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小林春美

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主婦の身でありながら、雅子追っかけカメラマンとして女性誌を中心に存在を知られる人物。追っかけに身を入れすぎたおかげで最初の結婚は離婚に至り、後に再婚。写真集出版名義で用いている「小林春美」は独身時代の旧姓で現在の名前とは異なるとのこと。

小林春美氏著作である既刊写真集2冊

『あこがれの雅子さま―主婦が撮り続けた八年間』小林春美、徳間書店(2001/12)
『愛子さま こっちをお向きになって・・・』小林春美、リヨン社(2002/11/26)


参考ようつべ:https://www.youtube.com/watch?v=W3DhJSn_DHg
Masako Mania - Japan
March 1997
A colourful feature on royal idol worship.
ABC Australia


小林氏が創価学会系列雑誌『』に手記を寄せていることが雑誌芋掘り奥様により発見されている。どうしてこの人物がせんべい雑誌と関わりを持つことになったのか、気になる事実である。
『週刊新潮』2015年1月8日号は<「雅子さま」追っかけおばさんが“写真集2冊出版でも”生活保護だった>なる記事を掲載している。

収録誌不明、恐らく1994年6月徳仁雅子結婚1周年ムック本?<雅子さま追っかけママ奮戦記>編集

収録誌不明、恐らく1994年6月徳仁雅子結婚1周年ムック本か

雅子さま追っかけママ奮戦記
(注:原文には夫・息子の名前を掲載していますが伏字表記とします)
「この人しかいない!」
6年前、お妃候補の雅子さまを雑誌で初めて見た瞬間、只川春美さん(27歳)はそう直感したという。
平成5年1月6日の皇太子妃内定報道、そして1月19日の皇室会議。
「私の憧れの女性だった雅子さまをお祝いしたくて、花束をアルバムを持って、目黒の小和田邸へうかがいました」
この日から、カメラを片手に、1歳半だったひとり息子の○○君を背中に只川さんの“雅子さま追っかけ奮戦記”が始まった。
“追っかけママ”が見続けた皇太子さま・雅子さまの365日は……。
 
高校生のころから皇室ファンだという只川さん。千葉市、稲毛区にある自宅には天皇・皇后両陛下、皇太子さま・雅子さまのパネル写真がズラリと並ぶ。
「1月19日は、始発のバスに乗って、小和田邸に着くまで、今日はどんなお召しものかしらとワクワクしていました」
 残念ながらこの日、只川さんは雅子さまのシルエットをチラッと見ただけ。
「でも、シルエットからでも雅子さまの気品、身のこなしの優雅さを感じとることができて感激でした」
自宅から持ってきた、お祝いの花束と婚礼用のアルバムは、SPから小和田家へ。
「雅子さまのお母さまから、“お喜び”のお返事をいただいて、うれしくて忘れられない日となりました」
 夫・○○さんの理解も得て、只川さんは、ますます雅子さまに心酔していった。
 
さわやかで、気品があり日本一のご夫婦です
 平成5年6月9日、待ちに待ったロイヤル・ウエディング。
 只川さんは○○君を夫の実家に預け、朝6時に家を出発。午前8時には半蔵門へ。いい
場所がとれたのに、写真は失敗。
 7月13日、初めておふたりはご公務で岩手県へ。この時、東京駅で撮った写真が只川さんの自信作のひとつ。
「おふたりが大きく写っていて、初めて良い写真が撮れて自分でもびっくり。
 翌日のお帰りの時、雅子さまは少しお疲れのご様子。でも○○に手を振ってくださいました」

いつも、雅子さまの顔色や体調が気になります
 平成6年1月17日、京王プラザホテルへお出ましになった皇太子さまと雅子さま。この日以後、約1か月、雅子さまは風邪でご公務を休まれた。
「雅子さまの顔色や体調は気になります。でも、いつものすがすがしいご表情で、風邪だとは思ってもみませんでした。まだ新婚生活を楽しみたいんでしょうけどやはりご懐妊のニュースを早く聞きたい」
“追っかけベビー”だった○○くんも、2歳8か月。
「まさこちゃま、きれいねー」
 ふたりの追っかけ奮戦記はこれからも続く。


』2002年3月号<私は雅子さまの“追っかけ”カメラマン。>編集

『潮』2002年3月号<私は雅子さまの“追っかけ”カメラマン。>記事

誰にも撮れない雅子さまの写真を撮ろう――。
写真集までつくった主婦が綴る、八年間の“追っかけ生活”。
pp.152-157より引用 
あこがれの思いが一冊の写真集に
 昨年末に思いがけず写真集『○○○○○○(ここでは伏字で記す)』を出版することになりました。
 典型的な専業主婦である私が自分で本を出せるとは夢にも思っていませんでしたが、その夢が実現してしまったのです。そのいきさつをお話ししてみたいと思います。
 写真を撮り始めたきっかけは、一九九三年一月十九日。雅子さまのご婚約が決まったというニュースをテレビで知り、さっそく、目黒区にある小和田邸へ見物に出かけたときのことです。
 車に乗る雅子さまを沿道から一目見て、胸がキュンとなったんです。私の心に矢が突き刺さったような気がしたんです。
 なんて素敵な女性なんだろう。
 元キャリアウーマンだから、とにかく格好いい。髪を耳にかけるちょっとしたしぐさ、スカーフの着こなし……おしゃれで堂々としている。それでいて、照れくさそうで、かわいらしくて、美しい。私にとって雅子さまは女性が持つべきもの“全部”だったんです。こんな女性、日本にひとりしかいません。一目惚れ。
 この人を追いかけて、誰にも撮れない写真を撮ろう。即、決心しました。
 十代のころから、私は演歌歌手の“追っかけ”をしていました。“追っかけ”のキャリアは長いんです。ただ、芸能人の場合はファンクラブがあります。入会すれば、ファンの集いもあるし、握手もできるし、写真だって簡単に撮れます。ところが雅子さまにファンクラブはありません。当たり前ですけど……。写真はいつ撮れるかわからないし、握手なんてとんでもない話です。
近寄りがたい存在なんです。でもそこがまた、魅力なのです。障害があったほうが、私はファイトが湧くタイプなんです。「よーしやるぞー」と決意を固めました。
 雅子さまのスケジュールは「午前・午後・夜」の三パターンで公表されます。正確な時刻はわかりませんので、「午前」のときは九時、「午後」は十二時、「夜」は十七時までに現場に向かい、撮影場所を確保して待ちかまえます。
 現場には二〇人くらいの“追っかけ”仲間が来ています。四十代から五十代の女性で、毎回現場で会ううちに顔見知りになった人たちです。ふだんのつきあいはないのですが、その日に来られなかった人がいれば後で写真をあげたり、トイレに行くときに場所をとっておいてもらったり、いわば“同志”です。とはいえ、仲間内でも場所とりは早い者勝ち。人より一分でも早く駆けつけなければなりません。
 都内の現場で「午前」のときは千葉の自宅を朝七時に出ます。場所を確保してから、一息ついて、おにぎりかパンで朝ごはんです。
 シャッターチャンスは二回。両殿下が車から降りて建物にお入りになるときと、お出になるときです。しかしお入りになるときは、車が建物のすぐ近くに停められてしまい、あっというまにお入りになられるので、ほとんど撮影は無理。ですから、勝負はお帰りのときです。歩いて四、五歩ほど離れた所に車を停車させてあるので、それだけチャンスが長いわけです。
「殿下!」
 おふたりにお声をかけて目線をいただこうとしますが、うまく撮れる確率は五十パーセントぐらい。ほんの一瞬のことですから。――。現在は一眼レフに望遠レンズまで揃え、連写シャッターをきりますが、それでも一回で三枚くらいしか撮れません。
 私はプロではありませんから、失敗もしょっちゅうです。フィルムを入れ忘れたこともありますし、雅子さまのあまりの美しさにみとれて、シャッターをきるのも忘れたこともあるんです。
 それでも楽しい。私にとっては至福のときです。失敗しても、次は頑張るぞ! とかえって気合いが入るくらいです。
 いつも感じるのは、両殿下の仲の良さと雅子さまの優しさです。皇太子殿下は歩きながら、雅子さまに何か話しかけられる。すると雅子さまは耳をすっと殿下のほうへ近づけて、うなずいたり、微笑んだりされる。お話の内容はわかりませんが、そのお姿だけで、見ている私たちの心まで和んでくるんです。
 雅子さまは車に乗ると、必ず窓を開け、私たちに手を振ってくださいます。テレビでもよく放映されるシーンですが、じつは雅子さまは、私たちの前を通り過ぎた後も、後ろ側に向かって身を乗り出すように、いつまでも手を振ってくださるんです。あの優しさは形だけではないんです。
 
家族の応援あっての活動
 現在私は専業主婦。電子部品メーカーに勤める主人と、一歳の娘がいます。あたたかい日は、おむつ、ミルク持参で娘を連れて“追っかけ”に出かけるんです。
 始めた当初、主人は「そんなことしたら迷惑になるからやめろ」と反対していましたが、私の撮った写真を見るうちに「こんないい写真が撮れるなら」と今では応援してくれます。今回の写真集の出版も、一番に喜んでくれたのは主人。本当に感謝しています。
 主人からすると“追っかけ”帰りの私が、いつも上機嫌だというのも応援してくれる理由のひとつでしょう。
 実際雅子さまを拝見すると、不思議なことに、からだも心も軽くなるんです。一瞬でセキが止まり、熱も下がりました。“追っかけ”仲間のなかには長年の持病がケロリを治ってしまった人もいるくらいです。
 私はふだん、お化粧しないのですが、“追っかけ”のときだけお化粧します。スーツ姿で出かけることもあります。あこがれの雅子さまにお会いするわけですから当然です。となると気分も違ってくるんです。
 雅子さまのおかげで、私は身も心も若返ることができるんです。
 でも甘えは禁物。家族の迷惑にならないように“追っかけ”も節約を心がけています。
 一ヵ月の予算は現像料金も含めて一万五〇〇〇円と決めています。
 地方への“追っかけ”はまず県庁の広報課に電話して場所を確認。そして最も安上がりなルートを調べます。宿泊もホテルではなく、健康ランドを利用するんです。
二〇〇〇円くらいで、お風呂に入り、そのままソファーで夜明かしするわけです。
「あなた、雅子さまの“追っかけ”の人?」
 テレビでたまに紹介されるせいか、行く先々で、地元の皆さんに声をかけられます。
「そうです」と答えると「大変だね、こんな遠くまで。車で連れてってやろうか」などといわれることもあり、地方へ行くと、皆さんとても親切にしてくれるんです。
 タクシーやバスの運転手さんも「お金はいいから」といってくださったり、現場で待ちくたびれていると、ご近所の方が「ウチに寄っていかない」とお食事をご馳走してくれたり、泊めていただいたこともあるんです。芸能人の“追っかけ”だったらこんなことありえません。皆さん、雅子さまを尊敬し、愛していらっしゃるから、私のことも大切にしてくれるんでしょうね。
 雅子さまパワーに支えられているんだな、とつくづく痛感させられます。
 八年間の“追っかけ”で最高の瞬間といえば、迷わず、九八年十月、長野県の車山高原でのことです。
 両殿下到着の三時間前から、私は山頂でお待ちしていました。報道関係者とは別に、一般の人は一ヵ所にまとめられたのです、私はすかさず、最前列に陣取りました。
 やがてカジュアルなシャツに赤いリュックを背負われた雅子さまが、皇太子殿下と歩いていらっしゃいました。いつものようにカメラをかまえようとすると、おふたりが私たちのほうに歩み寄られたんです。
 からだが震えました。あこがれの雅子さまと目が合ったんですから。
「おはようございます」
 と私。すると雅子さまは皇太子殿下の肩をとんとんと叩き、私を紹介するかのように、耳元で何かおっしゃってにっこりされました。
「写真はうまく撮れましたか」
 皇太子殿下が私にお尋ねになりました。
「はい。緊張しながらでも撮らせていただきました」
 まるで園遊会に招かれたようで、もう何が何だかわかりません。すると雅子さまも私に対して、
「いつ来られたのですか。いつまでご滞在ですか。山は初めてですか」
 とご質問されたのです。
「皇太子ご夫妻がお見えになった当日に長野に着きました。皇太子ご夫妻がお帰りになる翌日に帰る予定です」
 やっとの思いで私の日程をお話ししました。こんなこと聞いてくださるなんて。私は勝手に“追っかけ”ているだけなのに。そればかりか、おふたりは、
「ありがとうございます」
「いい旅を続けてください」
 とおっしゃってくださいました。
 感動、感激を通り越して、私は震えが止まらず、涙があふれてきました。あのときの雅子さまの優しいお声。私の心に刻まれた一生の宝物です。
 
雅子さまからいただいたもの
 これまでに撮影した写真は約五〇〇枚にのぼります。あらためて見なおしてみると、いろいろな“発見”があるんです。
 たとえば、ファッション。いつもまばゆいばかりのセンスで私にはあこがれ以外の何物でもないのですが、毎回違う服をお召しなわけではないんです。
 雅子さまは同じ服をいろいろと組み合わせることでバリエーションを演出していらっしゃるんです。小物使い、アクセサリー、カチューシャ……。雅子さまの手にかかると服は“万華鏡”のように生き生きと印象を変えるんです。
 九六年に那須へお出かけのときのストライプのジャケットは、九九年の下田へもお召しになっています。ちなみにこのときの皇太子殿下のジャケットも、九六年、横浜八景島へお出かけのときと同じものでした。
 これはいつの服? パズルの謎解きのように考えるのも“追っかけ”の楽しみのひとつです。
 皇太子ご夫妻は私たちと同世代です。近寄りがたい存在であると同時に私たちが共感できる、素晴らしい“お手本”でもあるんです。
 九年前、小和田邸で初めて拝見した“雅子さん”が、お妃教育から結婚の儀、ご出産と拝見するたびに、凛とした“雅子さま”へと歩まれてゆく。
 見ているだけでも、同じ“女性”として励まされる思いがします。
 雅子さまが微笑むと、私の心も自然と和らぐ。颯爽と歩けば、私も背筋がシャキッとします。おふたりが仲むつまじくされているのを見て、私もあらためて主人や娘を愛してゆこうと心から決意しました。
 元気、勇気、そして愛。私は八年間、雅子さまを“追っかけ”たつもりでしたが、じつはずっと雅子さまから大切なものをいただいていたんです。
 そのことに気づいてから、ますます雅子さまが好きになりました。
 敬宮愛子さまのご誕生も自分のことのように嬉しかった。ご祝福申し上げます。
 次の目標は皇太子ご一家のスリーショットを撮ること。タイトルは「あこがれの皇太子ご一家」と決めています。
 余談ですが、娘の誕生日は皇后さまと同じ十月二十日。出産は夜だったのですが、「何としても今夜中に、皇后さまと同じ日に」と念じて、出産の痛みに耐え、無事に産むことができたのです。
 皇室は私たち家族の愛の原動力。
 末永くお幸せに、と願わずにはいられません。


『週刊新潮』2015年1月8日号<「雅子さま」追っかけおばさんが“写真集2冊出版でも”生活保護だった>レポと、「小林晴美、新潮嘘ばっか!働かずに追っかけだけやってるのに月8万働いてるとか、嘘だし!あいつ、離婚後は子供も旦那が引き取ってるし、なんでもらえるんだよ!」との書き込み編集

Part2910-29 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/12/25(木) 18:41:37.72 ID:OOHdw65b0
レポ転載
新潮

「雅子さま」おっかけ叔母さんが生活保護だった
・高校生の頃天皇皇后両陛下の車両に遭遇、美智子さまに感激し皇室ファンになった、
関東近郊に住む40代半ば独身、皇室を取材するマスコミや皇宮警察官の間で超有名な女性。
雅子のお妃教育から小和田邸に通い、小林春美名義で「憧れの雅子様」「愛子さまこっちをおむきになって」を出版、
皇太子から出版おめでとうと声ををかけられるなど皇太子夫妻”公認”のおっかけ。
「彼女は生活保護を受けている。にもかかわらず地方にもよく出没、
交通費や宿泊費をどうやってねん出しているのか話題になっている」(追っかけ仲間)
夫が働けなくなった15年前から生活保護受給、4.5年前に離婚、
離婚後警備の仕事をしていたが、体調を崩して仕事を辞め、今年6月から毎月12万貰っている。
追っかけ費用は生活保護費の残り、地方へは前の仕事の貯金、貯金の事は内緒にして欲しい(本人)
生活受給者にへそくりがあろうとは、皇族方も苦笑いを禁じ得まいで〆


380 可愛い奥様@転載は禁止 2014/12/26(金) 21:22:32.51 ID:SNN/fj8q0
小林晴美、新潮嘘ばっか!
働かずに追っかけだけやってるのに月8万働いてるとか、嘘だし!
擁護記事書いてる新潮もおかしい。
千葉市、どうにかしろよ!
あいつ、離婚後は子供も旦那が引き取ってるし、なんでもらえるんだよ!

383 可愛い奥様@転載は禁止 sage  2014/12/26(金) 21:33:12.21 ID:SNN/fj8q0
私は主に皇后さまと秋篠宮ご一家を追っかけをしている者です。

あいつは、雅子だろうが誰でも良くていつも出没します。離婚後40過ぎからずっと
生保もらっています。記事に書かれてるように結婚中も旦那が癌だと偽り生保暮らしです。
2度の離婚後、なぜだか独り身なのにもらい続けています。
それで、皇后さま、紀子さま、雅子、それから他有名人の追っかけもしています。
千葉市在住。なぜ、こんなに活動できる人が生保受けれるんでしょうか?追っかけ仲間に
今回の記事のこと宣伝していましたし。感覚が違うんでしょうね。

384 可愛い奥様@転載は禁止 sage  2014/12/26(金) 21:36:07.34 ID:SNN/fj8q0
小林晴美みたいな人がは皇后さまや紀子さまの前に現れてほしくないです。
税金泥棒ですもの。


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