【コラム】偉大な指導者・李承晩を知らなすぎる韓国人

李承晩死去50年、彼なしで今の韓国はあるのか
「親日」「親米」批判は的外れ

 彼は無知蒙昧(もうまい)な国に生まれたが、そんな風に生きることを拒んだ。19歳のときに米国人のキリスト教宣教師が設立した培材学堂で学ぶようになり、自国の外の新世界に初めて接した。乱れた朝廷を言論で改革しようとして死刑判決も受けた。監獄では、昼間は拷問され、夜は英語の辞書を作った。彼は、独立するには米国が必要だと信じていた。1905年、30歳にしてジョージ・ワシントン大に入学し、ハーバード大で修士号を取得したのに続き、プリンストン大で国際政治論文を書いて博士号を取得した。

 41年、米国で日本の対米攻撃を予測した『JAPAN INSIDE OUT(日本の内幕記)』を著した。出版から4カ月後、日本が真珠湾を攻撃した。米国の政治家らは韓国人の李承晩を見直した。

 李大統領は54年、この本の韓国語版の序文にこう書いた。「日本人は昔も今も、顔では笑って内心では悪意を持ち、ずる賢い外交で世界をだます…(中略)少しも後悔したり謝罪したりする様子を見せないばかりか…(中略)米国人たちは今もこれを知らずに日本人たちのおべっかを喜び、賄賂にだまされて日本の再武装と再拡張に全力を挙げている…(中略)ひいては私たちに日本との親善を勧告しているのだから…(中略)」

 李大統領は序文を「米国がどうしようと、百姓が皆死んでいなくなろうとも奴隷にはならないという決心をして心を一つにし、国土を守れば、天が私たちを助けてくれるだろう」と締めくくった。生涯にわたって「反日」だった李大統領を「親日」だと言い、生涯にわたり「用米」だった彼を「親米」だと言う人は、事実を知らないか、知っていながら罵倒しているのだ。

楊相勲(ヤン・サンフン)論説主幹
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