20年前一人の少年が1通の遺書を残してこの世を去りました。
同級生からのいじめに耐えかね自ら命を絶ちました。
遺書には大人の想像を超えたひどいいじめの数々がつづられていました。
しかしその事は家族の誰にも話していませんでした。
何でこんな苦しいのに何でこんなにいっぱい書かにゃいかん事がいっぱいあるのに…。
なぜ言えないのかなって。
父晴さんはこの20年我が子を救えなかった自分を責めながら子どもたちとの対話を重ねてきました。
いじめに苦しむ子どもたちを救うためにできる事は何か。
晴さんが歩んだ日々を通して探っていきます。
大河内清輝君の20回目の命日の朝。
清輝君の父晴さんは8年前に会社を定年退職。
今は畑仕事をしながら毎日を送っています。
清輝君の遺影は一番日当たりのいい部屋に置かれています。
中学2年生の時自宅の裏庭で命を絶った清輝君。
両親の気付かないところで繰り返し恐喝や暴行を受けていました。
だからそれはう〜ん…私に一番よく似てるところかなっていう気がしますね。
清輝君が亡くなった翌日から晴さんはいじめの可能性を耳にするようになり学校に問い合わせました。
しかし学校は数日たっても調査中という答えを繰り返します。
自殺から4日後清輝君の机の中から遺書が見つかります。
晴さんは初めて清輝君の身に何が起こっていたのか知る事ができました。
自殺の直接の理由は命を絶つ直前多額の現金を要求された事でした。
更に遺書には毎日のいじめの内容とそこに至る経緯が記されていました。
いじめがエスカレートしたのは中学2年生の8月でした。
「今では『パシリ1号』とか呼ばれています」。
いじめていたのは同級生の4人の少年。
清輝君は遊ぶための金を家から持ってくるよう脅されます。
その額は4万円6万円12万円とつり上がっていきました。
金を持っていかないと暴行を加えられもう一回とってこいと要求されました。
清輝君は金額を全て記録していました。
合計で114万円にも上ります。
晴さんは校長に遺書を読んでもらいましたがいじめがあったかどうか明確な答えはありませんでした。
ところが学校は清輝君が亡くなった翌日生徒に作文を書かせておりそこにはいじめを目撃したという内容もありました。
それ以前にも近所の人から清輝君の顔にアザが出来ているなどの情報がありましたが具体的な対策はとられませんでした。
いじめについては…本人の申し出があるかどうかも一つの基準ではないかと思います。
注意はしましたけども少し過激であると注意をしましたがいじめとまでは重大ないじめとは思えなかった。
見えなかった?気付かなかった。
遺書に書けない事がほかにもあったのではないか。
このまま学校に任せていては真実はうやむやになる。
晴さんは思い切った行動に踏み切ります。
清輝君の遺書を新聞に公表したのです。
子どもたちの世界で起きていたいじめのむごさに社会は大きな衝撃を受けました。
晴さんの自宅には全国から報道陣が殺到します。
確かに私も悪いですし私が一番悪いと思ってます。
本当に。
そういう観点でやっぱり反省していくためにはやっぱり何があったかっていう事をもっと本当に真剣に彼の死を考えて捕らまえて頂きたいんですよね。
だから本当にうわべだけで終わってほしくないんですわ。
遺書の公表によって事態はようやく動き出します。
いじめをした4人が校長や親に連れられ家を訪ねてきたのです。
晴さんはなぜあんな事をしたのか少年たちに問いただしました。
1人がぽつりとつぶやきました。
「いじめるのが楽しかった。
面白かった」。
一方清輝君は悪いのは少年たちではなく自分だと記していました。
「僕からお金をとっていた人たちを責めないで下さい。
僕が素直に差し出してしまったからいけないのです」。
命を絶つ3週間前一家でオーストラリア旅行に出かけています。
家族だけで話せる最後の機会でした。
そこでも清輝君はいじめについて話す事はありませんでした。
初めての海外旅行を最後まで楽しんでいるようでした。
「お父さんオーストラリア旅行をありがとう。
お母さんおいしいご飯をありがとう」。
「家族のみんなへ14年間本当にありがとうございました。
僕は旅立ちます。
でもいつか必ずあえる日がきます。
その時にはまた楽しくくらしましょう」。
何でこんな苦しいのに何でこんないっぱい書かにゃいかん事がいっぱいあるのに…。
なぜ言えないのかなって。
それはそうですよね。
多分当人になってみなければ分かんない中でやはり親としても言ってくれて当たり前言ってくれるもんだっていう思いがやはり心のどっかにあったのかな…。
いじめの苦しみをなぜ人に言えないのか。
晴さんは新聞を通じて子どもたちに問いかけました。
「清輝の気持ちを教えてほしい」。
その反響は大きなものでした。
全国から1,000通を超える手紙が寄せられたのです。
そこには自分自身の体験に重ねて苦しみを人に言えない理由がつづられていました。
「大河内さんの新聞記事になぜいじめられている事を家族先生に言えないのかとありましたがそんなの絶対に言えませんよ。
いじめられてるって事がすごくかっこ悪く思えたんです」。
晴さんは子どもたちが胸に秘めている本当の思いに触れました。
こんばんは。
手紙をくれた子どもたちの中には直接晴さんの家を訪ねてくる子もいました。
自分の息子は話してくれなかったのになぜほかの子どもたちはいじめの苦しさを話してくれるのか。
頂きます。
晴さんは子どもたちと接していくうちに話しにくい環境を作っていたのは大人の方ではないかと思うようになりました。
母親に言われた言葉を記した手紙です。
「いじめられる方もわるい」。
大人はいじめられるのは恥ずかしいという価値観を無意識に押しつけているのではないか。
だから子どもたちは親に恥ずかしい思いをさせたくない心配させたくないと苦しみを胸にしまい込んでしまう。
「私も気付いてほしかった。
そして一緒に悩んで一緒に傷ついて一緒に泣いて戦ってほしかった。
でも私に好きな事をさせてあげようと思う存分勉強をさせてあげようと頑張って働いて私を育ててくれる親の気持ちを思うと言えなかった」。
晴さんは子どもたちの言葉と出会い親として何をすべきだったか考えるようになっていきます。
彼の苦しさっていうのはですね…受けた行為もそうですしそれから彼が学校の中で置かれてる立場それから家族に対して特に私たちに対してお金の件で申し訳ないっていう気持ち。
いろんな苦しみが多分いっぱいあったと思うんですよね。
それを本当に考えた時に亡くなる前にかけてやれなかった言葉…「大丈夫か?」じゃなくて…「つらかったね」って…。
「よく我慢できたね」って…。
そういう言葉をかけてやれないつらさもどかしさっていうんですかね。
大河内さん夫婦は手紙をくれた子どもたちに返事を書き続けるようになります。
「あなたは何も悪くない」。
「いじめられている事は決して恥ずかしい事ではない」。
そんな励ましの言葉は追い込まれていた子どもたちに生きる力をもたらしていきました。
「私は間違っていませんよね。
自分は悪くないと思ってもよいのですね。
私はとても強いですよね。
自分は前を向いて胸を張って歩いてもいいのですね」。
大河内さん夫婦に出会い希望を取り戻す事ができた子どもたち。
今は親になった人もいます。
北海道函館に暮らすアヤさん35歳です。
アヤさんは高校3年生の時1人で北海道から愛知県の晴さんのもとを訪ねました。
いじめが特にひどかったのは中学時代。
机の下にゴミをまかれたりクラス中から言葉の暴力を受けたりしました。
更にいじめグループは友達のふりを装いアヤさんを追い込んでいったと言います。
それが実は友達じゃなくて迎えに来て一緒に行ってる時いじめていてで学校行ってもいじめていたと。
それだったら親も誰も分かんないだろうって。
それでもアヤさんは学校を休みませんでした。
いじめの事が周囲に知られたら親に迷惑がかかると考えたのです。
それが一番怖かった。
いじめられている惨めな私は生きていてもしかたがない。
そう思い込んでいたアヤさんの心を解きほぐしてくれたのが大河内さん夫婦でした。
練習してないでしょ?少しずつ自信を取り戻していったアヤさんは21歳で結婚。
2人の子どもにも恵まれました。
夫の亮一さんもアヤさんのつらい過去を受け止めてくれました。
それでもアヤさんがいじめの事を詳しく話す事ができたのは結婚から10年が過ぎた頃でした。
聞き出した事はないですけどまあそれなりにつらい思いだったんだろうなって。
まあつきあい始めた頃から最初の最初っていうのはそういうところ…。
大変だったんだろうなってのはある程度雰囲気で分かってて。
いじめられていた過去を亮一さんに伝えたら幸せが失われてしまうのではないかとアヤさんは心配していました。
悪いっていうか…何て言うか…妄想じゃないけど何て言うんだろう…こんなんでいいのかなみたいな。
話を聞いた亮一さんは言いました。
「いじめを受けた経験があるからこそ人の痛みが分かる優しい大人になれたと思う」。
30歳を過ぎてアヤさんは過去のいじめに一つの区切りをつける事ができました。
春。
竹林に大河内晴さんの姿がありました。
たけのこ掘りです。
手紙をきっかけに親交を深めてきたかつての子どもたちに毎年たけのこを送っているのです。
互いの近況を伝え合う大切な機会です。
晴さんは20年前から各地の中学校や高校に足を運んでいます。
生徒たちに直接語りかける場を大切にしてきたのです。
いじめに苦しみ手紙を送ってきた子どもたち。
家を訪ねてきて語り合った子どもたち。
その思いを伝えます。
(晴)こんな事を言ってる子がいます。
またある子は…
(晴)笑ってごまかすしかなかった。
これはいじめをしてる子に対してだけじゃないっておじさん思ってます。
それは何もしないかもしれないけれども周りで見ている子たちに対しての言葉だったと思ってます。
私は周りで見てて何もしてないからって言うんですけどでもこの子たちにとってはそういう子たちに見られている事…つらいんだよね。
ちょっと考えてもらえば分かると思うんだけど。
自分が怒られてる叱られてる時に誰かに見られてるって嫌だよね。
同じだと思うんですよね。
いじめを受けてる自分を見られたくない。
だから笑ってごまかすしかなかった。
そんなつらい気持ちをこの言葉で表してくれてるのかなっていうふうに思っています。
晴さんのもとに1通の手紙が届いていました。
高校3年生の時大河内さん夫婦を訪ねてきた女性。
たけのこのお礼でした。
手紙には1児の母親になった今いじめについて思う事が記されていました。
そうだ。
「子どももしっかりと元気よく大きくなってくれ今年は7月に家族で伺いたいと計画しております」。
え〜本当?へえ〜。
そうか。
「最近は子どもも言葉がだいぶ分かるようになりいろいろな事を話す事が増えました。
何か言われたりつらかったりしたら絶対に隠さず言うようにとついつい言ってしまいます」。
「でも母親になり心配される事は恥ずかしい事ではない。
頼る事の大切さがやっと分かったように感じます」。
2015/07/21(火) 13:05〜13:35
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV「それでも話してほしかった〜いじめ自殺 21年目の対話〜」[字][再]
1994年にいじめを苦にして自殺した大河内清輝くん。その死を社会に問うため遺書を公開し全国の子ども達と交流を重ねる父・祥晴さんの日々を追う(*祥は、示へんです)
詳細情報
番組内容
1994年、愛知県西尾市の中学2年生・大河内清輝君がいじめを苦に自ら命を絶ちました。息子の死を社会に問うため父・祥晴さんは遺書を公開。すると全国から千通もの手紙が寄せられました。手紙をきっかけにいじめに苦しむ子どもたちとの交流が生まれ、そのつながりは今も続いています。いじめとは何なのか。なぜ無くならないのか。祥晴さんと子どもたち、いじめをめぐる対話の日々を通して探ってゆきます(※祥は、示へんです)
出演者
【語り】河野多紀
ジャンル :
福祉 – 障害者
福祉 – 高齢者
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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