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※ストーリーに触れているので観賞予定の方スルー推奨。ハネケやファルハディが好物であれば一も二もなく推奨。
もはやあなたはわたしの知っていたあなたではなく、ならばわたしもあなたの知っていたわたしではないのだろう、そしてどれだけ懺悔と悔恨と反省と謝罪の限りをつくしたところで、わたしたちは何か知らないけれど決定的な存在にボディスナッチされたことによって永遠の別物に変質してしまい、そして何より震えあがるのは中味がすり替わってしまったことを互いが知っているということに他ならず、それは言い換えてみれば今後は赤の他人と共に子供を育て、食事をしキスをしてセックスをし、笑ったり泣いたり慈しんだり腹を立てたり慰め合ったりしなければならないというわけで、そうした責め苦のような人生はもはやホラーとしか言いようがないなどと見切ったつもりにでもならないと、それが自分の身に起きた時のことを想像するだに、そしてそれが紙一重の容易で起きうるだけに怖ろしくて仕方がないのである。妻エバ(リサ・ロブン・コングルシ)には仕事中毒などと揶揄されつつも、家族で惰眠をむさぼる最中にかかってきた電話をためらうことなく放っておく様にも見てとれるように、トマス(ヨハネス・バー・クンケ)は決して家庭を顧みない男ではないことがあらかじめ告げられているし、問題の場面におけるトマスの行動のいっそ清々しいほどの迷いのなさを見るにつけ、フランス語タイトルの”FORCE MAJEURE”(不可抗力)の意味合いが、彼の行動を正当化するというよりはこの家族の人生に立てられた爪に名づけられた名前であった気もしてくるのである。そしてついには、俺には悪魔が憑いていて自分でもどうしようもないんだ!と瓦解するトマスに一家総出で悪魔払いの茶番を施すことで息を整えはするものの、これを家父長制における父権の喪失とする切り口はむしろ一面に過ぎず、ラストにおいてエバは、かつてトマスがそうしたように家族の誰にも目もくれず一人そそくさとバスを降り、あれほど母性をふりかざしてトマスを責め立てたにも関わらず娘の面倒を他人であるマッツ(クリストファー・ヒヴュ)に押し付けるかのごとく頼んで気にも留めず、トマスにしたところで息子が「パパ、タバコ喫うの?」と呆気にとられるのもおかまいなしに家族の前で貰いタバコをやおらふかし始めるのである。そうした一連のヒステリックな騒ぎをよそにたった一人バスに残り悠々と山を下って行くシャーロット(カリン・ミレンベルグ)が、劇中でモラルと自律についてエバが気色ばんだ言葉をぶつけた女性であったことを想い出してみれば、バスを降りた人々とシャーロットとの対比は人生のリスク、要するに自身の外縁を意識しているかどうかにおいて明らかで、トマスやエバたちバスを降りた人々は今ようやく自身の足で歩き始めた人たちであって、そのことに対する気恥ずかしさと、いったいいつまで歩けばいいのだろうかという不安にとらわれつつも、この判断と決断を正しかったと思うしかないのだという諦念を捉えたラストショットに、皆の愛するヒューマニズムを取り上げては隠してしまうハネケ直系のショック療法を観た気もしたのである。言うまでもなく不穏と不安定を煽る音響の秀逸なデザインにもハネケの好ましい影がちらついていて、そもそも耳の悪い監督には精神と神経を素手で撫でまわせすのは無理なのである。これはある意味ネタバレにもなるけれど、夜のゲレンデをヨロヨロと飛ぶドローンがUFOに見えた瞬間、もしかしてこれは「ラブラブエイリアン