「NHK短歌」司会の剣幸です。
今日もご一緒に短歌を楽しんで下さい。
では早速ご紹介致します。
第二週の選者は染野太朗さんです。
よろしくお願い致します。
よろしくお願い致します。
冒頭の染野さんの一首は?パスタにオリーブオイルがからんでいるのを多分ちょっと気持ち悪いと感じたんだと思うですけどもそれと監視社会ですかね。
10年ぐらい前に作った歌なのでどういう気持ちだったか覚えてない部分もあるんですが本日のテーマ「料理」に合わせて持ってまいりました。
料理なのに「監視」っていう言葉は何でかなと思ってたんですけど。
このころ相当暗かったんだと思います。
ちょっとお恥ずかしいです。
よろしくお願いします。
さて今日のゲストは料理研究家のコウケンテツさんにお越し頂きました。
ありがとうございます。
いろんな番組でご活躍なのにこの番組に来て頂きました。
いえいえとんでもございません。
短歌はどうでしょう?私実は中学生の頃の担任の先生国語の先生だったんですけど短歌大好きな先生でですね昼休みに先生の周りに集まってみんなで和歌とか短歌をみんなで読むっていうのをやってまして先生にいろいろ教えて頂いたんですね。
お好きな短歌はありますか?はい。
例えば木のこの歌です。
これ木の恋の歌の代表的な歌だと思うんですけど私当然思春期なのでそういう気持ちもあったんですけどちょうど進路に悩む時期だったんですね。
決められた道に行くよりも自分の情熱のまま思いのままこの道に進みたいという。
雪がとけるぐらい熱いこの思いを生きていきたいという気持ちと何かリンクしましてですね大好きな歌ですね。
染野さんずっとコウさんにお目にかかりたかったと。
旅番組料理なさりながら料理を召し上がりながらいろんな経験なさってて本当に今日はうれしくいろんなお話伺いたいなと思っております。
後ほどいろんなお話お聞かせ頂きたいと思います。
よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
では今週の入選歌ご紹介します。
第一首目です。
歌会というのは歌を批評し合う場のわけですけれども二人というのはすごく寂しい感じはありますけれどもそれだけ二人の濃密な時間が過ごせたと思うんですよね。
そういう特別な時間を共有したあとに友達から煮しめのレシピを聞くという事ですと何か単なるレシピじゃなくてこの時の思い出も含まれるそういったレシピになるのではないかなと思いましたね。
ちょっと特別なレシピこれがすごくいいなと思いまして採らせて頂きました。
では次です。
どうでしょう?コウさん。
いやこれ分かりますね。
会議三つ終わったあとに疲れきったお昼ごはんで多分この方ふだんはソースかけないと思うんですよねカレーに。
疲れきった体をリセットする意味もあったりちょっと疲れた時こってりしたものが欲しくなったりするのでダバッとソースをかけてよし頑張ろうという気持ちが非常に伝わってきますね。
料理でほっとしたいなだとかあ〜疲れたなっていうこのソースをかけるっていう行為からそこまで読めますよね。
「やうやく終へて」辺りに疲れた感じとてもよく出てるんじゃないかなと思いました。
刺激がほしい次に行くステップとしてという感じがしますね。
習慣でソースかける方もいるでしょうけれども多分ここはあえてかけたんだと思います。
では次です。
これねすごく料理をする方の歌だと思うんですけど焼き茄子の皮をむく時って水の中にフワッ〜と黒い皮が沈んでいくんですね。
その中から出てくる身の部分の緑と白の対照的な感じそしてこの「黒きわれなり」何かつらい事あったんですかね?色彩の対比もあるんですがこの方黒い方に視線が行ってるんですよね。
自分の事であるのに何かこう淡々と描写している。
非常に深く内省している。
多分つらい事があったりとか自分を責めている感じなのかそういった感情が伝わってきますよね。
そう思いながらも料理をしなきゃいけないっていう寂しさとかつらさみたいなものも伝わってきますね。
では次です。
「やさしき遮断」まで読んだ時私これどう続くのかなと思ったら煮え立って泡が噴き出始めるっていう。
真綿で首を絞めるじゃないですけれども落とし蓋でそれを遮断しちゃうんですよね。
これちょっと料理の一場面に変な異界が見えてきちゃって怖い一首だったんです。
ちょっとこれ気になっちゃって採らせて頂きました。
普通料理してたら落とし蓋とか自然にしちゃいますけどね。
やはりこれも黒豆なんで色彩が黒いんですよね。
では次です。
多分連休中に家族が帰ってきていたか何かで人がたくさんいたんですよね。
五合炊いたのか六合炊いたのか分かりませんがそれが一気に二合になってしまった。
面白いのが寂しいとは言わずに「戸惑ふ」。
ここが何かね籠もってますよね感情が。
まさしくごはんを五合炊こうが二合炊こうがごはんはごはんと思うんですけどでもやっぱり昔からたくさん炊いたらごはんはおいしいというのはまさにこういう事なんだな。
みんなでたくさんわいわい言いながら食べるからごはんはおいしいんだなというのがよく出てると思います。
では次です。
こちら最初の「笑み浮かべ」からはすてきなほのぼのとした歌なのかなと思いきや「ゼリー」という一語でこの歌を書いた方の情景がすぐ出てきてちょっとホロッてきてしまうような…単語一つで変わるんですね。
これ介護食ですよね。
スープですとか飲料を粉末のを入れてゼリーにしてまとめて食べやすくするというものなんだと思うんですけど悲しいのは「笑み浮かべ」ですよね。
これで苦しんでいるという描写であればまた違ったんだと思うんですけれどももしかしたら認知症だったりするのかもしれなくて「ゼリーで固める鉢前にして」ちょっと表現としてはもしかしたら粗いのかも分からないですがやっぱり「ゼリーで固める」というところがすごく悲しさが出てくるなというふうに思います。
では次です。
意味もすぐ通りますし非常に上から下まで分かりやすい一首かと思います。
ポイントはやはり「今はまだ」だと思うんですよね。
多分相手は女性でその女性が「今はまだできないけど」って多分ちょっと言いたいんだと思うんです。
でも頑張りますというようなのもあると思いますしそれから相手は視線がうつむいていてでも私の方はちゃんとその子を見ている。
視線も感じられるすてきな一首なのではないかと思います。
では次です。
どうでしょう?これ。
これ分かりますね。
何て事ない食パンとコロッケなんですけど昔はおいしく感じるんですよね。
そしてこの「若さ」というこの間みたいなのこれはどういう意味があるんですか?コウさんが注目して下さったとおりでこの一字空けがすごく効いているのではないかと私思うんですよね。
「美味しかった若さ」というのは表現としてはちょっと粗めのところもあるんですが若いっていいなとか若さって結構雑なものだったんだなとかこの空白に若い時から今までの自分の時間も凝縮されてるようなそういうイメージもあってこの空白が非常に印象的でした。
では最後です。
これ多分笑っちゃっていい歌だと思うんですけどまず「腹の子が」というのが即物的な言い方でそこがおかしいのとおなかの中の子が男の子だって分かってるんだと思うんですよね。
男の子ってこういう感じだろうと。
「鶏肉一キロ揚げる」すごく雑な感じがする。
面白いのが恐らくこうこれイメージじゃないですか。
「鶏肉一キロ揚げるのだろう」それが何かこうまだお母さんになってない方の想像だなって事を感じさせて何かリアルな非常に面白い歌だなと思いました。
以上入選九首でした。
では染野さんの選んだ特選を発表します。
まず三席は?今村公子さんのお歌です。
では二席お願いします。
渋谷和子さんのお歌です。
では一席の発表です。
お願いします。
加藤篠子さんのお歌です。
この一席のポイントは?やはり料理の歌からここまで自分を見つめる。
その在り方に非常に惹かれましたね。
それから先ほどのコウさんの歌の読んで下さった中で色の対比というのも出てきましたけれどもこちらが想像を広げればそこまでいろんなものが浮かんでくるんじゃないかというふうに思います。
以上入選作品のご紹介でした。
続いて「入選への道」。
今回惜しかった一首を添削して頂きます。
作品はこちらです。
これ高校生の方が投稿して下さったんですけれども歌始めてすぐの頃というのは字数を合わせなきゃという事で「いくよぎょうざをさ」というのは字数合わせに見えちゃうんですね。
最初ですね私「黙々とぎょうざを包む雨の午後」なんていうのも作ったんです。
ただそれだといかにも短歌らしくなりすぎてしまうのと「きずな深まる」がちょっと説明的すぎるかなと思いましたのでむしろ上の句を生かす形でこんなふうにしてみました。
いかがでしょうか?「僕のを」で分かりますよね?うん。
いかにも男の子がガガガガッて包んでその辺がグチャグチャになっているという様子を想像します。
意外に皮とかを使うとこの辺に白い粉付いてしまったりするんですよね。
あれを笑ってるというのもね…。
僕の顔を笑っている。
こういうふうにですねいずれにせよちょっとおかしみのある感じにする事でちょっとなげやりな…。
「ぎょうざをさ…笑ってるけどね」というような会話体口語を生かす形でやってみましたがいかがでしょうか?これでお互いの見つめ合ってる絆というのがこれで分かりますもんね。
…と思うんですけどね。
ありがとうございました。
皆さんも参考になさって下さい。
では投稿のご案内です。
続いては選者のお話です。
染野太朗さんのお話は…松さんは料理人をされていましてですね料理の歌たくさん詠んでらっしゃるんですけれどこちらの歌…これ視覚と嗅覚だけを使って詠む事もできると思うんですね。
苔の香りそれから焼いている時の香りですね。
苔の香りというのはコウさんあれですよね清流ですごくきれいな所で育った鮎というのは苔の匂いがしたりスイカの匂いがしたりその辺りを感じるっていうだけでも読めるんですがここをあえてですね身に詰まっている感じを自分の皮膚で想像してみたりとかそれから焼かれていく時の音ですよねそれを想像してみたりとかあるいは焼かれるのってちょっとやっぱり熱くてしかも死んだ鮎とはいえ形が変わっていくというか様子が変わっていくわけですから軽く残酷な感じもあって五感を読み手がフルに使うと一首が単に視覚とか嗅覚だけを使うよりももっと広がりのある深みのあるものになるんではないかと。
料理の歌というのはそれを感じやすいと思うんですよね。
五感を使って歌を読むという事を皆さんと考えてみたくてこちらの歌今日はご紹介しました。
まさに料理を作る時と本当に共通点があるなと私思ったんですけどもこの鮎が焼かれていくさまというのはほんとに料理人の方が書かれた歌…まさに料理の事がよく分かってるなと思うんですね。
だんだん変化していくんですよね。
身が焼かれてると同時に魚の目の色が変わっていって身がぐっと膨らんでいくんです。
背びれが開かないと火が通ったという合図にならないのでそういう変化をちゃんと五感で感じつつうまく歌にしているなと。
レシピも同じような作業をするんですけど…。
コウさんならではの解説を頂いた。
今伺っていてすごく思ったのはやっぱり「こぼしつつ」とか「焼かれゆく」この辺りの時間の経過とかそういったものが非常に生きている歌なんですよね。
刻々と変わっていくさまという事ですよね。
コウさんにお話頂けてよかったと思いました。
いろいろなものをお持ち頂いてますよね。
本日は同じ松さんのこの歌に関してちょっとお二人に考えて頂こうと思っております。
これ同じ松さんのお歌なんですが「こそかなしけれ」というのは「〜ほどよいものはない」とか「愛しいものはない」というふうにとって頂ければと思います。
「味蕾」というのは舌の上にある味を感じるすごく小さい器官です。
その間を何かが流れていく時これほど良いものはないんだ。
何か味覚で感じている歌だと思うんですがこの空白にした部分に字数は関係ありませんのでお二人のこれはすばらしく印象に残っている味なんだ。
これはちょっとここで言いたいなという味があれば是非ご紹介頂きたいんですけれど。
コウさんお願いします。
じゃあ私の方からですね。
私子供の頃非常に病弱でその時に母がよくスープを作ってくれまして薬膳が入ったり栄養たっぷりのスープを作ってくれましてそれで体質改善をやってくれたんですね。
大きくなるにつれて健康的な体になったんですけどやはり料理のスープのおいしさだけじゃなく母の愛情をしっかり体の中に注入できたという思い出のスープですね。
ありがとうございます。
私は…基本的に母がいつも料理するんですけどなぜか父が豚汁だけは俺がやると。
何かポリシーがあったのかどうか分からないんですけど3年前に亡くなりましたけど同じ感覚で自分が作ってみてもこの味にはならないんです。
絶対ならないんですよね。
ちなみにこちら空欄の部分どうなるかといいますとこうなっております。
この出汁の味を非常に繊細に感じ取っている様子がこの一首から見えるかなというふうに思います。
ありがとうございました。
今日はゲストにコウさんに来て頂いてますけれども短歌とお料理何か共通点とか感じるものありますか?私やはり先ほど言いましたけどレシピを作るという事になった時料理家の仕事っていうのは上手に料理を作るって事もあるんですけどレシピを書くのも大事なんですよね。
そのレシピを皆さんに再現してもらわないと駄目なので本当はたくさんあるレシピをできるだけ簡明に分かりやすく書くというのが大事なんですけどそうすると文字に残せなかった行間に思いというのをすごく込めるんですね。
先ほど皆さんの歌を拝見させて頂いたら行間そして裏にどういうものがあるかというのも生き生きと感じる事ができましてすごくその辺の共通点があるなと思いました。
実は私この収録に臨むにあたってコウさんのレシピで作らせて頂いたんです。
何をお作りになったんですか?プルコギをですね夏野菜トマトとズッキーニが入っているんですがほとんどふだん料理しないんですけれども全て材料が1本とか1個とか大さじ1で調味料がそろっていたりしてこれはコウさんのメッセージなのではないかと。
私のような者でもおいしく作るためのレシピを考えて下さったんではないかと思ったんですけど。
ありがとうございます。
うれしいですねそれは。
先ほどもお話ありましたがコウさんの料理の先生はお母様という事ですね。
そのお母様のエピソードのご著書「コウケンテツのおやつめし」からご紹介したいと思います。
ありがとうございます。
すてきですねお母様。
すばらしいエピソードですよね。
母は言葉で何かしなさい。
こういう事はやめなさいっていう人ではなくて料理で思いを伝えてくれる人だったんです。
お弁当とか日々の食事で母からメッセージと愛情をすごくもらってたっていう気がしますね。
染野さんいかがですか?ご家族のエピソードが先ほど剣さんもお父様の豚汁先ほどのお母様のスープという事で料理と一口に言ってもやはりご家族とのエピソードだとか人間関係だとかその時の場なんかがいろいろ出てくるのかなと思って伺ったんですがコウさん旅番組なさってるじゃないですか是非その時の何か思い出に残るエピソード等ありましたらもう一つご紹介頂きたいです。
以前フィリピン結構前なんですけど行かせて頂いた時にフィリピンの山奥の山小屋でホームステイさせて頂きまして大家族で生活されてるんですね。
家の事を切り盛りしているのが15歳の長女の女の子でお母さんはちょっと病気になられてたので毎晩その女の子と家族の料理15人分ぐらい作ってたんですがそこで食べた野菜炒めキャベツと白菜の何て事ない野菜炒めなんですけどすごいおいしかったんですね。
日本に帰国してから再現したんですけどいまいちおいしくないんですね。
その時に勉強になったって分かったのがみんなと過ごしたこの時間いろんなものを共有して積み上げていったものそしてあの山小屋そういうものをひっくるめたものがあの皿にあったのかなと。
思いを込めるっていうのが料理にとって大事なんだなって分からせてくれた経験だったんですけど。
実は今回投稿頂いた歌っていうのがですねテーマ「料理」だったはずなのにテーマ「家族」かっていうぐらいそういうお歌が多かったんですよね。
ちょっと一首だけ戻ってみますと一番の歌いかがでしょうか?これ「二人だけの歌会の後書きとめる」。
家族ではないですけれどもきっと煮しめのレシピというのはこの時の思い出と共にあると思うんですよね。
そう考えるとやはり料理と一口に言ってもその時の場とかその時の人間関係とかそういったものが深く表れているんだなと思って非常に面白く皆さんの投稿歌を読ませて頂きましたね。
料理ほどそのシチュエーションとか作る人の感覚で味が変わってきちゃうというものもないですよね。
短歌も詠み手のコンディションとかどういう経験をしてきたかによって変わってしまう時もありますので作者優先ではあるんですけれど何か料理との共通点かもしれないですよね。
今日新たに思いました。
料理は身近なんですけど短歌はすごく遠い所にあるなっていつも思ってたんですけど短歌もやっぱり五感をフルに活用して感じるっていう事がすごい大事なんだなと思いました。
今日はコウケンテツさんに来て頂きました。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
染野さんまた次回よろしくお願い致します。
では次週またお目にかかります。
2015/07/12(日) 06:00〜06:25
NHKEテレ1大阪
NHK短歌 題「料理」[字]
選者は染野太朗さん。ゲストは料理研究家のコウケンテツさん。レシピでおいしさを伝えるには行間が大切という。料理を詠んだ短歌を一緒に鑑賞しおいしい短歌について考える
詳細情報
番組内容
選者は染野太朗さん。ゲストは料理研究家のコウケンテツさん。レシピでおいしさを伝えるには行間が大切という。料理を詠んだ短歌を一緒に鑑賞しながら「おいしい短歌」について考えてみる。【司会】剣幸
出演者
【ゲスト】コウケンテツ,【出演】染野太朗,【司会】剣幸
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ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
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