今から5年前か、それよりもう少し前くらいのことだ。
NHKを見ていたら、放送の合間の告知を実施する時間に、とある関西ローカルのワイド番組を紹介していた。「あほやねん!すきやねん!(あほすき)」と言う番組だ。内容は、かつてTBSで放送していた「学校へ行こう!」を彷彿とさせる情報番組らしい。駆け出しの芸人都下を雛壇に並べて、テロップをペタペタ貼って「国営らしからぬ民放風のおふざけ」をしまくる趣旨らしい。試写室に招いた仕込み風の学生たちが番組を楽しんでいる感想も、自画自賛ぎみに放送していた。「NHKなのにこんな番組作って意外~!」といういかにも言わされてるようなコメントを話していたと思う。
局の職員?らしきオジサマがインタビューに答えていた。「国会中継のようなお堅い番組だらけのNHKのイメージを変えたい」と言うようなことを言っていた。
この日常の膨大放送の中にありふれたような些細な番組告知に感じた「違和感」はその後私の心の中にずっと残り続けていた。NHKとすれば若者の視聴者離れを改善できればいいのであろう。それにしても、こんな内容を果たして若者は求めていたのだろうかと。国会中継って、そんなにぞんざいなものなのかと。
後で知ったことだが、この「あほやねん!すきやねん!」の放送枠は、それ以前は関西ローカルの大型ニュースを流していたようだ。会期中は、国会中継になったようである。視聴者からすると 「時事番組ばっかりやっている放送枠に娯楽がやってくる」ことは意外性がないわけではないが、それによって失ったものは大きかったんじゃないかと、本当に思っていた。
それからしばらくして、2015年7月15日。
NHKは安保法制をめぐる強行採決の様子を中継しなかった。関東ではこの時間、相撲中継をやっていた。老人臭い国技ではあるが、娯楽番組であることは確かだ。
このことに猛反発したのは、若者たちだった。
ツイッター上では、多くの若者たちがこのことに反発する投稿を繰り広げ、トレンドワードにNHK批判が入ったりした。ASIAN KUNG‐FUGENERATIONの後藤氏ら若者に人気のタレントもツイートを行った。そして国会前にはSEALDsが6万人規模のデモを展開した。細見でファッショナブルな、時代の先端にいるような高校生や大学生の姿が目立つ。報道を見ると、インタビューに答えているのはみな30歳未満である。
彼ら彼女らは、細かい主義主張の違いはあるのかもしれないが、立憲主義の否定という根本的な問題を糾弾したほか、経済的徴兵制反対という「自分ごと」についての猛抗議を展開している。デモの動画を見ていると、合間のMCは普通の若者の喋り口調で、SNS上でのコミュニケーションの仕方もそれをそのまま文字おこししたようなものが目立つ。
若者たちは、実は政治をあらかた知っていて、その中の個別具体的な難しい問題もかなり理解していて、その上で「国会中継を放送しないこと」に反発していたのである。
ここに、NHKと日本の若者のズレと言うものが可視化されたんじゃないかと思う。
NHKは「若者はどうせ社会問題なんてまるっきりわからないだろうし、知りたくないだろう」と思い込んでいないか。それが、ニュース番組を削って「あほすき」を始めるきっかけになったんではないか。「若者なんて民放のバラエティを見てへらへら笑っているもんだ。そのレベルに合わせた番組を作ればいい」という、見下した発想があったように見える。 東京のNHKを見ても、例えば夜にはドキュメンタリーの再放送だった時間帯が民放のマネをしたドラマや芸人番組になっている。
しかし現実は真逆だったのだ。芸人がふざけあったりテロップをベタベタ貼る民放バラエティの全盛期といえば、1990年代~2000年代半ばくらいのことである。若者はそれを子どもの頃に見ていて、そんな段階はとっくに通り過ぎている。古臭さすら感じるし、21世紀生まれの小中学生からすれば「親の時代が全盛期のレトロ文化」と認識されていることだろう。
NHKはチャラチャラしているのではなく、あまりに古すぎるのだ。古臭すぎるからこそ、ピントの外れたバブル時代のような若者観をもとに、社会に重要な番組を切り、どんどん愚民化放送をしているのである。
若者の多くは、「NHKはBBCよりもクソすぎ」だと思っている。それは上の記事がバズっていることからもわかる。
一昔前ならイギリスBBCを知っている人間は国際派のそれなりのリテラシーある層に限られていた。例えば私の祖父は仕事でヨーロッパに行く機会が度々あったためにBBCを契約して情報手段にしていたが、戦前生まれでそんなことをする人は情報階層の上位の一握りである。
しかし都市部の若い世代はどうか。生まれつきケーブルテレビやCS放送があって、BBCの放送番組に触れることができるのである。そもそも「親がNHK離れしているバブル世代」であり、NHKは最初から選択肢にされることはなく、民放もその全盛期の終焉によって敬遠する離れる傾向がある。しかし、ニコ動で「トップギア」を知ったり、レンタル店やPPVでBBCのドラマを視聴するなどして、その視聴はジワジワと広まっていったのである。日本のテレビ業界は構造不況で落ちぶれていて田舎者と老人しか見ないが、海外には質の高い放送がある、ということはもはや若者の暗黙の了解なのだ。
NHKが中継をせず、7時や9時のワイド番組でもライオンキングや熱中症や台風情報みたいなどうでもいい娯楽情報・生活情報を優先して黙殺した安保問題を、BBCは以下のように詳細に報じた。改憲による具体的な問題などについてかなり突っ込んだ批評をしていて、なおかつVTRでは若い日本人の間の抗議の高まりについて注目している。英語でインタビューに答える学生もいる。
私もそうだが、子どもの頃に地上テレビ業界のピーク期を経験し、「民放がおちぶれる時代」にインターネットにもBS放送やCS放送にも満たされて、内外の膨大な情報ソースにアクセスできる環境で育った若者からすると 、NHKはあまりにひどい体たらくだ。
まず、本質的には国営放送(北朝鮮・中国のようなもの)であり、公共放送の国際基準に合致していない。その上で、NHKは視聴者(受信料負担者)を「情報源が地上波テレビしか持たない日本国民」と言う狭い単位に限って見下した前提で番組作りをしている。 BBCは全世界の視聴者を想定しており、イギリス国民だろうと多様な情報源を持っていることを前提にしているため、「iPlayer」などのネット放送サービスもとても充実している。NHKのように「そんなことネットがあれば放送しなくてもじゅうぶんわかることじゃないか」ということをいちいちダラダラ伝えたりしないし、自国内の話題ばかり放送してわずかに「自国と関連する海外の話題」を取り上げるのみということはない。
それでもNHKは以前は、社会問題を掘り下げるドキュメンタリーなど、「有料放送ならではな上位の情報」がなくはなかったが、落ちぶれて誰もが見離した民放と同じレベルを無理して真似たようなくだらない放送に耽っているのが近年の路線である。「お堅い国営放送がヘンなことをやっている」ことで珍しかった時代は「オンバト」や「サラリーマンNEO」の頃ですでに終わっていて、それらももう10年前のことだ。今はもう「無料放送の民放だから無視できることと同じことを受信料をふんだくりながら行っていて悪びれもしないヤクザな既得権」と言う印象しかない。
若者は、NHKのニュースが堕落することを求めていない。キャスターが急に壁ドンをしたり、女子アナと一緒に変な決めポーズをしたり、「春ちゃん」みたいな変な萌えキャラもどきを作ったり、画面下部にツイッターのネットジャーゴンまみれのネット原住民の戯言を垂れ流して、「アルファツイッタラー」が解説員気取りでサブカルのネタについてニヤつきながらオタクの陰気な口調で話すような報道番組の出来そこないにはむしろウンザリしている。国民を欺き、国の未来を脅かすような悪しき権力に阿り続けていれば、どんなにネタをしようが、ふざけようがダメなのだ。
若者全体の理想を言えば「BBCと同レベルの水準の公共放送が日本にもあること」である。しかし、NHKが改革することは難しいだろう。クラブミュージック風のBGMに同期させたカウントダウンCGとともに番組が始まり、スタイリッシュなスタジオで世界中の社会問題をとことん紹介し、国内の権力監視もしっかりとできるニュース番組をNHKが放送することなど今のレベルを考えれば不可能である。だったらせめて組織を解体させ、台湾みたいに1からマトモな公共放送を作りなおすしかないんじゃないかと思う。