被災地からの声「福島県川俣町」 2015.07.14


そこに花を植え始めたのが始まりです。
全国の皆様に応援して頂き500坪以上のフラワーガーデンになりました。
(徳水)よかったら…皆さんこんにちは。
「被災地からの声」です。
この時間は被災地にお住まいの方々の声をお伝えしています。
先月29日には鹿児島県の口永良部島で大規模な噴火がありました。
ニュース映像を見ていますと島の皆さんはほぼ着のみ着のままの避難です。
大事な牛や豚かわいがっている犬や猫も置きっぱなしにして一人残らず故郷を出ました。
その様子が4年余り前の福島の方々の姿と重なったのは恐らく私以外にも結構いらっしゃると思います。
今回はその福島県の声をお伝えしますが福島の避難区域の方々は口永良部島の皆さんの痛みを言葉だけでなく本当に分かっているはずです。
1,000キロ以上離れた東北からも島の皆さんへ心よりお見舞い申し上げたいと思います。
さて今日は福島県の川俣町の声をお伝えします。
川俣町は福島第一原発の北西にあって人口がおよそ1万4,000です。
農業や繊維産業などが主な産業です。
川俣町は半分以上は避難指示が出なかった地域ですが一部山木屋地区に避難指示が出ました。
ここは日中は出入りできますが今も住む事は許されていません。
現在山木屋地区から避難しているのはおよそ1,200人です。
今は避難先から地区に通って農業を再開する方や家の片づけをする人も見かけます。
それではまず山木屋地区で聞いた声です。
ここ自動にたばこの仕上げる機械。
(取材者)手触りどうですか?
(広野)いいねやっぱり。
(取材者)立派な神棚と仏壇ですね。
(広野)はい。
昔からのやつですから。
これは我が家の田んぼです。
(廣野)この辺が通路になってる。
この辺こんな感じで…。
最近は金属類値段上がってますから油が上がると大体資材ビニール類もそうですけども値段上がるんで。
そういう部分で…
(取材者)お母さん聞いてもいい?いや私は…。
(取材者)あのうちが…。
そうです。
(取材者)あの犬は飼ってる犬…。
そうです。
もうずっと震災の時から…。
(取材者)これはあれですよね除染したあと土なんですか?
(取材者)それも一応こういうふうに詰めなきゃいけない?
(取材者)一応廃棄物になるわけだそうすると。
(取材者)あああれも神棚…。
ここはまだ。
おはらいしてもらってから。
(取材者)移す時にね。
そう。
おはらいしてもらって。
(取材者)ああこれでもほんと農家の造りですね昔のね。
(取材者)66歳で一から出直しってきついなぁとか思いませんか?
(取材者)まあ親の責任というか。
そうです。
ここに一つ四畳半部屋あって。
あとあそこに一つ四畳半。
あと居間っていうかテレビがあるとこは六畳。
(菅野)ヘヘヘヘ。
(取材者)母の日って…。
母の日ってあるんですよ。
5月の…5月かな。
(取材者)優しいお嫁さんですね。
そうそう。
「本当は家に帰りたいけど復興住宅に入るしかない」。
(菅野)年が年だから。
若い人の言う事聞かないとどうなるか今晩にも分からないからねぇヘヘヘ。
ここさまくの。
種まくの。
そうすっと青い…こういうの生えてくっから。
そして摘んで食べんの。
たばこ農家の広野さんは自分の農地は今後しばらく除染廃棄物の仮置き場になります。
帰ったところで何をすればいいのか農地の前で絶句する姿にかける言葉はなかなか見つかりません。
先月末自民党は再来年3月までに帰還困難区域以外は避難指示を全て解除するというめどをこれは提言しました。
でも私が今回会った人の中には至る所に大量に仮置きされた除染廃棄物の袋がいつなくなるのかそれを提言するのが先だろという方もいました。
袋がなくならない限り安心できないしだったら生活が便利な今住んでいる所の方がいいという若い世代も少なくありません。
除染は進めているけれどもそれで出たものを片づけるめどが不透明というこの問題が刻一刻と切迫しています。
その一方で30代の農家の廣野さんですとかあるいは息子には故郷に帰る選択肢も残しておきたいと家を新築する紺野さんのような方もいらっしゃいます。
特に今避難指示区域の山木屋地区でトルコキキョウを栽培しているのは8軒ですがそのうちの3軒は30代以下の農家です。
復興庁が山木屋地区の住民に行った最新の意向調査によりますと「今すぐ帰りたい」という回答と「将来的には帰りたい」という回答をプラスしてもですね全体の45%ほどです。
全体がほぼ半々に割れるこの45%という数字。
除染廃棄物のように解決が見えない課題にいらだつ空気とこれ以上は立ち止まってはいられないという空気の2つが混在する今の山木屋の現状とよく重なります。
では引き続き川俣町の声です。
蔵の壁があの辺ずっと落っこってんですよ。
(取材者)あっこれね。
ええ。
この階段上がるとそこんとこ全部見えるんですけど。
土壁なんで…。
(取材者)この電柱みたいなのは縛ってるっていうのはこれは応急の…。
(清水)要するに建て直すというのはできないんでグルーッと縛ってるっていう状態なんですよね。
(取材者)なるほどね。
(清水)一応これうちの方で作ったやつです。
これ震災前です。
(取材者)前から作ってたんですか。
この辺の納豆…「川俣山木屋納豆」というふうに山木屋の豆で作った納豆です。
(取材者)山木屋って結構大豆作ってたんですね。
(清水)大豆が非常においしかったんですよ。
この辺はもう作れないですよ今。
(取材者)これは地元原料…。
(清水)この釜もほんとに私の昔から使ってる釜なんでこの釜じゃないとこういう大きな大豆が軟らかくなんないんです。
(取材者)何か震災後考えが変わったとか…。
(取材者)こんにちは〜。
(穂積)いらっしゃいませ。
(取材者)なんか明治…。
明治20年創業。
今年で128年ですね。
私で一応4代目です。
川俣で商売やってて128年っつうのは恐らくうちが一番古いかもしれませんね。
商店街の中でも。
だから震災後やってるのはこの塩を…これ4種類。
「福島塩ハッカ」あと「塩とレモン」でしょ「黒塩」と…。
(穂積)「福島塩あめ」でしょ。
あと太平洋ですから黒潮ですから「福島黒塩あめ」この4種類作って売れますね。
「福島愛」これは福島の商品製品心意気を全国の人に伝えてもらって少しでも福島を愛してもらいたいというような気持ちから書きました。
私は竹屋菓子店の穂積寿男で63歳です。
よろしくお願いします。
みそと納豆を作っていた清水さん。
看板商品の原料は避難指示が出ている山木屋地区と飯舘村の大豆です。
このように地産地消スタイルで付加価値をつける商売は原発事故で大打撃を受けました。
売り上げ確保のためにイベントや道の駅農協の販売所などいろんな所に商品を置いてもらっています。
ただ商品を置いてもらう以上その場所に販売手数料を払わなければなりません。
ですから自分の店で売るよりは利益率は少なくなります。
それでも清水さんはまた地元の大豆を使って更においしいものを作って販売したいとおっしゃいました。
お菓子屋さん穂積さんもそれと似ています。
今こそ福島の原料でたくさん商品を開発して福島のものを全国に伝えてアピールしたいと言いました。
「福島愛」というふうに書かれました。
不満を言って暮らすよりも1ミリでも状況をよくするために働こうとこれが福島の実直さです。
こうした福島の方々の生活を回復させる義務を原発事故の加害者側には改めて強く求めなければならないというふうに感じました。
では今日はこの辺で失礼いたします。
2015/07/14(火) 02:48〜03:11
NHK総合1・神戸
被災地からの声「福島県川俣町」[字]

被災地で出会った方々に、「いま一番言いたいこと」をうかがい、その思いを全員放送しています。今回は、福島県川俣町でお聞きした声をお届けします。

詳細情報
番組内容
被災地で出会った方々に、「いま一番言いたいこと」をうかがい、その思いをスケッチブックに書いてもらった上で、思いの丈を語っていただきます。撮影した方の声は、全員放送しています。今回は、福島県川俣町でお聞きした声をお届けします。
出演者
【出演】津田喜章

ジャンル :
ニュース/報道 – ローカル・地域
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
情報/ワイドショー – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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