我が家には2人の男の子がおります。上の子は5歳になるんですが、そりゃもう色々なことをやらかして何度も叱ってきましたが、叱る時の親(つまり私の方)の心の持ち方を変えたことで、子どもとの関係性がよくなったなーと思うことが最近あり、今日は「叱り方」について書いてみようかなと思います。
叱ると子どもは「ぴきーん」となる
叱るネタは何でもいいんですが、子どもに「これ!◯◯しないとダメじゃん」とか「◯◯しちゃダメだよ!」と強い口調で叱ると、だいたい子どもは「ぴきーん」と硬直して、こちらの言うことを素直に聞くこともできず、ややもすれば、強い口調で何か言われた、ということに拒絶反応を示して、反対にこちらに怒ってきたり、泣いたりしてしまうことが多いなぁと感じました。
で、そのとき私は何をしてたかというと、「素直に謝ったり、自分の非を認めないなんて困ったヤツだ」などと思いながら、繰り返し指摘したり、「ハイ」とか「ゴメン」とかの台詞が出てくるまで、叱り続けていました。
こんなことを続けるうちに、だんだん子どもとの仲も悪くなり、自分自身もストレスがたまり必要以上の強さで子どもを怒ったりしてさらに悪循環に入っていく状態になっていきました。
しつけは「伝えるまで」でいい
そんな感じでモンモンとしていたんですが、とあるときに読んだ本に書いてあったことが目からウロコだったわけです。
詳細は、こっちの記事で書いてありますが、この本の中から私が勝手に読み取ったことが以下です。
しつけは言って聞かせることがゴールではない
伝えるまでがしつけ
伝えて子どもが聞いてくれなかったらどうするか
また伝えればいい。聞いてくれるまで伝えればいい
「ごめん」と言わせるのは自己満足だった
この本を読んだ後に感じたのは、叱ったときに子どもに謝らせたり、「わかったの?」「はい」と言わせることの無意味さです。子どもであろうと大人であろうと、人から強い口調で指摘されて心がささくれ立ち防衛反応に入っているときに、その場を取り繕うために「ごめんなさい」とか「はい」とか言うことに、しつけの観点では何の意味もないなと。絶対、心の奥まで自分のしたことを振り返れてないからね。
これは単に叱った側の自己満足や、叱ったという行為を叱った側がキレイに終わらせたいがために「ごめんなさい」とか「はい」とかいう反応を求めているだけなんだなー、ということに気づいて、少しだけ恥ずかしくなりました。そしてこういうことを続けていると、子どもがそれに気づいてその場を取り繕うために、叱った側が満足するような相づちや返事をするようになる、というまったく私が求めていない表面的なことを子どもが覚えていく、ということにも気づきました。
信じてバックグランドプロセスに投げ込めばいい
そんなことに気づいてからは、叱るときは、子どもに認識さえしてもらったら、あとはレスポンスを待たずに放っておくようにしました。スネてようが、聞いてないふりをしてようが、うるさそうにしてようが、おかまいなしにしました。「言ったからね、次からちゃんとやりなよ」くらいまでにしました。認識さえしてくれれば、「うちの子は分かってくれるはず、分かってなくてもまた言うからいいや」そんな感じのスタンスになるように心がけました。
例えるならコンピューターに、バックグラウンド処理のコマンドを打つみたいな感じでしょうか。同期処理のように処理されたすぐ「完了しました」みたいなメッセージが来るわけではないんだけど、裏で非同期で色々なタスクと一緒にゴロゴロ動いているはずさ、もうコマンドは打ったし、、、、そのくらいの期待値で叱るように心がけました。
そうすると面白いもので、その場で強くガガガガガーーっと叱るより何倍も言うことを聞いてくれてるし、伝わっているんですよね。
やっぱり、「伝えて信じて待つ」という、相手への信頼をベースにしたコミュニケーションの方が、子どもからすれば受け入れやすいってことなんだろうなあ、と感じた次第です。
さいごに
きちんとその場で言い聞かせないと危ないことや、どうしてもいわなければいけないことを除けば、大体のことはここまで書いてきた叱り方で充分事足りることに気づいてからは、だいぶ5歳のジュニアとの関係もよくなった気がします。
子育てしてると余裕がなくなり、ついつい気合いを入れすぎた叱り方をしてしまうこともありますが、ふと立ち止まってみてよかったなーと思った話でした。
そんじゃ今日はこの辺で。
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