あなたがそれを書いた行為自体が誹謗中傷だとまだ気づかないのですか
先日ツイッター上で繰り広げられたとある争いの顛末を私は独自に調査してみた。だからこれは私見であり、あくまでも私の目から見た出来事であると言うことをご承知いただきたい。
事の発端はいつものようにツイッターを開いたときに目に付いたとある人物のツイートであった。
――自分が間違っていないというのなら活動報告で議論を戦わせよう。あなたたちのうちのどちらかの活動報告でお願いします。
それがおおよそ2昼夜、TLを汚した汚い言葉の応酬の始まりであった。
かいつまんでいえば単なる文字喧嘩ではある。この言葉を吐いた人物は小説家になろうの規約に精通しており、規約違反と見れば運営にすぐさま報告をあげて指示を仰ぐ態度からもなろうの番人であるのだと最初は思っていた。
しかしこの日、彼女の発言は二転三転した。「公正を期すために議論はそちらの活動報告で」という相手方の提案に一度はイエスを出したにもかかわらず、それをいつまでも実行には移さずにツイッター上での議論を始めたのだ。
こうなれば嫌でもこのやり取りが人の興味を引くわけで、この日のTLは荒れに荒れた。
この発端となった人物、実は検索をかければ面白い事実が次々と出てくるのだが、これに関しては後ろに回そう。
結果としてとある人物はリプで直接対決した二人の人物を相手に大立ち回りを繰り広げ、事実確認の取れない流言をばら撒き、あまつさえそれになろう作家数人のアカウント名を絡めて晒し上げ、全方向に喧嘩を売るようなまねをして消えた。つまりアカウントを消したのである。
ただそれだけのことであったはずだった。
私がすでに終息したできごとに興味を引かれたのは、とあるエッセイを読んだことが始まりである。
それはエッセイの日間ランキング上位にあった。タイトルはひどく挑戦的だが事実をぼかしまくり、結論となっている誹謗中傷というものがなんたるかにすらろくに触れぬ軟派なものではあったが、文中に誹謗中傷を受けてアカウントを消した作者をあわれむ風から、これが件の出来事を書いたものであるということは明らかであった。
ここでまず最初に目を引くのは『誹謗中傷』という言葉であろう。
そもそもがネット上の小競り合いごときに誹謗中傷などという大掛かりな言葉が本当に必要なのか?
じつは『誹謗』と『中傷』はもともと別個のものである。誹謗は強い謗りを、中傷は虚偽で相手の名誉を傷つける行為をさす。
つまりこの両方がひとつになった誹謗中傷というのは極道な行為であり、犯罪として裁判が成立することも少なくはないネットの闇だ。
先日の単なる文字喧嘩が誹謗中傷とはどういうことであろうかと。どちらも聞くに堪えない事実確認すらあいまいな悪口を投げ合っていたのだから喧嘩両成敗が妥当ではないのかと。
そういう興味でこのエッセイの行く末を見守っていた私の前で、作者はとんでもないことをした。簡素ウランに書き込まれた反対意見を次々と消したのである。
最初の反対意見は争いの最中に名前を持ち出されたと言う当事者であった。これは短く、ただこのエッセイが書かれたことによって当事者は不快であるといさめただけのものであったが、これに対する返信は真意を知りながらとぼけているのか「読んでもらってこそなろう作家は成長する」という、自分が書いた文章に対する身勝手な擁護であった。
この感想は数日後に消されていた。
その後、ROMってろ風のことを書いたもの、このエッセイの脆弱さを指摘した意見等、次々と書き込まれては消されたことを知っている。
荒らしはスルーが正当な対策ではあるが、この作者が前書きや活動報告に賛否両論どちらも受け付けると書いていたことを考えるに、削除はおかしな対応ではないだろうか。
しかしついに、関係者の痛みを直接の言葉で訴える感想が書き込まれるにいたってこれ以上の無視は得策ではないと踏んだか、作者はこの事件に関するまとめをあとがきに入れた。
しかしこれも詭弁ばかりで、私はこの作者に対して興味をすっかり失ったのである。
そもそもが関係者の傷を訴える感想に「ツイッターを見ている人や私は傷つきました」という、悪意さえ感じる曲解と論点のすり替えを行うようでは底など知れたものであろう。
そこで私は、彼女が誹謗中傷などと大げさに書くほどのことが本当にあったのかを独自に調べた。
とはいってもツイートという公開情報をさかのぼり、争いの中で名前のあがった作者を簡単に検索しただけなので法に触れるようなことをしたわけではない。その気になれば誰でもが見ることのできる情報を再確認しただけである。
その結果、エッセイの作者が庇護しようとしている人物がひどくクセの悪い怪人物として2chに何度も名前のあがっていることがわかった。
もちろん風評と流言の代名詞である掲示板の情報など、どれほどまで信用するべきかを迷うところではあるが、ただひとつ間違いようのない事実であろうと思われたのは、かの人物が通報魔であるということだ。
これは常々から彼女のツイートに「運営に報告しました」というフレーズが多用されていたことからもほぼ正しいと考えられる。
しかし、その通報なるものをたどってゆくと、これが捏造とごり押しの産物でしかないという事がわかって恐ろしくなる。
例えばツイートに少しでも不備があればそれが即、通報の際に添付する資料となる。それも普通であれば証拠にもならぬと思うような些細な言葉のあやや、言い回しを想像で補填して相手を断罪するのだ。
しかし、これを本当に運営にまで提出していたようなので、彼女のなかだけではそれが証拠となりえる真実だったのであろう。
特に相互評価には厳しくツイッター上で評価に関する話題を見つけただけで評価依頼だと断じ、自分が目をつけた敵対する作家と仲良くするもの全てを信者と決め付け、ポイントを多く獲得しているもの全てに得票操作の疑いをかける。
そうして相手を罪人に仕立てて煽っておきながら、「そんな違反者とは付き合えません」とブロックすることによって相手の謝意も弁明も受け付けない。
そんなクセの悪い人物をかばう理由がどこにあるのか……いや、理由あることは何もフシギはない。どんな人物にも悪人の面と善人の面があって、件のエッセイストは善人であるときの彼女の姿しか知らぬとか、大恩があるとかなのであろうと容易に予測がつく。
それでも誹謗中傷などという大仰な言葉を旗印に掲げて彼女のしたことの全てを隠そうとするのはいかがなものかと思う。誹謗中傷の如何を問うならばツイッタ-という公然に事実の確認さえ個人の妄想による作り事でしかない流言を撒き散らした彼女の行為こそが誹謗中傷ではないのだろうか。
それでも片側ばかりを断じるのはアンフェアであり、知りえた事実は全て共有するのが正しい報道のあり方だろう。
この騒動を起こした彼女もまた、誹謗中傷の被害者である。
そもそもが2ch、不確定な状況証拠と憶測だけで人を罪人扱いするようなところに名をあげられるだけでもダメージは大きいだろう。
それに今回の喧嘩の流れを見るに彼女は過去に公然で自分の作品に酷評をつけられるという傷を心に負っているらしい。
これが3年前と言うことで情報は断片しか手にはいらず、全貌をしることは難しい。しかし傷を負うような出来事があった、これだけは事実である。
ならば傷を傷で返していいと、そんな野蛮が許されるはずがない。
今回巻き込まれた人物だって清廉潔白とは思えない。実際に不正があったのかを立証もできない代わりに完全無垢であるという証拠も無いのである。
しかし、今回の被害者たちは誰も、誹謗中傷などという大げさな言葉を使わなかった。
何をもってして誹謗中傷とするかのラインは、明らかな肉体的苦痛、社会的、金銭的な損害が出て初めて万人が認めるところとなるのではなかろうか。
今回の被害者の中にはプロも、プロに手の届きかけている人もいた。単純な話、もしこれらが声をあげて風評による損失を訴えれば些少なりとも金銭的な損失計算はできるであろうに、それをしようとはしない。
もちろん台風の目である彼女にいたってもだ。
ならばなぜ、件のエッセイストは誹謗中傷などという大仰な言葉で大衆を煽ったのか。ここからは私の推論でしかない。
ひとつは誹謗中傷という言葉を字面だけで選択したということ。彼女のエッセイや感想返信には今回の事例のどこが誹謗中傷に当たるのか、そもそもが誹謗中傷とはどのようなものであるのかの含みすらない。もちろんそれを解決する気もなく、だからこそますます誹謗中傷という言葉だけが独り歩きしているのだ。
もしくは誹謗中傷をあえて具体性のないものとしておくことで何らかの得があるのか。
これが台風の目となった人物の仕込みだとすると実にストンと説明できてしまうのだが、それこそ状況証拠だけで根拠などないのだからここでは割愛しよう。
ただ、誹謗中傷という言葉を旗印としておくことでえられるものなどいくらでもあるのだ。
件のエッセイにかかれた誹謗中傷というバケモノにだまされぬよう、ここに警告を記しておく。
かのエッセイストがなぜ感想返信が頓珍漢なのか、本当にそれは誹謗中傷などという犯罪行為をさす言葉でかかれなければならないほどのことだったのか、立ち止まって多方面から見直すべきではないのだろうか。
なにしろわれわれは作家なのだから、誰かの書いた言葉を鵜呑みにするばかりが能ではないはずなのだ。
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