしょうか。
そしてもう一つの町トーニスはどこにあったのでしょうか。
(カンリフ)ヘラクレイオンはエジプトと地中海の国々の関係においてとても重要な場所です。
しかも水中に沈んでいたため見事な状態で保存されています。
もし陸地にあったなら他の建物の下敷きになり失われていた事でしょう。
水中にあったからこそあのように美しいまま保存されていたんです。
周辺からは一般の人々が使っていたと思われる遺物も発見されました。
石で出来たいかりもその一つです。
古代の海洋交易の証拠になるかもしれません。
石のいかりは小さな船には使われません。
つまり長い航海に耐えられるような大きな船がここに停泊していたという事です。
発見されたいかりの数は数百にも上りました。
ゴディオが発見された場所をコンピューターに入力すると町の輪郭が徐々に現れてきました。
いかりは主に神殿の北側で見つかりました。
発見された場所を表示すると一本の線になったんです。
線に沿って発掘した結果いかりが見つかった場所は古代の運河だったという事が分かりました。
幅はおよそ30mありました。
西側にも同じように運河が続いていました。
運河は数百mにわたって広がっていたと考えられます。
古代の運河に沿って調査を続けた結果更に驚くべきものが見つかりました。
船です。
発見された船は1隻だけではありませんでした。
たくさんの船の残骸が1か所にまとまって見つかったのです。
運河の東側でたくさんのいかりが見つかりました。
いかりの間にはいくつもの船の残骸がありました。
恐らくここには波止場があったんでしょう。
町の輪郭がまた少し明らかになりました。
最終的に発見された船は60隻以上です。
数の多さに驚きました。
おかげで古代の船の建造技術について多くの情報を得る事ができました。
船はレンガほどの大きさの小さな木片をほぞでつないで組み立てられていました。
ヘロドトスが歴史書の中に記していた「非常に特徴的な船」とはこれだったのかと長年の疑問が解決してうれしかったですね。
古代の船がこれほどたくさん見つかるとはゴディオも他の研究者たちも想像していませんでした。
(ウィルソン)発見されたのがナイルの小さな川舟ではなく海を渡る船だったという事が重要です。
エジプトの海上交易がこれまで考えられていたよりもはるかに積極的に行われていたという証拠になるからです。
多くの書物では地中海の交易において活躍したのはエジプト人ではなくギリシャ人やフェニキア人だと記されています。
しかし海を渡る船がヘラクレイオンでたくさん発見されたという事はエジプト人も交易に大いに関わっていたという事かもしれません。
2,500年前のエジプト人たちはこれまで考えられていたよりもずっと海上交易に力を入れていたようです。
この発見は活発な交易の様子を描いた「ナイルモザイク」の信憑性を高める事になりました。
神殿の南東でも新たに大量の船の残骸が見つかりました。
65隻以上が眠っていると見られます。
ここにも波止場があったのでしょう。
交易が活発に行われていた証拠です。
こうした発見によってかつての町の姿が明らかになってきました。
古代の書物に記されているとおりだったなんてすばらしいですよね。
エジプトの玄関口であり地中海への入り口でもあったヘラクレイオンでは活発な交易が行われていたんです。
ゴディオは次に鉢や壺といった焼き物に注目する事にしました。
こうした遺物は船がどこから来て何を運んでいたのか地中海を囲む他の国々とエジプトとの間でどれほど活発に交易が行われていたのかを知る手がかりになるかもしれません。
ゴディオは古代の土器や陶器の専門家カトリーヌ・グラタルーに協力を仰ぎました。
(グラタルー)すばらしい場所です。
過去には地震があったにもかかわらず遺物はどれも驚くほど良い状態で保存されています。
遺物は砂と泥に埋もれていたもののほとんどが無傷でした。
(グラタルー)ヘラクレイオンは地中海全域と交易をしていました。
中でも焼き物は重要な交易品の一つだったと考えられます。
海底からギリシャの島々で作られた壺が数多く見つかりました。
その中に首が長く取っ手がついた壺「アンフォラ」がありました。
どれもサモス島やレスボス島など地中海の東部に位置する島々からもたらされたものです。
さまざまなタイプのアンフォラはヘラクレイオンの交易が順調だった事を証明しています。
交易によってもたらされた焼き物はヘラクレイオンがさまざまな文化が行き交う国際都市だった事を物語っています。
遺物によって海に沈んだ港町の姿が更に浮かび上がってきました。
発掘された焼き物を見る度に楽しさと知的な喜びを感じます。
遺物は歴史の断片だからです。
ヘラクレイオンは多くの重要な遺物が残っている特別な場所なんです。
ヘラクレイオンに暮らしていたエジプトやギリシャの人々の生活はどのようなものだったのでしょうか。
儀式に使われたと思われる品々や日用品ファラオの像にかぶせた小さな王冠などから豊かで華やかな暮らしがしのばれます。
歴史書の何ページかは書き直す必要が出てくるでしょう。
発見された遺物は聖職者や兵士商人など人々の暮らしを教えてくれます。
どのような器を使いどのような鍋で料理をしていたのか。
裕福な人々のために輸入されたものもあれば地元で作られたものもありました。
またギリシャ語が刻まれたエジプトの品もあれば象形文字が書かれたギリシャの品もありました。
ギリシャ文化とエジプト文化の交流が非常に盛んだった証拠です。
小さなオイルランプは完全に原形をとどめている上口の部分にまだすすが付いています。
エジプト人が作ったものですが形は当時のギリシャの一般的なランプの影響を受けています。
ヘラクレイオンは考古学者の夢です。
全てのものが手付かずで美しく保存されまだ使える状態にあるのですから。
技術と技能と人手があれば学べる事は無限にあります。
ヘラクレイオンはどれほど豊かだったのでしょうか。
海岸から7km沖合の海底で金細工が発掘されました。
ライオンをかたどった耳飾りです。
古代エジプトの人たちがとてもおしゃれだった事が分かります。
一方で金細工の多くは神をたたえて海に投げ込まれた捧げものだった可能性があります。
ヘラクレイオンには聖地だったと思われる場所がいくつもあるからです。
ゴディオは町の地図を念入りに描き直しました。
更に多くの神殿が見つかりました。
例えば町の北東には石灰岩で出来た小さく美しい神殿がありました。
学問の神様を祀っていたようです。
こうした神殿がいくつもあるという事はアレクサンドロス大王が交易の拠点を新しい都であるアレクサンドリアへ移したあともヘラクレイオンが宗教的な重要性を持ち続けたという事なのかもしれません。
紀元前331年。
アレクサンドロス大王はアレクサンドリアと呼ばれる新しい港町をつくりました。
アレクサンドリアが港として重要性を増す一方で交易の港としてのヘラクレイオンの存在価値は薄れていきました。
しかし神殿の周辺で発見された金細工はアレクサンドリアが建設されたあとの時代のものでした。
古い港町ヘラクレイオンは宗教の拠点として残ったのです。
ヘラクレイオンの場所は分かりました。
では古代の書物で語られているもう一つの伝説の都市「トーニス」はどこにあるのでしょうか。
ダイバーたちは黒い花崗岩で出来た石碑を発見しました。
2,500年もの間海の底に沈んでいたとは思えないほど保存状態は良好でした。
高さ2m幅1mの石碑が引き揚げられました。
石碑には「外国の交易船は全ての商品について10%の関税を支払わなければならない」というエジプトの王の命令が刻まれていました。
更に石碑には衝撃的な記述がありました。
石碑の発見によって2,000年来の謎がようやく解けたんです。
石碑には「トーニスの町にこの石碑を建てるよう命ずる」と刻まれていたんです。
この場所がヘラクレイオンだという事は明らかです。
石碑でここを「トーニス」と呼んでいるという事はヘラクレイオンとトーニスが一つの同じ町だった事を意味します。
つまりエジプトではヘラクレイオンはトーニスと呼ばれていたんです。
石碑はその決定的な証拠でした。
石碑に刻まれた簡単なただし書きが数千年の謎を解く鍵となりました。
地中海貿易の玄関口だったこの港町をエジプト人はトーニスギリシャ人はヘラクレイオンと呼んでいた事が明らかになりました。
ゴディオは発見された多くの遺物をもとに伝説の都市の地図を作り上げました。
ヘラクレイオントーニスが再び地上によみがえったのです。
大きな神殿に小さな神殿波止場船運河があります。
町ですからもちろん人々が暮らす住宅地もあったでしょう。
その場所の目安はついています。
交易のための品々が出てこない地域です。
当時の家は泥や植物で出来ていました。
そうした素材は消えてなくなってしまうため後には日用品しか残らないんです。
住宅地は神殿の周りに広がっていました。
これがヘラクレイオンあるいはトーニスと呼ばれる古代エジプトの港町の全体像です。
町の様子以外にも船がどうやってナイル川から運河を通って波止場に着いたのかまた波止場とナイル川や海を結ぶいくつもの運河についても解明しました。
私たちはこの町の構造を再現したのです。
はるか昔に失われた都市ヘラクレイオン。
書物には町の記述はほとんどありません。
しかし今私たちは当時の人々が誰とどのように交易をしていたのか知る事ができました。
船の造りや神殿の様子王の像神々への捧げもの身につけた装飾品使っていた鏡鍋そしてひしゃくに至るまで。
次なる謎隆盛を誇っていたヘラクレイオンはなぜ海に沈んだのでしょうか。
理由は一つだけではありません。
ヘラクレイオンが位置していた地中海東部の地盤は100年に10cmほどの割合でゆっくりと沈んでいました。
ヘラクレイオンは水分を多く含む砂地の上に建っていたんです。
更にある時突然都市全体が数m沈下した事が分かっています。
7世紀から8世紀にかけて起きたと思われる地震か津波が原因だと考えられています。
それ以降の遺物はほとんど発見されていません。
ゴディオが調査を開始してから20年。
失われた都市の研究は今も続いています。
火山の噴火によって埋没した古代ローマの都市ポンペイは18世紀に発見され今も研究が続けられています。
一方ヘラクレイオンは地中海に通じる古代エジプトの玄関口であり宗教や経済の面においてポンペイよりもはるかに重要な意味を持っています。
エジプトの王たちが神から称号と権力を授かった場所ですから。
しかも広さはポンペイの2〜3倍あり海に沈んでいます。
ここを残らず調査するにはあと200年から300年は必要でしょう。
現在分かっている事は今後数百年の間に明らかになるであろう事実のほんの一部にすぎません。
私たちの研究はまだ始まったばかりなんです。
2015/07/21(火) 02:50〜03:35
NHK総合1・神戸
地球ドラマチック「ヘラクレイオン 海に沈んだ古代エジプト都市」[二][字][再]
古代の史書に記された伝説の都市ヘラクレイオンはどこにあるのか?エジプト沖を発掘調査した結果、驚くべきものが見つかった。今、2000年の時を経て、謎が明らかに!
詳細情報
番組内容
ヘラクレイオンは、古代エジプトの玄関口として栄えたとされる。しかし、その位置すら分からず、当時栄えたもうひとつの町トーニスとともに、幻の都市とされてきた。発掘調査をしたのは海洋考古学者のフランク・ゴディオ。事前探査でエジプト北部アブキール湾の海底にヘラクレイオンが眠っていると考えた。数年に及ぶ調査でついに海底から石の塊を発見。ヘラクレイオンが永い眠りから目覚めることに…。(2012年ドイツ)
出演者
【語り】渡辺徹
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – 宇宙・科学・医学
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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