22歳の大学院生のことば。本当にそのとおりだと思う。 pic.twitter.com/UFnsXIqbkA
— Kubota, Nozomi (@nozomi1950) 2015, 7月 18
これは重大な指摘だ。
そしてこのような発想は、若者の多くの共有することだ。これからの時代はつめこみ教育ではない。
不景気時代に生まれ育ちながらも、暇をいっぱい与えて、独創性をはぐくもうと始めた「ゆとり教育」だったが、その恩恵を受けて育ったいまの若者は、あとになっていきなり「脱ゆとり」で梯子を外されてしまった。急に教科書が分厚くなり、押しつけがましくなり、すでになくなっていたはずの道徳教育が復活し、制服の着こなし方や就活時のスーツの規定とかがやたらが煩くなり、バブル時代寄りも厳格になっている。しかし、それをしっかりと倣ったところで高卒者や大卒者が安定した稼ぎのいい仕事に就く保証はない。
まさに高校生や大学生の「SEALDs世代」はその当事者だ。
若い世代の深刻な懸念は「経済的徴兵制」である。
これはアメリカに由来するものだ。アメリカではベトナム戦争後の1970年代に制度としての徴兵制を廃止している。しかし、その後格差社会が明確なものとなり、もし低階層の親のもとに生まれればその子はその貧困を引き継ぎ、さらに孫へと渡るような流れができてしまい、階級上昇が困難になってしまった。
そうした低階層の若者が、大学への学費を稼ぐためだったり、家族の医療保険のためにリクルートされるのが軍隊である。21世紀のアフガン戦争もイラク戦争も、そうした若い兵隊たちが支え、戦地で死んだり、PTSDに悩んでいる現状がある。しかし、アメリカの低階層は右翼化しているため、貧困対策などで政府への批判につながるどころか、ブッシュ政権みたいなものを渇望し、右翼的なキリスト教カルトにハマったり、FOXニュースを見たりして「USA!USA!」と熱狂するのだ。
日本でも経済的徴兵制の道は確実にできている。
ゆとり世代が生まれ、物心ついた頃はまだ、国民総中流だった。サラリーマンも、高卒工員も、自営業者も同じような暮らしをしていた。しかし、その後急激に社会構造が変わった。たとえば従来、高卒者を受け入れていたような大工場はどんどん整理縮小され、付随する下請けの工場も廃業していく流れは当面続いている。90年代以前であれば地元のたくさんの高卒者を終身雇用で雇っていた工場が、今いる社員のリストラに奔走し、派遣バイトに切り替えている。フルキャストとかで「軽作業」と称して最低賃金で雑務をやらせるわけである。実際、そういう日雇いバイトをやってみるとわかるが、たとえば「中学時代にイジメに遭って引きこもりになったニート」みたいな少年少女がいくらでもいる。彼らに「普通の人生」に軌道修正させる道は一切存在していない。
私が得に危機感を抱くのは、最近の「マイルドヤンキー称賛」の流れだ。2000年代以前であれば、ヤンキーは悪きものとされていた。バラエティ番組でさえ「電波少年」で松村がチーマーをしかりつけるような企画をやっていたし、「学校へ行こう!」ではヤンキーギャルを清楚な女子に変身させる企画をしていた。NHKにもなればそもそもヤンキー的な若者は最初から画面に出てくることはなく、珍走団や成人式の大暴れが「クローズアップ現代案件」になるくらいだった。行政や政治は触れることなく、社会の合意として「若者はチャラくなりたがるものだが、そうなってはいけないよね」というものがあった。
だが、2010年代になるとどうか。AKB48やEXILEや嵐とかが急に称賛されるようになった。AKBを地下アイドル時代からゴリ押ししたのは、むしろ民放よりもNHKだった。EXILEと嵐は1999年の結成だが、結成当時以上の盛り上がりが2010年代になって急に発生するようになり、それらに湘南乃風をふくめた「マイルドヤンキー文化」をNHKが推すようになった。本来マイルドヤンキーの文化だったヒップホップダンスが文科省公認の体育科目になり、その関係からEXILEは教育テレビでダンス教育の番組をやっている。NHKではAKBやEXILEのドキュメンタリーとか、ライブ映像とかをやたら放映しているし、紅白ではもはや常連出演者だ。
そして、これらマイルドヤンキー音楽のアーティストたちはお上にも距離が近い。地元で観光大使になって県庁(県知事)を表敬訪問したりもする。県職員が恋チュンを踊ったり、AKBやEXILEの楽曲が音楽の教科書に載ることも当たり前だ。英語などの教科書にこれらのアーティストは「日本のポップカルチャーの象徴」として取り上げられている。不思議ではないか。他国の文化を理解するための英語の教科書で、なぜ自国の文化を学ばされるのか。戦前は英語教科書が軍国主義のダシに使われたが、その歴史をまるでたどっていないか。
安倍首相はEXILEのコンサートに出向いて彼らと記念写真を撮ったことがある。安倍がべた褒めした「Rising Sun」の歌詞は、震災後の日本の「国威高揚」の意図がこめられているようなものだ。安倍はAKB48のプロデューサとも懇意だし、マイルドヤンキー文化は「安倍の日本」でいいように利用されているようだ。
したがって若い世代のマイルドヤンキー層は、従来のような若者叩きを浴びることがなくなり、「俺たちは大人から見捨てられているんだ」と言う反発意識を持たなくなる。むしろ「世間は俺たちをかついでるんじゃね?」となる。本来は、ヤンキー系に染まらないはずの公立進学校の平均的な生徒とかも、「教科書が用いてNHKや行政・政権が肯定する文化」であることを理由に、こういう文化圏に後ろめたさを感じることもなくこっちに染まるようになる。
で、もしも、だ。
もし仮に安倍政権が南西諸島沖とかで「危険な火遊び」を起こし、実際にドンパチが始まったとすれば、どうなるか。そしたら平成の軍歌を歌うのは間違いなく、J-POPの面々だろう。先の大戦で軍歌を歌った歌手はみんな軍人ではなく、戦前時代は洋楽のカバー曲を歌っていたようなポップアーティストそのものだった。特殊な右翼趣味者ではなく普通の大衆が、軍歌に熱狂したのだ。それと同じことが、下流の若者の間で起きたらどうなるか。一斉に志願兵が大量発生し、「戦地に行かない若者は非国民」のレッテルを貼られるようになるに決まっている。隣組(日本版ゲシュタポ)みたいな密告組織を作らずとも、「ネット原住民」が率先して戦地に行くことを拒む学生の個人情報を発掘し、いわゆる「ネット私刑」の理屈で排斥扇動を行うわけだ。
AKBの総選挙とか新曲CDがこんだけ売れたとか人気メンバー脱退とか、そういうどうでもいい芸能面の小さな記事でいいことを、朝日新聞が大々的に社会面で報じたり、NHKニュースが長いVTRを割いて放送しているのは、まさにそういう時のための布石にしか思えない。戦時中、軍国主義を最も煽ったのは朝日やNHKだったことは誰もが知ることだ。
薄給な仕事・・・たとえばフリーターや派遣工員もそうだし、高齢者福祉施設とかに居る若者はもれなくマイルドヤンキーである。少しチャラければEXILEか湘南乃風のファンで、オタク系なら「ニコ厨」でラブライブだの初音ミクだの艦これ(腐女子ならとうらぶ)だのというベタなニワカオタクコンテンツを追及するもので、そのどちらサイドにもAKBファンやジャニーズ好きがいる。
彼らの生きている空間は予想以上に小さい。同世代の同僚数名と、昔の同級生の親友数名の数えるほどの固定化された人付き合いがあればいいほうで、情報源はチャラければLINEの閉ざされたアカウントか、あるいはオタク系ならハム速か、そしてテレビ地上波のワイドショーかバラエティ番組である。海外文化や凝った文化の知識は皆無だ。
この狭い世界の情報はいとも簡単に支配し、洗脳することができる。まとめサイトがネトウヨのデマを拡散すれば、愛国バラエティやワイドショーが日本スゴイ話や嫌韓嫌中を煽れば、センセーショナルな話題に誰もが簡単に迎合する。羽田からフラット行けるソウルや上海にも行こうとせず、中華街やコリアタウンすら縁が遠いからこそ、好きなだけアジア憎悪をぶちまけて下流層のストレスを発散し、そして愛国意識のマスターベーションに耽るわけである。アメリカの下流そのまんまの世界だ。進化論を否定する福音派愛国カルトの代わりに、靖国神社に偏った神聖視で崇めたり江戸しぐさや親学や便所を素手で掃除したり深イイ話やケータイ小説やドラえもんや永遠のゼロで感動する貧困な精神論の持ち主である。
つまり、私から見れば安倍政権1つの問題ではない。2000年代以降の政策全般の問題であり、建前上は政府を批判しながら会食漬けでズブズブの記者クラブマスメディアも同罪である。従来いくらでもあったはずのマトモな権力監視・批判や教養をつけるような読み物記事を紙面からパージして、「AKB総選挙大特集」とか「ワンピースで学ぶ日本社会」みたいな記事に差し替えて、それらゴミみたいなコンテンツをトータルで「クールジャパン」と総称して国威高揚に回収させていることを許す朝日新聞の記者も、国営放送からNHKらしい番組を打ち切らせ、ストレートニュースや教養番組の代わりに民放の猿真似番組やネット原住民のサブカル番組を充実させているNHKも同様に問題だ。
そういう日本のマスメディアよりも、海外メディアのほうがSEALDsのデモをちゃんと放送しているのだ。それほど今の日本は、政治とマスメディアの中央集権支配階層が狂っている。