健康をモラル化する社会『不健康は悪なのか』
「あなたのためだから」というCMを覚えているだろうか?
食べようとするケーキを奪って「あなたのためだから」と言い放つ(終業ぎりぎりでドサッと仕事を渡すバージョンもある)。強く印象づける目的としては、このCMは大成功だ。心ざわつく嫌なメッセージとして、絶対忘れないから。人の為と書いて、いつわりと読む。これは、善意の皮を被せた、人をコントロールする言説だ。
本書を読み進めているあいだ、何度もこの「あなたのためだから」が頭をよぎる。おっぱい育児を推進する全米授乳キャンペーンの話や、ヘルスケア用語に覆い隠された肥満嫌悪、「ポジティブであり続けること」を強要される癌患者、大人の事情により創出される精神疾患など、「健康」という言葉に隠されたイデオロギーが、グロテスクなまでに暴かれる。
「健康」は、一見、誰も反発したり疑義を唱えられない中立的な善のように見える。誰だって病や苦痛を避けたいもの。健康であるに越したことはない。どれだけお金を積んだって、健康はお金では買えない。もちろんその通りだ。本書は、医療に反対しているわけでもないし、病を賛美しているわけでもない。
しかし、誰も反対しないからこそ、この言葉を使えば、先入観を押し付けることができる。無条件に美徳だと認められるからこそ、製品を売るために用いられても、そのレトリックに気づきにくい。本書では、健康という言葉の背後にあるモラル的な風潮をあぶりだす。健康に関する「物語」を疑えと焚きつける。
たとえば、おっぱいではなく人工栄養を与えている母親に、「母乳で育てるほうが健康にいいですよ」という人がいる。その「健康」という言葉の裏側に「おまえは悪い母親だ」という意図が潜んでいる。考えすぎだろ? という人には、全米授乳キャンペーン(National Breastfeeding Campaign:NBAC)のCMが突きつけられる。
赤ちゃんが生まれる前に危険なことはしないのに、
生まれた後にするのはなぜですか
これは、ロデオマシーンから転げ落ちる妊婦や、丸太転がし競争する妊婦を描いたもので、そのメッセージは明白だという。「粉ミルクは危険だ」「妊娠しても過酷な競技をする冷淡な女だけが、粉ミルクを赤ん坊にやれる」という意図を、健康というレトリックで伝えてくる。粉ミルクのリスクを歪め、おっぱいの育児にかかるコストを無視していることを批判する。そして、粉ミルクのコストを再評価し(これは知ってた)、母乳のリスクを洗い出す(これは気がつかなかった)。おっぱいか粉ミルクか選択できるはずなのに、「健康」を盾に母親を脅す、非倫理的な試みだという。
あるいは、ビジネスと結びつくとき、健康レトリックは、非常に巧妙にふるまうことが曝露される。製薬業界の広報活動戦略や、強迫性障害の歴史をつぶさに追いかけることによって、健康マーケティングは「宣伝」ではなく「広報」活動であることが分かる。「治療を売るために病気を啓発する」やり方で、ドリルを売るな穴を売れというやつ。
つまりこうだ、バイアグラを売るためにED(勃起不全)を、アデロールを売るためにADHD(多動性障害)を喧伝する。自社の薬や処置で治療できる病気を啓発することにより、治療法を売り出していく。病気を広く認知してもらう方法も巧妙だ。その病気の患者の権利擁護団体を利用して、権威付けを行う。学術誌そっくりのPR誌を作る。米ドラマ「ER緊急治療室」でアルツハイマー患者役を配役し、番組で治療薬を取り上げてもらうように取り計らう。
私にしか治せない「問題」を売るマーケティングって、どこかで聞いたことがあると思いきや、バーニーズ『プロパガンダ』がしっかり引用されている。日々の買い物から投票行動まで、広告や宣伝活動のからくりを解説した名著で、「騙して賛同させる」ための全てのテクニックが網羅されているといっていい(レビュー:悪用厳禁!『プロパガンダ』)。これ読んだときは、カルト宗教を想起してたけれど、なるほど製薬会社や健康産業に使えば、さらに効果的に「見えない統治者」になれる。
その例として、強迫性障害の神話が指摘されている。30年前までは、非常にまれか、存在すら認められていなかった「病気」が、どのように定義づけられ、拡大され、アル中や統合失調症と並んでメジャーになったかが、パキシルの売り上げと共に描かれている。さらに、売る側が根拠とする学術論文を渉猟し、この障害のグローバル性に疑義を投げかける。
この、科学を装った医療の背信を告発したのが、ヒーリー『ファルマゲドン』。ファルマゲドン(pharmageddon)とは、医薬・製薬企業を意味するファーマ(pharma)と、世界終末戦争の意味であるアルマゲドン(harmageddon)を組み合わせた造語だ。臨床試験データの不正操作や医学論文のゴーストライティングの問題を徹底して追及し、産官学を巻き込んで拡大する薬物治療依存社会を暴きだしている。治療体系を覆す薬効を持ち、圧倒的な売上高を誇るブロックバスター薬をテーマに据え、薬を売るより病気を売れ、エビデンスを売れという「疾患啓発」マーケティングの手口を解きあかす。予防医療としてコレステロール低下薬を常用しているわたしは、さしずめ教育済ユーザーだろうが、その処方箋を書く医師こそが、ファルマゲドンにとっての優良顧客なのだ。
「健康」は商品であり、疾病啓発のマーケティングが世界規模に拡大する様を描いたのが、ウォッターズ『クレイジー・ライク・アメリカ』である。うつ病、PTSD、拒食症など、米国で認められた疾患が、どのように「輸出」され、輸出先の国や文化固有の価値観をいかに歪めていったかがレポートされる。例えば、「うつは心の風邪です」という表現は、マーケティングの成果であり、同時に三つのメッセージを担っているという。(1)風邪と同じくらい深刻ではなく、(2)治療法は手軽で、(3)ありふれた病気である、という印象だ。これは、マクドナルドやディズニーのような、米国製の文化を売るための「健康物語」なのだ。
「健康的な体形」は、それにそぐわない体形に烙印を押す。「健康的な生活」、「健康的な食事」、「健康的なセックス」など、この言葉に訴える際、ある種の価値判断が密やかに発動する。ダイエットやフィットネスといった言葉を援用することで、健康への欲望を作り出し、操作することが可能だ。その価値判断は、健康の名のもとに押しつけられるため、健康ファシズムと呼ばれている。まさに「あなたのためだから」健康暴力が許されるのだという主張だろう。
『不健康は悪なのか』は、健康を巡る不健康な言説の論文集だ。医療、倫理、フェミニズム、哲学、法学など、さまざまな立場の著者たちが多方面からの切り口で、健康をめぐる嘘と神話が暴き出されてゆく。本書を通して常識を疑うことで、「健康」というマジックワードから自由になれるだろう。同時に「あなたのため」を思っている隣人が、企業が、国家が、ほんとは何のために「健康」を押しつけてくるのかを知ることになるだろう。
健康というレトリックに隠れた、イデオロギーを疑え。
| 固定リンク
コメント