鮮やかな色と力強い線。
強烈な印象の富士。
日本画家片岡球子の代表作です。
100歳を超えてなお精力的に描き続けた球子が生涯をかけた傑作があります。
「面構」と題された人物画のシリーズです。
歴史に名を刻んだ人物たちを今目の前にいるかのようによみがえらせた個性的な作品です。
実際には見る事も触れる事もできない姿にどうやって命を吹き込んだのでしょうか?その謎を解く手がかりが残されています。
スケッチです。
最新の調査から球子の知られざる試行錯誤が浮かび上がってきました。
まさにその時の画家の息遣い。
そこにいて本当にこう手を動かしていたっていう行為の痕跡が生々しく伝わってくる。
そういう意味では本画以上に画家が日々過ごしていた時を感じさせる。
残されたスケッチは350冊以上。
球子がその個性をどのようにつかんでいったのかが克明に見えてきました。
膨大なスケッチから片岡球子の創作の秘密を探ります。
「日曜美術館」です。
今日取り上げるのは日本画家片岡球子の作品です。
ほんとに一瞬で心を捉えられてしまうような作品ですよね。
ほんとに「面構シリーズ」あと「富士」なんかはあふれる個性をすごい感じますよね。
しかも最近になって残されていた350冊以上のスケッチブックの研究も進んでいてどのように個性あふれる作品が生まれていったのかその秘密が少しずつ見えてきたというそこも気になりますよね。
100歳を超えてもなお制作し続けた片岡球子さんの今日は人物像しっかりつかみ取りたいなって思います。
一体どうやってその個性を開花させていったのかスケッチブックから読み解いていきましょう。
片岡球子の展覧会が開かれている愛知県美術館。
向かったのは…日本を代表する写真家です。
生前の球子と20年にわたり深い親交を結びました。
おお「富士山」。
お久しぶりです。
片岡球子先生と富士山のスケッチご一緒させて頂いた事あるんですよね。
え〜あの時富士山のお話たくさん伺いました。
大石さんが撮影した写真。
アトリエを訪ねるといつもにこやかに迎えてくれた姿を何度も記録しました。
お〜っ!「面構」。
わあ!晩年の代表作「面構シリーズ」です。
歴史上の人物を今によみがえらせる事に挑戦し球子の名を不動のものとした傑作です。
緻密に描かれた衣装をまとうのは足利尊氏。
室町幕府初代将軍をユーモラスに表しました。
八代将軍義政。
どこか遠い過去の人物ではなくその辺にいそうな愛きょうのある表情です。
片岡球子さんのその〜何百年か前の取材をきっと彼女はタイムトンネルを通って取材に行ったんでしょうね。
類を見ない異色の日本画と言われるこれらの作品を球子はどのように生み出したのか?その誕生の秘密を物語るものがあります。
スケッチです。
近年の研究で試行錯誤のプロセスをつぶさに残していた事が明らかになりました。
思考の過程が描かれてるという感じしません?そうですね。
ねえ。
歴史上の名だたる人物たちをどうすれば生き生きと目の前にいるように描けるか。
色や形を変えながら何度も試みています。
球子のその独特な発想そして飽くなき探究心はどのように育まれたのでしょうか?1905年札幌に生まれた片岡球子は18歳で上京。
東京の女子美術学校で日本画を学びました。
25歳の時の作品…伝統的な日本画である細部まで正確に写し取る作風。
この絵で球子は「日本美術院展」通称「院展」に初入選。
画家として幸先のよいスタートをきりました。
しかし絵の道は甘くはありませんでした。
小学校教師の職を得た球子は教鞭をとりながら絵の勉強を続けましたが自分なりの表現を見つけられません。
花鳥風月を離れ教室の子供たちを題材にした作品です。
算数の問題を解いている女の子。
懸命に鉛筆で書き込む用紙の少し汚れたところまでリアルに表し今までと違う画風を目指しました。
ところがその後球子の絵は落選を続けます。
大勢の生徒の担任をしながらの画業。
両立は容易ではありませんでした。
なかなか認められないつらい心境を語った映像が残されています。
落選いたします時にはね院展の方では赤いレッテルを作品にくっつけるわけです。
入選はグリーンをつけるわけです。
ですからもう赤いものを見るのが怖くて…。
それであの夏なんかは氷水を頂く時もいちごは絶対に食べないと。
そういうふうにノイローゼみたいなね赤に対するね恐怖心ってものを持つようになりましたんですよ。
落ち込む心を奮い立たせるように画家としての情熱を傾けたものがあります。
教え子たちのスケッチです。
物思いにふける横顔。
いたずらをたくらんでいるような目つき。
子供たち一人一人の魅力を懸命にとらえようと鉛筆を走らせています。
球子の作品を長年研究してきた…スケッチには子供と接する中で見つけた大切なものが表れているといいます。
小学校の先生をしていたころに描いたスケッチブックを見るとおとなしそうな子それから勝ち気そうな子などまあ生徒の繊細な内面に寄り添ったような表現が多く見られるんですね。
普通少女を描いたりするとかわいらしさを全面に出す少女らしさを全面に出すというのが多いと思うんですがどちらかというと子供一人一人に個々の子供に備わった個性みたいなものに着目して非常にそれを繊細にとらえようとしている。
やはりあの教師生活の中で子供の内面と深く向き合って過ごしている。
そういう経験がこうした表現に結び付いているんじゃないかと思うんですね。
球子が30年間教鞭をとった学校です。
球子にスケッチしてもらったという元教え子たちです。
教室で机を並べ球子先生の授業を受けたのは60年前の事。
卒業の時に球子が描いてくれたスケッチを今も宝物にしています。
「前いらっしゃい」って言われて座らされてでこう顔を見ながら描いて下さいました。
スケッチのかたわらには音楽が好きな侑子さんへのメッセージ。
「やさしいよい乙女になりなさい。
体を大切にしてね。
ピアニストの夢を大切に育ててゆきなさい」。
絵を描く事が大好きだった久美子さん。
恥ずかしい。
「ガンバリやの久美ちゃん将来は画家楽しみにしています」。
教え子一人一人の成長をいとおしみながらスケッチした球子。
美術の授業で繰り返し語って聞かせた言葉があるといいます。
描く対象物をよく観察しなさいって。
「観察」っていう言葉を私よく覚えてるんですけど。
それが絵を描くっていう事なんだって。
写生するものを見てて後ろ側も見なさいって。
裏側も見えないところも。
そこに描かなくても見えないところも描くつもりで描きなさい。
教職と画業の両立に悩んでいた球子は目覚めます。
子供たちとの日々を糧に画家としての腕を磨いたのです。
生徒に一生懸命勉強を教える事が自分の絵を真面目に一枚描く事だというふうに置き換えて自分は考えるようになりましたね。
もういい授業をすれば結局いい絵を一枚描いたっていうふうに自分で記録をとるような気持ちで勉強を重ねていきました。
長いトンネルから抜け出た49歳の作品。
鶏の世話をする教え子たちです。
子供たちの個性を生き生きと表そうとスケッチを重ねた球子。
その歳月が生み出した傑作です。
さあ今日のゲストをご紹介いたしましょう。
写真家の大石芳野さんです。
お願いします。
大石さんは30年前になりますかこの「日曜美術館」がきっかけで片岡球子さんと出会ってその後も交流が続いたとか…。
片岡球子さんって割と小柄なんですけれども頂いたお手紙が封筒から宛名の「大石芳野様」っていうのがはみ出してしまうようなすごい大きな字で…。
もうほんとにその方そのもの…。
思いがもうねあふれ出てしまう。
そうですね。
実際に今回は子供たちを描いたスケッチも間近で大石さんご覧になる機会があったそうですね。
今展覧会の中で拝見しましてその人の持っているそれこそ個性を観念で描くのではなくてそこから引き出すっていうか…。
やっぱり個性というのはその人の丸ごと…人間としての丸ごとで存在そのもの全てがある個性という事になって…。
それを球子さんは「球子先生」としてではなくて子供たちと対等な人間として一人一人と向かい合っていたしつきあっていたし子供たちから教えられる事もたくさんあっただろうし…。
そういう人間と人間との交流が相当彼女の中で膨らんでいったという感じのスケッチを感じますよね。
なるほど。
時に恐らく心の中ではやっぱり絵を描くには時間が必要なのでその子供たちの授業が終わったあとになんとかして自分の時間を捻出しよう絵を描かなきゃって思った事も恐らくあったと…。
病気以外は横になって寝た事がないっていうぐらい。
丹前を着たままゴロンとなって…。
それぐらいまあ徹夜に徹夜を重ねるような感じの…。
昼間は授業をやって夜は自分の絵っていうそういう生活をなさったようですけれども…。
私最初本当はもっと描きたいものがあったかもしれないけど描きにいく時間がない。
そこまで遠出する時間がないから身近にある子供たちを描こうとしていたんではないかと思ったんですけれどもよ〜く見てるうちに実はそうではなくてむしろ子供たちからいろんなものを学んでたんじゃないかと。
だから人それぞれみんな違う子供一人一人が違う。
「あっこれが面なんだ」というか将来の「面構」につながる原点が子供たちの中に彼女は見つけたんじゃないかというような感じをなんかスケッチの何枚ものを見ているとやっぱり片岡さんって原点はここにあってで彼女がものすごく苦しんだ学校で教えるという事の時間が実はとっても生きてて彼女はそっからたくさん学んだんじゃないかというのを私は感じますけれどね。
なるほど。
球子のその後の画家人生を決定づける運命的な作品があります。
主な登場人物は3人。
舞妓そして舞妓に恋する男キリスト教に改宗する僧侶という設定です。
更に信心深いキリシタン。
安土桃山時代が始まるころ当時のキリスト教の教会南蛮寺の門前で繰り広げられる歌舞伎の物語。
鮮烈な色彩で描かれています。
実際の舞台の写真。
歌舞伎俳優の衣装はシンプルです。
舞台の背景も球子の絵とは大きく異なっています。
球子はなぜ舞台とは全く違うように描いたのでしょうか?その謎を解く手がかりがスケッチにあります。
一つの作品を完成させるため球子は実に10冊以上のスケッチを重ねました。
最初の方に登場するのは歌舞伎俳優たちです。
毎日楽屋に通い詰める球子。
舞妓を演じた女形の七代目尾上梅幸は見えないところまでしっかり描けと叱咤激励しました。
僧侶を演じた九代目市川海老蔵。
飾り気のない衣装を身にまとい祈る姿。
「この登場人物がより際立つ表現にしたい」。
球子の模索は更に続きます。
スケッチブックにはその生々しい痕跡が残されていました。
1冊ほぼ全て着物の模様だけ。
球子がスケッチした着物はどのようなものだったのか。
表紙に書かれた百貨店の名を頼りにたどりました。
球子ははるばる京都まで行って着物を探していました。
ここは古くからの貴重な着物や布地をコレクションしています。
球子が実際に見た着物のきれです。
歌舞伎の時代設定と同じ安土桃山時代のころのもの。
「辻が花」と呼ばれる最高の技術で染められていました。
球子はその繊細な美しさを逃すまいとディテールの一つ一つまで克明にスケッチしています。
舞妓の着物の模様は当時の能の衣装。
刺繍で埋め尽くされた布のあでやかさを丁寧に写し取っています。
球子は登場人物たちを安土桃山時代のころの衣装で描いていたのです。
物語にしか存在しない登場人物。
その個性をどうすれば輝かせる事ができるのか。
球子が出した答えは登場人物が生きた時代最も華やかで最もふさわしい衣装を探してまとわせる事でした。
「歌舞伎南蛮寺門前所見」辺りから一つのテーマを描くために無数のスケッチいわゆる取材を重ねて自分のイメージを作り上げていくという制作のスタイルが固まってくると思うんですね。
たくさんのポーズを捉えたりその着物の柄を捉えたりというディテールの取材を集積する事で一枚の大作に挑んでいるという事が分かります。
絵を完成させるために球子は更に取材を続けました。
福井市にある大安禅寺。
この寺に足を運んでいます。
寺に古くから伝わる屏風を見るためです。
安土桃山時代のころの異国の人々が乗る南蛮船の情景を描いた屏風です。
まあその400年前という事なんですけども当時のお殿様が福井の藩主からたくさんの宝物が拝領されるわけですけどもその中の一つなんですがこの中に描かれているこういうカルタ絵とか碁ですねこれも基本にのっとってそのまま描かれているというので当時の風俗を知るうえにおいても非常に貴重であるとこう今言われております。
当時の気配を詳しく知ろうと屏風の一部を描いたスケッチ。
球子はやがて絵の背景に着目します。
絢爛豪華がもてはやされた時代ふんだんに使われた金です。
この屏風から刺激を受けた球子は自らの作品の背景に金を用いました。
華やかな時代の息吹を感じさせています。
球子の個性あふれる鮮やかな作品のかげには入念な取材と緻密な計算があった事が浮かび上がってきました。
球子さんの力強く大胆な作品絵というのは一見自由に感性のままに描かれているように見えるんですけどこんなにも緻密な構成がちゃんとあったうえで描かれているという事を知るのはほんと驚きますね。
そうですよね。
何回かおっしゃったのは「今見えないものを描いている。
昔の歴史のものを描いているから一生懸命調べないと空想で描いた事になってしまう」と。
片岡球子さんってものすごいリアリズムを追求なさった方だと思うんですよ。
もうほんとに現実の現実を絵に表したっていう。
私たちが想像してる絵というのはもうちょっと何か才能とか空想とかセンスとかもちろんそういうの必要ですけどそういうものに頼ってるという感じありますけどね。
そうでないというのを知れば知るほどこのはみ出した大胆な描き方がそうでなければきっと表現できなかったんではないかなと。
球子さんのリアリズムの追求のしかたというのがあのスケッチの量というのはやはりそこに近づいていくための一つの手段だったんですかね?そうですよね。
それを積み重ねてますよね。
いろんなものを見て描いているという事はこれが私の絵なのよという。
そこに懸けたというか画家としての全魂を懸けたという勢いみたいなものをあの絵から感じますよね。
スケッチの調査が進められる中去年球子の更なる飛躍のきっかけを物語る新たな発見がありました。
1962年球子57歳で初めてヨーロッパに渡った時に描いたものが見つかったのです。
絵と字で表裏埋め尽くされた和紙50枚。
旅の間小さく折り畳んで持ち運びながら描いたと考えられています。
これほどまでに多くの作品西洋絵画を片岡球子が自分の目で見てそして実際にどんな事に感動したのかという事が今回のこの資料によって初めて明らかになったと思います。
パリで精力的に美術館を巡っていた球子はある画家の作品にくぎづけになります。
ジョアン・ミロ。
シンプルな形と色で人や動物たちを描き生命感あふれる作品を生み出したスペインの画家です。
球子は連日ミロの展覧会に通い詰めては模写を重ね感想を書き記しています。
「星とか月とか女とか自分で作った形でその思想を表しているのには感心した」。
スケッチの手を走らせながら球子は決意します。
帰国した球子はそれまでの日本画の常識を超え新たな表現を切り開こうと挑みます。
その挑戦とはどのようなものだったのか。
弟子の松村公嗣さん。
球子が編み出した技法はとてつもないものでした。
取り出したのは木工用の接着剤。
鮮やかな黄色の顔料は油絵用のもの。
いずれも従来の日本画には使われる事のなかった画材です。
混ぜ合わせたものを筆を使わず手で塗り始めました。
画面に指跡が残りダイナミックな動きが生まれます。
球子が本格的にこの技法を用いたのは山の絵だと考えられています。
壮大なスケールの対象に懸命に迫ろうとこの技法を編み出したと松村さんは言います。
いわゆる筆を投影して描くというよりももういきなりダイレクトでしょこの画面に。
自分の気持ちがそのまま出てくるというかやっぱりこう描いていると高ぶってきますよね気持ちが。
そしてモチーフは山ですから山肌を触ってるような気持ちで画面を触ると。
新たな技法をふんだんに用いたとされる…接着剤が不思議な凹凸を生んでいるようです。
膠でこの盛り上げ方とか出ないですし。
日本画では盛り上げという技法はありますけど別物ですからこういったボリューム出すというのは膠では難しいですもんね。
立体的っていうかそういった奥行きといいますかそういう事を表現しようとしてるんでしょうね。
そこから球子の代表作が生まれます。
「富士山」です。
印象的な山肌に接着剤を用いたと考えられています。
そしてついに生涯のテーマを見つけました。
「日本を築いた人物を描く」。
この時球子61歳。
向かったのは京都市北部にある等持院。
室町幕府足利将軍家の菩提寺です。
初代将軍足利尊氏の像。
戦前は時の天皇に従わず南北朝の動乱を生んだ国賊とも言われていました。
しかしこの像と対面した球子は驚きます。
おおらかな表情に見えたからです。
尊氏の姿を時空を超えて今によみがえらせたい。
壮大な挑戦が始まりました。
木像の輪郭を確かめるかのようなスケッチ。
寺に通ううちにその描き方は大きく変化していきます。
垂れ目を強調した表情。
クレヨンにペン。
さまざまな画材を使いながら「顔つき」に心血を注ぎ始めました。
自分が感じた尊氏のおおらかで柔和な雰囲気を描くにはどうすればいいのか。
球子は木像にはない形を生み出します。
額を大きくはり出したカーブで縁取ったのです。
そして完成させた足利尊氏像。
着物の模様は史実を徹底的に調べました。
背景は接着剤で凹凸を出したとも考えられています。
これまでの模索を全て注ぎ込んだ「面構シリーズ」の誕生です。
「富嶽三十六景」で知られる飾北斎。
世界に名だたる江戸の巨匠も球子の手にかかればこのとおり。
ちょっとでも間違った事をすると今にも怒り出しそうなおじいさん。
役者絵や美人画で知られる歌川豊国。
遊女をどう描いてやろうかと思案顔です。
「面構」に生涯情熱を注いだ球子。
その理由をこう語っています。
何か仕事をした人日本のために何かこうね印象的な仕事をした人という方を描いていこうと思っておりますよね。
現代に生かしておきたいなというふうに思うわけですよ絵を描いているうちにね。
是非現代に生きて仕事をしてほしいなという。
だから過去と現在が一緒になっているような考え方で描いているんです。
それから一緒にその心の中も見抜くんだからこちらのね望遠鏡が弱いとなかなか心の中までのぞけませんけどもね。
そういうふうにして心の中までも描いてしかもその人が生き生きして今でも生きて何かに影響しているというようなね生き物のようなものをねそういうものを描こうと思ってるんですが。
球子さんの言葉の「心の望遠鏡が弱いと人の心までは見る事ができない」という言葉がずっしり響きますけど。
ただただ教えられるっていうかうなずくっていうかそういう感じしますね。
絵を描くのにそれほど必死に何か引き出そう今に生きさせようそしてこれからも生きてってもらおうというふうにしておられる。
ですから写真はもっと頑張らないといけないなって今つくづく思ったり。
最後は顔にたどりついたわけですけどものを見るその距離感だとか見方だとかそういったものも本当に考えさせられる部分もありますよね。
写真を上手に撮ろうと思ったら遠くからシャッターチャンスを狙ってその人がいい顔した時にパチャパチャパチャっとシャッターを切っていい写真を撮るという事ができると思うんですけれども。
近づくと相手が意識するのであんまりいい写真撮れなくなってしまうんですがでもやっぱり相手の息遣いを知りたい私も生きてる人間ですから相手に何かを感じてもらいたいという関係なんですよね。
球子さんも基本的には遠くからこうやって眺めるのではなくて近づいて尊氏でも北斎でも何でもうんと近い距離からその人と対話をするようにしながら描きたいと。
そのためにはこの世にいない人ですからたくさんできるだけたくさんの資料を集めないと無理ですよね。
徹底した取材というものが繊細さだとしたら球子さんの作品が大胆さだとすれば本当にその個性というものは繊細さも大胆さもどちらも表裏一体でどちらもあるからこそしっかりとした個性になっていくんだなというのを強く感じたんですよね。
片岡さんは私お会いした時に時々おっしゃってたのは「私は下手です。
褒められた事がない」とか。
でも勝手な言い方をすればそれが彼女のエネルギーになってそれでここに到達したと。
やっぱり下手というのはイコール個性で片岡球子さんの場合はそれが個性になっていてそれを上手に描こうと思ったら恐らく片岡球子の絵は残ってないしこういう「面構」は描いておられないだろうと思うんですよね。
世の中にこびるというか自分が売れたい有名になりたいそのために周りがいいねって言ってくれるような作品を描くというふうになっていくと自分はどんどん置いてけぼりになって。
本当の自分は。
下手な自分はどんどん上手になっていくかもしれないけれど下手の中に込められているその個性というか片岡球子でなければ描けない日本の歴史に残るようなそういうここに「下手」という一つの言葉の中に込められたものは恐らく開花しなかったと思うんですよね。
自分を失わないという事がいかに大事かという事を私も改めて片岡さんの絵と言葉から自分を失ってはいけないんだなという事を思いました。
今回ほんとにどうもありがとうございました。
2015/07/12(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「片岡球子 輝く個性の秘密 スケッチは語る」[字][再]
独創的な作品で知られる日本画家・片岡球子。350冊に及ぶスケッチブックから、歴史上の人物をよみがえらせた異色の傑作「面構(つらがまえ)シリーズ」誕生の秘密に迫る
詳細情報
番組内容
「富士」のシリーズなど、インパクトあふれる個性的な作品を数多く残し、今も人気を誇る日本画家・片岡球子。晩年のライフワーク「面構(つらがまえ)シリーズ」は、足利尊氏や葛飾北斎など、歴史上の人物をあたかも目の前にいるように描いた異色の傑作。その独創性は一体どのようにして育まれたのか。初期から晩年まで、350冊に及ぶスケッチブックをひもときながら、球子の鮮烈な個性の秘密に迫っていく。
出演者
【出演】写真家…大石芳野,北海道立旭川美術館学芸員…土岐美由紀,日本画家…松村公嗣,【司会】井浦新,伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:9988(0x2704)