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対立を促すような言葉遣いを控えたい

言葉の中には人と人の対立を促すような種類のものがあります。

たとえば「左翼」とか「右翼」という言葉がありますが、個人や組織にこのレッテル貼りを行うことで、人為的に対立構造が発生されられてしまいます。

個人的にはそうした言葉の使用はなるべく控えようと思っています。

ネット上で対立を促す言葉が飛び交う様子を長年見てきましたが、そこから何かしら生産的なことがらが生まれるのを見たことがないからです。

現実の人間も組織もそんな単純なレッテル貼りに収まりきってしまうほど単純なものではなく、複合的な要素のつながりによって成立しているはずなのですが、どうもそういった物事のとらえ方ができる人が減っているのではないかな、という気もしています。

そういった状況から脱却するための一歩として、対立構造を生み出す源泉となる言葉の使用を控えるべきかな、と考えています。

 

ここ数年で目につくのが、世代間での対立を生み出す「老害」という言葉です。

この言葉は個人的にはかなり嫌いで、あまり目にしたくないのですが、ネットでは頻繁に使われているので嫌でも目に入ってしまいます。

確かに老人の中には「おいおい、それはないだろう」と突っ込みを入れたくなるような暴走っぷりを示すダメな人もいますが、ダメな人間は若い世代にも中年世代にもいるので、別に年代を問う問題ではないはずなのですよね。

にも関わらず特に老人だけを糾弾する言葉が盛んに使われているのは問題があると思います。

老人の中のごく一部の人は大きな権力を持っていて、それゆえに害を成す場合の社会的な影響が大きくなりやすい。

今の老人世代に比べて、まだ若い世代は将来、社会福祉や医療・年金などの制度が劣化した状態で老年期を迎えることになりそうだ。

といったようなことから今の老人世代に対する風当たりが強いようですが、だからといって対立したところでこの社会が住みよくなるとはちょっと考えにくいです。

敵対視された老人世代の人たちが、積極的に若い人たちのために何かをしてあげよう、という発想を抱くとも思えませんし。

誰でも仲の良い相手であれば気にかけたり便宜を図ろうなど考えるものですが、その逆であれば機会があっても手を差し伸べようなんて気にはなりませんよね。

 

それ以外にも、いつかはみんな時間がたてば老人になってしまうのだ、ということも先回りして考えておいたほうがいいと思うのです。

この先何十年も「老害」という言葉が残っていた場合、私たちもまた老人になった時に老害呼ばわりされて糾弾される可能性があるわけです。

長年生き延びてきたあげくに年を取ってから若い世代に老害とか呼ばれた日には、相当に嫌な気分になるであろうことは、容易に想像がつきます。

 

ネット上では人を強く批判したり、責め立てたりするような言葉を放ってもいいのだ、という慣習めいたものがありますが、そろそろ「いや、その言葉づかいはやめた方がいいんじゃないかな」といった、現実であれば周囲からかけられるような言葉をかけて、抑止していった方がいいのではないかな、と考えています。