開運!なんでも鑑定団【本物!?書類の中から芥川龍之介の手紙が】 2015.07.19


(3人)こんばんは。
さぁ「鑑定団」始まりました。
よろしくお願いします。
いや〜今日のゲストの方は存在感がすごいですね。
あれ?この間来はったばっかりですよねみたいな。
2か月前くらいやんねっつうて調べたらもう1年ぶりくらいなんですよ。
だからいかに残像が長く残る方かっていう。
早速本日のゲストをご紹介しましょう。
この方でございま〜すどうぞ!東京都からお越しのこちらです。
いやもう…。
すごいだろ?もう自由な動線で。
だんだんね俺の扱いが悪くなってる。
えっ!そんなわけないじゃないですか。
だって三十何回出てんだよ。
ディレクターが今日来て「巨泉さんいつも出てきたときに真ん中に立ちすぎます。
ちょっと端へ立ってください」。
お前いくつ?僕49になりました。
俺81なんだよ。
81で49のテレビタレントと同じようなズボンはいていいかなと思って今日はいちばん細いズボンはいてきたの。
細身ですね今日は。
あら〜。
それで紫のジャケットだろ?そうですね。
昭和9年会ってあったじゃない。
はい。
うちの親父も昭和9年なんですよ。
こんなせがれいたら嫌だなぁ。
いやいやちょいちょい…ちょいちょい!芸能人の息子ってよく麻薬や何かで捕まったりするじゃない。
芸能人の割合で言うたらもうこんなもんですよ。
だけどそのために必ずお父さんやお母さんが「申し訳ございません」って。
嫌だよお前のために俺謝るの。
俺やりませんよ。
あぁそっか。
ここ2回くらいもうちょっと連敗されてるんですよ。
そうなんだよ。
もう日本画はやめた。
掛軸やめた。
今日ちゃいますもんね形が。
ちょっと拝見しましょうか。
こちらです。
おぉ!誰が見ても九谷でしょ。
僕石川県の観光大使してるから輪島に行きつけの古物商がいて…。
いくらで買われたんですか?30万。
まぁお皿に30万。
いやいやこのくらいきれいな九谷とか伊万里ならもう俺は喜んで30万…。
あまりにもこの鴨の絵がねうまいんで。
きれいですね色使いも。
色はこれはもう九谷の色なんだけどちょっときれいすぎるんだよな。
僕の見た感じでは明治時代のものかなと。
言えば言うほどあとで中島さんが…。
言った言葉と違って恥かくかもしれないからもう黙る。
ちょっとしゃべりすぎかもわかりませんよ。
さぁそれではご本人の評価額ですけども。
50万。
それでは50万でまいりましょうオープンザプライス!おっ!25万…。
あれ?25万。
幕末から明治の初期にかけての九谷焼の代表作ですね。
形がちょっと薄すぎるんです。
高台を中心にして窯の中でストっと落ちてしまったとこが値が伸びないという原因なんです。
ただこのデザインはいいですね。
いわゆる芦雁の図といいましてね川辺の葦の中でもって戯れる雁の姿を描いたもので日本の工芸品にはたいへん多いんですけどねヨーロッパに輸出していくいわゆるジャポニズムの先駆けとなったデザインなんです。
上手ですしね本格的な日本画を習った画工の手になるものだと思います。
裏ゆきもねいわゆる塗り埋めといいまして九谷焼独特の手法でね釉薬で全部覆ってしまってる。
やっぱり明治期のものというのはこれから伸びると思いますね。
ですから将来を期待して大切になさったらいかがかなと思います。
将来ったってお前お前のその目つきが気に入らない。
もうバレた。
将来って言ってあと何年生きるつもりですかっていうそれがもうこのへんにこう字が漫画の吹き出しみたいにあっただろお前。
鋭い。
鋭い。
でも来年まで生きてたら…。
何をおっしゃってるんですか。
来年なんてピンピンしてるに決まってるじゃないですか。
バカなこと言うんじゃないですよもう巨泉さん。
怒りますよ。
その怒る演技がいいね。
ぜひお待ちしておりますので。
はい。
番組の最後まで楽しんでいってください。
続いては…。
こちらのCDショップにお伺いしました。
ごめんくださ〜い
いらっしゃいませ。
お待ちしておりました。
次なる
ミュージックショップはしだはなんと創業80年。
もともとは昭和初期父がレコード店を開いたのが始まりだそうです
当時こんな田舎町ではレコード屋っていうのはあまりなかったもんですから。
橋田さんは50年前24歳で店を継いだのですが…
ダウンロードに走りまして…。
今は60代70代のお客さんを大切にしましてのんびりと頑張っております。
そんななか店を救ってくれているのが…
よく見ると店内は演歌歌手のポスターでいっぱい。
もちろん今では絶滅寸前の
やはり中高年の方はCDよりもこちらのほうが扱いやすいらしく…
これからも頑張ってください。
ところで…
私が
知人からカレンダーをもらったため何気なく…
どうしてもその作者の作品が欲しくなり思い切って購入。
すると…
1枚手に入れますとあれも欲しいこれも欲しいとなってまいりました。
そこで爪に火をともすような思いでお金を貯め買い集めたそうです。
しかし今回もし高ければ手放すつもり。
なぜなら…
若いころからの夢で2人で一度は行ってみたいなと思っておりました。
鑑定よろしくお願いいたします。
果たしてそのお宝とは?スタジオで拝見しましょう
依頼人の登場です。
栃木県からお越しのよろしくお願いします。
どうぞ。
こちらに…。
ちょっとでっかいのきましたね。
すごい大きいのが…。
じゃあもうカレンダーの絵で一目惚れしてそっからほんとの作品を集めだしたんですね。
はい。
さあそれでは拝見しましょう。
え〜。
どなたの作品になるんでしょうか。
斎藤清でございます。
福島県の会津出身の版画家です。
最初に買われたのはどれでしょうか?「会津の冬」だったです。
非常に力強く感じたものですから…。
それでハマってしまいました。
ちなみにおいくらでお買いになったんですか?たぶんね…二十何万だったと思います。
どれくらいかかったんですか?これだけ集めるのに。
7〜8年かかりました。
ふだんどうされてるんですか?じゃあこの絵は…。
まあ春夏秋冬と…。
掛けかえて?はいはい。
季節によって。
はい楽しんでおります。
うわいいですね〜。
真ん中の松林の絵なんかいいね。
京都の大徳寺ですね。
あ大徳寺ですか。
この木の表現もなんかちょっと独特ですね。
桜でしょ?色とかもすごいきれいですね。
私はいちばん向こうの「慈愛」が大好きなんです。
あお地蔵さん。
はい。
あれ?これ「日本昔ばなし」に出てませんでしたか?出てたよ。
出ましたよね?だって「日本昔ばなし」の次の番組はクイズダービーだったんだから。
あ…7時半から。
家族の反応はいかがですか?この絵に対しては。
さんざっぱら怒られました。
それはやっぱり買いすぎやと?はい。
ただあのさくらんぼの絵だけは女房が気に入ったもんですから。
これだけは許すっていうことで。
えっ…これだけあって許してもろうてんのあれだけですか?すごい高かったら…。
値段がグッと上がってたらどうしますか?金婚式なんですよ。
はぁはぁはぁ。
それで…。
売って?女房を連れて世界一周船の旅に行ってみたいなと。
世界一周なんかっていうと3日くらい陸地見ないことあるんです。
ずっと船の上でね。
つまんないですよ〜。
やめてください!
キッとにらむ猫。
とぼけた表情の地蔵。
大都会の闇に咲く花。
画家は常々こう語った
その名は斎藤清。
戦後の日本を代表する版画家である
4歳の時父が事業に失敗し家族で北海道・夕張に渡ると12歳の時最愛の母ルイが他界。
深い悲しみを味わった。
高等小学校卒業後薬屋の店員ガス会社の見習い工など職を転々
絵を描くうちやがて画家になりたいとの思いが強くなっていった。
そこで4年後店を無償で知人に譲り単身上京。
まったくの独学で絵を学ぶと早くも翌年には白日会で入選を果たした。
転機が訪れたのは29歳の時。
銀座の画廊で安井曾太郎の版画正月娘姿を目にしたことによる
少女はその斎藤が最初に手がけた木版画である。
初歩的な技法すらまったく知らず見よう見まねだったがやわらかな線描と明るい色彩でふっくらとした少女の表情を見事に表現しており第5回版画協会展で入選を果たした。
そして翌年叔母に会うべく
厳しい自然の美しさに心打たれこれをなんとか版画で表現したいと思うようになった。
当時は芸術性を重んずる創作版画が流行していたがこれになじめなかった斎藤は版画でもあくまで独学を貫き…。
時にはエッチングのようにキリで引っかいたり…。
時には油絵の厚塗りのような質感を生み出すなどさまざまな工夫を凝らした。
更にゴーギャンに深く傾倒。
形を簡潔な面に置き換え鮮やかな色彩で表現するまったく新たな版画に挑戦した。
そして1951年第1回サンパウロ・ビエンナーレ展に凝視
(花)を=PIJすると|!少女の顔と花の二重構造という大胆な構図あえて顔に木目を出した斬新な表現が高く評価され
これは戦後日本人初の国際展における快挙であった。
その斎藤にとって絵の命は構図であった。
実際に目にしたものの感動を余すことなく形として表現する際何よりも大事に思えたのが構図であった。
本格的にふるさと会津を描くようになったのは60歳を過ぎてからであった。
桜咲く鶴ヶ城。
新緑に映える水田。
黄金色に染まる実りの秋。
そして厳しい会津の冬。
しんしんと雪が降り深い静寂に包まれているがどこか懐かしく見る者をほっとさせる。
おそらく斎藤は一切のものが雪で覆われた世界に究極の美を見いだしたのであろう。
この「会津の冬」は斎藤のライフワークになりその作品数は115点に及ぶ。
1997年他界。
享年90。
改めて依頼品を見てみよう。
斎藤清の木版画9点である。
そのうち会津を描いたものは5点あり冬の雪景色が2点含まれている。
他には「らんまん」「大徳寺」初夏の舞そして「慈愛」。
いずれもその構図は実に見事である
さあご本人の評価額ですけども。
250万くらいで。
250万。
それではまいりましょう。
オープンザプライス!315万!おお!いやいや…。
すべて斎藤清の木版画間違いないですね。
いずれもですね木版のしっとりとしたねその風合いというのが出てますよね。
「慈愛」という作品が実は50万とつけました。
版木の目がね出てます。
インクの色がですねなんとなくムラっぽく見えるんですけれどもそれが独特の味わいになって非常に見ていてほっとするユーモラスですよね。
斎藤清といえば会津。
特にこの冬の景色ですね。
人気のシリーズということで遠近法も活かしながら装飾的な味わいがあって。
それから柿の表現が非常に斬新ですよね。
ポイントだけ柿を描くことで空気感というものを感じさせますし桜とさくらんぼ。
装飾的でまたデザイン的なよさがよく出てるんですけれどもそれぞれ非常にクオリティーが高いんですけれども状態がいいですねはい。
ぜひ大事にと言いたいところですが。
そうなんですよねいかがですか?ありがとうございます。
行けますね。
はい。
楽しんでくださいよ。
ありがとうございました。
おめでとうございます。
青春それは人生で最も光り輝くとき。
振り返れば甘くほろ苦い思い出が切なくよみがえる
本日の鑑定士は…
早速いってみよう
(2人)第6回青春の思い出鑑定大会!
まずは輸入雑貨店を経営している
これが30年前の私です。
実は中学生のころ
しかし当時地元の大学にはフランス語学科がなかったためやむなくロシア語学科に入学したところ…。
1年たらずで挫折しあっさり退学。
そこで心機一転と決意し…
するとそこですごい人に出会ったのです
え?フランスにずっと憧れを持っていた?あのフランスのジュジュジュジュ…っていうのに。
ロシア語を少し学んであ〜もう違うと思ってやっぱやめて。
はい。
すごい。
嬉しいですね。
お宝は
ニューヨークに渡ってまだまもないころ道を歩いていると…
(一同)え〜!?まだそのころ英語があまり話せなかったんですけど。
話してそしたらサインくださいって言いましたら…。
メモ帳を差し出すと快く応じてくれ更に近々個展を開くからと手書きの招待状も添えてくれた。
そこで当日ドキドキしながら行ってみると…
へ〜!それでそこにはアンディ・ウォーホルやバスキアも見に来てまして。
日本みたいにね誰の紹介ですか?誰に呼ばれたんですか?みたいなそういうのはなくて?ないですないです。
みんな…。
実はサインをもらってすぐついうっかりして何かの数字を書き込んでしまいそれがとても残念
パーティーへ行って改めてちゃんとした色紙みたいなとこにサインくださいとかって言う…。
そういうことはできません。
本人評価額は期待を込めて50万円。
もし高ければこの際思い切って売り払い今なお憧れ続けているフランスに留学したい。
果たして結果は!?
ジャカジャン!
ダウンするも大健闘!
書き込みが入っちゃったっていうのもねマイナスですけど。
ヘリングはやっぱりこういうものが結構多いんですよね。
いわゆるストリートアート。
地下鉄構内に落書きのようなもの。
あるいはこういったメモ書きとかTシャツとかねレコードジャケットとか。
ほんとに身の回りのものに気軽にアートって自由なものなんだということを彼は身を持って証明した方なんですよね。
アートを通してみんなと触れ合いたいという思い。
愛に満ちた世界を作りたい。
それが実際にこういった形で実践をしていたっていう人ですからね。
この作品はそういったものを彷彿とさせる内容がありますし80年代のアメリカをまさに象徴している作品ということでの評価ですね。
続いては
これが37年前の私です。
小さいころからキャラクターでは誰からも愛されるミッキーマウスが私の憧れの的でした。
高校でソフトボール部に入ったとき先輩からあだ名はあるの?と聞かれ名前とはまったく関係ないのに
と答えてしまったほどでした。
とにかくミッキーマウスには私の青春のすべてが詰まっています
あだ名は何ていうの?あるの?って言ったらミッキー。
ミッキーと呼んでくれって言いまして。
名前は堀川…。
堀川貴子。
はいキーコとかタカちゃんとか。
そうですね。
はいですね。
もうだからずっと歳を重ねていってもやっぱり変わらないんですか?好きっていうのは。
変わらない。
今日ミッキー…きてるんですね。
なんでもないんですけど。
お宝はミッキーマウスの電話機である。
37年前高校3年生のとき
クラブが終わって毎日のように行く雑貨屋さんがあってそこに飾ってありました。
雑貨屋さんにこれがあって値段が12万。
とても欲しかったが高いのでなかなか決心がつかず毎日見に行ってはため息をついていた。
しかし1か月後
これ私が買わないと
コツコツ貯めていたお年玉をすべてはたいて購入しすぐさま家の電話機をこれに換えた
当時っていうとまだね黒い…。
そうです。
リリリーン!ってすごいでっかい音が出る…。
お父さんも会社に電話したいときっていうのはミッキーでこれで…。
ああ明日の会議だけどね!とかいう…。
本人評価額は買ったときの3倍36万円。
この電話機で友人と長話をし何度親に怒られたことか。
それも今となっては懐かしい思い出。
果たして結果は!?
ジャカジャン!
う〜ん残念!
そっか…。
あれ!はい。
1976年ですねアメリカン・テレコミュニケーションという会社が作ったものなんですよ。
こういうキャラクターの電話機例えばくまのプーさんだとかそういうものも作っていて高いんですよ当時。
だからですねこれ手に入れた人がほとんど処分しないんです。
現存するものが多いんですよ。
多いんだ。
顔の表情を見るとこれはパイカットって言って目が今のミッキーさんとはちょっと違うクラシックミッキーだとかオールドミッキーとか呼ばれる1920年代後半から30年代くらいのミッキーマウスの顔を作ってるわけです。
雰囲気もとてもいいしディズニーのコレクターの方たちっていうのは結構皆さんみんな持ってますよね。
続いては
これが41年前の私です。
実は
将来を思い悩んでいた際1歳下の弟が大学進学を希望したため自分は断念。
とりあえず飲食店で働けば1食くらいは食事にありつけるだろうと思い19歳の時
するとそこに世界中を熱狂させたミュージシャンがやってきたのです
お客さんってその時っていうのはどういう方々が多かったんですか?ゴブレットを指さされてワラって言われたんですよ。
ワラ?ワラって…しばらく考えてソムリエにすみません言ったらバカ!あれはwater。
(笑い声)
お宝は…
大丈夫ですね?これ書いてない。
ランチタイムに…
同僚がたぶん予約なしで来られたんだと思うんですけど入り口のほうにジーパンに白いシャツに黒いジャケット。
その後自分の受け持ちのメインテーブルに座ったのでドキドキしながら応対した。
そして…
タバコを。
ジョン・レノンが?
その際たまたま外国タバコを持っていたのでとっさに手渡すととても喜んでくれた。
そこでさりげなくメニューカバーにサインをお願いした次第
実はジョン・レノンは2人の似顔絵も描いてくれたのだが当時はオノ・ヨーコがあまり好きではなかったのでそこだけ写真で隠してしまった。
それから3年後店を辞め故郷の広島に帰ったがこれだけはずっと大事に保管している
(笑い声)額に入れて掛けてあるんじゃないの?いや仏壇の下日が当たらないように。
あっなるほどね。
本人評価額はこのくらいはするはずと60万円。
田舎から出てきたばかりであのジョン・レノンにサインをしてもらえるなんてまさに奇跡。
どんなに高くとも絶対手放すつもりはないが果たしてどうなるのか?
第6回青春の思い出鑑定大会に登場したのは…
1978年の夏勤めていたレストランに2人が来店。
食事後タバコが欲しいと言われとっさに自分のものを手渡すととても喜び書いてくれた。
果たして結果は!?
ジャカジャン!
これはすごい!
ジョン・レノン1980年にニューヨークで亡くなってしまうんですけどその前の年まで3年連続で日本でサマーバケーション家族で過ごしているんですね。
その日本にいる間の直筆ものっていうのがわずかですけど発見されていてこの1978年のものはなぜか数少ないんですね。
へぇ〜。
びっくりしたのが全体のサインが大きいですかなり。
通常は手帳にしたりとかもしくは色紙なんかの場合はもう少しサインが小さいんです。
サインの上にイラストありますね。
それを描いてあるっていうのがサインよりも実はそっちのほうが価値が高いくらいよいものです。
ただオノ・ヨーコさんのイラストそれを隠してしまってるっていうのはこれはたいへん残念で何も貼ってなくて状態がもっとよかったら100万円以上の大台にのってます。
続いては
これが61年前の私です
幼いころ本で見た…
といつも想像していました。
そのため戦争で敵対することになっても日本に憎しみを覚えたことは一度もありませんでした。
1954年二年間の兵役に就くことになった際配属希望地を聞かれ迷わず日本と答えたところ面接官はびっくり。
そんなやつは初めてだと言われたほどでした。
しかし実際に来てみると想像以上に日本が気に入りそのまま永住してしまいました
かっこよかったですね若い時。
もう何年ですか?日本に。
あっ60年ですか!いや。
ねえだって日本のご飯とかもう食べられますでしょ?だって。
それは食べられるよ日本のご飯はほとんどカリフォルニアから来てるんちゃうの。
お宝は…
除隊後英語教師になるべく関西外国語大学に入学。
その際親しくなった級友に誘われ丹波の実家に遊びに行くと今まで見たこともない細長い箱があったので…
お母さんに聞いた私はね。
うん。
準備してますかってねお母さんにね!
とんでもない勘違いで聞けばそれは衣類などを入れる長持ちというものであった。
また囲炉裏の横には巻いたままの掛軸が入った別の箱が置かれていた。
何が描かれているのか広げてみたかったのだが…
おぉなるほど!3回目か4回目くらい行ったときまだそれは箱の中にあった。
そこで許しを得て広げてみると…
はぁうまいですねムチャクチャって言うのがうまいですね。
しかし老人の姿が気に入りもらってきたその後表具を直すことにしたのだが…
お金ない時代ですからほんでこうなった。
表具はダメなんですか!
本人評価額は堂々の50万円。
もともと浮世絵が好きだったので審美眼はあるつもり。
もしも本物ならこれを機に立派な表装に直したい果たして結果は!?
ジャカジャン!はい!
う〜ん残念!
ごめんなさいアイムソーリー。
いや私のせいじゃないのよ。
えぇ狩野永信。
江戸時代の末期19世紀の前半くらいの人なんです。
本物なんですけれども状態がほんとに焼けてしまっているんでなかなか値はつきにくいかなと。
描かれているのが鍾馗様。
中国の民間信仰ですけれども道教の神様。
日本では魔よけの意味で端午の節句に飾りますね。
ちょうど今ごろの時期掛けられると雰囲気がとってもいいと思います。
厳しい評価をしてしまって申し訳ないと思うんですけれどもでも表具はね合ってると思います。
中の絵がだいぶ焼けてますのであんまりキンキラキンの表具をしてしまうとマッチしないんで。
大事にあの飾っていただければ。
ありがとう。
最後は
これが16年前の私です。
二十歳のころ車で日本を一周してみようと思い立ち当時交際していた彼女を誘ったところ二つ返事でついてきてくれました。
1か月間ほとんど車で寝泊まりする貧乏旅行でしたがとても楽しい時を過ごせました。
そしてその道中四国で偶然見つけたのが今回のお宝です
ずっと車でね…。
お金もそんなにね若いときですし。
トイレとかお風呂とかどうしてたんですか?いや入りますけど。
えっ!という流れかなと思ったら。
まだ?
(笑い声)いやいやいやいや。
お宝は
旅の途中たまたまのぞいた高知のリサイクルショップで購入。
1台3,000円で当時の自分にとってはかなりの出費だったが…
はいそうです。
なんでその知識は持ってたんですか?え〜この番組ですね。
そっか。
青春時代にもう「鑑定団」がやってるんですもんね。
買ってからはどっかに飾ってあるんですか?家には。
いえずっとあっそうです。
ね。
それがまず今日かなと。
はいそのとおりです。
今日鑑定していただいてその通りですか。
本人評価額は今ならこのくらいかなと2万円。
残念ながら彼女とは別れてしまったがせめてこのおもちゃを買っておいて本当によかった。
そんなふうに思えるといいのだが果たして結果は!?
ジャカジャン!はい!
ちょっぴりアップ〜!
よかった。
3万!まあまあまあですね。
1960年代吉屋というメーカーが作った車なんです。
ミステリーアクションっていってぶつかると方向を変える。
更にこの車はですね結構凝っていてドライバーがハンドルをちゃんと動かすんですよね。
これね。
はいそのへんがねとてもよく出来たおもちゃなんです。
ただしねやっぱりこれもかなり長く作ってるんですよ。
やっぱり数が結構ありますね。
数がある。
作りもいいしこのまま大事に保存しておくと値下がりはしないですね。
値下がりはしない。
もうちょっと寝かせる?そうですね。
第6回青春の思い出鑑定大会はこれにて無事閉幕
早速ご自宅にお伺いすると一心不乱に紙粘土をこねていらっしゃいました
いったい何を作っているんでしょうか?
重ねていったらこのような花になります。
なるほど
上手な人たくさんいるんですけど我流です。
で完成品がこちら。
左は花瓶右は花をあしらったオブジェだそうです
このごろは歳をとりまして何をするのも億劫になりましてねテレビばかり見てましたら主人が「何かしたほうがいいんじゃないか」ということで今ごろぽっとやり始めたんですよ。
指先を使うのでいい老化防止になるんじゃないかと思ってやってるんですよ。
そうだったんですか。
ところで母が遺したものなんです。
今年3月母鈴子さんが88歳で他界したときのこと。
家族で遺品の整理をしていた際偶然棚の中から今回のお宝を見つけたそうです
不動産登記の書類にまじって手書きで「貴重品」と書かれた茶封筒が出てきたんですよ。
しかし中身は意外にも有名な作家にまつわるもので
誰もが知ってる人の名前なのでびっくりしました。
いったいどのくらいの価値があるか知りたいので鑑定よろしくお願いします。
スタジオで拝見しましょう
依頼人の登場です。
兵庫県からお越しのよろしくお願いします。
どうぞこちらのほうへ。
粘土細かいですね。
いえいえいえ。
1個どれくらいかかるんですか?あれ作るのに期間は。
1か月半くらいですね。
やっぱりかかりますよね1か月半くらい。
合間合間にしますのでね。
ちょっとずつね無理しないほうがねそうですね。
お宝を拝見しましょうこちらです。
うん?さあこれどなたの手紙なんでしょう。
芥川龍之介のお手紙と葉書です。
あらま。
母がね3月に亡くなりまして田舎の山の登記書がたくさん出てきたんですよ。
その中にこれがまじってたんです。
まじってた?はい。
山いっぱい持ってるんですか?そうですねあの…。
250年ほど続いてる家なので。
はあ。
山何個持ってるんですか?私わかりません。
わからないくらい山持ってるんすか!?母の義理の兄さんが。
はい義理のお兄さん。
龍之介とか漱石の本が好きで。
本が好きで。
はい。
小説もちょっと書いてたもんですからそれ…。
その関係からもしかしたら。
じゃないかなと。
初めてこの手紙ご覧になったときっていうのはどう思いました?いやびっくりしただけなんです。
そうですね。
読んでみました?わかりません。
何書いてるか?はい。
ほんならみんなでじゃ「鑑定団」行こかと。
そうですね。
そういうときよく思い出してくださいました「鑑定団」。
今日ほんなら高価なもんやったらどうします?高かろうが安かろうが私たち子供いませんので兄弟3人で分けます。
あっ売ってね?はい。
ちぎるんかな思いました。
(笑い声)
今回の依頼品は芥川龍之介が小島政二郎に宛てた書簡と葉書2通である
そこに発表した短編小説鼻が夏目漱石に激賞されたことにより注目を浴び小説家として華々しいスタートを切った。
当時は
全盛を極めていたが芥川は東西の古典に材をとり人間に潜むエゴイズムを徹底して追求するなど独自の視点で再構築し優れた短編を次々と発表。
またまったく新たな文体を生み出すことにも挑戦し新技巧派の代表作家といわれるまでになった。
しかしやがて健康を損ねるとともに虚無的になり1927年35歳の若さで睡眠薬自殺を遂げた。
一方小島政二郎は芥川の2歳年下で慶應義塾大学卒業後鈴木三重吉が創刊した童話雑誌…
その後優れた伝記小説を数多く残したが若き日に知り合った芥川を師と仰ぎ1942年芥川や菊池寛との交流を生き生きと綴った小説眼中の人を執筆。
芥川に対する畏敬の念は終生変わらず晩年の82歳の時には
発表している。
2人が出会ったのは1918年ごろのことで当時芥川は田端に居を構え自らの書斎を我鬼窟と命名。
そこに作家志望の若者滝井孝作佐佐木茂索などが集い文学談義に花を咲かせていた。
その時の様子を小島はこう綴っている
しかし芥川は気さくに接してくれその博識機智に富んだ話術人間性に感銘した小島はこの後足しげく我鬼窟に通い交流を深めたのであった
芥川はその作風からすると孤高の人と思われがちだが人一倍寂しがり屋で饒舌家であった。
また意外にも小心粗忽で関東大震災では2階で寝ていた我が子を忘れ真っ先に避難し後に妻にきつくたしなめられた。
この震災の折同じく小島もほうほうの体で逃げ出したが妻が妊娠していたため途方に暮れ一時その身を芥川宅に預かってもらった。
すると芥川の妻は食料調達ままならぬなか上げ膳据え膳でもてなした。
後年これを知った小島は芥川夫妻の心遣いに深く感謝し人知れず落涙したのであった
改めて依頼品を見てみよう
書簡では江戸時代中期の俳人野沢凡兆の俳句に対する感想や自身の創作態度を綴っており更に過日佐佐木茂索滝井孝作と集った際に詠んだ短歌や俳句を添えている。
一方…
葉書は菊池寛との長崎旅行から戻った報告
葉書は執筆中の小説に使うつもりの江戸時代の服装について小島の意見を求めたものでこれにも俳句が添えられている
さあご本人の評価額ですがおいくらくらいでしょう?50万お願いします。
50万で?はい。
それではまいりましょう。
オープンザプライス!なんぼなんやろう?ありがとうございます。
これはお母さん。
3で割りやすいですよ。
そうですね。
書簡が120万葉書が2枚で30万で全部大正8年。
27歳の時の手紙です。
内容がとてもすばらしい。
芥川は海軍機関学校の教授をしてたんですが辞めて大阪毎日新聞と社員契約をして文筆の生活に入った年なんですね。
若い人たちを呼んでいろんな文学談したりとかそういうサロン的なことを日曜日にやってたっていう時代で真ん中へんにですねこれから精進してっていうことが出てきてていちばん目につくのは詩が2首入ってるっていうこと。
実は5月付の葉書に「昨日かへりました」っていうのがあります。
それは長崎から帰ってきたときなんですね。
長崎で斎藤茂吉に会ったんです。
それを契機としても詩ではもう斎藤茂吉には敵わないそれでやめちゃうんですね。
俳句はずっと亡くなるまで続けたんですがですから詩が載ってる手紙っていうのは極めて珍しい。
で封筒があるなしではずいぶん違います。
その封筒がないと60万くらいになってしまう。
え〜!全然変わる。
要するに本でいえばカバーとか箱がついてるのと同じように葉書もその俳句が入ってた葉書が1枚ありました。
それもいいですよね。
おしなべて内容がすべていい。
ありがとうございます。
びっくりしました。
びっくりしましたね。
3等分して…はい。
どうもありがとうございました。
どうもありがとうございます。
「鑑定団」また来週です。
さようなら。
2015/07/19(日) 12:54〜14:00
テレビ大阪1
開運!なんでも鑑定団[再]【本物!?書類の中から芥川龍之介の手紙が】[字]

88歳で他界した母の遺品整理をしていると、「貴重品」と書かれた茶封筒を見つけた。中には何と有名作家にまつわるお宝が!果たして鑑定やいかに?

詳細情報
番組内容
<有名作家にまつわるお宝>
お宝は今年の3月、88歳で他界した母の遺品整理をしていた際、偶然見つけたもの。不動産関連の書類に混じって、手書きで「貴重品」と書かれた茶封筒を見つけ、中身を確認したところ、誰もが知っている有名な作家の名前があったためビックリ。今までこのお宝の存在を誰からも知らされておらず、なぜ家にあるのか皆目見当がつかない。果たして鑑定やいかに?
出演者
【司会者】
石坂浩二、今田耕司
【アシスタント】
吉田真由子
【ゲスト】
大橋巨泉
【出張リポーター】
松尾伴内
【ナレーター】
銀河万丈、冨永みーな
鑑定士軍団
中島誠之助(古美術鑑定家)
北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主)
阿藤芳樹(「阿藤ギャラリー」代表取締役)
永井龍之介(「永井画廊」代表取締役)
東原武文(「扶桑書房」店主)
ホームページ
http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
バラエティ – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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