原爆実験70年:米「非核都市」からの警告

毎日新聞 2015年07月17日 12時35分(最終更新 07月17日 15時00分)

原爆実験70年に合わせて非核都市・タコマパークで開催されたシンポジウム=米東部メリーランド州で2015年7月16日、及川正也撮影
原爆実験70年に合わせて非核都市・タコマパークで開催されたシンポジウム=米東部メリーランド州で2015年7月16日、及川正也撮影

 ◇小都市タコマパーク 「核拡散への懸念高まる」

 【タコマパーク(米東部メリーランド州)及川正也】1945年7月の世界初の原爆実験から16日で70年を迎えた。1983年に「非核都市」を宣言したワシントン郊外の小都市タコマパークでは、70年に合わせた講演会が開かれ、参加者らが「核拡散への懸念は高まっている」と、不拡散への取り組み強化を訴えた。

 タコマパークは「非核地帯条例」を制定し、独立機関「非核委員会」が、市当局や市議会が非核政策を実行しているか厳しくチェックしている。

 講演会を主催した非核委員のポール・ガンター氏は、冷戦時代に比べて核保有国がインドやパキスタン、北朝鮮などに広がる一方、テロ集団が入手する危険性もあり「核戦争の脅威はむしろ高まっている」と警告する。

 タコマパークが非核宣言都市となった80年代は、米ソ冷戦下の核軍拡が過熱した反動で市民の「核凍結運動」が高まっていた。すでに70年代から全米で非核都市の動きが出ており、条例化への運動が一気に高まった。

 「(強制力のない)決議で宣言する自治体は多かったが、タコマパークは法的に厳しく定めた数少ない自治体だ」。非核委のジェイ・レビー委員長はそう語る。条例は、市内での核兵器の製造や、核兵器製造に関係する企業や投資企業からの商品購入やリースの禁止を定めている。非核委員会設置も条例で規定された。

 全米でも注目された厳しい内容だったが、条例が制定された83年12月は、核戦争後の悲惨な世界を描き、全米で約1億人が視聴したテレビ映画「ザ・デイ・アフター」が放映された直後で「満場一致で決まった」という。

 この32年の間には「例外措置」も何度かあった。最近では2012年、市図書館が購入したパソコン5台の使用に「待った」をかけたが、市議会は予算上の都合から非核委の反対を押し切って「1回だけの例外」として承認した。政府の核兵器計画関連企業として、取引禁止リストに掲載されたコンピューター大手の製品だった。

 01年米同時多発テロ後、安全保障政策の強化で「非核」も逆風にさらされる。だが、レビー委員長は核実験の被害は「(原爆投下された)日本だけでなく、米国の周辺住民にも及んだ。間違ったことだった」と強調した。

最新写真特集