明治・大正の作家の自筆原稿を見て、「(旧字でなく)常用漢字を書いている⁉︎」と驚く人がいる。作家は新字体を書いているわけではなく、当時普通に用いられていた俗字・略字を書いているに過ぎないのだが。
たとえば作家が「体」と書いたとしても、その当時なら印刷所では「體」を拾うのが普通で、それが現代では常用漢字に直して「体」となるが、べつに原稿に忠実にそうしたわけではない。
もっとも、作家の書いた異体字が活字ケースに在庫している字と同形だった場合には、その形のまま拾われることもある。漱石の書いた「双(雙でなく)」や樋口一葉の「皈(歸でなく)」などはそんな事情があるかもしれない。
さて、『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」原稿のすべて』から、異体字に着目して拾ってみよう。
前回にも触れたが、賢治さんは同じ漢字を草書で書いたり楷書で書いたり、略字を使ったり正字をわざわざ書いてみたりと、活字本では統一されてしまう様々な異体字を書いている。その理由はわからないが、この原稿の成り立ちの複雑さが一因であるようにも思える。
『銀河鉄道の夜』の原稿は、初めに鉛筆で下書きされ、途中まで青インクで清書された後、また推敲されてブルーブラックのインクで再度途中まで清書され、そこから鉛筆と黒インクで書き足され、直されている。数年にわたる改稿を経ながら、遂に発表には至らなかったものだけに、自筆とはいえ様々な時期の様々な精神状態が積み重ねられた原稿なのだ。
普通に考えても、下書きの段階では心に浮かぶ言葉を急いで文字にしようとするために走り書きとなり、草書や略字が多くなるだろう。一方、下書きを傍に置いて清書するときには、原稿用紙の升目に合わせて一字ずつ丁寧に書いていくから、楷書で書かれ、略字もあまり使わないということになるだろう(実際にどうなのかは検証しなければわからない)。
ここでちょっと脱線して、原稿を活字化する際の編集の問題に触れておこう。
第一章の表題だが、十字屋書店版の全集以来ずっと「午後の授業」となっていたのだが、校本全集からは「午后の授業」となった。賢治さんがそう書いているからだが、もちろん「後」の簡体字が「后」なので、「后」を「後」に直して出版することには何ら問題ない。ただ、『銀河鉄道の夜』の中でこの字が使われるのはこの「午后」と「放課后」、そして「後光」だけであり遣い分けがあると考えられなくもない。校本全集ではその点を考えて「午后」としたようだ。しかし、「后」が出現するのは黒インクの走り書きの草稿であり、「後」はブルーブラックインクの清書の原稿にしか現れない。また「後光」は二箇所にあるが、もう一つは鉛筆の古い草稿に黒インクで手を入れた箇所に出現し、「后光」となっている。要するに賢治さんは走り書きの際には「後」を「后」と書くのであり、遣い分けは存在しないので、「午后の授業」とする理由はないのだ。
繁体字と簡体字の対応という意味では、「燈」と「灯」もそうで、当用漢字字体表までは「燈」だったのを常用漢字表で「灯」に字体変更しているという経緯もある。したがって常用漢字で印刷するならすべて「灯」にしてしまうところなのだが、過去の全集も校本全集以降もこの字については賢治さんの遣い分けに従っている。「電燈」「燈台」などと「あかり・ひ」と訓読みする「灯」を区別しているのだ。
「燈台」のついでに「台」と「臺」について。十字屋書店版やそれを親本にした岩波文庫版ではすべて「臺」、戦後の出版ではすべて「台」に統一されている。賢治さんは「台」と「䑓」を遣い分けの様子なく混在させている。
さて、まず原稿で草書体が書かれている文字を探してみる。草書だということは書体が違う(楷書でない)のだから「異体字」ではないわけで、話が違うことになってしまうが、とりあえずこれは草書だから別問題ということを示すために並べてみる。
「一時間」(黒インク) 「一時間」(黒インク)
「早」(黒インク) 「早」(ブルーブラックインク)
「高」(鉛筆)
「博」(黒インク)
「夜」(黒インク)
「見」(黒インク)
「伝」(黒インク) 「伝」(ブルーブラックインク)
その他にもあるが、草書が使われるのは鉛筆と黒インクのみで、ブルーブラックインクや青インクでは書かれていない。
ただ、「学」だけは、
「学」〈長靴をはいた學者らしい人が〉(ブルーブラックインク)
「学」〈その大学士らしい人が〉(ブルーブラックインク)
と、一度だけ正字を書いて同じ紙に略字(草書の形)を書き、その後もすべて略字である。次の用紙では、二回の「大学士」の間に、
「時間」〈「もう時間だよ。行かう。」〉(ブルーブラックインク)
が書かれているので、この「学」も草書の意識はないように思われる。
また、その前に、
「実」〈くるみの実のようなもの〉(ブルーブラックインク)
「実」〈「くるみの實だよ。〉(ブルーブラックインク)
と隣り合う行に異なった字体で書かれているものもある。「実」も草書の形からできた略字だが、もはや草書の意識はない。
そのほか、字体の異なるものは、
「円」(ブルーブラックインク)
「円」(ブルーブラックインク)
「円」(黒インク)
「図」(ブルーブラックインク)
「図」(ブルーブラックインク)
「図」(ブルーブラックインク)
「図」(鉛筆)
「図」(黒インク)
「写」(ブルーブラックインク)
「写」(黒インク)
「帰」(ブルーブラックインク)
「帰」(ブルーブラックインク)
「帰」(黒インク)
「声」(ブルーブラックインク)
「声」(青インク)
「声」(黒インク)
「奇」(ブルーブラックインク)
「奇」(青インク)
などで、やはりブルーブラックインクの清書の時に正字を書こうとする意識が強い。
もう一つ、賢治さんの特徴的な字体として「北」がある。
「北」(ブルーブラックインク)
この簡化字の「業」(业)のような「北」も面白い。