社説:安保転換を問う 衆院本会議可決

毎日新聞 2015年07月17日 02時30分

 ◇国民は納得していない

 民意と国会との隔たりはここに極まった感がある。

 国民の反対は強まっているのに、国民の代表で構成しているはずの衆院は、与党の賛成多数で安全保障関連法案を可決した。

 衆院本会議場には、7カ月前に安倍晋三首相自身の命名による「アベノミクス選挙」で当選してきた圧倒的多数の与党議員がいた。票に色はついていないのだから、国民からもらった力を何に使おうと勝手という理屈なのだろう。

 ◇自衛隊の基盤は信頼だ

 人間に特有の人柄があるのと同じように、国家にも歩んできた歴史に基づく国柄と呼ぶべきものがある。防衛政策の面で見れば、戦後日本の国柄とは、国際協調を重んじ、軍事的には極めて抑制的に振る舞うことであった。

 安保関連法案には、こうした国柄の抜本的な変更を迫る内容が数多く盛り込まれている。集団的自衛権の行使容認と、対米軍支援の世界的拡大がその中核だ。

 政府は「日本を取り巻く安全保障環境の悪化に対応する必要がある」と繰り返す。「もはや一国だけでは平和を守れない」とも言う。

 国際情勢の変化には無論注意を払わなければならない。多国間のネットワークで自国の安全保障を考えていく姿勢も大事だろう。

 しかし、防衛政策の実行にあたる自衛隊は物理的に強大な力を持つ。判断を誤った場合にもたらされる国内外への悪影響は、一般の政策とはレベルが違う。したがって、自衛隊の活動は民主的に統制され、かつ国民の幅広い同意に基づいている必要がある。

 国民の信頼なくして防衛政策は成り立たない。これが70年前、無謀な戦争に負けて、平和国家として再出発した日本の基本であろう。

 ところが、安倍首相はその柱である憲法9条の解釈を変更し、集団的自衛権を「行使可」に切り替えた。過去40年以上も「行使不可」の見解を維持してきた内閣法制局の長官人事にまで手を突っ込む、強引なやり方だった。

 集団的自衛権とは、他国防衛を意味する。他国を防衛することによって間接的に自国防衛に資することを期待する。国連憲章で認められている考え方だが、同時に日本が国際紛争の当事国になるリスクを招き寄せてしまう可能性もある。

 だからこそ、憲法9条の下で集団的自衛権の行使は容認できない、という従来の政府見解は、国民の常識的な感覚に合致したものだった。

 もしも、行使に道をひらきたいのであれば、憲法の条文改正で解決されるべきテーマである。

 その意味で、安倍内閣が採用した憲法解釈の変更は、行政の裁量権を逸脱している。内閣が超法規的な存在であってはならない。

 一時の多数派の意向で安易に変えるべきではないのが国柄であろう。安保法案に対して多くの国民が納得できない原因もここにある。

 ◇憲法の安心感取り戻せ

 内閣府が今年1月に実施した「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」によると、自衛隊に対して「良い印象を持っている」との回答は、「どちらかといえば」を含めて92.2%に上った。

 1991年に67.5%だったプラス印象の回答割合は、ほぼ一貫して上向いてきた。国の組織としては異例の高さだ。災害出動などを通して自衛隊員の献身的な姿を国民が見ていることに加え、自衛隊の抑制的な姿勢が支持されているからだろう。

 自衛隊の活動は民主的に選ばれた政府が責任を負う。しかし、政府の判断に国民の多くが同意できないのであれば、自衛隊の活動基盤は弱まる。安倍政権の性急で独善的な姿勢が、基盤を弱める方向に作用していることを認識すべきだ。

 国民の信頼をつなぎ留めるには、まず憲法に示された原則が守られているという安心感を回復させることが必要だ。憲法違反が濃厚な法案を成立させてはならない。

 そのうえで成立させるべき法案を、主要な与野党間で共有でき、かつ多くの国民が納得できるものに絞り込むべきだ。

 「切れ目のない対応」を旗印に、安倍政権が多くの内容を詰め込んだ結果、衆院の法案審議は完全に消化不良に陥った。日本有事から地球規模での対米支援、国際貢献まで広範囲に及ぶ11本もの法案を束ねて審議するのは乱暴過ぎる。

 安保法案は参院に送られた。安倍政権は仮に参院が採決しない場合でも、60日たてば否決したとみなして衆院で再議決する「60日ルール」の適用を視野に入れている。

 しかし、参院の役割とは本来、衆院段階での行き過ぎを改め、足らざる部分を補うことにある。

 衆院の与党議員が力任せに可決した法案を追認するだけなら、参院の存在意義に疑問符がつく。今こそ独自性を発揮すべきである。

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