3NHK高校講座 世界史「西ヨーロッパ世界の成立」 2015.07.10


(眞鍋)マジカル・ヒストリー倶楽部にようこそ!リーダーの眞鍋かをりです。
歴史を知れば旅はもっと楽しくなります。
今回も世界を旅して歴史を学んでいきましょう。
そして我が倶楽部のプランナーが…。
はい。
眞鍋さんに喜んでもらえるようなプランを日夜考えている永松文太です。
文太君どうしたの?今日。
その格好。
さすがリーダー気付きましたか?いや気付くでしょ!この格好…。
何?今日お祭り?実は今回のミッションと深く関係があるんです。
今回のミッション?今回のミッションは西ヨーロッパの成立を知るっていう事なんだけどそれに関係がある?そういう事です。
前回はローマ帝国が東西2つに分かれたあとの東側のビザンツ帝国について学びましたね。
うん。
今回は西側です。
ほう。
およそ現在のドイツフランスイタリアの領域辺りです。
なるほど。
やがて世界の歴史をけん引する存在となっていきます。
今回はその地域がまだ成立したばかりのころを見ていきたいと思います。
そのころの西ヨーロッパに関係がある服装なんだね?そうなんです。
これは西ヨーロッパの世界で重要な役割を果たした王様を意識してコーディネートしてみたんです。
なるほど。
その王様のコスプレだったんだ。
そういう事です。
詳しくは後ほど説明致します。
それでは早速私が作ったマジカル・ヒストリー・ツアーに出かけましょう。
まずは今回の見どころです。
いざ3つのビューポイント!今回のビューポイントは…訪れるのは現在の西ヨーロッパを中心とした地域。
時代は…まずはドイツアーヘンの広場に立つフランク王国の王カール大帝。
西ヨーロッパ世界成立の立て役者です。
その背景には教会との結び付きがありました。
そしてフランスの…ここで修行した修道士の一人が後に皇帝と争う事になります。
権力と宗教が結び付き時代を動かした西ヨーロッパ世界へさあ出かけましょう!面白そうな時代だね。
はい。
やっぱり東のビザンツ帝国がこのころはものすごく強大な力を持ってたけどもその時西はどうなってたのかっていうのはねすごく興味が湧いてきたんだけど。
気になりますよね。
ねえ。
それにしてもどの時代を見てもそうだけどやっぱり宗教と権力っていうのは切っても切れない関係にあったんだね。
そうですね。
今回は西ヨーロッパではその2つの関係はどうだったのかをテーマにして旅のプランを考えてみました。
うん。
まずは東西2つに分かれたローマ帝国の西側西ローマ帝国が滅びるまでを見ていきましょう。
ファースト・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!旅の出発点はドイツアーヘン。
8世紀フランク王国の宮殿に付属した聖堂として建てられました。
礼拝堂の上にある八角形の巨大ドームが特徴です。
アーヘン大聖堂を建てたのはこの地域を拠点に勢力を広げていたフランク王国の国王カール大帝です。
両手には王の権力を象徴する物を持っています。
これらは一体何を表しているのでしょうか?この謎を解き明かす旅に…。
マジカル・ジャンプ!4世紀ローマ帝国の北方にはゲルマン人と呼ばれる人々がいました。
そしてアジア系の遊牧民…それに追われてゲルマン人も西へと移動を開始しました。
以後2世紀にわたり数十万人が移動します。
ローマ帝国はゲルマン人たちを取り込み傭兵としてうまく使っていました。
395年ローマが東西に分裂。
西ローマ帝国が混乱を深めるにつれゲルマン人たちはそれぞれ自立して王国を建て始めました。
そして476年…そしてゲルマン人の王国だけが残りました。
この中のフランク王国が発展しアーヘン大聖堂を建てたカール大帝を生み出したのです。
うん。
東側に比べて西側はだいぶ混乱の時代があったみたいだね。
そうですね。
でもまあその中でもフランク王国が残ってぬきんでていったっていうのはどういう経緯があったのかっていうのもすごく興味があるしあのカール大帝が両手に持ってた物?あれはどういう秘密があるのかな?その2つは西ヨーロッパの統一と深く関わっているんです。
ほう。
はい。
それでは引き続きアーヘン大聖堂を巡るマジカル・ヒストリー・ツアーをご覧下さい。
6世紀ゲルマン人の王国の一つランゴバルドがローマを度々侵略していました。
困ったローマ教皇はゲルマン人の王国の一つフランク王国に助けを求めます。
フランク王国はランゴバルドを撃退しローマ周辺の土地をローマ教皇に寄進しました。
当時西ヨーロッパの人々の心を一つにまとめるものはキリスト教でした。
フランク王国はそのローマ教皇に認められ数ある王国の中での地位を高めます。
8世紀ローマ教皇は新たな問題に直面していました。
ビザンツ帝国の皇帝が聖像崇拝禁止令を出し聖像破壊運動が起こったのです。
文字の読めない人が多かったゲルマン人の心を引き付けるためには聖像は不可欠でした。
ローマ教皇はビザンツ帝国のひごの下から独立する事を選びます。
800年ローマ教皇は新たにローマ皇帝を誕生させたのです。
選ばれたのはフランク王国の王カール。
ローマ教皇に認められた事でキリスト教を信じる西ヨーロッパの人々の信望を得る事になりました。
こうしてゲルマン人を支配者としてローマ文化を継承しキリスト教を基礎とする西ヨーロッパ世界が誕生したのです。
アーヘンの広場に立つカール大帝像。
右手に持つ杖は世俗の権力を左手に持つ球は神の世界を象徴しているのです。
カール大帝の時代に最盛を極めたフランク王国。
その死後3つに分割され現在のフランスの元になる西フランク王国イタリアの元になるイタリア王国そして神聖ローマ帝国を経てドイツの元となる東フランク王国に分かれました。
西ヨーロッパの皇帝は絶対的な力でその座に就いたんじゃなくて東のビザンツの状況とかローマ教皇の思惑とかいろんな関係があってその座に就いたっていう…。
そうですね。
そういう事だったんだね。
そんなカール大帝の衣装という事でいいのかな?今日は。
そういう事です。
実はこの衣装これを見れば分かりますよ。
トランプ。
あっいるよねこういう人。
分かりました?キング?実は…。
ジャン!ハートのキングのモデルとなってるのがカール大帝だったんです。
あっこれカール大帝だったんだ。
そうなんですよ。
いや何かもう小さい時からねいつも拝見しておりました。
お世話になっております。
ねえそうだったんだ。
はい。
トランプの発祥については諸説あるんですがアジアで生まれヨーロッパに渡り発展していった…といわれています。
なるほど。
現在の日本のトランプは14世紀以降のヨーロッパのカードを元にしています。
そこに描かれているキングはヨーロッパの基盤を作った人たちがそれぞれモデルになっているんです。
あっそうなんだ。
実在の人物だったんだね。
そうなんです。
だから全員同じ人ではないんです。
そうか。
知らなかった。
こちらをご覧下さい。
こちらは18世紀のドイツのカードです。
時代順に「旧約聖書」に出てくる古代イスラエルの王様ダヴィデ。
そして次のアレクサンドロス大王。
ヘレニズム文化が生まれる基盤となった大帝国をつくった人ですね。
そしてローマ帝国の独裁官カエサルです。
そして最後にカール大帝です。
ほうなるほどね。
そっか。
やっぱり西ヨーロッパ世界を生み出した人だからカール大帝はすごく重要な人物だっていう事だったんだね。
ところがそのあと皇帝と教皇の持ちつ持たれつの関係は次第に変わっていったんです。
それについては次のビューポイントで見ていきましょう。
それではサード・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー最後の見どころはフランスブルゴーニュ地方です。
10世紀に建てられた…当時最大の規模を誇った修道院です。
クリュニー修道院は当時の教会を改革するために建てられました。
なぜ改革が必要だったのでしょうか?その理由を探るため…。
マジカル・ジャンプ!カール大帝の死後北方からのノルマン人の襲撃などがあり西ヨーロッパの国々の統治は崩れかかっていました。
異民族の襲撃から土地を守るのはそれぞれの地域の領主でした。
領主は荘園と呼ばれる土地を所有しそこに教会を建てました。
そして教会の求心力を使って人々をまとめたのです。
次第に領主などの貴族は自分の子供などを聖職者にして教会に送り込むようになりました。
聖職者に対する人事権叙任権を世俗の者である領主や貴族皇帝が握るようになってしまったのです。
本来世俗から離れて神に祈りをささげるはずの聖職者が次第に世俗の政治に関わる人たちばかりになってしまいました。
教会は堕落し聖職を売買する者まで現れました。
この状況に批判的で世の中を刷新しようと建てられたのが…非常に厳しい修道院で本来の神に仕える敬けんな聖職者を養成しました。
やがて彼らの中からローマ教皇に上り詰める者も現れました。
その一人がグレゴリウス7世です。
グレゴリウス7世は教会の堕落の原因になるとして叙任権を世俗の者が持つ事を否定します。
この事が叙任権闘争と呼ばれる皇帝と教皇の争いに発展します。
神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世はグレゴリウス7世をローマ教皇の座から引きずり降ろす事を画策。
これに対しグレゴリウス7世はハインリヒ4世を破門しました。
すると帝国内の各地の有力者たちはもはやキリスト教徒ではなくなったハインリヒ4世に反旗を翻します。
ハインリヒは破門を解いてもらうためグレゴリウス7世への謝罪を決意。
雪の中グレゴリウス7世が滞在していたカノッサ城に赴きます。
そして門前ではだしになり三日三晩断食を行い許しを請いました。
これがカノッサの屈辱と呼ばれる事件です。
グレゴリウス7世はハインリヒ4世の破門を解いてやります。
この事件をきっかけに教皇の皇帝に対する優位は確固たるものとなりました。
いや皇帝なのにキリスト教から破門されると即力を失ってしまうっていうのがねびっくりしたけどまあそれだけ宗教の力とか教皇の力が絶大だったっていうのを物語ってるよね。
そういう事ですね。
このころノルマン人の侵入などで社会が混乱していて国の行政は機能していなかったんです。
そんな時に教会は現在の町役場に近いような地域をまとめる役割を果たしていたんです。
そうだったんだ。
その頂点が教皇でした。
政治と宗教が混然一体となった状態になっていたんですね。
なるほどね。
じゃあやっぱり皇帝と教皇どっちが上なんだっていうのを争っちゃうのも分かる気がするよね。
そうですよね。
ここからは世界史についての深いお話をマジカル・ヒストリー倶楽部アドバイザーの先生に伺います。
大月先生よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まあちょっとおさらいも兼ねてお話させて頂くとシャルルマーニュという言葉があってこれはカール大帝って人のフランス語読みなんですね。
である言葉があるんです。
ムハンマドってでもイスラーム世界の人ですよね。
そこ関係あるんですか?うん。
そのお話を今日まずしたいと思うんですね。
7世紀にアラブ人の中からムハンマドが登場してアラブ人の人たちが国をつくろうと動き出したんですね。
前回見て頂いたビザンツ帝国。
そのアラブ人の国家の建設の中でビザンツ帝国の領土をね取っていくようなそういう過程があったものだからビザンツ皇帝がアラブ人に対して撃退しようと頑張るんですね。
で他方で今日出てきた訳だけれどもランゴバルド人という人たちがイタリアに入ってきた。
そうするとローマの教皇たちはですね困るんですね。
うん。
でそれをコンスタンティノープルのビザンツ皇帝に撃退してくれという援軍要請をしたところ…ああそっか。
うちはもうこっちで手いっぱいだから…ってなっちゃった。
そうそう手いっぱいだったの。
そこでローマ教皇が少し困ってゲルマン人の民族移動でいろんな王国がありました。
その中で一番力の強かったフランクの王様に援軍要請をしたというのがあるんですね。
なのでその総決算として800年にカールが都市ローマで冠を載せられて皇帝になる。
なるほど。
それでムハンマドが出なければシャルルマーニュつまりカール大帝は出なかったというそういうつながりがあります。
歴史を見る時にはその地域だけを見るのではなくてもう少し周辺の世界との関係の中である地域を見るというのが今回の内容になります。
いや先生のおかげでいろんな歴史がこう一つにつながりました。
はい。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
いややっぱり西ヨーロッパの歴史は本当に力だけで制圧した訳じゃなくて本当にいろんな条件が絡んでっていうのが何か人間ドラマみたいで面白かったね。
独特でしたね。
何か西ヨーロッパに行きたくなってきましたね。
おっじゃあその格好で行ってみたらいいんじゃない?いやこの格好で行ったら本当に怒られますから。
2015/07/10(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「西ヨーロッパ世界の成立」[字]

歴史を知ると、旅はもっと楽しくなる! 世界各地の遺跡や観光地に隠された歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアーに、みなさんも出かけましょう。

詳細情報
番組内容
歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアー。今回訪ねるのは中世の西ヨーロッパ。5世紀、西ローマ帝国が滅亡するとゲルマン人の王国が林立した。やがてその中のフランク王国が強大化し、国王カールはローマ教皇から皇帝の冠を授かった。こうして誕生した西ヨーロッパ世界は、現代のEUのルーツともいわれる。世界遺産、アーヘンの大聖堂などを訪ね、西ヨーロッパ世界成立の謎に迫る。【出演】眞鍋かをり、永松文太
出演者
【講師】一橋大学教授…大月康弘,【司会】眞鍋かをり,永松文太,【語り】山田みほ

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験

映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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