2Eテレセレクション・お願い!編集長「テレビスポーツ教室/グラン・ジュテ」 2015.07.12


「グラン・ジュテ」。
バレエ用語で「跳躍」踊りのハイライト。
東京・新橋にある香川県のアンテナショップ。
ここに女性の心を捉える評判のお酒がある。
それは日本酒に果物の酸味と甘みを取り入れた常識破りの変わり種。
すごいモモですね本当に。
全然日本酒っぽくないです。
(2人)おいしい!飲みやすいです。
止まんなくなっちゃう。
下手すると一日で全部空けちゃいそう。
売れ行きが悪いとすぐに棚から下ろされる入れ代わりの激しいこのお店で4年にわたり販売され続けている。
製造しているのは香川で120年以上の歴史を持つ老舗の酒蔵。
果物のお酒を開発したのは今酒造家として注目されている藤岡美樹さん。
最盛期に比べ生産量が3分の1以下に落ち込む日本酒業界の中で次々とヒット商品を生み出している。
そんな彼女だが酒造りをやめざるをえない窮地に追い込まれた事があった。
杜氏として責任を負っていた酒蔵が倒産。
日本酒を取り巻く厳しい現実を突きつけられた。
(藤岡)目の前で本当に酒蔵がなくなる。
あっ本当に日本酒メーカーってなくなるんだって…。
自分の無力さにも打ちのめされるし日本酒の蔵がなくなるっていうその現実にも打ちのめされるし次が考えられないですよねもう本当に。
日本酒造りをやめ一時は別の仕事を探そうとした。
そんな彼女に一体どんな「グラン・ジュテ」があったのか?挫折を乗り越え飛躍を遂げた秘密とは?自分を動物に例えるとイノシシみたいだと思ってます。
まっすぐに目的に向かって力いっぱい走っていって壁にぶつかって一瞬立ち止まるんだけどまたむくって起き上がってまた目的に向かって走っていくんでイノシシだと思ってます。
10月。
藤岡さんの姿は香川県で最大の選果場にありました。
秋から冬にかけて造るのはミカンのお酒。
日本酒と合わせるミカンには甘みと共に酸味も必要です。
その酸味と甘みのバランスがとれているか藤岡さんは自分の舌で確かめながら選びます。
(曽川)メリハリが違いでしょ?おんなじ木の中でもこんだけ味が違うから。
こっちの方が甘い。
甘い。
ミカンのお酒を開発し始めた3年前からお世話になっているミカン農家の曽川さん。
藤岡さんが師と仰ぐ一人です。
すごいんですね。
(曽川)だから葉っぱが5枚に1個のミカンをつけちゃうと実もちっさいしさ…。
やっぱりミカンが毎年味が違うとか雨の量がどうだったとかそういう事を事細かに教えて下さってアドバイスして頂ける方がいるのは非常に心強いし先生だと思ってます。
この女の子に酒の何が分かるんだろうと正直思いました。
私らはお酒っていったら清酒じゃないですか。
はっきり言って本当に何ができるんだろうなぁって素直に思いました。
藤岡さんは条件のよいミカンを選ぶだけでなく自ら果汁も搾ります。
日本酒と最も相性のいいミカンを選んでも搾り方一つで酸味と甘みのバランスが変わってしまうからです。
本当の香川の果物を食べた時みたいに「おいしい!」って感動してほしいからだから日本酒と合わせてもおいしいその果物の味がするものにしようって思った時にはやっぱりその加工のところから自分でやらないとできないなって。
1975年三重県松阪市で生まれた藤岡さん。
妹にパンを作ってあげるのが大好きな優しいお姉さんでした。
パン作りに欠かせない酵母菌に興味を持った藤岡さんは東京農業大学へ進学します。
日本酒との出会いは運命的でした。
それは酒造メーカーの後継ぎとなる先輩の実家を訪ねた時の事。
その時に見たもろみが発酵してる様子だったり…音だったりそういうのにすごく感動してしまって最後に「今搾ったばっかりだから飲んでみる?」っていってもらって飲んだお酒にものすごく感動して「なんておいしいんだろう!」って。
今までこんな日本酒がおいしいなんて思ってもいなかったっていう…。
目で見て音を聞いてその蔵の中の雰囲気とか匂いとか全部に感動して「これ絶対やりたい!」っていう…。
大学卒業後は地元の酒蔵に就職しようと活動を始めますが結果はことごとく不採用。
それでも藤岡さんは諦めませんでした。
卒業間近の2月。
奈良県吉野郡でやっと就職できる酒蔵を見つける事ができました。
入ってみるとそこで働いていたのはほとんどが自分の父親よりも年上の職人ばかり。
昔かたぎでぶっきらぼうな現場で日本酒の造り方を一から仕込まれました。
近寄り難いですよね。
もう本当に熟練の人だからあんまりしゃべらないし怖いし。
もうそんな名前で呼んでもらう事もなく「おいねえちゃん」みたいな感じだったんで本当に怖かったですね初めは。
入社して5年目。
藤岡さんの生活は大きく変わります。
4月。
同じ酒蔵で働く浩治さんと結婚。
半年後仕事への熱意が認められ酒造りの総責任者である杜氏の補佐役頭に昇進します。
藤岡さんが補佐する杜氏には5つしか年が違わない先輩の井筒さんが就任。
異例の抜擢でした。
かつては雲の上の存在だった杜氏が急に身近となりました。
きっかけは井筒さんが身近で苦しんだり怒ったり泣いたりしながらお酒造ってく。
それをお客さんがおいしいって言ってくれた時の井筒さんの顔ですね。
「いいな」じゃないけど「こういうふうになりたいな」ってそういうふうにちゃんと究めたいなって思いました。
その時藤岡さんの中で杜氏になりたいという夢が芽生えました。
その翌年長女を出産。
育児に追われる中頭としての仕事を全うできません。
育休取らせてもらってその間にもどんどんどんどん井筒さんはお酒を造っていって子どもが大きくなったんで保育園に預けて復帰したんですけどそれでもやっぱり熱出した…何とかでかんとかでっていっぱい休まなきゃいけなくなって本当に普通に仕事ができない。
そこでみんなに迷惑かけてるから辞めなきゃいけない。
やっぱりもういられないっていうのがすごくあったんで…。
頭を辞めようとする藤岡さんを止めたのは夫の浩治さんでした。
浩治さんは仕事を辞め自分が家庭に入ると言ってくれたのです。
夫に支えられ仕事に没頭する藤岡さん。
杜氏になる夢を膨らませます。
しかし一つの酒蔵に杜氏は1人。
井筒さんが杜氏である限り自分は杜氏にはなれません。
ある日藤岡さんは神奈川県で杜氏を募集する酒蔵を見つけます。
駄目もとで応募したところなんと合格。
しかし周囲からは大反対されます。
社長は娘みたいに思ってかわいがってたのに…何だっけな…何だろう?「どうして出ていかなきゃいけないんだ」ってそれは言われましたね。
女性でなおかつ社員の杜氏なんてもうこの先二度と受かんないよねと思っていろんな要素を考えて今行かないで後悔して同じようにあの時行けば杜氏になれてたのにあの時行けば夢が叶ったのにって言いながらいくんだったらやっぱりチャンスもらえた時に行こうって…。
家族で神奈川県に移り住んだ藤岡さん。
創業118年の酒蔵の杜氏として歩みだしました。
しかし蔵に行った初日思いがけない事を知らされます。
「ちょっとちょっと」みたいな。
「何ですか?」って言ったら「何で来ちゃったんだよ」って言うから「何で来ちゃったって何ですか?」って言ったらもううちの会社こうでこうでこうだからお金もないしあんた多分米買ってすぐ酒造るって言われて来たんだろうけど米買うお金なんかないよとか言われて「え?」みたいな…。
何で言ってくれなかったんですかじゃないけど…。
明日からどうしようかなって…大変だなって…。
その酒蔵の経営は火の車でした。
藤岡さんはタンクに残っているお酒を売ってお金を作ろうとしますが酒瓶を買うお金もありません。
瓶メーカーと交渉しつつ起死回生の一手として新酒の開発にも取りかかります。
早朝から深夜まで働き続けました。
あんまり寝れてなくてちょっと痩せたんですよ。
肉体的に疲れているのか精神的に疲れているのかそれが会社の事なので俺は分かんないんですけども大変なんやろうなっていうのは感じました。
不安はちょっと出ましたけど最後まで頑張るっていう事を聞いてたんでまあ信じてましたけど。
しかしその努力が報われる事はありませんでした。
杜氏になってから僅か3か月で酒蔵は倒産。
一度も自分の日本酒を造る事なく夢は破れました。
本当に全力でやってきてある日突然もう明日からない。
目の前で本当に酒蔵がなくなる。
あっ本当に日本酒メーカーってなくなるんだっていう…。
何だろう…。
やっぱりショックだし…。
あの…何だろうな…。
放心状態。
諦めもあるし放心状態もあるし。
藤岡さんは家族を養う仕事を探すため地元に戻る決心をしました。
酒蔵を失い放心状態の藤岡さんにある一本の電話が入ります。
大学時代研修を受けた香川県の酒蔵からうちで働かないかという誘いの電話でした。
ただし用意されていたのは杜氏としての仕事ではなく日本酒の商品開発でした。
女性っていうのは一つの大きな…武器言うたら失礼かもしれませんけども。
女性目線で見れる。
そういった意味でも彼女が来てくれて女性から見た商品…もしくは商品開発ですよね。
この酒蔵も日本酒の生産は減る一方。
最盛期に比べ半分以下に落ち込んでいました。
伝統的な方法であぐらをかいていては客が離れていくばかり。
新しい時代に受け入れられる日本酒とは何か?藤岡さんはその仕事を引き受けました。
また冬が来て蒸したお米をほって仕込みができる時にああよかったまた酒造りができるって。
もう絶対あんな思いしたくない。
杜氏とかそういうのにこだわらなくて本当にお客さんが日本酒を身近に感じてくれる手に取ってもらえる商品を造って日本酒がこれからも飲んでもらえるように何でもやるぞって本当に思いました。
お酒造りに携わる事の幸せ。
杜氏へのこだわりを捨てる事で再発見した自分の原点でした。
藤岡さんがまず目をつけたのは香川県で取れる果物。
春はイチゴ夏はモモ秋はブドウ冬はミカン。
香川には温暖な気候を利用し四季を通じて収穫できる果物があります。
香川県って来てみたら四季を通じて本当にいろんな果物が取れる気候でどれ食べてもすごくおいしい。
そういうものが香川っていっぱい取れていいですねって地元の人に言っても「有名な産地じゃないからさ」って絶対シュンって言うんですよね。
じゃあ地元の人が地元の果物を私みたいに知らない県外の人に日本酒と合わせる事でPRできないかなってそういう思いも少しありました。
香川の風土が育むおいしい果物。
その本来の風味を生かすため香料や着色料を使わない事に決めました。
ここから藤岡さんの挑戦が始まります。
生の果汁を商品に取り入れる上で難しいのは殺菌する時の温度設定でした。
温度が低すぎれば雑菌が残り腐敗しやすくなります。
逆に高すぎれば風味は失われてしまいます。
殺菌と風味の両立。
それを可能にしたのは大学時代に学んだ専門知識でした。
ほとんど休む事なく実験に明け暮れる事1年。
果物のお酒が完成しました。
生産が追いつかないほど注文が殺到する大ヒット商品となりました。
そして彼女の「グラン・ジュテ」。
藤岡さんは今も新しいお酒を開発し続けています。
次に目をつけたのも香川県の特産品であるいりこ。
藤岡さんはその香ばしさを発揮させるため毎年8万匹に及ぶいりこを一匹一匹手で炙っています。
形も大きさも違ういりこ。
機械では炙り過ぎて焦げたり炙りが足りず生臭さが残るものが出てしまいます。
全てのいりこが最適な炙り具合になっているのを確かめた上で日本酒に浸しうまみを行き渡らせます。
オッケー。
妥協しないでものを造っていくところがすごいと思いますやっぱり。
なかなかあそこまで信念がある人は少ないんじゃないですか?いりこを使ったお酒は去年香川県のコンクールに出品。
その年生まれた特産品の中で最も魅力が大きいと評価され最優秀賞を受賞しました。
本当に胸を張って今からの日本酒を私は造っていきたい。
10年20年たっても食卓にあってみんながちゃんと普通においしいねって飲んでくれる新しい味の日本酒を造りたいなって思います。
はいどうぞ。
日本酒の新しい魅力を見つけ伝える。
藤岡さんはそこに自分の居場所を見つけました。
失敗を恐れずひたむきに生きてきた彼女の人生。
いかがでしたか?次はあなたの「グラン・ジュテ」。
2015/07/12(日) 00:30〜01:25
NHKEテレ1大阪
Eテレセレクション・お願い!編集長「テレビスポーツ教室/グラン・ジュテ[字]」

NHKホームページ「お願い!編集長」へのリクエストに応え、「テレビスポーツ教室 ・シンクロの基本〜水泳〜」(2001年放送)ほかをアンコール放送する。

詳細情報
番組内容
【前半】人と音楽に合わせて演技する華麗な水泳競技・シンクロナイズドスイミング。その基礎となる練習を紹介する。演技指導:日本水泳連盟シンクロ委員長(当時)金子正子 【後半】輝く女性の飛躍の秘密を探る番組「グラン・ジュテ〜私が跳んだ日」。果物の風味を取り入れた日本酒で注目される酒造家・藤岡美樹さん。生産量が落ち込む日本酒業界にあって、次々とヒット商品を生み出した。その人生の転機とは?(2012年放送)
出演者
【テレビスポーツ教室】講師(日本水泳連盟理事・シンクロ委員長)…金子正子,【グラン・ジュテ〜私が跳んだ日】出演(酒造家)…藤岡美樹,語り…遠藤憲一

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
スポーツ – その他
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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