というエントリーを書こう!あーでもやる気でねー…などとグダグダしながらツイッターを徘徊していたところ、偶然こんなつぶやきを発見しました。
誰が書いたかではなく何を書いたかで考えたい - おうつしかえ (55 users) http://t.co/pHjcG3DZcx 39件のコメント http://t.co/E2Ttco4Ph5
— はてなブックマーク::Hotentry (@hatebu) July 20, 2015
似たようなことをぼくも書こうと思っていたので、ビックリしました(笑)
ばんばんさんとは書く切り口が違いますが、今回はこちらのタイトルについて、ぼくが日頃から思っていたことを書きたいと思います。
「何を言ったか」を大切にしたい
ぼくがこれを強く意識しだしたのは、約6年前。地方で働いていた時でした。
そこは店長、副店長、主任、副主任、平社員、アルバイトと明確な序列があって、それぞれの役割を担いながら仕事をしていました。
ちなみに業種はサービス業だったのですが、よくありがちな「古参アルバイトが幅をきかせる」ようなお店でした。慢性的な人手不足だったので、アルバイトに機嫌を損ねたら仕事に支障をきたす。ということで、社員の誰もが逆らえない。店長をはじめとする役職連中は皆、アルバイトにペコペコする逆ピラミッド状態でした。
そうなると役職連中というのは、自分たちに逆らってこない若手社員や、気の弱いアルバイトさんなどを標的にして、パワハラまがいのことをしていました。いじめの構図と全く同じですね…。
そのやられるメンバーの中にはぼくも含まれていて、当時入社2年目の若手社員+いじられキャラだったこともあって、ボッコボコにされました(口も手も出されました)
特によくやられたのが「意見を聞き入れてもらえない」ということ。それも「話にまとまりがない」とか「その理屈はおかしい」というような意見の中身に対しての反対ではなく、ひたすら
「お前の意見なんか誰が取り入れるか」
という状態。「ぼくの言うことがおかしいから」ではなく「ぼくがおかしいから」という理由で、意見は全て却下されていきました。
スタッフの中には、古参の発言力のあるアルバイトやチンピラのような自分の意見が通らないと恫喝してくるような社員もいました。そういう人間の意見はことごとく承認。信じられないかもしれませんが、本当にそんな店でした。
おかげで、ぼくがその店にいた1年間の中で社員・アルバイト問わず10人以上が退職。1ヶ月に最低1人は退職していくような環境でした。その店の中で唯一尊敬していた上司も、退職してしまいました。
そしてぼくは、その店で働き始めてから1年後に別店舗へ異動をしました。
「もう心身ボロボロ、何も楽しくない1年だった。自分は何のためにいたのか、ただのサンドバックだったのか。もうこんな仕事辞めてしまおうか…」
と思いながら次の店に異動。もうそこで辞めるつもりだったのですが、そこは前の店とは違う「何か」を感じました。
その違いとは「何を言ったか?を重んじている店」ということでした。
前の店では「ぼくの意見だから却下」というのが当たり前でしたが、そのお店では「ぼくが言った◯◯がダメだから却下」となり、逆に良い意見なら採用されることもしばしばでした。
また、ぼく以上に発言力のない人も数多くいましたが、その人たちでも意見の内容が良ければ褒められていたし、提案が店のオペレーションとして採用されていく。というのを目の当たりにしました。
実はその店は、創業者である会長の長男が店長を勤めていたお店。
そこに異動するまでは「ワンマン」「鬼軍曹」「機嫌を損ねると一生出世できない」などと脅されていましたが、一緒に働いてみるとその店長は
「よい店づくりのために大事なのはスタッフ。トップダウンも大事だが、ボトムアップはもっと大事だ」
ということをしきりに話していました。そのため、ぼくのような若手平社員の意見でもどんどん採用してくれていたんだなと思いました。
そこでぼくは「この人のためにもう一度頑張ってみよう」という気になり、とにかく「誰が言ったか」よりも「何を言ったか」を重んじることに努めました。前の店では却下されたような提案も、この店では採用されることもしょっちゅう。ああ、やはり前の店ではぼくはナメられていたんだな…と思いました。
その後、書店でたまたま手に取り、今やぼくのバイブルとなっている一冊の本に出会いました。
この本とは本当に偶然出会ったのですが、この中には
伸びる20代は「何を言ったか?」を重んじる。
沈む20代は「誰が言ったか?」を重んじる。
という一節があります。
そのフレーズを目にした瞬間、全身に電流が走ったような感覚になり、
「これだ!これがぼくが探し求めていた本だ!!」
と直感しました。それからは、著者である千田先生の本を片っ端から読み漁り、このブログにも「千田琢哉」というカテゴリを作るほどのファンになりました(笑)
その後、震災等も含めて紆余曲折あり、ぼくはその会社を退職しました。良いこと悪いこと色々ありましたが、その会社での一番の思い出は?と聞かれたら異動先の店で働いたことだと言うでしょう。そして、そこで学んだ「何を言ったかを大切にする」というのは、今後も変わらないと思います。
ただ「誰が言ったか?が大事ではない」ということではありません。実績が説得力を生み出すのは当然です。イチローが世界中の野球ファンからリスペクトされているのは、それだけの実績があるからでしょう。
しかし、誰が言ったか?の一辺倒を仕事に持ち込むと、その人の顔色を伺う意見しか出てこなくなり、最終的には力のある人のイエスマンのみが周りを固めることになってしまいます。それでは、建設的な意見は出てこなくなってしまうでしょう。上に書いた異動前のお店が、正にそうでした。
ぼくは出来る限り「誰が言ったか」よりも「何を言ったか」を重んじていこうと思います。長くなりましたが、お読みいただきましてありがとうございました!
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