真っ赤に色づいたイチゴ。
きれいですね。
このイチゴ一粒いくらか分かりますか?なんと1,000円の値がつく事もあるそうです。
百貨店で贈答用として売られています。
このイチゴ。
実は最新のIT技術で生まれました。
湿度や温度など生育に最も適した環境を自動で保ち更には日照時間まで自在に操ります。
仕掛けたのは宮城県出身…地元のイチゴ産業を復活させたいとデザインや販売戦略などその道のプロに依頼。
いざという時の協力者を800人以上集め1,000円イチゴを生み出しました。
でも農業は全くの素人。
頼りはベテラン農家の力です。
時には意見が食い違う事も…。
忠嗣さんだったら。
次々に降りかかる難題。
それを乗り越える原動力はふるさとをよみがえらせたいという思い。
この夏また新たな挑戦がスタート。
それは気温が高いと栽培が難しい「夏イチゴ」です。
果たして実現するのでしょうか?宮城県の南東山元町。
イチゴの産地として有名です。
私大竹しのぶも父親が宮城県出身。
イチゴは大好きです。
この町も津波で大きな被害を受けましたが収穫量は7割まで戻ってきました。
その中でもいち早く立ち上がったイチゴ農場があります。
ここが今回の物語の舞台です。
おはようございます。
(一同)おはようございます。
農場の始動は朝6時半。
選果4人やってもらって…ひでちゃんとけんちゃんは…。
働いているのは40人。
多くが地元から通っています。
じゃあ始めたいと思います。
今日も1日よろしくお願いします。
ここは農業法人。
いわばイチゴを作る会社です。
津波で農地を失ったベテラン農家からイチゴで身を立てたいという若者まで。
このハウスには山元町の人たちの夢が詰まっています。
電動2輪車でハウスを縦横無尽に走る人がいます。
この人こそ農場を作った…高校卒業後山元町を飛び出し東京でITコンサルタント会社を経営していました。
その時に培ったノウハウを生かし最新のIT技術を農業に取り入れました。
常にセンサーが見張っていてイチゴの生育に一番良い条件を作り出します。
例えばハウスの気温が上がりすぎると自動で天井が開き熱い空気を外に逃がします。
カーテンで日ざしを和らげ更にミストを噴射。
この気化熱で温度を下げるのです。
そしてこの夏岩佐さんはイチゴの常識を覆す挑戦を始めようとしています。
そのため2億円で新たなハウスを建設しました。
まあそういった中で…そういった事に挑戦するための施設ですね。
…と呼ばれる領域に首を突っ込んで…一般的にイチゴは9月に苗を植え株を育て収穫できるのは冬から夏の前まで。
7月から10月までは甘くておいしいイチゴを作る事が難しいといいます。
あえてその時期に最高品質の夏イチゴを作ろうというのです。
でもイチゴを夏に育てるには大きなリスクを伴います。
気温が上がると小さな虫たちの動きが活発になり成長を阻害します。
その結果イチゴの株が弱りうどん粉のようなカビが大量に発生する事もあります。
それでも夏イチゴに挑むのは町を元に戻すのではなく新しく生まれ変わらせたいという願いからです。
(岩佐)復興っていうのをねせっかくやるんだから何か新しい事をつくらないと面白くないなっていう事で。
例えば農業も今までの作り方じゃなくてITでイチゴを作るだとかブランドも今までみたいな月並みなパックに入ったものではなくて…高校卒業から15年地元を離れていた岩佐さんは頼れる人を探しました。
そんな時出会ったのが…震災後ボランティアの受け入れをしていた洋平さん。
東京から泥かきをしに来た岩佐さんと知り合います。
同い年という事もあり意気投合。
イチゴをよみがえらせ町に働く場をつくろうと毎晩のように語り合いました。
会った時にいろいろ話をしたんですよね。
非常に僕の話をすごくこういうふうな感じで聞いてくれて僕も言いたい事ダーッて話してやりたい事を話して。
そういう事の意見を聞いてくれていろいろと何かみんなでやりたいっていうか…耳の不自由な両親の影響で地元で福祉の道に進んでいた洋平さん。
障害者の就労支援施設で働いていましたが岩佐さんと出会い農業の道を選びました。
施設を辞めたあとも農場でできたイチゴを運んでは加工してもらっています。
特に僕は福祉関係上がりなんでねそういう人たちの受け入れ体制を作りたいと。
イチゴでふるさとをよみがえらせたいという二人の夢。
しかし農業は全くの素人。
何としても農家の力が必要でした。
そこでお願いしたのが…組合で品質管理の責任者を長く務め誰もが一目置く職人です。
ハウスも自宅も津波で流され引退を考えていましたが親戚でもある洋平さんから繰り返し誘われました。
ITの岩佐さん。
イチゴ職人の忠嗣さん。
そして地元の人脈が豊富な洋平さんがタッグを組みました。
彼らが中心となって会社をおこし今夏イチゴに挑もうとしているのです。
5月中旬夏イチゴを育てているハウスである異変が起きていました。
暑さで株の成長が遅れていたにもかかわらず実がついてしまったのです。
このままではおいしいイチゴになりません。
気付いたのは…農場で働く最高齢のベテラン農家です。
誠さんは毎日イチゴのささいな変化を自分の目で確かめていました。
一刻も早い対策が必要だと岩佐さんに報告しました。
岩佐さんは現場のIT責任者に対応を指示。
夏イチゴの環境の管理を任されていたのは勝部達也さん弱冠24歳です。
出身は鳥取。
東北大学で生物学を学んでいた時に震災に遭いました。
大学院に残る事も考えましたが岩佐さんと出会い復興への考えに心を動かされました。
イチゴの生育が悪くなるのは25℃以上。
勝部さんは冷却設備をフル稼働させ温度をそれ以下にする事にしました。
壁に水を流し強風を当て水が蒸発する気化熱を利用してハウス全体の温度を下げます。
更にチューブの中に16℃の冷水を流しイチゴの根元だけを集中的に冷やします。
ITの効果はすぐに現れました。
ここに映ってる波形がこれまで直近1週間のデータなんですけれどまあこのデータを見てですね昨日話し合いをしてもうちょっと昼間の温度が下がればいいよねという事になったのでじゃあ昼間の温度を下げてみようという設定をしたんですね。
で実際に今見ると…一方最年長の誠さんはこれまで培った経験を生かし事態をなんとか乗り越えようとしていました。
イチゴは1つの株からいくつもの芽が出てきます。
その中から一番成長しそうな芽だけを残し他は取ります。
その結果養分が集中し株が大きくなるというのです。
株の数は全部で1万5,000。
「手間はかかるが機械任せにはできない」。
誠さんはそう考えています。
やっぱり…創業時からのメンバー忠嗣さんも同じような思いでいました。
設立から3年最新のIT技術が次々に導入される中徐々に疑問を抱くようになりました。
農場の気温が25℃を超える事が多くなりました。
そうした中アブラムシが大量に発生。
それが大きな問題を引き起こしました。
一見立派に実ったかに見えるイチゴですが…。
虫がイチゴの株を弱らせ3割もの実にうどん粉病が発生してしまいました。
虫を退治するため勝部さんはすぐさまある行動に出ました。
多いところ…多分ここが一番のホットスポットだと思うんですけど。
まああとじゃあパラパラで。
勝部さん何やらまいていますが…。
実はこれハチのサナギ。
数日後に羽化しアブラムシを食べる天敵になります。
できるだけ農薬を使わないで商品価値を高めたいという農場の大方針があるんです。
まあこういった地道にやっていかないとそこまではできないと思うので。
しかし虫の被害はなかなか収まりません。
最年長の誠さんは農薬を使って確実に被害を抑えるべきだと主張します。
対症療法?予防でね。
ここは特に。
経験を重視するベテランと理想を求める若手。
両者の溝が時折あらわになります。
それはこの夏のイチゴの株を来年も使うのかどうか話し合う席での事でした。
ただ今生えてる感じなんだけど…勝部さんがイチゴ栽培の研究者の意見を報告。
今年の株を来年も使う提案をした事が忠嗣さんに火をつけました。
(柴田)全部?同じ株を使うと再び病気が起きると言う忠嗣さん。
一方勝部さんはイチゴの収穫量を増やすには同じ株を使うべきだと言います。
(岩佐)OK。
(忠嗣)覚えとけ。
みんなの心を一つにする事の難しさ。
おはようございます。
(一同)おはようございます。
そんな岩佐さんの苦悩を支え続けているのが共に農場を立ち上げた洋平さんです。
ニコニコやるのが一番だね仕事は。
これイチゴのせいだよ。
うれしいなそう言ってもらえると。
(岩佐)これはねボケないです。
(笑い声)ここは農場で取れたイチゴを加工品にするための作業所です。
働いているのは洋平さんが声をかけた人たち。
被災した農家や昔からの顔なじみを一軒一軒回り町を元気にするのに力を貸してほしいと頭を下げました。
あああの人去年いたっけなって。
私だよ1番目。
(岩佐)ここにいたなあって一人一人少なくなっていく。
古くからのイチゴ産地に初めて出来た先端農場。
新しい技術に対する不安時には会社への不満も黙って受け止めてきたのが洋平さんでした。
ベテランがいて…いい雰囲気の中で…そういう存在じゃないですかね彼は。
農場で働く最年長の誠さんと妻の紀美子さん。
2人にとってもIT農場が新たな生きがいとなりました。
震災後たった一枚だけ残った写真。
写っていたのは丹精込めて世話をし夫婦で広げていったイチゴ畑でした。
イチゴへの思いを忘れられない2人に声をかけたのは洋平さんでした。
誠さんが45年間イチゴを育ててきた場所に案内してくれました。
海のすぐそばに自宅と畑がありました。
震災前に庭先に咲いていた花が当時の唯一の面影です。
冷たい山背が吹きつけ砂地で稲作に適さなかったこの地でイチゴ栽培が始まったのは昭和の初めでした。
先人たちが懸命に栽培技術を確立。
東北有数の産地になったやさきの事でした。
「何としても夏イチゴを成功させたい」。
朝から晩まで農場で汗を流す誠さん。
そんな夫を妻紀美子さんは見守ります。
何これ?置いとくから。
いいよ持ってけば。
問題となっていたアブラムシの発生。
結局天敵となるハチを殺さない程度に農薬をまく事にしました。
ベテランと若手互いの意見を尊重した解決策です。
大粒のイチゴが赤く色づき始めました。
味はどうでしょう?一般に暑くなるとイチゴの甘みが落ち酸味が強くなると言われています。
先端の糖度が12度以上なら甘いと言われるイチゴ。
結果は12.4。
まずまずです。
そしていよいよこの夏イチゴを商品として扱ってもらえるかどうか東京にサンプルを持っていく事にしました。
(岩佐)誠さんよろしくお願いします。
イチゴ調子いいね。
いいねぇ。
いいイチゴですね。
(岩佐)ないよね。
僕もそう思う。
でこれをいよいよ持ってこうと思うのね伊勢丹に。
プレゼン用の最高のイチゴ選び。
岩佐さんが託したのは朝から晩まで世話をし続けた誠さんです。
45年イチゴと向き合ってきた職人の目。
売り込む先は東京の大手百貨店です。
いいものを。
アハハハ…。
色艶形。
素人には見分けのつかない微妙な差を感じ取っていきます。
いよいよ夏イチゴの売り込みの日。
OK。
レッツゴー!東京・大田市場。
日本中から品質の良い野菜や果物が運ばれてきます。
それを目当てに日本一の目利きたちが集まる場所でもあります。
こんにちは。
どうもお世話になります。
訪ねたのは東京の百貨店のバイヤーです。
今日なんですけどもまあ今夏イチゴというのがなかなか市場に少なくてですね特に一季なりのイチゴというのがなかなかないという事で今新しい農場を作ったんです。
まず営業担当の塔本さんがIT技術を駆使した最先端農場をプレゼン。
どこにもまねできない事をアピールします。
そしていよいよ試食。
(岩佐)是非試して頂いて召し上がって頂いて。
1つ食べてみますね。
(岩佐)よろしくお願いします。
あほんとですか。
ありがとうございます。
8月ですよね。
…が一番問題ですよね。
今のこの時期よりも暑いですので。
はい。
これがもし8月までこれぐらいのクオリティーが保てればいいなと思いましてそれを今年テストしながら。
もしよければまたお取り扱いをご検討頂けないかなと思いましてそのご相談に伺ったという事なんです。
よければ置いてみて頂く事って可能ですかね。
大丈夫です。
ありがとうございます。
ほんとですか!ほんとにもう。
まずはすごく評価が高かったという事をお伝えするとすごく喜ぶと思いますので。
よかったです。
さっき見せられたやつは何か工場みたいだなとずっと思ってたのでそこに人の意識というかそういうのが入ってくると。
来て頂くと。
農場でもみんながプレゼンの結果を待っていました。
終わりましたか?決まった?やったよかった。
決まった!はい。
ほんとお疲れさまです。
ありがとうございます。
お疲れさまです。
うれしいね。
何かここまでのクオリティーだと思わなかったと。
えっ向こうが?やった!誠さ〜ん誠さ〜ん。
誠さん塔本さんから今連絡ありました。
ないよ。
あ僕が。
伊勢丹のイチゴ取り引きOKだって。
ああよかったね!ほんとにねぇ。
それは最高だ。
すごい喜んで…塔本さんの声が。
品質がすごい思った以上に良かったって。
いや〜よかったよかったほんとに。
よかった。
まずは成功でよかったです。
これだけのものが出るかどうかってちょっと心配だったんですけどそれなりのものは出たんでよかったですね。
(取材者)忙しい夏になっちゃいますね。
そうですねそうなればいいですね。
何か…じわじわじわって僕喜ぶタイプなんでうわ〜って感じも電話の時はあったんですけどやっぱりああよかったなって感じがしますね。
自分で何も…自分だけでは何もできないんでね一緒にできたという事は非常にもう僕はうれしいですね。
何よりでしたねそれがね。
いや〜本当にうれしいですね。
これはうれしいですよ。
農場では次の挑戦に向けて走りだしています。
津波で被害を受けた海沿いの広大な土地。
ここを町から借り受けてIT農場の巨大な研修施設を新たに造る計画です。
全国から人を呼んで技術を伝え山元町でイチゴ栽培を始めてもらおうというねらいです。
そういったものを目指して…中途半端にボロボロボロボロ投資すべきじゃないんですよね。
農業だったら農業で一点突破して産業をつくるというのがすごく大事だと思います。
傷ついた大地にもう一度。
イチゴからたくさんの笑顔が生まれますように。
復興の先を見据えて新しい農業を模索する山元町の人たち。
あの高級イチゴの赤い実には最新のIT技術だけではなくて農家が長年培った経験と再起への思いそして地元に働きかけた縁の下の力持ちの存在。
さまざまな人たちの情熱が詰まっているんですね。
さて東日本大震災から4年と4か月。
大切な人を亡くして心の痛みを癒やす事ができないという方も少なくありません。
その思いをお伝えする「こころフォト〜忘れない〜」。
震災で亡くなった方や行方が分からない方の写真と家族などからのメッセージが届けられています。
いくつか紹介しましょう。
案内役は仙台市出身の鈴木京香さんです。
岩手県釜石市の…正喜さんは脳梗塞になり体が不自由でした。
長男の妻美代子さんからのメッセージです。
福島県大熊町の…今も行方が分かっていません。
父親の紀夫さんからのメッセージです。
宮城県仙台市の…脳梗塞で倒れリハビリ中でした。
娘の小番有貴子さんからのメッセージです。
「こころフォト」は放送とホームページで紹介しています。
写真とメッセージの提供も引き続きお願いしています。
詳しくはホームページをご覧下さい。
それでは被災された地域で暮らす方々の今の思い。
宮城県石巻市雄勝町の皆さんです。
私は雄勝町にある葉山神社の宮司をしております。
津波により御社殿は全壊しましたが全国の皆様の励ましご支援により再建事業が進み9月には御社殿の竣工を迎えます。
これからも町の復興へつながるよう…私は雄勝の桑浜に暮らしています。
震災で悲しい事もありましたが子供の学び場作りに関わる事で元気になりました。
そして私が卒業した小学校は子供たちが学べる自然体験施設に生まれ変わりました。
ここをきっかけに…私たちは雄勝の入り口にフラワーガーデンを開いています。
私の実家があった場所ですが津波で流出してしまいました。
そこに花を植え始めたのが始まりです。
全国の皆様に応援して頂き500坪以上のフラワーガーデンになりました。
(徳水)よかったら…2015/07/12(日) 10:05〜10:53
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−「真っ赤に輝け!夏イチゴ〜IT×熟練農家 宮城山元町〜」[字]
一粒1000円のイチゴで一世を風びした宮城県山元町の農家が、新たな試みに挑む。栽培が難しい、夏イチゴだ。高級な夏イチゴを大手百貨店に並べるまでの舞台裏に密着!
詳細情報
番組内容
「被災地の農業をよみがえらせよう!」宮城県山元町でユニークな挑戦が始まっている。東京でIT会社を経営する若者が、震災で傷ついた故郷を目にし、基幹産業イチゴをIT技術で復活させようと決意。ベテラン農家のチカラを借りて職人技と最新技術を融合させ、一粒1000円の高級イチゴ「食べる宝石」を実現した。そして今年、新たに挑むのが栽培が難しい“夏イチゴ”。大手百貨店の店頭を飾れるか!?悪戦苦闘の舞台裏に密着!
出演者
【語り】大竹しのぶ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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