日曜美術館「与謝蕪村 無限の想像力 西洋美術とあう?!」 2015.07.19


滋賀県にあるMIHOミュージアム。
江戸中期に活躍した2人の天才絵師の生誕300年を記念した展覧会が開かれています。
一人は江戸絵画ブームの火付け役「奇想の絵師」と呼ばれる伊藤若冲。
そしてもう一人が今回の主役与謝蕪村。
「郷愁の絵師」と呼ばれます。
代表作「鳶・鴉図」。
向かって右の絵は吹きつける嵐の中一羽の鳶が枝にとまっています。
厳しい雨風の中でもかっと目を見開く鳶。
その孤高の姿が素早く荒々しい筆で描かれています。
向かって左の絵には2羽の鴉。
しんしんと降りしきる雪の中つがいなのでしょうか身を寄せ合い寒さをしのいでいます。
自然の描写を超えた深い叙情を感じさせる傑作です。
蕪村はまたありありと光景が浮かぶ俳句の名作を数多く残しました。
その句に着目して今までにない蕪村の楽しみ方を提唱している人がいます。
それは思いがけない手法。
発案者の…肖像画にミシンの部品。
北川さんは意外な組み合わせのコラージュ作品で海外でも高い評価を受けています。
そうこうして蕪村とあるものを組み合わせるのです。
それは西洋美術です。
蕪村の俳句から浮かんだ光景。
それにマッチする作品を西洋美術から見つけるというのです。
貧しい人々が暮らす町を通った時月明かりが美しく照らしていた情景。
この句に北川さんがあわせたのは20世紀フランスの巨匠ルオー。
虐げられた貧しい人々を繰り返し絵にしたルオーは月が殺風景な町と質素な人々を照らすさまを描きました。
ひょっとしてと思ってそれで試しにですけど与謝蕪村全集を持って図書館に行きますと想像を超えて40句の蕪村の俳句に結合するのが出来てしまった。
これは非常に自分の中でも揺さぶられるような体験だった。
ただそれが何より面白かったのはどんどん見つかっていく事の不思議というか驚きですね。
想像力を膨らませば蕪村の句と西洋美術の組み合わせは尽きないと言います。
今回はそんな意外な美術の楽しみ方に挑戦。
蕪村の新たな魅力を見つけます。
さあ与謝蕪村はまさに絵画と俳句ともに極めた人物ですけれども今回は蕪村の俳句に西洋の美術を組み合わせる事でまた別の角度から蕪村の魅力に迫っていこうという試みに挑戦したいと思います。
全く違う角度から蕪村の俳句を迫っていくとどんな化学反応が起きるのかなという楽しみがありますよね。
もちろんその蕪村の俳句の世界を深く知るという事は蕪村の絵画の魅力にも迫れるという事です。
さあこの新たな楽しみ方に今日は実際にこのスタジオでゲストの方々と一緒にまさに体感してみたいと思います。
蕪村になみなみならぬ愛着をお持ちのこの3人にとっても初めての挑戦です。
聞きましたら黛まどかさん敬愛する俳人がそのうちの一人が与謝蕪村。
蕪村の句は大好きです。
何かとても多様性があって絵画的ってよく言われるんですけどもちろん絵画的でもあるんですけれども物語性もあったりすごく幅が広いんですよね。
そんな黛さんにお気に入りの句を挙げてもらうと…。
私はこの一句です。
有名な句ですけれども凧が春の空にのぼっている。
あがっている。
そういえば昨日もあの辺りに凧があったなというそういう意味なんですけれどもこの「有り所」という表現によってぐっと凧の背後の空が浮き上がってくるというか切り取られるようなそんな感じがすると思うんですよね。
そしてそこがそこだけが異次元になっていく。
もちろん今日の空なんですけれどもその凧は今現在を象徴していてそして「きのふの空の有り所」と言う事によってそこがふっと異次元になる。
何かすごくシュールだと思いませんか?シュールな句には不思議な絵。
黛さんが蕪村の句にあわせたのはベルギーの画家マグリットです。
(黛)これ絵の中にある風景もそれから絵の後ろにある風景も同じ風景。
2つの風景が同時に存在しているんですよね。
マグリットが言ってるんですけれども2つの異なる空間に存在するという事は現在と過去に同時に存在生きているという事だと言ってるんですけれどもこれまさに蕪村のこの一句。
今の空を見てるんだけれどもそこで昨日の空を見ている。
思いは昨日にって同時に存在しているという事を表していると思うんですよ。
なぜ蕪村の句は西洋絵画と結び付くのか。
手がかりは独特の創作スタイルにあります。
43歳の時ここ京都に居を構えました。
漂泊の俳人とも言われ旅に明け暮れた蕪村がようやくたどりついた安住の地です。
京都市左京区にある金福寺。
蕪村愛用の文台とすずり箱が残されています。
俳句を詠む時蕪村は出歩くのではなく小さな部屋にじっと籠もって想像を膨らませたといいます。
江戸の俳句文化を研究する藤田真一さんです。
藤田さんはこの創作スタイルこそ蕪村が名作を生み出した秘密と考えています。
蕪村の場合はどういうわけかどこかに行ってあるいはこういう景色を見てそれに心を大きく開かれて俳句を詠んだというケースはあまり見当たらないですね。
例えば誰でもご存じの「菜の花や月は東に日は西に」という句でもですね本当にあの景色を蕪村が直接見て「あこれはすばらしい景色だ」と思って詠んだという事実は分かりません。
それよりもそういう満月と夕日が沈むというそういう事態を想像力の世界の中で思い浮かべてそれをああいう対句風の句作りにしたという事の意味が蕪村の場合には大きいのではないかと。
「秋津しま」とは日本列島の古い名称です。
雷雲の下波間に浮かぶ日本をはるか上空から見下ろすという壮大なイメージ。
舞台はなんと平安中期。
秋の激しい風野分が吹き荒れる中騎馬武者が鳥羽上皇の屋敷に向かっていく。
その光景を実際に目撃したかのように蕪村はものものしい雰囲気を見事に表現しました。
時に鳥のように大空へ。
時に時代も飛び越える。
空間や時間にとらわれない表現は松尾芭蕉や小林一茶にもない特徴だと言います。
蕪村だからこそ生まれる西洋美術との出会いです。
その自分の経験を超えてですね大変大きな想像力の中でさまざまな俳句が詠まれてると思います。
そういう想像力を五七五にまとめる能力というものがぬきんでていたんじゃないでしょうか。
小さな世界に住みながら蕪村の心の中は広々としたものがあって絵や俳句が作り出されていった。
現実を大きく跳びはねるようなそういう世界を作ったのが蕪村だと思いますね。
ゲストの名古屋ボストン美術館館長馬場駿吉さん。
馬場さんお気に入りの一句も蕪村の豊かな想像力を感じさせます。
(鐘の音)夏の朝夜明けの鐘の音が四方へ広がっていく様子です。
五七五の七に漢字の「鐘」。
最後の五に平仮名の「かね」。
ここに蕪村らしさがあるようです。
上の「鐘」は恐らく釣り鐘だとかそういったちゃんとした用途がちゃんとあるんですね。
あの鐘だと思うんですけども下の方は何か金属の音という意味の何か「かね」でもあるのではないかとちょっと思ったんですね。
ですから特にこの句というのは音を何かある一つのイメージというか形あるものに変えてるわけですね。
ですから非常にその辺りが蕪村の感覚というのは面白いと思います。
じゃあどんな美術アートの組み合わせなのか。
私が組み合わせた美術は実はポケットの中から出すんですけど…。
これ金属の耳なんですけれども。
これは三木富雄という西洋の美術ではなくて日本の美術家なんですけど現代美術家でもう亡くなってからだいぶ時がたちましたけれども耳ばかりをこういうふうに金属の材料で作った作家です。
この素材も何かちょっと「かね」のような素材で。
これも金属ですから「かねの声」というのは非常にこれと重なって面白いんではないかと。
実際に感覚器官としての耳をこんなにかっちりと「もの」として見せられると逆にこう音の主観性というか心に入ってくる感じがすごくするんですね逆に。
それを句とあわせるというのは心憎いですね。
禁じ手じゃないですか。
しかもポケットから印籠のように。
東京大学教授ロバート・キャンベルさん。
お気に入りは漂泊の人生を送った蕪村ならではの一句。
これ。
緑に覆われた山の中見回すとひときわ青々とした柿の木が。
さてはそばには人の家があるに違いない。
是非訪ねたい。
そんな蕪村の人恋しさが表れた句です。
この句にあわせたのがフランスの巨匠セザンヌ。
セザンヌは50代でようやく世に出た不遇の画家でした。
パリ郊外で見つけたみずみずしい風景です。
ちょっとこう高い所から眺めていて僕の想像では歩きながら下りていて囲いの中に爽やかな景色があってこの村を通過していって向こうにずっと旅人が歩いていくという。
すごく同じような心情というのかな。
自然の中に囲まれてるけれども人里がそこにあって安心する。
そこで人々の声とか生活のいろんな気配がするかもしれないという。
さあここからはですね蕪村の共通の一句から皆さんがどんな西洋美術をそれぞれ選ぶのかを皆さんに伺いたいと思うんですけれどもそのお題となるのがこちらでございます。
なんと若々しい句って感じですよね。
そうですね。
若々しさみずみずしさ。
実は61歳の頃に蕪村が作ったと言われる句だそうです。
句の舞台は七夕です。
さまざまな色の短冊を飾り祈る。
それは白い糸を五色に染め天にささげたのが始まりだと言われています。
蕪村はその白い糸と恋の成就を願う純真無垢な少女の心を重ねました。
61歳の蕪村が少女たちの秘めたる恋心を想像して詠んだ句です。
馬場駿吉さんは糸に着目しました。
私の選んだ作品はですね「糸巻きをする女たち」という作品があるんです。
18世紀ベネチアで民衆の姿を描いた画家ピエトロ・ロンギ。
糸巻きをする2人の若い女たちとその足元に牛追いの男。
この女たちが男に対して何をしているのかというと…。
男の人にですね女性が2人で少し何か関心を引きつけるような状態で。
何か戯れの恋なのかどうか分かりませんけれども何か男を誘ってるような感じがしますね。
その後ろ側にいる女性は鳥かごを持ってるんです。
中に小鳥が入ってるんですけどね鳥かごというのも一つのある男の子をその中へ閉じ込めるというか。
そういう暗喩があるという事がよく言われるんですけども。
ほんとに男たちを挑発していくぐらいの気持ちなんですね。
それはすごく面白いなと思ったんですね。
このさまざまな恋この乙女たちが織姫に託して願うというのは可憐なちょっとうぶな乙女たちというイメージはあるんだけれども。
その時点ではもう願いの糸をこう紡ぐ時点で実はすごく自信があったり。
ちょっと挑発をしたり自分をちゃんと持ってるというそういう可能性もあるかなと見てて感じましたね。
(黛)こちらをまっすぐ見てますもんね。
男性の方がむしろおびえてるぐらい…。
(キャンベル)でもこの糸って何でしょうね。
やっぱり男を捕獲する糸ですよね。
(馬場)からめ捕るという。
とめておく。
つなぐ糸ですね。
きっとそうだと思います。
ありがとうございました。
じゃあ続いては黛さんが「恋さまざま」の句から選んだ美術作品西洋美術の作品が…。
こちらですね。
モーリス・ドニの…ナビ派の画家ですけれども。
20世紀初めのフランスで活躍し独特の色使いで知られるモーリス・ドニ。
黛さんが着目したのは「白」の色です。
これ手前白い服を着たまさに無垢の乙女たちですよね。
白い花を摘んでるんですけれどもこの願いの糸というのは七夕の行事ですのであの川を天の川に見立てました。
彼岸と此岸と考えてもいいかなと思って。
彼岸の方には理想の世界がある。
ただやがてこの乙女たちも赤い花を摘んだら赤い服になり黄色い花を摘んだら黄色い服になりといろんな恋をしていく中でいろんなドレスを着ていくのだろうという事を勝手に私が想像の中でこの句につなげていったんですけれども。
白い紡がれた糸を見てああこの糸もいつかいろんな色に染まっていくのだなという状態を見て人も同じように生まれても置かれた環境によって善にもなり悪にもなるのだなと思って。
この白い糸への哀れさとか思いというのが余計深まっていく気がしますね。
(キャンベル)やっぱり恋も一筋縄にはいかなくて。
ですからすごく明るい光に満ちた恋の胸を弾ませるようなうたではなくなるかもしれないですね。
そう思いますね。
さあではこの回最後はキャンベルさんですが。
恋のもう真っただ中にいた人の視点から描いてる句かなというふうに思ったんですね。
これサイ・トゥオンブリーの。
4年前ほどに亡くなった巨匠ですけれども。
アメリカ現代絵画を代表するサイ・トゥオンブリーは線の可能性を追い求めた画家です。
黒い画面に絵の具やクレヨンで白い線が踊るように描かれています。
かすれたり消えたり。
生きている線が複雑に絡み合うかのよう。
これが何となく一人ではなくて複数の人のもつれ合った白い糸のような感じがあって。
黛さんにちょっと怒られそうですけど俳人の前で言うと。
この句って最初の上の句が字余りなんですよね。
「恋さまざま」という何かこうあふれるぐらいの恋がちょっと一字あぶれてという。
ちょっと見ていていくつものそういう本当に毛糸が紡ぎ出され白くてそれがもつれしかしそれも人生それを使って生きていかなきゃならないものを作っていかないといけないようなものが。
ほんとにこれは内的な世界ですね。
景色とか写生の景色を重ねて考えるという事ではなくてある心理状態でしょうかね。
それは蕪村の句とちょっとあうかなと思いましたね。
糸の一生みたいなねそんな感じ。
こすれたりよじれたりかすれたり。
これは色で表してますけどこちらはかすれとかねじれとかそういうもので痕跡糸の一生の痕跡みたいなものを表していて。
色がもともとあったのかもしれませんけど全部抜いていったという気がしますね。
西洋美術までマッチする蕪村の計り知れない想像力はどのように培われたのでしょうか。
与謝蕪村は1716年大坂・淀川のほとりの村で生まれました。
父は村長だったと言われています。
母からは惜しみない愛情を注がれました。
しかし13歳の時母と死別。
二十歳の頃ふるさとを離れます。
何か事情があったのでしょうか二度と戻る事はありませんでした。
居場所を求めて向かった先は江戸。
そこで当代随一との呼び声高い俳人早野巴人と出会い俳句を学びます。
ところが間もなく巴人もこの世を去ります。
寄る辺を失った蕪村は当てのない放浪の旅に向かいました。
蕪村は独学で絵の腕を磨いたと言います。
旅のさきざきで描いたのは当時の憧れの国中国の風景。
目にした事のない光景を想像力を羽ばたかせて表しました。
そしてようやくたどりついた京都。
長い旅で培った想像力を膨らませ数多くの俳句と絵画を作り上げていきました。
蕪村の傑作の数々には寄る辺のない漂泊の人生からにじみ出る思いが込められている。
江戸絵画を研究する早川聞多さんはそう考えています。
山中を実はこれをよく見ると4人の聖人たちがいます。
蕪村が絵にしたのは古代中国秦の始皇帝の時代伝説の聖人たちです。
画面の一番左子供に背を押されているのがその聖人たち。
始皇帝の圧政を嫌い山に籠もった気高い者たちです。
しかしその表情をよく見ると…。
頬は赤く服も乱れどうやら酒を飲みすぎたようです。
蕪村は高潔な聖人を親しみやすい姿で表しました。
やはりそれなりに適度に酔う人の方がつきあいやすいというか親しみを覚えるという事でそれはもう立派な先生でもね飲まれると大変もうそれはそれなりに酔う姿を平気でみんなの前でお見せになるという方が何か僕らとしては親しみがあるというのと似てるところがあると思うんですけどね。
蕪村さんはやっぱり人間に興味があったんだろうと思います。
何かそこに生きている人それを通って見てるそれをよんでる人という人の方のあるにおいみたいなものが漂うものが多いという。
そして蕪村はそれまでにない新しい表現を生み出します。
夜漁をする親子。
舟の上でかがり火をたき魚をおびき寄せようとしています。
立ち上る煙を追いかけていくとそこには不思議な光景が。
家の窓から漏れる光です。
家の明かりを初めて絵にしたのが蕪村だと言われています。
蕪村が生きた江戸中期京都の郊外には菜の花畑が広がっていました。
菜種油をとるためです。
当時その生産量は飛躍的に増加しました。
このころろうそくは高価な貴重品。
値段が安い菜種油は庶民でも手に入れられました。
町の家々には夜でも明かりがともされるようになります。
ただそのともし火は強いものではありません。
あんどんの光に家族は身を寄せ合い夜を過ごしたといいます。
明かりは蕪村の幼い頃にはあった家族の情愛を表す象徴なのでしょうか。
それがだんだん遠くなる寂しさを詠みました。
代表作。
ここにも明かりが印象的に描かれています。
舞台は京都と言われています。
どんよりとした灰色の空。
町には静かに雪が降り積もっています。
白と黒一見寒々しい風景。
そこにほんの僅かだけ朱色が。
部屋から漏れる明かりです。
蕪村のとてつもない想像力。
その背後には生涯人のぬくもりを求めた一人の男の姿がありました。
さあ最後はですね即興でこの場で蕪村の句にあう西洋美術の作品を選んで頂こうと思います。
想像力に加えて瞬発力インスピレーションもちょっと必要かもしれません。
もちろん新さんにも参加して頂きますが。
そうですか。
すごいむちゃぶりだと思うんですけど。
むちゃくちゃですね。
お題を発表いたしましょう。
こちらの蕪村の句です。
一日一日日暮れが遅くなっていく春。
のどかな日々を重ねるうちに遠い子供の頃の記憶を思い出してしまう。
蕪村の郷愁があふれ出ています。
どんな西洋の作品があうのでしょうか。
20分という制限時間を設けました。
手がかりにしてもらおうと置いた美術全集をめくり始めますが…。
これ時代で分かれてるんですよね。
時代とかじゃないんですねこの句を考える…。
(黛)観念というかね。
(キャンベル)観念はあるけれども具体的なそれをとめる「凧」のような。
そうそうそうそうものがないからだから…すごく今ねどんどん広がっちゃってます。
そうですか。
イメージがまとまらないですね。
いかがですか?馬場さん早くも糸口をつかんだ様子。
(馬場)そういったものが…。
僕はねとにかくいろんなワードを…。
キャンベルさんは片っ端からキーワードを入力して検索。
(キャンベル)日本語よりも英語とかフランス語を入れた方がいいかなと思って。
自分の「遠きむかし」でいこうかな。
おっ黛さんの「遠きむかし」。
(黛)あっやめようかなやっぱり。
(キャンベル)時間が堆積している…。
おじゃまします。
新さんは?もう必死です。
話しかけないで下さい。
果たして…。
なみなみならぬ緊迫感の中ようやく「遅き日のつもりて遠きむかし哉」。
この俳句から皆さんがそれぞれ選んだ美術西洋美術をこれから発表して頂きたいと思います。
まずは馬場さんよろしいでしょうか。
ルドンの「目を閉じて」という作品なんです。
この背景が少しやっぱり春の夕暮れのような感じがするので「遅き日」というニュアンスがそこのところにあるのではないかと思ったのとそれから「目を閉じて」ですね。
私たちは目を閉じると我々の内面の世界をふっと回想するわけですね。
ですからやっぱり内面の世界に我々の人生とかそういったものがずっと時間が積み重なって今の現在があって逆にまたずっと振り返ってみると昔の自分の姿もその中にあると。
ですから何かそういうところが蕪村の句にこれがあたるのではないかとちょっと思ってます。
さあではキャンベルさんが選んで下さった作品が…。
これはマルセル・デュシャンの20世紀の初めに描いた絵で「階段を降りる裸体」という有名な絵ですね。
私どうしてもこの「つもりて遠き」という時がつもっていくつもるという重層的なその感じを何か絵で捉えたかったんですね。
現代美術の先駆けとも言えるマルセル・デュシャン。
描かれているのは階段をおりる女性の姿です。
連続写真で捉えた動きの流れを一画面に表したような不思議な作品です。
ほんとに数秒でしょうけどね。
階段をおりるのに時間はそんなにかからないんですがすごく丁寧に一つ一つのプロセスが描かれているのでそれがすごくシンボリック象徴的にこの時間の経過時間がどんどん時代が下っていくというなだらかなスロープのようなそういう事を何か思い出したり。
蕪村が見たらちょっとふっと笑うんじゃないかなという気がしましたね。
(黛)いや〜蕪村が見たらやられたと思うんじゃないですか。
こういう手法があったかって。
さあ続いては黛さんが選んだ作品が。
私は絵ではなくて建物を選びました。
これロマネスク様式の聖堂なんですけれども北スペインのサンティアゴ巡礼堂沿いのフロミスタという村にある聖堂です。
私実は15年前にこの道を800キロ歩いた事があるんですがその時にこの教会にも寄りました。
ず〜っと巡礼道沿いにロマネスクゴシック様式の教会があってそこでみんな祈りをささげていくんですけれども1,000年以上続いてる道ですからこの中に目には見えませんけどたくさんの祈りが詰まっていてその祈りをこの教会は抱えてると思うんですね。
そこで巡礼者同士が別れる時に交わす言葉が「ウルトレーヤ」という言葉なんですよ。
後から帰って調べたら「もっと遠くへ」という意味だったんですね。
だからここに着いてもこれでいいという事がない。
「もっと遠くへ」。
多分ほんとに終点に着いても「もっと遠くへ」。
何かこう過去にも遡ってるんですけれども未来にもつながっていくという何かそんなものを感じました。
そこがまさにこの蕪村の句にもある世界を同じ温度の空気が感じられる。
(黛)感じられますね。
新さんの作品は何でしょう?はいこちらです。
これはゴッホですね。
さっき探しながらほんと迷宮へとどんどん入っていく中でこの俳句の意味をずっと探してたんですけどもだんだん何度も言ってるとその音の美しさに気付いて音リズムとなった時にゴッホの素描が僕の中で浮かんできてゴッホと蕪村をあわせてみたいなと思って。
そうしたら蕪村を日本美術だとしたらそれを西洋美術で捉えていくというのがまさにこの混ざり合った感じは表してるなというのとあと「遅き日のつもりて遠きむかし哉」。
これを蕪村が昔を懐かしむ思いというのとゴッホが日本を思う日本の美術や文化への興味や思いというものをこう重ね合わせてみて。
その遠さが今度は距離であったり憧れであったりという遠いという。
また違う遠さがここで出てきてますよね。
日本に戻してきたというのがさすがだと思いますね。
ちょっと回廊が一つ出来た感じがしますね。
面白い。
蕪村と西洋美術。
東西の想像力が不思議な響き合いを見せてくれました。
最後にもう一度蕪村の傑作を見てみると何を感じるのでしょうか。
鳶の方ですけれども背景がとても何かこう風なのか雨なのかかすれた筆でさっと一筆で背景を描いてるんですね。
それに一羽の鳥がぐっとそこにとまっているという。
不易流行じゃないんですけれどもすごくずっと変わっていく時間が駆け抜けていくのと変わらないもの。
変わらないものが生きてる真ん中のこの鳥というものかもしれませんし。
すごくやっぱりいいなと思います。
いつも今までは鴉を見てたんですよ。
今日初めて鳶がああいいなと思いましたね。
ぱっと見た時にまず蕪村が鳶と鴉を描く時にどんな俳句が心の中にあったのかなというのを勝手に文字を探そうとして見てるのが初めての見方でした。
蕪村は何を言いたかったのだろうという蕪村の深層にね深部に今回すごく入っていった感じがするんですよね。
絵を考える事で組み合わせる事で。
だから要するに鑑賞ってイマジネーションとクリエーションですけれどもそこは無制限なんだなという事を改めて皆さんが選ばれた作品を見て通して思いました。
そして蕪村の大きさもイマジネーションの想像力の大きさも改めて知りました。
今回本当に濃密な。
たっぷり遊ばせて頂きました。
また是非次回。
本当に今回はありがとうございました。
2015/07/19(日) 09:00〜09:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「与謝蕪村 無限の想像力 西洋美術とあう?!」[字]

江戸時代、絵と俳句、二つを極めた与謝蕪村。生誕300年を迎えた今年、その魅力に新しい視点から迫ろうという試みが注目を集めている。キーワードは“西洋美術”?!

詳細情報
番組内容
「菜の花や 月は東に 日は西に」。多くの名句を残した俳人・蕪村は、「夜色楼台図」などの傑作を描いた当代一流の絵師でもあった。そのため蕪村の句には“絵画的な魅力”があると言われている。それは風景を想像させる句。そのイメージを西洋美術に探してみたらどうなるか? 各界の蕪村ファンが一句をお題に、マッチする西洋の名品を披露する。組み合わせの妙を楽しんだ後に、蕪村の傑作絵画を見ると…意外な魅力が見えてきた!
出演者
【出演】美術家…北川健次,東京大学教授…ロバート・キャンベル,俳人…黛まどか,俳人…馬場駿吉,【司会】井浦新,伊東敏恵

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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