「勝手に決めるな」 「国民なめるな」 世代や党派を超えた重層的な抗…
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「勝手に決めるな」
「国民なめるな」
世代や党派を超えた重層的な抗議のコールが連日、国会周辺の空気を震わせている。
「これが民主主義か」という疑問。「主権者は私たちだ」という怒り。それらを大いに喚起しつつ傲然(ごうぜん)と振り払い、自民、公明の与党はきのう、安全保障関連法案を衆院通過させた。強行しても「国民は忘れる」。安倍政権のこの侮りを、主権者は決して忘れないだろう。
論戦の舞台は参院に移る。
「良識の府」「再考の府」。参院はまがりなりにもそう称されてきた。衆院の「数の政治」に対して「理の政治」。国会をより慎重に動かす。そんな役割を本来は担っている。
解散がなく、6年という長い任期が保障されているのも、衆院議員とは異なる目線と射程の長さで、ものごとを多元的に検討することが企図されている。様々な価値観や異なる意見のせめぎ合いから導かれた結論の方が、間違いが少ないからだ。
ところが安倍政権下、まさにその多元性が押しつぶされそうになっている。
集団的自衛権は行使できないとしてきた内閣法制局を、人事を通じて我がものとする。首相の「お仲間」で固めた私的懇談会が「行使容認」の報告書を出す。メディアを威圧しようとする自民党の動きも続く。
多元性の確保が存在意義のひとつである参院であればこそ、安倍政権の「数の政治」に追従すれば、自殺行為になる。くすぶる不要論にまた根拠が加わるだろう。
議論すべきことは山ほどある。大多数の憲法学者の「違憲」の指摘に、政府は全く反論できていない。どんな場合に集団的自衛権を行使できるのか、安倍首相は「総合的判断」と繰り返すばかりで、要は時の政権に白紙委任しろということかと、不安は高まる一方だ。
学者、学生、法曹界、無党派市民。各界各層、各地に抗議の動きが広がり続ける背景には、安保法案への賛否を超えて、この国の民主主義、立憲主義がこのままでは壊されてしまうとの危機感がある。
そもそも、この違憲の可能性が極めて高い法案を審議するのは、最高裁に「違憲状態」と指摘された選挙制度によって選ばれ、その是正にすらまごついている人たちなのだ。
あなたたちは何を代表しているのか? この問いに少しでも答えたいなら「理の政治」を打ち立てるしかない。主権者は注意深く、疑いの目で見ている。
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