(テーマ音楽)茨城県取手市の職員…原発事故発生後福島県南相馬市から避難してきた人たちを支え続けました。
あの日蛯原さんは市役所で仕事中震度6弱の揺れに襲われました。
すぐに職員たちで手分けして市内の被害状況を確認します。
液状化や地割れの被害が報告されたものの甚大な人的被害は出ていませんでした。
しかし翌日衝撃的なニュースが飛び込んできます。
東京電力福島第一原発の爆発事故です。
取手市は原発に近い福島県南相馬市と災害時に相互に応援する協定を結んでいました。
蛯原さんは災害対策本部や市長に救援のためのバスを南相馬市に派遣するよう働きかけます。
震災発生から8日目の早朝蛯原さんたちは南相馬市に向けて初めての支援物資を積み込みました。
更に避難者の救援のために3台のバスも向かわせました。
そしてその日の夜バスは148人の避難者を乗せて取手市に戻ってきます。
当初寝泊まりのために用意した場所は市の福祉施設にある大広間でした。
より落ち着ける場所はないかとようやく見つけたのが…震災でレースが開催できなかったため選手の宿舎が空いていたのです。
ここなら家族ごとにプライベートな空間を確保できます。
しかし避難生活が長引くにつれて南相馬の人たちの不安は高まっていきます。
この先茨城で仕事は見つかるのか…。
住まいが変わる度に転校しなければいけないのか…。
いつになったら落ち着いた暮らしが手に入るのか…。
蛯原さんたちは子どものいる人を対象にした学校説明会などを開催。
できるだけきめ細かな対応をする事を心がけるようになりました。
震災から4年。
取手市に避難してきた人たちは徐々に南相馬市に戻り始めていました。
蛯原さんは今後も一人一人の声と向き合いたいと考え平成26年4月志願して南相馬市の派遣職員になりました。
今は仮設住宅で暮らす人たちの将来の住まいなどについて相談に乗る仕事を任されています。
2015/07/15(水) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「茨城県取手市 蛯原康友さん」[字]
東日本大震災に遭遇した人々の証言。茨城県取手市の職員、蛯原康友さんは、原発事故で福島県南相馬市から避難してきた人々が不自由なく生活できるよう支援し続けた。
詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した人々の証言。茨城県取手市の職員、蛯原康友さんは、原発事故で福島県南相馬市から避難してきた人々が不自由なく生活できるよう支援し続けた。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:11587(0x2D43)