少年は病室で17歳になりました
♪〜ハッピーバースデーディア義希君♪〜ハッピーバースデー…
病名は小児がん
命の限りが迫っていることはまだ知りません
(笑い)
(伊藤義希君)お〜。
(伊藤忍さん)ハハハ…。
リアクション頑張ってみてよ。
お〜。
これはいいものだ!
(忍さん)誰だよ?ハハハ…!アハハハ…!
少年の夢は漫画家になること
(忍さん)何で私がもらうの?私誕生日じゃないよ。
両親は余命を伏せていました
でも本人は…
…と思うので。
日本ではまだ数少ない子供への余命告知
少年は全てを知りたいと告知を受けます
その先どう生きるのか
親は何ができるのか
名古屋大学医学部附属病院
全国に15ある小児がん拠点病院の一つです
医師や臨床心理士薬剤師などさまざまな専門家がチームを組み患者のケアに当たっています
小児がんの治療を受けている…
漫画家になるのが夢という高校生です
(忍さん)心配しないで。
入院生活は1年に及んでいました
義希君は4人家族
共働きの両親と3歳年上の兄がいます
腎臓にガンが見つかったのは中学2年の時
病名は本人にも告げられました
一度は退院したものの卒業直前に再発
好きな絵を学びたいと選んだ高校には入学式しか出られませんでした
1年後の去年3月
義希君は強力な抗がん剤治療を受けていました
しかし…
ただ劇的に効くっていうわけじゃないので。
まぁ…。
夜タクシーの制服のまま病院を訪ねる生活が続いていた…
まだ義希君には知らされていない厳しい病状と向き合っていました
この日も担当の高橋医師から告げられたのは…
(高橋医師)今もねただ…。
(高橋医師)…と思うんですよね。
それは命の限りが迫っているということ
わが子にはずっと話せずにいました
(忍さん)やっぱり…。
(和吉さん)うん。
(和吉さん)うん。
入院中の義希君が心を許している人がいます
(佐々木さん)オーマイゴッド!
(佐々木さん)今の言わせ…ちょっと撮ってる。
言わせたわけじゃないですよ今のコメント。
余命を知る母親と知らない息子
2人に寄り添って来た佐々木さんはそれぞれの胸の内を書き留めていました
母と子の藤は半年以上続いていました
治療技術の向上により患者の7割が治るようになった小児がん
年齢や理解度に応じて本人にも病名や治療法を説明するのが主流となりました
しかし治る見込みのない子供への余命告知は最終的には親の判断に任されています
この病院でも行われたのはいまだ1例のみ
それでも…
必ず本人には自分の体って分かると思うんですね。
(山田看護師長)っていうことが生じて来て…。
去年4月両親と一緒に義希君が余命告知を受けたという連絡が入りました
義希君の「深いところまで話したい」という願いを両親がついに受け入れたのです
医師が告げたのは「治る展望がない」という言葉
あとどのくらい生きられるかは予想が難しいと伝えられませんでした
心配はあったんですけどでも彼の明確なメッセージがあったからちゃんと話そうっていう…。
告知を受けた義希君はこう言ったといいます
その3日後一時帰宅が許された義希君
中学以来の親友とつかの間の再会です
ここでこの人の本性を…。
余命告知されたことは話しませんでした
義希君は本当はどう受け止めているのか
最初の告知からおよそ2週間後の病状説明
この治療をしてること繰り返してることで…。
はい。
…っていうことをこの間お話ししたんですけど。
それを前提に立てた時にその…100%で本当にやっていいのか。
こことここ…こことここ。
医師は副作用を和らげるために抗がん剤の量を減らすことを提案しました
しかし…
(高橋医師)100%で。
はい。
僕は。
余命告知を受けても治す希望は捨てきれませんでした
アメリカでは日本より積極的に子供への余命告知が行われています
全米から小児がんの子供達が集まるフィラデルフィアこども病院
ここでは終末期の子供に対しても誠実な告知が行われています
脳腫瘍を患った彼女は13歳で余命告知を受けました
彼女は病気をそして死を受け入れ旅立ったといいます
自宅に戻ることを選んだハナさん
多くの友人そして家族に囲まれ過ごすことができました
その頃話したことで母の記憶に強く刻まれている言葉があります
短いけれども掛け替えのない時間を過ごしハナさんは息を引き取りました
そして余命告知を受けた義希君にも心の変化が生まれていました
余命告知から3か月
高橋医師は義希君に今後の治療方針を自ら選んでほしいと考えていました
まず示されたのは前回同様抗がん剤を減らして治療を続けるというもの
そしてもう一つ
初めて示されたのは…
あの今回治療をやったけれどもかなりつらかったということを考えてこれだったら治療しないっていう選択肢もある。
それに基づいた選択肢治療法をとって行きたいと思ってるんで。
できる限り長く生きたい
それが義希君の選択でした
…っていうことを聞いたんですね。
(高橋医師の声)…んじゃないかなというふうに思います。
残された時間をより良く生きるにはどうすればいいのか
答えを探す義希君は1通の手紙を愛知県の知事に送りました
病院の中に教室を設け授業を行う院内学級
その高等部は義務教育ではないこともあり数少ないのが現状です
高校に通えなかった義希君
願いを教育委員会に訴えました
その言葉に込められていたのはこんな思い
今後…。
…んだと思うんですよね自分で。
しかし抗がん剤による治療はすでに限界を超えていました
目まいや吐き気などの副作用が義希君を追い詰めます
それでも治療を続けて来たのは…
…いうふうに答えたので。
…なんですけどね。
両親の願いと治療のつらさ
そのはざまで苦しんでいました
クリスマスの夜
義希君は厳しい選択を迫られます
治療を続けるのかそれともやめるのか
まだ決めてないので…。
年末年始を自宅で過ごし病院に戻って来た義希君
抗がん剤治療を続けるのかやめるのかすでに決めていました
(佐々木さん)あ〜ホント。
治るチャンスがあるならやってみないかい?とかいう話し方でもうすげぇ推して来るから。
奇跡を信じて治療を続けてほしいという両親の願いに押されての選択でした
「家族の後悔友達の後悔が減るようにしたい」って言ってるからうんまぁそこは彼の願いでもあるのかな…と思いますけど。
いつまでその願いに応えられるのか
院内学級の実現を訴えた義希君
その設置が検討されている間教師が病室を訪ねる訪問教育を特別に受けることにしました
これも愛知県では制度化されていませんでした
やっぱり…。
自分が前例となることで制度化できるかもしれないと考えたのです
病状を伝えられている山口先生
義希君が好きな猫をモチーフに絵を描くことを提案します
そして…
猫の一日を4枚のイラストで描きそれぞれがどんな時なのか言葉を添える
込めたのは何げない日常の尊さ
最後の1枚
(山口先生)これは正面だよねここだけね。
これが一番大事だねやっぱりね。
(山口先生)うん。
添える言葉は…
(山口先生)うんうん…。
(山口先生)あぁ…。
出来たねねぇ!いいじゃん。
はい。
(山口先生)いいね猫の一日うん。
楽しみになって来ました。
ひと月後義希君は決断しました
もしかしたら…。
4月にやろうって言ってた…。
っていうのを今から先生に伝えるので撮ってもいいですよ。
家族と大切な時を過ごしたい
のに対して…。
…っていうのともう一つはやっぱり家族と時間が過ごせること…ですかね。
義希君の決断を母忍さんはこんな思いで受け止めました
(忍さん)ただねっ一つ言えるのは…。
4月ガンの治療をやめた義希君は病室の外で18歳になりました
彼が前例となった病院訪問教育が正式に制度化されることも決まりました
今義希君は自ら手にした「大切な時」を家族と過ごしています
少年は余命告知を受け止めました
何かを残すため今も歩み続けています
生きることはあきらめない
幼い命が犠牲になった事件から18年
加害者の手記が新たな苦しみを与えています
最初にホントに殺されて今度またあの…汚されてしまった。
2015/07/13(月) 00:55〜01:25
読売テレビ1
NNNドキュメント「生きることは、あきらめない。少年と余命告知」[字]
小児がんと闘う17歳の少年に行われた「余命告知」。彼は残された時間をどう生きるか考え始めます。命と向き合う少年の姿を通して、子どもへの余命告知について考えます。
詳細情報
番組内容
小児がんと闘う17歳の少年に、命の限りを伝える「余命告知」が行われました。告知を受けた少年は、治療をすることよりも、残された時間をどう過ごし、何かを残すことはできないか、考え始めます。しかし両親は、治すことを目標に治療をし続けてほしいと願う…少年と両親の葛藤は、深く激しいものでした。自分の命と向き合う少年の姿を通して、子どもへの余命告知について考えます。
出演者
【ナレーター】
小山茉美
制作
中京テレビ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
ステレオ
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32725(0x7FD5)
TransportStreamID:32725(0x7FD5)
ServiceID:2088(0x0828)
EventID:60074(0xEAAA)