批判を受け入れなくても幸せに生きていける
烏滸がましい輩がネットには大層多くて、酷い人になれば、「強烈な言葉を浴びせて反省を促すんだ‼」とくだを巻く。
典型的な勘違いくん一号である。
人の思考に影響を及ぼすなんて、実生活でも難しい。
それなのに、こんな見ず知らずの人間が集まるネット世界でどうにかしようなんて都合が良いにも程がある。
たとえば付き合っている彼女の癖を直すのだって一苦労だし、愛を誓ったはずの夫婦でも分かり合えない事はなんぼでも見つかる。
顔を突き合わせても不可能な場合が多いのに、どうして見ず知らずの相手を説得出来るなんて思う人がいるのだろう。
しなびた花に数滴の水を垂らす程度じゃ蘇らせる事は出来ないように、たかがネットの文章で人の生き方を変化させる事など不可能に近い。
それも関係性が薄いのであれば尚更だ。
でありながら、反省がなんちゃら口にして批判するなんてのは、夜中に浮かぶドローンをUFOだと思い込むオカルト好きのように痛い。
老害フラグがビコーンッと立ってる。
そういう人は、可及的速やかに棺桶にぶち込んで、地中深くで永遠の眠りにつかせてやりたくなる。
そもそもブログにしろツイッターにしろ、会社ではないのだ
同じ理念を共有して、利益を上げる為に記事を投稿している訳ではない。
それなのに、パワハラ上司のように詰め寄って説教をしようとする輩の多い事。
ここ数週間ぐらいは、「批判と誹謗中傷の違いが分かっていませんね」系のコメントを良く見掛けた。
そんなのルーズソックスとニーソックスぐらいの違いしかないよ。
って事を口にしたら、「それは違うっ‼」って思春期JKの幅跳びみたいに元気良く飛び掛かってくるんだろうな。
でも、そんな違いを知らなくったって実生活では何一つ困らない。
僕の父親にも、「批判と誹謗中傷とイジメの違いって説明出来る?」と聞いたら、「知らんがな。そんなもん似たようなものだから気にする必要はない」と返された。
神経質に些細な面に着目しなくたって、生きていけるのが人間なんだ。
ブロッコリーとカリフラワー、ネズミとハムスター、マリオとルイージ。
これらの区別がつかない人がいるように、批判と誹謗中傷とイジメを似た者として扱ってしまう人がいるものだ。
この僕だって、『あざなえるなわのごとし』のあなざわさんが解説した記事を読むまで知らなかった。
いや正確に言えば、分かっているつもりってぐらいのあやふやなものであった。
「ヒゲと揉み上げが繋がってて、どれがヒゲで揉み上げか分からないんだよね」といったニュアンスだ。
分かるっちゃ分かるんだけれど、考えれば考えるほど分からなくなるような。
要は何が言いたいかといえば、批判と誹謗中傷とイジメを明確に区分けして語れる人間なんて少数派だって事だ。
数百人に一人ぐらいじゃないか?
一般市民は、それらの違いを明瞭に答えられないだろう。
それなのにはてなでは、「そんな事も分からないんですか?」と嘲るようなコメントを残す人がいる。
一人がそう口にすると、まるで子分が騒ぎ出すかのようにみんなも似たような事を書き込む。
資本主義の豚が、列をなして歩いてくるのだ‼
こうした点がカルト教団っぽさがあって、陰険さが滲み出ているなと思ってしまう。
小綺麗な言葉で隠しているだけで、自分の心に溜まったモヤモヤを消し去りたいだけなのが見え見えだからだ。
隠しきれない大人の狡猾さが、画面いっぱいに広がっている。
ブログを書くってのは、ボディビルダーが砂場で遊ぶようなもの
大半の人々は、趣味の一つとしてブロガーになっている。
文筆家だからブログを書いている訳じゃない。
であるから小言をいわれると、「そんな頭ごなしに批判しなくても……こっちは遊びなんだけど?」と思ってしまうものだ。
「毒にしかならい高慢ちきなコメントをつけるなんて、ろくな人生歩んでないんだな?」と喧嘩越しになるのも仕方ない。
そもそも無職でもない限り、空いた時間で手早く書いてささっとアップするだろう。
プロではないのだから、徹底的な校正なんかせず、中途半端なモノをそのまま上げる。
だから、気付けば攻撃的な文章が出来上がっているなんてのもありえる話だ。
そうした、不完全な作品をいくら批判されたところで、何も得られないではないか。
なんの薬にもならない。いくら吸ったところでハイな気分にはなれない。
それにブロガー成り立てであれば、上手に伝える技術や文章力がない事がほとんどだ。
そんな出来損ないの時期に、高飛車なモノの言い方をされては気分を害するだけである。
これから頑張ろうって時に茶々を入れられたら、憤慨するのは当たり前だ。
僕も以前、消しゴムのカスを集めて練り消しを作っていた時に、
「ちっせ~~~~~なぁ」
同級生の桜木に小馬鹿にされて、腹の虫が承知しなくなり、リコーダーを頭部に何度も突き刺してやった事がある。
とどのつまり、たとえ正しい批判であっても、お互いに損をするだけの未来が訪れてしまうかもしれないのだ。
はてなの連中はほとんど、自分の利益の為に批判している
論理的に人を追い詰めるのって、快楽に浸っているのと変わらない。
しかも楽しんでいる時に横やりを入れるように批判をして来たら、そら腹が立つってもんだ。
深夜のベンチで恋人と良い雰囲気になっている時に、
「見つけた! 見つけた! ツチノコだ‼」
けたたましい声を上げたオジサンが、ツチノコを振り回しながら参上したらどう思う?
一発ぶん殴って、砂場に埋めてやろうって気になるんじゃないか。
正しい事を口にするのが、常に正解とは限らないんだ。
少なくとも、はてなの輩の批判は全てスルーしよう
一般社会音痴の人間が一部にいて、彼らは人の嫌がる様子をエサにして生きている。
ずっとパソコンの前に貼り付いて、人の粗探しをして生きているもんだから、嫌がらせの文章を書くのだけはすこぶる上手い。
そうした一部の不快指数を跳ね上げるドブネズミみたいな人ってのは、攻撃対象を探して常時駆け回っているもんだから厄介だ。
はてブを利用している人なんかは忙しい中で、素早く読んで雑にコメントする人も多い。
だから、既に書き込まれているコメント次第で右に流れるか左に流れるか決まったりする。
つまり、ドブネズミが否定的なコメントをもっともらしく書いてしまうと、それを見た善良な人々までが、「こりゃ酷い記事だ‼」と思い込むのだ。
そして、そこまで悪質な内容でないのに、とんでもない事件が起きたとばかりに燃え広がったりする。
ドブネズミにペコペコする人生なんて悲惨だよ
だったら、徹底的に無視を決め込んでしまえば良い。
下手に反論すると、「炎上には必ず理由があります」という原因論を掲げたゴロツキみたいなのがやって来てしまう。
この辺も僕からすれば、疑問が残るんだよな。
一目惚れのような炎上だってあるんじゃないの?
人間は感情の生き物だ。なんか良く分からないけれど嫌いだった。だから放火した。
そうした理由で批判する人だって沢山いると思う。
機械の世界じゃないんだから。
理由がどうこう口にしている奴らが、童貞なら無理もないよ。
無条件に人を愛した事なんてないんだろうから、これからきっと、なんとなくの世界を知って行く。
でも、はてなには非童貞のドブネズミが沢山いるような気がする。
一通りの経験をして生きていれば、人の痛みも分かるはずなのに、その辺を学習出来なかったのだろうか。
邪道で外道で非道な奴らが、今日もターゲットを探している。
はてなでは、「だから何?」で終わらせてやりたくなるような事だらけだ
「批判されるのはあなたに何かしらの問題があります」
「火のないところに煙は立ちません」
「批判と誹謗中傷の区別もつかないんじゃこの先心配です」
こんなのは全部、「だから何?」で終わらせてしまえる類いの事である。
もちろん、交友関係が長く続いている人や、良くコメントしてくれる人や、しっかり読んでくれている読者から注意されたのなら耳を傾けた方が良いが。
初対面から批判を前面に出してくる人は、一切相手にしない事をオススメしたい。
弁解も謝罪も削除も全く不要。
もしも引っ掛かる点があったら、それは現実社会に持って行き、「これは自分が悪かったのかな?」と友人にでも相談しよう。
はてなで起きた事を、はてなでやりとりをして解決しようなんてのは人生が傾く最大の原因になる。
ドブネズミは人の問題が大好きだからだ。
人の心を掻き乱し、動揺する様子を見てケラケラ笑うのが生き甲斐なのである。
ドブネズミを追いかけてナデナデする必要なんてない。
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あなたってよく見るとドブネズミみたいな顔してるわね (リンダパブリッシャーズの本)
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靴が汚い子はナンパしやすいって話しがあった。
これって、「風俗業界は軽度の知的障害の子を片端から捕まえて働かせている」ってのと似てるんじゃない?
一般的な判断能力のなさそうな子を選んでいるような話だと思う。
だから、靴がどうこうよりも、断る能力のなさそうな子を見極めているのでは。
— ピピピピピ@親の遺産で暮らそうと思う。 (@pipipipipiwarau) 2015, 7月 17
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