慰安婦:「ナヌムの家」で頭を下げた日本の記者たち

日本の新聞記者ら17人が来韓
元慰安婦たちの証言を聞き、ノートに書き留める

 「話したいことがたくさんあるけど、話ができないね、きょうは…」

 87歳を迎える旧日本軍の元慰安婦、ユ・ヒナムさんが、いすに腰掛け、声を震わせながら日本語でこう話した。そして胸元に手を当てたまま、しばらく何も言えなかった。ユさんの前には白髪交じりの中年の日本人記者17人が座っていた。記者たちは大きなノートを取り出し、ユさんの話した内容を一言一言書き取った。

 16日午後、共同通信や北海道新聞をはじめとする日本メディアの論説委員17人が、京畿道広州市の「ナヌムの家」を訪れた。元慰安婦たちのつらい記憶について直接話を聞くためだった。「ナヌムの家」では現在、10人の元慰安婦が共同生活を送っている。記者たちはまず、元慰安婦たちの証言を録画した映像を視聴した。画面に登場したイ・オクソンさん(88)が「慰安所というのは何をする所かといえば、人を捕まえて殺す所、と殺場にほかならない」と話すと、その場の空気は一変した。

 元慰安婦たちと初めて対面した日本の記者たちは一人ずつ立ち上がり、所属と名前を告げた。皆一様に深々と頭を下げた。共同通信の磐村和哉編集委員は韓国語で「この暑い中、私たちのためにお集まりいただいて、ありがとうございます」と述べた。これに対しユさんは日本語で「よくいらっしゃいました」と答えた。

 ユさんは「若いころに習った日本語を、今はすっかり忘れてしまった」としながらも、日本メディアの記者たちが分かりやすいよう、日本語を交えながら話した。若者たちに言い聞かせるような柔らかな口調だったが、むごたらしい記憶を口にするときは声を荒らげた。「あちこちから娘たちを連れてきて、ひどい目に遭わせた。朝鮮人は人間扱いされなかった」と怒鳴り声を上げた。続いて姜日出(カン・イルチュル)さん(87)は「私たちに血の涙を流させた日本だが、慰安婦問題を直接取材し、解決しようとしてくれているのはありがたい」と話した。

 かつて4年以上にわたって韓国特派員を務めた磐村氏は「今年8月15日、韓国では光復(日本の植民地支配からの解放)70周年だが、日本では第2次世界大戦の終戦70周年だ。この間の歴史を、取材を通じてひも解くために来た」と話した。訪問団長を務める共同通信の森保裕副論説委員長は「歴史に関する(両国の)和解について苦悩してきた」と語った。一方、ナヌムの家の安信権(アン・シングォン)所長は「慰安婦は厳然とした戦争犯罪だ。日本の記者たちが紙面を通じ、韓国人たちのつらい歴史についてきちんと伝えてもらえればと思う」と述べた。

京畿道広州市= クォン・スンワン記者
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