(井田)
16日
天皇皇后両陛下は福島県桑折町の桃生産農家を訪問されました
震災後両陛下の福島訪問は4回目となります
原発事故の後大量の水で除染を行い桃の実から放射能が検出されなくなったことを聞かれた両陛下
「除染の頃はご苦労でしたでしょうね。
良い実が出来て良かったですね」と農家の人をねぎらわれました
(青木)
その後両陛下は原発事故の影響で飯舘村などから避難している22世帯が暮らす復興公営住宅を視察されました
そして今も11万人余りの県民が避難生活を送っていることなどの説明を受けられました
その後住民と懇談した際陛下はスピーチをし「いろいろ大変だと思いますがこれから良い方向に向かわれることを切に願っています」と述べられました
今週は皇后さまと戦争花嫁と呼ばれた女性達の交流を特集します。
戦争花嫁とは戦後アメリカなど占領軍の兵士らと結婚し海を渡った日本人女性のことで長い間誤解や偏見を受けて来ました。
皇后さまとの出会いで力をもらったというある女性を取材しました。
昭和20年8月15日
太平洋戦争が終結
日本は無条件降伏を受け入れました
GHQの占領下に置かれた日本には多くのアメリカ兵が上陸したといわれています
働き盛りの父親や男兄弟を亡くした家庭も多く家族を養うために大勢の女性達が懸命に働きました
街中にあふれるアメリカ兵と日本人女性の接点が増える中恋をして結婚するカップルも自然と増えて行きました
現在ならばごく普通の国際結婚
しかし当時は戦争花嫁と呼ばれ周囲の冷たい目にさらされました
戦争花嫁を長年研究して来た安冨先生に話を聞きました
敵国だったその兵隊さんと結婚したことによってその…戦死者を出した家族なんかの場合には家族の人達から非常にきついことを言われたとか街を歩いていて石を投げられたとか嫌がらせ等があったり。
家族は絶対反対だから勘当というような形でアメリカに行ったっていう方も聞いたことがありますね。
渡った場所にもよるんですけども日系人が多く住むコミュニティーに嫁いで行った場合には「日本であなたはそういう夜の商売をやっていたの?」…と言われたりとかいうこともあったようですし。
また日本人のコミュニティーがない所でも言葉が分かんないということでばかにされたりとか嫌な思いをしたということはよく聞きますね。
私達はアメリカ西海岸のシアトルを訪ねました
ここには陸海空の米軍基地があります
シアトルには戦争花嫁と呼ばれた人達が多く住んでいます
私自身は本当にそうだから何とも感じないんですけど一般の人達は…。
国際結婚って言ってもらいたい。
…じゃないですか。
私のおじがねやはり戦争に行って帰って来た人ですからね私が田舎に帰るとすぐもう顔も見ないでさっと帰っちゃう。
シアトル郊外に住むスタウト・梅津和子さんもその一人です
アメリカ兵の夫カールさんと結婚しましたが世間からの好奇の目にさらされて来ました
和子さんがカールさんと出会ったのは占領時代末期の昭和27年
神奈川県子市のバス会社で切符売りをしていた時でした
恋に落ちた2人は結婚を決意し山形の両親に報告
親戚一同を集めた家族会議が開かれることになったのです
(和子さん)おじやおばがみんな30人ぐらい集まったねあの時。
みんなにうちの主人を紹介する時にうちの父が…。
(和子さん)こう言ったからもう誰も何にも言わなかった。
陰で言ってるかもしれないけど。
和子さんは昭和29年にアメリカへ渡り夫だけを頼りに新しい生活を始めました
しかし生活は楽なものではなかったといいます
やがて3人の子供に恵まれます
軍人だったカールさんは海外赴任も多く和子さんは一人子育てに奮闘しました
言葉も習慣も全く違う生活
しかし結婚を許してくれた父のためにも泣いて帰るわけにはいかないと心に誓って来ました
そんな和子さんに転機が訪れます
昭和32年から日本で開かれるようになった海外日系人大会
長く外国で暮らして来た日系人を慰めるためまた戦後日本に物資を送ってくれた日系人に感謝をするため
毎年行われるこの大会に両陛下は皇太子時代から何度も出席されています
昭和59年
この大会に初めて出席した和子さんは翌日東宮御所に招待されました
その時皇后さまから掛けられたねぎらいの言葉に和子さんは大きな勇気をもらいます
いやぁ優しい人よ。
声の優しい声のキレイな方。
とっても優しい方。
ホント2〜3語話しただけでも感じる心で感じるもの。
(和子さん)天皇さまありがたいよね。
戦争花嫁と呼ばれた全ての人達にこの喜びを伝えたい
和子さんはアメリカに戻ると散り散りになっていた花嫁達を全米から集め日系国際結婚親睦会をつくりました
「私達は皇后さまに認められている」
「恥じることはない」
「自信を持って生きて行こう」と訴え始めました
さらに日米友好の役に立とうと日本の文化を伝えるボランティアなどを精力的に行います
日本の素晴らしさをアメリカに伝えたのです
そして平成11年
40回目となった海外日系人大会で和子さんは15年ぶりに皇后さまと再会します
すると皇后さまは和子さんを覚えていて「しばらくでございます」と声を掛けられます
またアメリカでの活動についてもよくご存じで「大変でしょうがお続けくださいませね」…と言葉を掛けられました
皇后さまの言葉は和子さんが発行して来た会報誌を通して全米の戦争花嫁達に伝えられて行きました
長い間誤解や偏見を受けて来た彼女達にとって皇后さまの存在は大きな支えとなったのです
美智子さまはね普通の家庭から入られて一生懸命いろんなことなさってそれで私達のほうにまでお考えをねくださるってことはうれしいと思います。
現在80歳近くになった彼女達は今でも週に1度地域の人達に和食のランチサービスを行っています
また日本語専門の図書館での本の貸し出しや図書整理のボランティアなど日本の文化をアメリカに伝えています
戦争花嫁と呼ばれつらい思いを抱いたまま海を渡った女性達
皇后さまとの出会いで力をもらい今も日米友好の懸け橋になっています
天皇皇后両陛下は先日福島の桃農家を訪問されました。
その時のご様子を含め来週特集でお伝えします。
『皇室日記』それではまた。
2015/07/19(日) 06:00〜06:15
読売テレビ1
皇室日記[字]
前半は天皇ご一家、皇族の公務、研究、国内外の訪問、伝統と文化そして身近な事柄と皇室の関わり等のテーマで特集します、後半は皇室の皆さま一週間の動静をお送りします。
詳細情報
番組内容
前半はテーマを決め特集を組みます。テーマは天皇ご一家、皇族の公務、研究、国内外の活動や皇室の伝統、文化にスポットを当て掘り下げます。又、身近な事柄と皇室の関わりには新鮮な発見もあり親しみの持てる番組になるよう、様々な角度から皇室を紹介します。そして皇室の今を伝える為にタイムリーに皇室の行事を盛り込んでいきます。
後半は皇室の皆さまの一週間の動静をお送りします。字幕放送もしています。
出演者
井田由美(日本テレビアナウンサー)
青木源太(日本テレビアナウンサー)
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
ステレオ
サンプリングレート : 48kHz
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