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芥川賞受賞の羽田圭介さん 会見全文7月16日 23時48分
第153回芥川賞と直木賞の選考会が16日夜、東京で開かれ、芥川賞には又吉直樹さんの「火花」とともに、羽田圭介さんの「スクラップ・アンド・ビルド」が選ばれました。高校3年生で作家デビュー、4回目の候補で受賞を果たした羽田さんの会見の全文を掲載します。
Q:受賞の感想は
まず何が起こったか分からない感じがありまして、もう4回目の候補で、1年前に候補になったばかりなので、いろんな事に慣れすぎてて、受かっても落ちても感情は変わらないかと思ってたんですけど、受賞したのは初めてだったので、こんなに高揚感があるのかと。予想外な高揚感に驚いています。
前にも芥川賞は3回落ちて、野間文芸新人賞が2回落ちて、大藪春彦賞は1回落ちて。デビューしたのは、河出書房新社の文芸賞という素人がプロになるための賞は受賞してプロになったが、プロが書いた作品の中から選ばれる、プロが書いてプロに選考される賞は6回全部落ちてたので、プロに選んでもらう賞で受賞できたのがまずとてもうれしい。
Q:受賞の瞬間の知らせはどこで
銀座のカラオケボックスで作家さんと編集者さんといました。
(何を歌った)長嶋有さんの提案で、受賞したら聖飢魔IIの「WINNER!」という曲を歌うって決めてたんです。10日ぐらい前にそういう話しになったんです。聖飢魔IIとかX JAPANとかオジー・オズボーンとか歌っていたんです。みんな疲れてきて、なかなか7時を過ぎても電話こなくて、これ嫌な予感するなあと。誰も歌ってないときに電話がきた。
Q:介護が小説のテーマの1つ。改めて受賞して介護の問題をどう考える。羽田さんのおばあさんに特に受賞を受けて言いたいことは。
介護問題どうこうとか社会的なことを言いたいことはなくて、結果としてそういうテーマを内包するという感じで、距離感の問題と言うことを考えていたんですね。最近いろんなメディアや論調でも右か左かとか、高齢者対若者とか対立構造を作る言説がもてはやされるときに、なぜそんな幅を効かせるのかといったときに。憎んでいる相手の顔が見えないからなんだろうなという思いですね。
例えば、地元から離れて祖父母と暮らす人たちは、老人の姿や顔があまり見えない。だからこそ自分と若い人たちが関係ない年上の世代のことを、あの人たちはすごい優遇されていると簡単な二分化された構造を作ってしまうと思うんですよね。それは縦でなくて、横の構造でも同じで、世界じゅうどこでも自分が住んでいる国と近いところと仲が悪くなったりしやすい。日本だとどこに対しても海は必ず隔てているわけですから、相手の顔を見ないで言うことはすごく簡単だと思うんですよ。
実態性がないまま憎むべき相手を作ってしまう。それは相手の顔が見えないと簡単に言えてしまう。相手の顔が見えたときにどういう行動を取るか。異なる価値観とか異なる時代を生きてきた人に対して、顔が見える状態でどんな行動を起こすかということを書こうと思いました。介護問題とか高齢化社会をどうこうという感じではないです。
Q:若い人に何を感じてほしい。
何かをちょっと不満を感じる相手とか憎しみを覚える相手、自分より優遇されている対象を責めるということを、顔が見える相手、その人に接近して素性とかをちゃんと理解して、自分がどんなことを考えてどんなことを言えるかを、相手の顔を知る、ひと言で言ったらそういうこと。
Q:今回の作品もそうだが羽田さんの作品は同じ世代の私たちに向けられている気がする。メッセージを。
それは本を読んでくださいとしか言いようがない。口で言えることは小説で書かない。ぜひ読んでください。
Q:ダブル受賞の又吉さんについて
私は又吉さんの「火花」を3回、メディアで紹介しているんです。1個目は「CREA」という雑誌でおすすめ本で取り上げた。そのあと新潮で書評を書いてフジテレビの番組で水曜日、その中でも「火花」を30分くらい紹介していて、本当におすすめの本が受賞してよかったと思います。
Q:デビューのとき学生服着ていた。非常に若くして文学の世界に入り、やめて今に至る。苦しかったこととか書くことの大変さはあったか。
高校時代にデビューして、18歳になる直前に文芸賞を受賞してデビューしたんですけども、その頃はお気楽な状態でして。そのあと大学に入ったが実家暮らしだったので、何も焦ったり苦しいとかはなかった。会社員生活を1年半送って、2009年の夏に、マンションを買って専業作家として6年間たつ。3年前に一時期、苦しいと思うことがありまして、これは公務員になったほうがいいのではないかと本気で思って、27歳くらいの時に公務員の友人に相談したりとかしていた。
試験を受けるとしたらあと1、2回というところで、ここから勉強したほうがいいんじゃないかと迷った時期があったんですけど。それって芥川賞を取るか取らないかの問題ではないかと思うんですよね。小説を書く産みの苦しみがあるだけで、なかなか書けないでいると当然、原稿料も印税も入ってこないという。経済的なことは後からついて回ることなので。創作で困って、経済的にも困るというのが3年前にいちばん困っていた。
それは徐々に克服していって、また去年ぐらいから作家としての仕事が気道に乗り始めた。2003年の10月にデビューしたので、12年やれてるだけで苦しくないほうなのかなと。
今、出版不況のなかで生き残るのだけでも大変なので、自分は売れてないときでも恵まれているほうだなと思うので、暗い気持ちになったときは、短い期間しかなかったかもしれないですね。
Q:これからの抱負
芥川賞の候補になった連絡が先月あった時に、これから1か月平常心でできるかなと一瞬思ったが、やることは変わらないんですよね。受賞したら取材とかで忙しくなって小説を書いている暇がないよといろんな人に言われてて、じゃあ、その間に受賞すると仮定したら今のうちに小説を書いておかないとと思いましたし、落選したらと思っても、落選したら次の小説を書いて挽回するしかない、やることって小説を書くことしかない。周りの人の反応が変わっても、小説家がやることは小説をかくことだけなので変わらないなとなおさら感じますね。
Q:最後にひと言コメントがあれば
何もひと言で言い表せないので、小説とかエッセーとかで表現していきます。
まず何が起こったか分からない感じがありまして、もう4回目の候補で、1年前に候補になったばかりなので、いろんな事に慣れすぎてて、受かっても落ちても感情は変わらないかと思ってたんですけど、受賞したのは初めてだったので、こんなに高揚感があるのかと。予想外な高揚感に驚いています。
前にも芥川賞は3回落ちて、野間文芸新人賞が2回落ちて、大藪春彦賞は1回落ちて。デビューしたのは、河出書房新社の文芸賞という素人がプロになるための賞は受賞してプロになったが、プロが書いた作品の中から選ばれる、プロが書いてプロに選考される賞は6回全部落ちてたので、プロに選んでもらう賞で受賞できたのがまずとてもうれしい。
Q:受賞の瞬間の知らせはどこで
銀座のカラオケボックスで作家さんと編集者さんといました。
(何を歌った)長嶋有さんの提案で、受賞したら聖飢魔IIの「WINNER!」という曲を歌うって決めてたんです。10日ぐらい前にそういう話しになったんです。聖飢魔IIとかX JAPANとかオジー・オズボーンとか歌っていたんです。みんな疲れてきて、なかなか7時を過ぎても電話こなくて、これ嫌な予感するなあと。誰も歌ってないときに電話がきた。
Q:介護が小説のテーマの1つ。改めて受賞して介護の問題をどう考える。羽田さんのおばあさんに特に受賞を受けて言いたいことは。
介護問題どうこうとか社会的なことを言いたいことはなくて、結果としてそういうテーマを内包するという感じで、距離感の問題と言うことを考えていたんですね。最近いろんなメディアや論調でも右か左かとか、高齢者対若者とか対立構造を作る言説がもてはやされるときに、なぜそんな幅を効かせるのかといったときに。憎んでいる相手の顔が見えないからなんだろうなという思いですね。
例えば、地元から離れて祖父母と暮らす人たちは、老人の姿や顔があまり見えない。だからこそ自分と若い人たちが関係ない年上の世代のことを、あの人たちはすごい優遇されていると簡単な二分化された構造を作ってしまうと思うんですよね。それは縦でなくて、横の構造でも同じで、世界じゅうどこでも自分が住んでいる国と近いところと仲が悪くなったりしやすい。日本だとどこに対しても海は必ず隔てているわけですから、相手の顔を見ないで言うことはすごく簡単だと思うんですよ。
実態性がないまま憎むべき相手を作ってしまう。それは相手の顔が見えないと簡単に言えてしまう。相手の顔が見えたときにどういう行動を取るか。異なる価値観とか異なる時代を生きてきた人に対して、顔が見える状態でどんな行動を起こすかということを書こうと思いました。介護問題とか高齢化社会をどうこうという感じではないです。
Q:若い人に何を感じてほしい。
何かをちょっと不満を感じる相手とか憎しみを覚える相手、自分より優遇されている対象を責めるということを、顔が見える相手、その人に接近して素性とかをちゃんと理解して、自分がどんなことを考えてどんなことを言えるかを、相手の顔を知る、ひと言で言ったらそういうこと。
Q:今回の作品もそうだが羽田さんの作品は同じ世代の私たちに向けられている気がする。メッセージを。
それは本を読んでくださいとしか言いようがない。口で言えることは小説で書かない。ぜひ読んでください。
Q:ダブル受賞の又吉さんについて
私は又吉さんの「火花」を3回、メディアで紹介しているんです。1個目は「CREA」という雑誌でおすすめ本で取り上げた。そのあと新潮で書評を書いてフジテレビの番組で水曜日、その中でも「火花」を30分くらい紹介していて、本当におすすめの本が受賞してよかったと思います。
Q:デビューのとき学生服着ていた。非常に若くして文学の世界に入り、やめて今に至る。苦しかったこととか書くことの大変さはあったか。
高校時代にデビューして、18歳になる直前に文芸賞を受賞してデビューしたんですけども、その頃はお気楽な状態でして。そのあと大学に入ったが実家暮らしだったので、何も焦ったり苦しいとかはなかった。会社員生活を1年半送って、2009年の夏に、マンションを買って専業作家として6年間たつ。3年前に一時期、苦しいと思うことがありまして、これは公務員になったほうがいいのではないかと本気で思って、27歳くらいの時に公務員の友人に相談したりとかしていた。
試験を受けるとしたらあと1、2回というところで、ここから勉強したほうがいいんじゃないかと迷った時期があったんですけど。それって芥川賞を取るか取らないかの問題ではないかと思うんですよね。小説を書く産みの苦しみがあるだけで、なかなか書けないでいると当然、原稿料も印税も入ってこないという。経済的なことは後からついて回ることなので。創作で困って、経済的にも困るというのが3年前にいちばん困っていた。
それは徐々に克服していって、また去年ぐらいから作家としての仕事が気道に乗り始めた。2003年の10月にデビューしたので、12年やれてるだけで苦しくないほうなのかなと。
今、出版不況のなかで生き残るのだけでも大変なので、自分は売れてないときでも恵まれているほうだなと思うので、暗い気持ちになったときは、短い期間しかなかったかもしれないですね。
Q:これからの抱負
芥川賞の候補になった連絡が先月あった時に、これから1か月平常心でできるかなと一瞬思ったが、やることは変わらないんですよね。受賞したら取材とかで忙しくなって小説を書いている暇がないよといろんな人に言われてて、じゃあ、その間に受賞すると仮定したら今のうちに小説を書いておかないとと思いましたし、落選したらと思っても、落選したら次の小説を書いて挽回するしかない、やることって小説を書くことしかない。周りの人の反応が変わっても、小説家がやることは小説をかくことだけなので変わらないなとなおさら感じますね。
Q:最後にひと言コメントがあれば
何もひと言で言い表せないので、小説とかエッセーとかで表現していきます。